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第2話 ギルド受付嬢サーミャさん
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バイト二日目。
今日の配置は「始まりの街」エリア、ギルド前での案内役だ。
朝礼で吉田さんから指示を受ける。
「佐伯くん、今日はギルド前での誘導をお願いします。お客さんをギルドに案内して、受付のサーミャさんに繋いでください」
「はい」
ギルド。異世界ランドの中心施設で、来場者が最初に訪れる場所だ。ここで「冒険者登録」という名の記念カード発行ができる。子どもたちに大人気のアトラクションらしい。
「あ、それとね」
吉田さんが付け加える。
「サーミャさん、すっごく人気なの。写真撮影の依頼も多いから、混雑したら整理手伝ってね」
「了解です」
田中さんが横からニヤニヤしながら言う。
「いやー、佐伯くん。今日はいいもん見られるよ。サーミャさん、マジで天使だから」
「そんなに?」
「うん、そんなに」
また大げさな、と思いながら、俺はギルドへ向かった。
午前十時、開園。
俺はギルドの前に立ち、来場者を案内する。
「ようこそ、旅の方! 冒険者登録はこちらでございます!」
家族連れが次々とギルドに入っていく。
そして、俺は初めてギルドの中を覗いた。
カウンターの向こうに立つ、一人の女性。
──ああ。
田中さんの言った意味が、一瞬で理解できた。
栗色の髪を後ろで結い、中世風のブラウスとエプロンドレス。清楚で上品な装い。
だが、何より目を引くのはその笑顔だった。
柔らかく、温かく、それでいて凛とした美しさ。まるで本当に異世界から来たかのような、不思議な雰囲気を纏っている。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。私はサーミャと申します」
その声も、透き通るように綺麗だった。
「おお……」
思わず声が漏れる。
カウンターの前にいる小学生の男の子が、彼女から冒険者カードを受け取って大喜びしている。
「きみは今日から立派な冒険者だ。この街の平和を、よろしく頼むよ」
「はい!」
男の子が敬礼する。サーミャさんは優しく微笑み、次の客へと視線を移す。
その所作の一つ一つが、まるで本物の異世界の住人のようだった。
「……やばい」
田中さんが隣で囁く。
「でしょ?」
「でしょ、じゃねえ……」
俺は完全に見惚れていた。
これは……まずい。初日にエルフのお姉さんに圧倒されたが、この人もやばい。
午前中、俺はギルド前での案内を続けた。
が、正直、集中できない。
サーミャさんの姿が、チラチラと視界に入る。彼女は一度も笑顔を崩さず、完璧な接客を続けている。
「次の方、どうぞ」
「冒険者登録、ありがとうございます」
「この街で、素敵な冒険を」
丁寧で、温かい言葉。そのたびに客たちが笑顔になる。
ああ、ダメだ。これは惚れる。二日目にして、すでに惚れてる。
そして、午前十一時過ぎ。
俺は、ある光景を目撃した。
ギルドの裏手から、一人の男性スタッフが現れた。
黒いローブに、銀色の長髪。魔王役の衣装だ。背が高く、立ち姿が堂々としている。
彼はサーミャさんのところに歩み寄り、何か話しかけた。
サーミャさんが、笑った。
さっきまでの「仕事の笑顔」とは違う、本当に楽しそうな笑顔。
二人は親しげに会話している。魔王役の男が何か冗談を言ったのか、サーミャさんが小さく笑いながら彼の肩を軽く叩く。
「……なんだ、あれ」
胸の奥が、ざわつく。
田中さんが気づいて言った。
「ああ、魔王役のイグニスさん。あの人、サーミャさんと仲いいんだよね」
「仲いい……?」
「うん。まあ、同じ時期に入ったバイト仲間らしいけど。よく二人で話してるよ」
田中さんは何気なく言ったが、俺の胸のざわつきは収まらない。
