侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
87 / 90

86.最終話・罪と罰

しおりを挟む
 日記はそこで終わっていた。
 最後までカインのことが綴られていた。カインの幸せな未来を望む震えた文字だけが、紙面を埋め尽くすように書かれていた。
「おばさまが最後に私をお呼びになられたのは――私のせいです」
 ジルダは静かに言った。
 アルティシアはカインに会いたかった。
 触れる事は出来なくとも、どんな目で見つめられようとも、どれだけ憎まれようとも、最後にカインの姿を目に焼き付けたかった。
 だが、それよりもしなければならいことがあった。
「最後の最後まで、あなたの呪いをこれ以上大きくしてはいけないと、あなたの事だけを考えておられました。そして、私にあなたを支えてくれと何度もおっしゃってました」
 アルティシアは何の関係もないジルダに、カインの運命を背負わせたことを詫びていた。
 だが、その上でカインを支えてほしいと幼いジルダに頼み込んだのだ。
 ジルダはカインが泣いているのに気が付かない振りをした。
「あなたがおばさまの一件で私を嫌いになったのはわかっていました。でも、私があなたよりもおばさまとの時間を過ごしたのは本当の事だもの。恨まれても仕方がない――」
「僕は母上の葬儀で泣かなかった。悲しくなかったんだ」
 カインは漸く口を開いた。
「父上が悲しみを堪えて僕を抱き締めたけど、僕は何の感情もわかなかった」
 母を見殺しにしたも同然だと、カインは嗚咽を漏らした。
「母は僕ではなく、ロメオや君を愛していたと思っていた。だから君を憎んでいたんだ」
「違う――」
 ジルダはカインの涙を優しく拭うと、少し悩んでから口を開いた。
「憎んでいいのです。憎まれて当然なのです」
 そう口に出して初めて、ジルダの目から涙がこぼれた。

 アルティシアに触れる事により、カインの命は新たな魔力となって蓄積されていった。
 それはまさに呪いと言って相応しく、カインの心を支配する黒い魔力だった。黒い魔力はカインの感情に大きく反応し、その魔力を増幅させると心を蝕んだ。
 エスクード侯爵家の侍医とジルダはその存在に気付いたが、既にカインの心は殆ど黒い魔力に食われかけていた。対処法はただ一つだけ、ジルダがその黒い魔力を吸収する事だけだった。
「黒い魔力……」
「ええ……それさえ取り除けば、カイン本来の魔力は安全だったから」
 ジルダは涙を流しながら、ゆっくりと話す。
 いつもの堅苦しさは消えて、子供の頃に戻ったようだった。
「もしかして君は、黒い魔力だけを吸収してたのか?」
 厩舎の下男がジルダが魔力吸収は疲れると、こぼしていた事を思い出して、カインはジルダの顔を覗き込んだ。
 ジルダは小さく頷くと、再び話し始めた。
「おばさまの最期の報せを受けた時、カインの黒い魔力は暴走こそしなかったけど、黒い魔力はあなたの心を完全に覆いつくしてしまった。取り乱していた私は、それに気がつけなかったの」
 カインはアルティシアを部屋の隅で見つめていた。
 なんの感情もない瞳で、事切れそうな母を見ていた。
 アレッツォに促されて、ジルダと共に母の寝室から出たはずなのに、気がつくとジルダの姿はなかった。
「おじさまに呼ばれて」
「父上が――?」
 
 ジルダが使用人に連れられて寝室に戻ると、細い息を繰り返すだけの妻の横で、エスクード侯爵が言った。
「アルティシアの魔力を全て吸収してくれないか」
 ジルダは驚いて首を横に振った。そんな事をしたらおばさまは死んでしまう。幼いジルダにもわかり切った事だ。
 目の前のアルティシアはもう意識を保つことすらできず、細い息をかろうじて繰り返すだけだった。
「アルティシアの望みだ――そして、その魔力をカインに」
 涙を堪えながら、侯爵はジルダに膝をつき頭を下げた。
 わずか7歳の少女には残酷な願いだということは理解していた。だが、なんの能力もない自分は、この少女に膝をつき、頭を下げることしかできないのだ。
 カインの心が黒い魔力に覆われてしまった事に気付いたアルティシアは、最後に自分の魔力をカインに移して欲しいとオレリオに頼み込んだ。
 母親としてカインを守りたいのだと言うアルティシアに、オレリオは強く拒否する事はできなかった。
 1分でも長く生きて欲しい。しかし、最後の望みであれば聞いてやりたい。
 だがそれは、自分の手で最愛の妻の命を終わらせることを指し、目の前の可哀想な少女にどれほど辛い思いを抱かせるのか。
 とても重く辛すぎる決断だった。
「幼い君に背負わせてすまない。しかし、妻の命はもう潰える――だからせめて残った命をカインを救うために使わせてやってくれ」
 ジルダは2人がすでに決めた事なのだと、理解した。
 カインを守るために。
 幼いジルダは、アルティシアを見つめた。
 カインと同じ、青い瞳が懇願するように震えている。
 ここで、自分が拒否したらこの優しい人たちは絶望し、カインも二度と笑顔を見せてはくれなくなるかもしれない。
 ジルダは逡巡を振り払って、そっとアルティシアの手に触れた。涙で視界がぼやけたが、目は閉じなかった。
 アルティシアの反対の手はオレリオが握った。
 吸収を開始するとオレリオは涙を流しながらアルティシアに口付けをして言った。
 「愛してる。君以外愛さないと誓う。だからどうか、また私と出会ってくれ」
 ほんの少しだけ、アルティシアの頬に赤みがさしたと思ったが、すぐに青白い顔に戻っていた。
 ジルダが魔力を吸収し終えても、オレリオはアルティシアの冷たくなった手を抱き締め、口付けをやめようとしなかった。
 ジルダは、その全てを見届けた。
 侯爵夫妻の愛の深さを。そして、自分が奪った命を。

