私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末

コツメカワウソ

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 皆の視線はソフィアに集まっていたが、ソフィア自身はそれにも気づかずに考え込んでいる。

「ソフィア、ランセル卿のためにも、なぜ君がそんな風に考えたのか話したらどう?」

 ジョシュアの言葉に、ソフィアはハッとして顔を上げた。

「みんなの前で話すのが無理なら、せめてランセル卿にだけはちゃんと伝えた方がいい。ソフィアだって悪意があって対価について詳しく教えなかった訳ではないんだろう?」

「それはもちろんそうだけど…」

 ソフィアは下を向く。
 ここまできたらもう黙っている訳にはいかない。

「それじゃあ隣の書記官室を使うといい。そこの扉から入れる。今日は会議をするからと人払いをしてある。うちの書記官はコーヒー派だから紅茶はないかも知れないが、好きに飲んでくれていい。アルフォンスも少し落ち着いたか?ソフィアから話を聞くと良い」

 レオナールが気を利かせてくれたんだろう。
 ソフィアが顔を上げると、ちょうどエリーと目が合った。

「団長もこう仰ってるし、お言葉に甘えたら?ちゃんと話をした方がいいわ」

 優しく笑うエリーに、母の面影を感じる。
 ソフィアとは一回り程しか変わらないが、母のような優しい目をしていた。

「…はい。ありがとうございます。皆様、私のせいでお時間を取らせてしまって申し訳ありません」

 皆に頭を下げて文官室に向かう。

「ソフィア、父さん達の話をここにいる人達は知ってるの?」

「師長とエリーさんには話したわ」

「分かった。じゃあ団長殿と副団長殿には僕から話すよ、いいね」

「…ありがとう。お願い」

 二人が文官室に入って行き、団長室とを繋ぐ扉が閉まる。
 それを見届けると、ジョシュアは皆に向き直った。

「ジョシュア殿、二人のご両親の話とは?」

 レオナールはジョシュアに尋ねた。

「まぁ、簡単に言うと両親の馴れ初め、ですかね」

「馴れ初め?」

 眉間に皺を寄せながらカイルが聞く。

「えぇ。多分その事が今回の姉の行動に繋がっているんですよ」

 レオナールに促されてジョシュアはテーブルに座り直した。
 エリーが紅茶を準備していく。柔らかな湯気と共に、良いな香りが部屋に広がる。
 ジョシュアはエリーにお礼を言い、カップに口を付けた。

「私達の母は、元々北方騎士団の治癒師だったんです。師匠シモンとは同門で、父が呪いを掛けられ魔力を失った時、両親は恋人同士でした。王命が出た時、母は恋人を助けるために治療を申し出ました。自分を忘れた父を見て、心置きなく対価を払えると言っていたそうです。そして、治療をした母が対価として取られたものは、父の記憶でした」

「そうだったのか…」

 カイルは呟くように言った。

「しかし、どちらも記憶を無くしてそれで終わりにはならなかった。その時母は姉を身籠っていたんです。本人も気づかない程の初期でしたが。母自身記憶が無いので身に覚えのない妊娠に戸惑いましたが、周囲の助けもあって無事出産、その後色々あって両親は復縁しました。しかし祖母は姉をバードナー家の孫とは認めず、結局父は実家と縁を切りました。そして話し合った結果、事実婚として家族になったんです。父は貴族籍に残りましたが、それは子のいない伯父夫婦のためです。母と姉は平民のまま、私と弟はどちらかが伯父夫妻の養子となるために父の庶子となっています」

