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2章 イノセント・ノイズ
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石部金吉という言葉があるが、石川鉄男はその四字熟語に名前が似ているだけではなく、性質もそのままだった。歳は七十八歳。枯れ木のように痩せた体ながらも、眼光は鋭く、いかつい顔立ちで、「頑固親父」を絵に描いたような男であった。
そんな彼の朝は、いつも決まって、自宅の居間でテレビを見ながら朝食を摂ることから始まった。朝食のメニューはご飯と味噌汁とシャケと漬物。昔ながらの和食であった。
そして、見る番組は決まって朝のワイドショーだった。最近は老眼のせいであまり新聞を読むことがなくなったので、彼の情報収集はもっぱらテレビ頼りなのであった。
だが、その日のワイドショーの内容は、彼の血圧を大きく上げることになった。
「どうなる、少子高齢化社会ニッポン! 待機児童問題から見えてくる、育児難民の今!」
いつもはナントカという食品が健康によいとか、ナントカという芸能人のスキャンダルとか、どうでもいい内容ばかりを垂れ流している番組だったが、今日に限っては、きわめて社会的かつ、真面目で政治的なテーマを取り扱っていた。普通の人は、血圧が上がるどころか、日本の未来についてシリアスに考え込んでしまう内容だった。
だが、鉄男は大いに憤怒せずにはいられなかった。
「なにが、育児難民だ! テキトーな言葉作ってんじゃねえ!」
テレビに向かって箸を投げ、挙句にテレビのコンセントを抜き、電源を切った。リモコン操作でスマートにテレビを操作するなんて、鉄男はあまりやらないのだった。当然、チャンネルもほぼ固定だ。
「あなた、何またテレビに向かって叫んでるの。いいから早く朝ごはん食べてくださいよ」
台所のほうから妻の声が聞こえた。結婚生活四十余年、鉄男より二歳年上の女である。
「お、お前はなんとも思わないのか! 少子高齢化社会が問題って、ようは、俺ら老人が社会のお荷物だって言ってるようなもんだろ! テレビでそんなこと言っていいと思ってんのか!」
「え? 別にいいじゃないの。実際、そうなんだから。医療費の問題とかあるじゃない。あなただって、病院に行ってるじゃないの。ああいうの、けっこう税金かかってるらしいのよねえ」
「俺だけの問題じゃねえだろ!」
「そうね。私も糖尿病のお薬飲んでるし――」
「だから、ちげーよ、バカ!」
と、鉄男が叫んだ瞬間だった。居間の窓の外から、子供たちの朗らかな歌声が聞こえてきた。
「さーいーた、さーいーた、チューリップのはーなーがー」
五歳くらいの幼児たちのものだろうか、それは実に無邪気でかわいらしい歌声だった。
「まあ、今日も元気ねえ」
鉄男の妻も、その歌声にほのぼのとした気持ちになったようだった。だが、鉄男は違った。
「あのクソガキども! また騒音を撒き散らしてんのか!」
いらいらしながら、居間のテーブルをどんと拳で叩いた。はずみで、食器や箸ががしゃんと音を立てた。
「いい加減、慣れてくださいよ、あなた。ここからだと騒音ってほどじゃないでしょう、全然。小さい子たちが楽しそうに歌ってるだけですよ」
「うるさい! 今日という今日は徹底的に抗議してやる!」
鉄男はすぐに居間の壁に備え付けられていた電話を取り、慣れた手つきで番号をプッシュした。電話するのはもちろん、彼の家の隣にある、毎日騒音を撒き散らす幼稚園だった。
だが、電話はいつまで経ってもつながらなかった。受話器からは、呼び出し音だけがむなしく聞こえてくるだけだった。
「な、なんで、電話に出ないんだよ!」
「そりゃ、そうでしょう。あっちの電話にだって、誰からかかってきたかくらいわかるでしょう。あなたからの電話なんて、出るわけないわよ。どうせ毎回、文句しか言わないんだから。あなたは神経質すぎるんですよ」
「うるせえ! お前は何かにつけ、俺がおかしいみたいな言い方しやがって!」
妻のその、神経質という言葉にいらいらせずにはいられない鉄男だった。そう、鉄男が毎日こんなふうなため、一度は妻に耳がおかしいのではと疑われ、病院で耳の検査を受けさせられたこともあったのだ。結果はどこにも異常はなかった。医師はなぜ急に耳の検査をと不思議がって鉄男に尋ねてきたが、イヤイヤ受けた検査だったこともあり、何も答えずに帰ってしまった。耳に異常がないなら、どうせ、単なる神経質とレッテルを貼られるだけだし。
「とにかく、俺は何も間違っちゃいねえ! あのガキどもがうるさすぎなんだよ!」
もはや直談判しかない! 鉄男は食べかけの朝食をそのままテーブルに残し、玄関に向かった。パジャマ姿で、寝癖のついた髪のままで。後ろから、「あなた、朝食はもう片付けていいんですね?」と、妻の声が聞こえた。
しかし、いざ外に出ようと、玄関のドアのノブに手をかけた瞬間だった。郵便受けにはさまっていたらしい一枚のチラシが鉄男の足元に落ちてきた。
そこには、
「あなたのお悩み、解決します。まずはお気軽にご相談を。ウロマ・カウンセリングルーム」
