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第9唱 クロヴィスとコンラート
微笑むもの
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「兄上がいなくなって、『心に穴があくとは、こういうことか』と実感しました。胸の中に真っ黒な虚ろがあって、それが日々の彩りも感触も、風の匂いすら吸い込むから、生きている実感がない。何を食べても味がしなくて、気づくとインクを飲んでいたこともありました。口から胸まで黒インクを垂らした僕を見て、使用人たちが腰を抜かしていましたっけ。今となっては笑い話です」
「砂粒ほども笑えない」
弟に背を向けてクロヴィスが廃神殿の外へ出ると、夜空は星で埋め尽くされていた。
過去を思い出していたせいか、それとも砂礫の降る建物の中にいたせいか。外は冷たい雨が降っていると思い込んでいたので、クロヴィスは一瞬、別世界に迷い込んだかと思った。
(らしくもねえ)
内心の動揺を、こぶしを握って押し込める。
コンラートが大祭司長であり、さらには呪術師となり果てていたという事実。そしてそれをまったく知らずにいたという自己嫌悪は、クロヴィスに大きな衝撃を与えていた。
だがラピスが泣いていたと把握した今、気持ちがメラメラと奮い立つ。
己の古傷も感傷も、目の前の弟すら、今はどうでもいい。
とにかくラピスだ。
自分は彼の師であり、保護者なのだから。
彼を守る。それが人生の最優先事項だ。
ラピスには、自分がしてほしかったこと、与えられなかったもの、すべて与えて守る。必ず守ってくれる人、安心して暮らせる日常、望むまま竜を追える自由も知識も、すべてを与えるのだ、あの子には。
「お待ちを、兄上」
ゆったりと追うように出てきたコンラートが、汚れた外套を払いながら微笑んだ。無視して去ろうとしたのだが。
「あの子の元へ行くのですか。あの子のために、王都の民すべての命を捨てると?」
「……はあ?」
苛立ちを隠さずすごむと、さらに癇に障る笑みが返された。
「あの子がなぜ、大切な『竜の書』を焼いたと? 王都の民の命がかかっているからですよ」
「……呪法か」
「当然です。竜王の力とはすさまじいものですね。長い長い年月をかけて蓄積された呪詛で変わり果てた姿になろうと、『ひと息に人と世界を壊せ』という命令は、まだ聞いてくれそうもありません。ですが王都を火の海にするくらいのことはしてくれそうですよ」
あっさりと、竜王を呪詛することに成功したのだと言っている。
今さらこの弟の言うことに、いちいち疑義をただしたりしない。
長き歳月と執念と入念な準備により呪法を成したのだということはすでにわかっているし、王都云々の話も真実なのだろう。
「……だったら話は簡単だ」
「はい?」
「王都の民なんぞどうでもいい。じゃあな」
「兄上!? た、たったひとりの弟子のために、王都九百万人の民の命がどうなってもいいと言うのですか!?」
「てめえが言うな」
今はもう、すっかり老いた弟。なのに幼児を相手にしているような気分になり、クロヴィスは大きなため息をこぼした。
「どうせその性格の悪さと呪法で、世界中に人質を用意できるんだろう。なら、てめえの言いなりになっても切りがねえ。俺を思い通りに動かしたきゃラピスを人質にとるしかねえが、できなかったんだろ? ジークはああ見えて優秀なカメム……護衛だからな」
「……実の家族にすら心をひらかなかったあなたが、赤の他人を信頼するようになるとは、昔は想像すらできませんでした。でも買いかぶりでしょう。第三騎士団団長だけなら、どうとでもできました。兄上の加護魔法と、予想以上にため込まれていたあの子の竜氣に阻まれさえしなければ」
弟の声に初めて苛立ちが滲んだが、逆にクロヴィスの気分は浮き立った。
愛弟子の素晴らしさは充分承知しているけれど、他者から認められるとまた格別に気分が上がる。