 レオナールとカイルは言葉が出ない。
 フェイとエリーは知っていたが、改めて聞いてもひどい話だと思う。

「姉は、自分のせいで両親が結婚出来なかったと思っているんですよ。自分がいたせいで両親の仲が拗れ、父は実家とも縁を切った。だからせめて、身籠っていた母の対価が自分ではなかった事の意味を、見出したかったのでしょうか。記録上、妊婦は対価としてお腹の子を取られていますから。本当に…母も姉も頑固なんです。二人とも恋人を助ける為に、すぐに治療をしようとした。姉は自己犠牲を厭わない。私達を取り巻く環境が複雑だったせいでしょう。私も師匠もランセル卿が姉の恋人だと知っていましたよ。ですが付き合って随分経っても結婚の話も出ない。二人の関係をよく思わない者も多い。姉は気づいたのではないでしょうか。西方では自分達の未来は明るくない。それならいっそ、彼の幸せを願って身を引いた方がいいと。魔力を取り戻したら、流石に国もランセル卿に結婚するように言ってくる。対価が分からない以上、このまま関係を続けるとは考えなかったんでしょう。いくら父の籍に入ったとしても、対価によってはランセル家も反対するでしょうから。それに彼の魔力がソフィアによって戻っても、それをランセル卿の家族に話す事は出来ないですしね。先読みはするくせに、いざとなったら自分の幸せは思い切りよく捨てようとする。本当に、そういう所は母娘でそっくりですよ」

 ここまで一気に話すと、ジョシュアはゆっくりと紅茶を飲んだ。
 乾いた喉を、少し冷めた紅茶が気持ちよく潤してくれる。

「私はね、怒りを感じているんですよ。当時の王だけでなく、両親にも」

「ご両親に?」

「ええ。なぜ避妊くらいちゃんとしなかったのかと。記憶を失う前、両親は結婚を考えていたそうですが、結婚後に身籠ったならこんなにも姉が悩む事は無かった。私は姉がこの事で悩んでいるのをずっと分かっていましたから。両親からこの話を聞いた時に、思わず父を殴りました」

「殴っ…た?」

 普通の事のように言うジョシュアに、レオナールは思わず聞き返す。
 英雄と同等の魔力を持つ息子、喧嘩になればタダでは済まなそうな気がする。

「ええ。何も言わずにガツンと、ですね。避妊ぐらいちゃんとしろと怒鳴りつけました」

「それはまた…」

 その時ジョシュアはいくつだったんだろうか。十八で西方に来たソフィアよりも年下だった事は確かだ。
 あまりにも大人びている。

 「北方では身分よりも能力が重要視されます。祖母は不満でしょうが、それでも両親の結婚は問題なく出来たはずなんです。それなのに、母の妊娠で話がややこしくなってしまった。あまり悩まず何とかなるさの辺境気質は悪い事ではありませんし、過酷な環境で生きる者にとっては大切でしょう。それでも両親は大人としてもう少し考えるべきだった。英雄の娘でありながら弟達より能力が劣る、姉の事をそう思っていた者もいます。ですが姉は決して魔力が低い訳ではない、置かれた環境がそう思わせてしまうんです。だからこそ、自分が出来ることは何か考えて、出した答えがランセル卿の治療だったんでしょう。正直、やり方としては悪手ですがね」

 黙って話を聞いていたカイルは、苦しげに口を開いた。

「俺は、何も知らずにソフィアにひどい事を言ってしまった…」

 あの日、ソフィアと話した事を思い出す。対価として取られるならば記憶が良いと彼女は言った。自分の心を残す事なくアルフォンスの幸せを願えるからと。

「何を話したのかは分かりませんが、今回の事は姉が悪手です。多分、副団長殿は間違った事は仰っていないでしょう。姉の事情は簡単に話せるものではありませんし、できれば知られたく無かったはずです。もしも話して否定されれば、自分の存在意義が揺らぎますから」

 気にした様子もなくカップを口に運ぶジョシュアを見て、カイルは思う。
 自分達が考える以上に、葛藤と戦ってきたのだろうと。
 王命によって振り回された人間が余りにも多すぎる。前王に対して強い怒りが湧く。

「姉が治療をする事は家族としては反対です。ですが、今回の事は国にとっては渡りに船だ。ランセル卿は魔力回路が壊れても健康体、治癒師自身も治療を希望している。こんなに好条件はありません。ですから今頃、治療の許可が出ていると思いますよ。あとは、二人の話がまとまるかどうか、ですかね」

 ジョシュアは涼しげな顔でそう言った。




















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