「そんな――」
 ジルダの告白を聞いて、カインは何と答えていいのかわからなかった。
「私は、おばさまの――カインのお母様の命を奪ったの。恨まれて当然――」
「そうではない!」
 カインは声を荒げた。しかし、ジルダを抱いた腕は離すことはなかった。
 この人は、こんなつらい過去を抱えさせられて、僕に冷たくされても、それでも嫌な顔一つせずに僕を助けてくれていたのだ。この10年もの間。
「その――母の魔力は……」
「カイン様にお渡しいたしました」
 葬儀の後の魔力吸収で、ジルダはカインにそっとアルティシアの魔力を注ぎ込んだ。
 アルティシアの魔力はカインの心に優しく広がり、心を埋め尽くしていた黒い魔力は勢いをなくして、カインの本来の美しい魔力が戻ってきた。
 しかし、完全にとはいかなかった。
 それでも、二つの魔力は均衡を保ちながら、ジルダの助力もあって暴走することなくやってこれたのだ。
「僕は――何度君に救われているんだ」
「お救いになったのはおばさまよ」
 ジルダは、そう言うとカインの胸元の青い宝石に触れた。
「まさか――これは」
 いつも温かさを感じさせてくれたこの宝石。
「おばさまの魔力の、最後のひとかけらです」
 ジルダは、涙が流れるままに続けた。
「もし、あなたに何かあった時、もう一度おばさまがあなたたを守ってくれるように――ううん。私が離れたくなくて」
 少しだけ、本当に感じられる少しの分だけを、ジルダは10年の間抱き続けていた。母の魔力を。
「お二人に頼まれたとはいえ、私がおばさまの命を奪ったのは事実です。その償いはこれから先も一生かけて行うつもりです」
「償いなど――それなら僕がしなければならない」
 カインは両方の腕でジルダを抱き締めた。
 口癖のように言っていた「私がいなければ生きていけないでしょう」という言葉は、決してカインを馬鹿にしたものではなく、母親の命を奪った自分に頼らねばならないカインを憐れんでいたものだったと、漸くカインは気付いた。
 そして、ジルダに全てを背負わせていた自分を恥じ、ジルダの献身と深い愛情に心の底から感謝した。

「ジルダ――僕にこんな事を言う資格はないのかも知れない。しかし、これだけは伝えなければならないんだ」

 そう言うとカインは、ジルダを抱いた腕を解き、床に跪くとジルダのスカートを手に取り、そこに口付けをした。


#### あとがき ####
ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。
結末については納得いただけた方もいただけない方もいらっしゃると思います。
この作品のコンセプトから、この結末は最初から決まってたもので…

まだお付き合いいただける方は次回からの番外編もお付き合いいただけると嬉しいです。

また、別作品の「辺境伯夫人は領地を紡ぐ」は、テイストを変えて溺愛メインになっています。
よろしければご一読いただけますと幸いです。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど? ――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」 自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。 ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。 ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、 「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。 むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが…… いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、 彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、 しまいには婚約が白紙になってしまって――!? けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。 自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、 さあ、思い切り自由に愛されましょう! ……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか? 自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、 “白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

【完結】三歳年下の婚約者は、嘘を覚えた

恋せよ恋
恋愛
ランバート侯爵令嬢フィオーラには三歳年下の病弱な婚約者がいる。 保養地で十二歳まで静養するフィッチモ公爵家の嫡男、エドワード。 病弱で儚げだった可愛い彼を、フィオーラは献身的に励まし支えた。 十四歳でエドワードが健康を取り戻し王都へ戻ると、環境に変化が。 金髪に青い目の整った容姿の公爵家嫡男に群がる令嬢たち。 「三歳年上の年増」「素敵なエドワード様に相応しくないおばさん」 周囲の令嬢たちによるフィオーラへの執拗な侮辱。 そして、エドワードの友人の義妹マリアンヌの甘い誘惑と、接近。 思春期真っ盛りのエドワードと、美しいフィオーラの関係は拗れていく。 二人の婚約の結末は、婚約解消か、継続か、はたまた……。 若い二人の拗れた恋の行方の物語 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

処理中です...