サーミャさんは、俺には仕事の笑顔しか見せないのに。
あの魔王には、あんなに楽しそうに笑うのか。
「……チッ」
思わず舌打ちしそうになって、慌てて飲み込む。
いや、待て。俺、まだ二日目のバイトだぞ。嫉妬する資格なんてない。
でも。
でも、やっぱりモヤモヤする。
昼休憩。
スタッフ用の休憩室で、俺は支給された弁当を食べながら、さっきの光景を思い出していた。
サーミャさんの笑顔。
あれを、俺にも向けてほしい。
でも、どうすれば……。
「佐伯くん、元気ないね」
田中さんが声をかけてくる。
「いや、別に……」
「サーミャさんのこと、気になってる?」
「……バレバレですか」
「バレバレ」
田中さんは笑う。
「まあ、気持ちはわかるよ。でもね、あの人、営業中は絶対にキャラ崩さないから」
「営業中は……ってことは、休憩中なら?」
「うーん」
田中さんは首を傾げる。
「休憩中も、あんまり人と話さないんだよね。いつも一人で本読んでるか、スマホいじってるか」
「そうなんですか」
「ただ、イグニスさんとは時々話してるかな。あの二人、なんか共通の趣味でもあるのかもね」
また、胸がざわつく。
共通の趣味。
俺には、何もない。
「まあ、焦らないことだよ」
田中さんが肩を叩く。
「まずは仕事で認めてもらうことから始めよう。サーミャさん、真面目に働く人は評価してくれるタイプだと思うし」
「はい……」
そう言いながら、俺は休憩室の隅に目をやった。
隅のテーブルに、一人で座っている彼女の姿があった。
私服姿のサーミャさん——秋月佳奈さん。文庫本を読んでいる。
そして、その向かい側には……魔王役のイグニスさんがいた。
黒いローブのまま。
二人で何か話している。佳奈さんが、また笑った。本当に楽しそうに。
「……くそ」
俺は思わず呟いた。
話しかけたい。でも、邪魔したくない。
いや、そもそも、俺が割り込む権利なんてない。
結局、俺は何もできずに、弁当を無理やり流し込んだ。
午後の営業が再開。
俺はまたギルド前に立つ。サーミャさんは相変わらず、完璧な笑顔で接客を続けている。
その姿を見ながら、俺は思った。
彼女にとって、この仕事は何なんだろう。
ただのバイト? それとも、何か特別な意味があるのか。
あの完璧さ。あの集中力。
普通じゃない。
そして、イグニスさんとの関係は?
ただの仲のいいバイト仲間?
それとも……。
「いらっしゃいませ、旅の方!」
俺は再び、NPCとしてのセリフを繰り返す。
その合間に、チラリとサーミャさんを見る。
彼女は、ふと俺の方を見た。
目が合う。
彼女は小さく会釈して、また仕事に戻った。
ああ、ダメだ。完全にハマってる。
午後三時過ぎ、小休憩の時間。
俺はトイレに向かう途中、廊下でイグニスさんとすれ違った。
近くで見ると、銀色の髪も、黒いローブも、やけに本格的だ。
身長は俺より少し高いくらい。体格も似ている。
「おや、新しい冒険者殿か」
イグニスさんが声をかけてきた。
「あ、はい。昨日からです」
「そうか。頑張ってくれ」
そう言って、彼は通り過ぎていく。
……なんだ、普通にいい人じゃないか。
でも、それがまた癪に障る。
悪い人なら諦めもつくのに。
閉園後。
俺はロッカールームで着替えながら、田中さんに愚痴をこぼした。
「全然話せないんですけど」
「言ったでしょ。あの人、ガードかたいから」
「それに、魔王のイグニスさんと仲良さそうで……」
「ああ、気になる?」
田中さんが笑う。
「まあ、あの二人、よく一緒にいるよね。でも付き合ってるかどうかは、誰も知らないんだよね」
「やっぱり、可能性はあるんですか」
「さあ? でも、イグニスさん、なんか不思議な人なんだよ」
「不思議?」
「うん。あの人、閉園後も絶対に衣装を脱がないんだ。メイクも落とさない」
「え……」
