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10 揺れる気持ち
「お嬢様、大変です……! 殿下が今日もまた、いらしておいでです」
慌てた様子のメイドが駈け込んで来た時、私はリビングでのんびりとお茶を楽しんでいた。
「え、うそ。この雨の中?」
いくらなんでも今日は顔を出さないだろうと踏んでいたので、ぎょっとした。
チラッと窓に視線を向ければ、今もボタボタと音を立てて、激しい暴風雨が叩きつけている。
こんな日に、どうせ会えない相手を訪問するなんて、どうかしているとしか思えなかった。
「でも、ちゃんと追い払ってくれたのでしょう?」
邸の者には、ロランが訪問した場合、毅然とした態度で『申し訳ありませんが、お嬢様はお会いになれません』と伝えるよう指示してある。
実際、彼らが毎度へどもどして『誠に誠に申し訳ないのですが……!!』とかロランに謝っている点に関しては、見て見ぬふりをした。
「はい、いつもどおり例のお言葉を、お伝え致しました……」
「それならいいわ」
普段は夕刻まで、門前で立ち尽くしているけれど、今日はそのまま帰ってくれるだろう。
屋根のない門の下では、雨避けもできないし。
ところがメイドは、泣きそうな顔になって、『よくありません、お嬢様。どうか窓の外を見てくださいませ……!』と訴えかけてきた。
え。なに。
嫌な予感しかしなくて、見たくない。
「お嬢様……! 殿下はいま門前で雨に打たれながら、震えていらっしゃいます……! それでもまったく、帰る素振りをお見せになられないのです! きっと今日もまた夕刻まで、お嬢様のお許しを待たれるおつもりです……!」
「ちょっと!! それ察したけど! 敢えて見ないで、素知らぬ顔を貫くつもりだったのよ!? なんで全部言っちゃうのよ、もう!」
聞いてしまった以上、さすがに知らんぷりはできない。
ティーカップをローテーブルの上に戻し、席を立った私は、おそるおそる窓際へ近づいた。
レースのカーテンの隙間を指先で開けて、そーっと覗くと……。
ヒッ。
いる……!!!!
いや、いるのはわかっていたけれど。
本当にぬれねずみ状態で立ち尽くしているのを見て、背筋がゾッとした。
外套の襟元を両手で合わせたロランは、雨に体温を奪われるのだろう、この距離からでもわかるほど、ガタガタと震えている。
馬鹿じゃないの……。
あのままでいたら、風邪を引くに決まっているのに……。
……本当にずっと、夕方まで、ああしているつもり?
私が顔を出さない限り、ずっと……。
胸の奥がちくりと痛む。
なんだかすごく悪いことをしている気になる。
え、してるのかな……。
でも会わないってちゃんと断ったし!
それなのに帰らないで、雨に濡れているのは、ロランの勝手だ。
ほら、またこれ。
ロランの勝手に振り回されて、迷惑をこうむるパターン。
そもそも今、ああやって雨に濡れて震えているのだって、同情を引きたいだけかも。
それで私が折れれば、ロランにとって都合のいい結果となる。
実際、まんまと!
まんまと、一瞬、同情してしまったし!