と、書かれていた。
「なんだこりゃ? 精神科の広告か?」
鉄男は一瞬怪訝に思ったが、そこでふとひらめいた。
「そうだ、これは……使えるぞ!」
チラシを拾い上げ、その精神科のある場所をさっそく見てみた。
そんな彼の朝は、いつも決まって、自宅の居間でテレビを見ながら朝食を摂ることから始まった。朝食のメニューはご飯と味噌汁とシャケと漬物。昔ながらの和食であった。
そして、見る番組は決まって朝のワイドショーだった。最近は老眼のせいであまり新聞を読むことがなくなったので、彼の情報収集はもっぱらテレビ頼りなのであった。
だが、その日のワイドショーの内容は、彼の血圧を大きく上げることになった。
「どうなる、少子高齢化社会ニッポン! 待機児童問題から見えてくる、育児難民の今!」
いつもはナントカという食品が健康によいとか、ナントカという芸能人のスキャンダルとか、どうでもいい内容ばかりを垂れ流している番組だったが、今日に限っては、きわめて社会的かつ、真面目で政治的なテーマを取り扱っていた。普通の人は、血圧が上がるどころか、日本の未来についてシリアスに考え込んでしまう内容だった。
だが、鉄男は大いに憤怒せずにはいられなかった。
「なにが、育児難民だ! テキトーな言葉作ってんじゃねえ!」
テレビに向かって箸を投げ、挙句にテレビのコンセントを抜き、電源を切った。リモコン操作でスマートにテレビを操作するなんて、鉄男はあまりやらないのだった。当然、チャンネルもほぼ固定だ。
「あなた、何またテレビに向かって叫んでるの。いいから早く朝ごはん食べてくださいよ」
台所のほうから妻の声が聞こえた。結婚生活四十余年、鉄男より二歳年上の女である。
「お、お前はなんとも思わないのか! 少子高齢化社会が問題って、ようは、俺ら老人が社会のお荷物だって言ってるようなもんだろ! テレビでそんなこと言っていいと思ってんのか!」
「え? 別にいいじゃないの。実際、そうなんだから。医療費の問題とかあるじゃない。あなただって、病院に行ってるじゃないの。ああいうの、けっこう税金かかってるらしいのよねえ」
「俺だけの問題じゃねえだろ!」
「そうね。私も糖尿病のお薬飲んでるし――」
「だから、ちげーよ、バカ!」
と、鉄男が叫んだ瞬間だった。居間の窓の外から、子供たちの朗らかな歌声が聞こえてきた。
「さーいーた、さーいーた、チューリップのはーなーがー」
五歳くらいの幼児たちのものだろうか、それは実に無邪気でかわいらしい歌声だった。
「まあ、今日も元気ねえ」
鉄男の妻も、その歌声にほのぼのとした気持ちになったようだった。だが、鉄男は違った。
「あのクソガキども! また騒音を撒き散らしてんのか!」
いらいらしながら、居間のテーブルをどんと拳で叩いた。はずみで、食器や箸ががしゃんと音を立てた。
「いい加減、慣れてくださいよ、あなた。ここからだと騒音ってほどじゃないでしょう、全然。小さい子たちが楽しそうに歌ってるだけですよ」
「うるさい! 今日という今日は徹底的に抗議してやる!」
鉄男はすぐに居間の壁に備え付けられていた電話を取り、慣れた手つきで番号をプッシュした。電話するのはもちろん、彼の家の隣にある、毎日騒音を撒き散らす幼稚園だった。
だが、電話はいつまで経ってもつながらなかった。受話器からは、呼び出し音だけがむなしく聞こえてくるだけだった。
「な、なんで、電話に出ないんだよ!」
「そりゃ、そうでしょう。あっちの電話にだって、誰からかかってきたかくらいわかるでしょう。あなたからの電話なんて、出るわけないわよ。どうせ毎回、文句しか言わないんだから。あなたは神経質すぎるんですよ」
「うるせえ! お前は何かにつけ、俺がおかしいみたいな言い方しやがって!」
妻のその、神経質という言葉にいらいらせずにはいられない鉄男だった。そう、鉄男が毎日こんなふうなため、一度は妻に耳がおかしいのではと疑われ、病院で耳の検査を受けさせられたこともあったのだ。結果はどこにも異常はなかった。医師はなぜ急に耳の検査をと不思議がって鉄男に尋ねてきたが、イヤイヤ受けた検査だったこともあり、何も答えずに帰ってしまった。耳に異常がないなら、どうせ、単なる神経質とレッテルを貼られるだけだし。
「とにかく、俺は何も間違っちゃいねえ! あのガキどもがうるさすぎなんだよ!」
もはや直談判しかない! 鉄男は食べかけの朝食をそのままテーブルに残し、玄関に向かった。パジャマ姿で、寝癖のついた髪のままで。後ろから、「あなた、朝食はもう片付けていいんですね?」と、妻の声が聞こえた。
しかし、いざ外に出ようと、玄関のドアのノブに手をかけた瞬間だった。郵便受けにはさまっていたらしい一枚のチラシが鉄男の足元に落ちてきた。
そこには、
「あなたのお悩み、解決します。まずはお気軽にご相談を。ウロマ・カウンセリングルーム」
と、書かれていた。
「なんだこりゃ? 精神科の広告か?」
鉄男は一瞬怪訝に思ったが、そこでふとひらめいた。
「そうだ、これは……使えるぞ!」
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