「魔王役って、結構メイクが大変らしいんだけど、それでもあのまま帰るんだって。専用ロッカーで着替えてるって言ってるけど、誰も私服姿を見たことがないんだよね」
「それって……」
「変だよね。でもまあ、プロ意識が高いんだろう。役作りに徹底してるっていうか」
田中さんはそう言って、ロッカーを閉めた。
「まあ、佐伯くん。まずは仕事で認めてもらうことだよ。焦っても仕方ない」
「はい……」
ロッカーを閉めて、外に出る。
駐車場に向かう途中、ふと施設の裏手に目をやった。
昨日も見た、あの森に続く小道。エルフやドワーフたちが使っている専用の通路だ。
そこに、魔王役のイグニスさんの姿が見えた。
黒いローブのまま、小道の奥へ歩いていく。
「……あの人も、着替えないで帰るのか」
そして、その少し手前に、私服に着替えた秋月佳奈さんがいた。
彼女はイグニスさんの後ろ姿を見送っている。
手を小さく振っている。
イグニスさんも振り返って、手を振り返す。
それから、森の奥へと消えていった。
佳奈さんは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
それから、小さくため息をついて——いや、笑ったのか? 遠くてよくわからない。
彼女はバス停の方へ歩いていく。
俺は、その一連の光景を見ていることしかできなかった。
「……やっぱり、二人は特別な関係なのか?」
胸の奥が、ざわつく。
でも、それ以上に不思議だった。
イグニスさんは、なぜ着替えずに帰るんだ?
専用ロッカールームがあの森の奥にあるのは知っている。
でも、あの先に何があるんだろう。
昨日見た、森の中に立っている石造りの扉。
まさか、あそこを通って帰るのか?
いや、そんなわけない。ただの演出用のセットだろう。
でも……。
「佐伯くーん、バス来るよー!」
田中さんの声に、慌ててバス停に向かう。
シャトルバスに乗り込み、窓から森の方を見る。
夕暮れに染まる小道。そして、その奥に見える石造りの扉。
やっぱり不自然だ。
建物に付属しているわけでもなく、ただ扉だけが立っている。
まあ、いいか。
俺は首を振って、視線を戻した。
考えても仕方ない。
その夜、布団の中でスマホをいじりながら考えた。
秋月佳奈さん。サーミャさん。
どうすれば、あの壁を越えられるんだろう。
営業中は話せない。休憩中は距離を置かれる。
そして、魔王のイグニスさんという壁。
じゃあ、どこで接点を作ればいいんだ。
仕事で認めてもらう、か。
よし。
明日から、もっと真面目に働こう。
ちゃんと案内して、ちゃんと笑顔で接客して。
サーミャさんが、少しでも俺のことを「仕事ができるスタッフ」として見てくれるように。
そうすれば、いつか……。
「でも、イグニスさんには勝てないよな……」
我ながら情けない思考に、ため息が出る。
あの人、背も高いし、声もいいし、なんか雰囲気もあるし。
それに、佳奈さんとあんなに親しそうに話せるなんて。
俺なんか、目が合っただけでドキドキして、まともに話せないのに。
スマホの画面を閉じる。
俺は目を閉じた。
明日も、また会える。
それだけで、ちょっとだけ嬉しい。
モブ冒険者Aの恋は、まだ始まったばかりだ。
でも、この時の俺は、まだ気づいていなかった。
あの魔王イグニスは、本物の異世界の王子だということ。
そして、佳奈さんが彼に惹かれているのは、ただのバイト仲間としてではないということ。
さらに言えば、俺自身がもうすぐ、とんでもない事態に巻き込まれるということを。
すべては、あの森の奥の扉から始まる。
今日の配置は「始まりの街」エリア、ギルド前での案内役だ。
朝礼で吉田さんから指示を受ける。
「佐伯くん、今日はギルド前での誘導をお願いします。お客さんをギルドに案内して、受付のサーミャさんに繋いでください」
「はい」
ギルド。異世界ランドの中心施設で、来場者が最初に訪れる場所だ。ここで「冒険者登録」という名の記念カード発行ができる。子どもたちに大人気のアトラクションらしい。