「まあな。確かにジークなんかより、うちの弟子がすごい。巡礼を始めた途端、古竜が次々会いにくるなんて普通はない。ラピスを応援するために出てきてくれたようなもんだ。あの極上の竜氣がなけりゃ、同行の王子たちもお前の呪詛にやられてたろうな」
嫌そうに顔を歪めた弟が、「そんなニヤついた顔を見るのも初めてです」と呟いた。
「砂粒ほども笑えない」
弟に背を向けてクロヴィスが廃神殿の外へ出ると、夜空は星で埋め尽くされていた。
過去を思い出していたせいか、それとも砂礫の降る建物の中にいたせいか。外は冷たい雨が降っていると思い込んでいたので、クロヴィスは一瞬、別世界に迷い込んだかと思った。
(らしくもねえ)
内心の動揺を、こぶしを握って押し込める。
コンラートが大祭司長であり、さらには呪術師となり果てていたという事実。そしてそれをまったく知らずにいたという自己嫌悪は、クロヴィスに大きな衝撃を与えていた。
だがラピスが泣いていたと把握した今、気持ちがメラメラと奮い立つ。
己の古傷も感傷も、目の前の弟すら、今はどうでもいい。
とにかくラピスだ。
自分は彼の師であり、保護者なのだから。
彼を守る。それが人生の最優先事項だ。
ラピスには、自分がしてほしかったこと、与えられなかったもの、すべて与えて守る。必ず守ってくれる人、安心して暮らせる日常、望むまま竜を追える自由も知識も、すべてを与えるのだ、あの子には。
「お待ちを、兄上」
ゆったりと追うように出てきたコンラートが、汚れた外套を払いながら微笑んだ。無視して去ろうとしたのだが。
「あの子の元へ行くのですか。あの子のために、王都の民すべての命を捨てると?」
「……はあ?」
苛立ちを隠さずすごむと、さらに癇に障る笑みが返された。
「あの子がなぜ、大切な『竜の書』を焼いたと? 王都の民の命がかかっているからですよ」
「……呪法か」
「当然です。竜王の力とはすさまじいものですね。長い長い年月をかけて蓄積された呪詛で変わり果てた姿になろうと、『ひと息に人と世界を壊せ』という命令は、まだ聞いてくれそうもありません。ですが王都を火の海にするくらいのことはしてくれそうですよ」
あっさりと、竜王を呪詛することに成功したのだと言っている。
今さらこの弟の言うことに、いちいち疑義をただしたりしない。
長き歳月と執念と入念な準備により呪法を成したのだということはすでにわかっているし、王都云々の話も真実なのだろう。
「……だったら話は簡単だ」
「はい?」
「王都の民なんぞどうでもいい。じゃあな」
「兄上!? た、たったひとりの弟子のために、王都九百万人の民の命がどうなってもいいと言うのですか!?」
「てめえが言うな」
今はもう、すっかり老いた弟。なのに幼児を相手にしているような気分になり、クロヴィスは大きなため息をこぼした。
「どうせその性格の悪さと呪法で、世界中に人質を用意できるんだろう。なら、てめえの言いなりになっても切りがねえ。俺を思い通りに動かしたきゃラピスを人質にとるしかねえが、できなかったんだろ? ジークはああ見えて優秀なカメム……護衛だからな」
「……実の家族にすら心をひらかなかったあなたが、赤の他人を信頼するようになるとは、昔は想像すらできませんでした。でも買いかぶりでしょう。第三騎士団団長だけなら、どうとでもできました。兄上の加護魔法と、予想以上にため込まれていたあの子の竜氣に阻まれさえしなければ」
弟の声に初めて苛立ちが滲んだが、逆にクロヴィスの気分は浮き立った。
愛弟子の素晴らしさは充分承知しているけれど、他者から認められるとまた格別に気分が上がる。
「まあな。確かにジークなんかより、うちの弟子がすごい。巡礼を始めた途端、古竜が次々会いにくるなんて普通はない。ラピスを応援するために出てきてくれたようなもんだ。あの極上の竜氣がなけりゃ、同行の王子たちもお前の呪詛にやられてたろうな」
嫌そうに顔を歪めた弟が、「そんなニヤついた顔を見るのも初めてです」と呟いた。
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