「お嬢様、どういたしましょう……?」
窓際に立ちつくし、唇を引き結んでいた私に、メイドが声をかけてくる。
私は彼女のほうを振り返らずに、返事をした。
「どうもしないわ。殿下もそのうち諦めて、帰るでしょう」
そう期待したかった。
けれど、ロランは諦めなかった。
十五分後に窓の外を覗くと、彼はまだそこに立っていた。
三十分後にも。
そして一時間後にも。
窓の近くから離れていても、外の様子ばかり気になる。
何も手につかない。
雨音はどんどん激しさを増していくように感じられた。
私の心がそう思わせたのかもしれない。
この部屋の中は、とてもあたたかい。
やめておけばいいのに、私はついうっかり、ロランが感じているであろう寒さを想像してしまった。
きっと、今日の判断が、私たちの関係性の行く先を決定づけてしまう。
そうわかっていたのに……。
私はタオルをワシ掴むと、スカートの裾をひるがえし、部屋を飛び出した。
勢いよく扉を開いた音に反応して、ロランがこちらを振り返る。
彼は目を見開くと、外套を脱いで、慌てて駆け寄ってきた。
鮮やかな赤髪は水を吸って、鈍い色に変わっている。
ロランの顔は、青白かった。
おそらく体が心底冷え切っているのだろう。
「アデリーヌ! 濡れてしまうよ……! ごめんね、これでは、あまり役に立たないだろうけれど」
彼は私の肩に、自分がまとっていた外套をかけてきた。
私は持ってきたタオルを、彼の顔面めがけて、ぼふっと投げつけた。
「なに考えているのよ! ロランのほうがずぶ濡れでしょ!」
「だって君が風邪を引いてしまうといけないから」
「い、いまさら思いやりなんて見せられても、懐柔されないんだから……!」
「いまさら、か……。僕、そんなに思いやりがない態度を取っていたんだね。トイレのことといい、本当にごめんね。アデリーヌ」
「トイレの話、次に持ち出したら殴るわよ」
「うん、ごめんね」
ロランがしょんぼりとうなだれる。
彼が左手に掴んだ花束も、ひどい雨に打たれて、ぐちゃぐちゃに萎れていた。
「……私が風邪を引くかもなんて、心配しなくていいわよ」
「僕に心配されるのは嫌?」
「……私は一時間以上、あなたのことをほったらかしにしていたわ。あなたなんて、風邪を引いて、それをこじらせて、肺炎にでもなって苦しめばいいって思っていたぐらいだし」
本当はそこまでの意地悪を思ったりはしなかったけれど。
なぜかむきになって、そう言ってしまった。
私の言葉を聞いたロランは、宥めるように首を横に振った。
心の内を見透かされているみたいで、腹が立つ。
私の気持ちなんてお構いなしで、自分の想いばかり押しつけるのが、いつものあなたでしょう?
なんで今日に限って、こんなにまっとうなの。
そのせいで、罪悪感がすごい。
「……ロランなんて大嫌いよ。本当に顔も見たくなかった。だから追い払い続けたのに……」
「でも今日、君は来てくれた」
そう言うと、ロランは本当にうれしそうに微笑んだのだった。
慌てた様子のメイドが駈け込んで来た時、私はリビングでのんびりとお茶を楽しんでいた。
「え、うそ。この雨の中?」
いくらなんでも今日は顔を出さないだろうと踏んでいたので、ぎょっとした。
チラッと窓に視線を向ければ、今もボタボタと音を立てて、激しい暴風雨が叩きつけている。
こんな日に、どうせ会えない相手を訪問するなんて、どうかしているとしか思えなかった。
「でも、ちゃんと追い払ってくれたのでしょう?」
邸の者には、ロランが訪問した場合、毅然とした態度で『申し訳ありませんが、お嬢様はお会いになれません』と伝えるよう指示してある。
実際、彼らが毎度へどもどして『誠に誠に申し訳ないのですが……!!』とかロランに謝っている点に関しては、見て見ぬふりをした。
「はい、いつもどおり例のお言葉を、お伝え致しました……」
「それならいいわ」
普段は夕刻まで、門前で立ち尽くしているけれど、今日はそのまま帰ってくれるだろう。
屋根のない門の下では、雨避けもできないし。
ところがメイドは、泣きそうな顔になって、『よくありません、お嬢様。どうか窓の外を見てくださいませ……!』と訴えかけてきた。
え。なに。
嫌な予感しかしなくて、見たくない。
「お嬢様……! 殿下はいま門前で雨に打たれながら、震えていらっしゃいます……! それでもまったく、帰る素振りをお見せになられないのです! きっと今日もまた夕刻まで、お嬢様のお許しを待たれるおつもりです……!」
「ちょっと!! それ察したけど! 敢えて見ないで、素知らぬ顔を貫くつもりだったのよ!? なんで全部言っちゃうのよ、もう!」
聞いてしまった以上、さすがに知らんぷりはできない。
ティーカップをローテーブルの上に戻し、席を立った私は、おそるおそる窓際へ近づいた。
レースのカーテンの隙間を指先で開けて、そーっと覗くと……。
ヒッ。
いる……!!!!