「あ、それとね」
吉田さんが付け加える。
「サーミャさん、すっごく人気なの。写真撮影の依頼も多いから、混雑したら整理手伝ってね」
「了解です」
田中さんが横からニヤニヤしながら言う。
「いやー、佐伯くん。今日はいいもん見られるよ。サーミャさん、マジで天使だから」
「そんなに?」
「うん、そんなに」
また大げさな、と思いながら、俺はギルドへ向かった。
午前十時、開園。
俺はギルドの前に立ち、来場者を案内する。
「ようこそ、旅の方! 冒険者登録はこちらでございます!」
家族連れが次々とギルドに入っていく。
そして、俺は初めてギルドの中を覗いた。
カウンターの向こうに立つ、一人の女性。
──ああ。
田中さんの言った意味が、一瞬で理解できた。
栗色の髪を後ろで結い、中世風のブラウスとエプロンドレス。清楚で上品な装い。
だが、何より目を引くのはその笑顔だった。
柔らかく、温かく、それでいて凛とした美しさ。まるで本当に異世界から来たかのような、不思議な雰囲気を纏っている。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。私はサーミャと申します」
その声も、透き通るように綺麗だった。
「おお……」
思わず声が漏れる。
カウンターの前にいる小学生の男の子が、彼女から冒険者カードを受け取って大喜びしている。
「きみは今日から立派な冒険者だ。この街の平和を、よろしく頼むよ」
「はい!」
男の子が敬礼する。サーミャさんは優しく微笑み、次の客へと視線を移す。
その所作の一つ一つが、まるで本物の異世界の住人のようだった。
「……やばい」
田中さんが隣で囁く。
「でしょ?」
「でしょ、じゃねえ……」
俺は完全に見惚れていた。
これは……まずい。初日にエルフのお姉さんに圧倒されたが、この人もやばい。
午前中、俺はギルド前での案内を続けた。
が、正直、集中できない。
サーミャさんの姿が、チラチラと視界に入る。彼女は一度も笑顔を崩さず、完璧な接客を続けている。
「次の方、どうぞ」
「冒険者登録、ありがとうございます」
「この街で、素敵な冒険を」
丁寧で、温かい言葉。そのたびに客たちが笑顔になる。
ああ、ダメだ。これは惚れる。二日目にして、すでに惚れてる。
そして、午前十一時過ぎ。
俺は、ある光景を目撃した。
ギルドの裏手から、一人の男性スタッフが現れた。
黒いローブに、銀色の長髪。魔王役の衣装だ。背が高く、立ち姿が堂々としている。
彼はサーミャさんのところに歩み寄り、何か話しかけた。
サーミャさんが、笑った。
さっきまでの「仕事の笑顔」とは違う、本当に楽しそうな笑顔。
二人は親しげに会話している。魔王役の男が何か冗談を言ったのか、サーミャさんが小さく笑いながら彼の肩を軽く叩く。
「……なんだ、あれ」
胸の奥が、ざわつく。
田中さんが気づいて言った。
「ああ、魔王役のイグニスさん。あの人、サーミャさんと仲いいんだよね」
「仲いい……?」
「うん。まあ、同じ時期に入ったバイト仲間らしいけど。よく二人で話してるよ」
田中さんは何気なく言ったが、俺の胸のざわつきは収まらない。
サーミャさんは、俺には仕事の笑顔しか見せないのに。
あの魔王には、あんなに楽しそうに笑うのか。
「……チッ」
思わず舌打ちしそうになって、慌てて飲み込む。
いや、待て。俺、まだ二日目のバイトだぞ。嫉妬する資格なんてない。
でも。
でも、やっぱりモヤモヤする。
昼休憩。
スタッフ用の休憩室で、俺は支給された弁当を食べながら、さっきの光景を思い出していた。
サーミャさんの笑顔。
あれを、俺にも向けてほしい。
でも、どうすれば……。
「佐伯くん、元気ないね」
田中さんが声をかけてくる。
「いや、別に……」
「サーミャさんのこと、気になってる?」
「……バレバレですか」