いや、いるのはわかっていたけれど。
本当にぬれねずみ状態で立ち尽くしているのを見て、背筋がゾッとした。
外套の襟元を両手で合わせたロランは、雨に体温を奪われるのだろう、この距離からでもわかるほど、ガタガタと震えている。
馬鹿じゃないの……。
あのままでいたら、風邪を引くに決まっているのに……。
……本当にずっと、夕方まで、ああしているつもり?
私が顔を出さない限り、ずっと……。
胸の奥がちくりと痛む。
なんだかすごく悪いことをしている気になる。
え、してるのかな……。
でも会わないってちゃんと断ったし!
それなのに帰らないで、雨に濡れているのは、ロランの勝手だ。
ほら、またこれ。
ロランの勝手に振り回されて、迷惑をこうむるパターン。
そもそも今、ああやって雨に濡れて震えているのだって、同情を引きたいだけかも。
それで私が折れれば、ロランにとって都合のいい結果となる。
実際、まんまと!
まんまと、一瞬、同情してしまったし!
「お嬢様、どういたしましょう……?」
窓際に立ちつくし、唇を引き結んでいた私に、メイドが声をかけてくる。
私は彼女のほうを振り返らずに、返事をした。
「どうもしないわ。殿下もそのうち諦めて、帰るでしょう」
そう期待したかった。
けれど、ロランは諦めなかった。
十五分後に窓の外を覗くと、彼はまだそこに立っていた。
三十分後にも。
そして一時間後にも。
窓の近くから離れていても、外の様子ばかり気になる。
何も手につかない。
雨音はどんどん激しさを増していくように感じられた。
私の心がそう思わせたのかもしれない。
この部屋の中は、とてもあたたかい。
やめておけばいいのに、私はついうっかり、ロランが感じているであろう寒さを想像してしまった。
きっと、今日の判断が、私たちの関係性の行く先を決定づけてしまう。
そうわかっていたのに……。
私はタオルをワシ掴むと、スカートの裾をひるがえし、部屋を飛び出した。
勢いよく扉を開いた音に反応して、ロランがこちらを振り返る。
彼は目を見開くと、外套を脱いで、慌てて駆け寄ってきた。
鮮やかな赤髪は水を吸って、鈍い色に変わっている。
ロランの顔は、青白かった。
おそらく体が心底冷え切っているのだろう。
「アデリーヌ! 濡れてしまうよ……! ごめんね、これでは、あまり役に立たないだろうけれど」
彼は私の肩に、自分がまとっていた外套をかけてきた。
私は持ってきたタオルを、彼の顔面めがけて、ぼふっと投げつけた。
「なに考えているのよ! ロランのほうがずぶ濡れでしょ!」
「だって君が風邪を引いてしまうといけないから」
「い、いまさら思いやりなんて見せられても、懐柔されないんだから……!」
「いまさら、か……。僕、そんなに思いやりがない態度を取っていたんだね。トイレのことといい、本当にごめんね。アデリーヌ」
「トイレの話、次に持ち出したら殴るわよ」
「うん、ごめんね」
ロランがしょんぼりとうなだれる。
彼が左手に掴んだ花束も、ひどい雨に打たれて、ぐちゃぐちゃに萎れていた。
「……私が風邪を引くかもなんて、心配しなくていいわよ」
「僕に心配されるのは嫌?」
「……私は一時間以上、あなたのことをほったらかしにしていたわ。あなたなんて、風邪を引いて、それをこじらせて、肺炎にでもなって苦しめばいいって思っていたぐらいだし」
本当はそこまでの意地悪を思ったりはしなかったけれど。
なぜかむきになって、そう言ってしまった。
私の言葉を聞いたロランは、宥めるように首を横に振った。
心の内を見透かされているみたいで、腹が立つ。
私の気持ちなんてお構いなしで、自分の想いばかり押しつけるのが、いつものあなたでしょう?
なんで今日に限って、こんなにまっとうなの。
そのせいで、罪悪感がすごい。
「……ロランなんて大嫌いよ。本当に顔も見たくなかった。だから追い払い続けたのに……」
「でも今日、君は来てくれた」
そう言うと、ロランは本当にうれしそうに微笑んだのだった。
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