「バレバレ」
田中さんは笑う。
「まあ、気持ちはわかるよ。でもね、あの人、営業中は絶対にキャラ崩さないから」
「営業中は……ってことは、休憩中なら?」
「うーん」
田中さんは首を傾げる。
「休憩中も、あんまり人と話さないんだよね。いつも一人で本読んでるか、スマホいじってるか」
「そうなんですか」
「ただ、イグニスさんとは時々話してるかな。あの二人、なんか共通の趣味でもあるのかもね」
また、胸がざわつく。
共通の趣味。
俺には、何もない。
「まあ、焦らないことだよ」
田中さんが肩を叩く。
「まずは仕事で認めてもらうことから始めよう。サーミャさん、真面目に働く人は評価してくれるタイプだと思うし」
「はい……」
そう言いながら、俺は休憩室の隅に目をやった。
隅のテーブルに、一人で座っている彼女の姿があった。
私服姿のサーミャさん——秋月佳奈さん。文庫本を読んでいる。
そして、その向かい側には……魔王役のイグニスさんがいた。
黒いローブのまま。
二人で何か話している。佳奈さんが、また笑った。本当に楽しそうに。
「……くそ」
俺は思わず呟いた。
話しかけたい。でも、邪魔したくない。
いや、そもそも、俺が割り込む権利なんてない。
結局、俺は何もできずに、弁当を無理やり流し込んだ。
午後の営業が再開。
俺はまたギルド前に立つ。サーミャさんは相変わらず、完璧な笑顔で接客を続けている。
その姿を見ながら、俺は思った。
彼女にとって、この仕事は何なんだろう。
ただのバイト? それとも、何か特別な意味があるのか。
あの完璧さ。あの集中力。
普通じゃない。
そして、イグニスさんとの関係は?
ただの仲のいいバイト仲間?
それとも……。
「いらっしゃいませ、旅の方!」
俺は再び、NPCとしてのセリフを繰り返す。
その合間に、チラリとサーミャさんを見る。
彼女は、ふと俺の方を見た。
目が合う。
彼女は小さく会釈して、また仕事に戻った。
ああ、ダメだ。完全にハマってる。
午後三時過ぎ、小休憩の時間。
俺はトイレに向かう途中、廊下でイグニスさんとすれ違った。
近くで見ると、銀色の髪も、黒いローブも、やけに本格的だ。
身長は俺より少し高いくらい。体格も似ている。
「おや、新しい冒険者殿か」
イグニスさんが声をかけてきた。
「あ、はい。昨日からです」
「そうか。頑張ってくれ」
そう言って、彼は通り過ぎていく。
……なんだ、普通にいい人じゃないか。
でも、それがまた癪に障る。
悪い人なら諦めもつくのに。
閉園後。
俺はロッカールームで着替えながら、田中さんに愚痴をこぼした。
「全然話せないんですけど」
「言ったでしょ。あの人、ガードかたいから」
「それに、魔王のイグニスさんと仲良さそうで……」
「ああ、気になる?」
田中さんが笑う。
「まあ、あの二人、よく一緒にいるよね。でも付き合ってるかどうかは、誰も知らないんだよね」
「やっぱり、可能性はあるんですか」
「さあ? でも、イグニスさん、なんか不思議な人なんだよ」
「不思議?」
「うん。あの人、閉園後も絶対に衣装を脱がないんだ。メイクも落とさない」
「え……」
「魔王役って、結構メイクが大変らしいんだけど、それでもあのまま帰るんだって。専用ロッカーで着替えてるって言ってるけど、誰も私服姿を見たことがないんだよね」
「それって……」
「変だよね。でもまあ、プロ意識が高いんだろう。役作りに徹底してるっていうか」
田中さんはそう言って、ロッカーを閉めた。
「まあ、佐伯くん。まずは仕事で認めてもらうことだよ。焦っても仕方ない」
「はい……」
ロッカーを閉めて、外に出る。
駐車場に向かう途中、ふと施設の裏手に目をやった。
昨日も見た、あの森に続く小道。エルフやドワーフたちが使っている専用の通路だ。
そこに、魔王役のイグニスさんの姿が見えた。
黒いローブのまま、小道の奥へ歩いていく。
「……あの人も、着替えないで帰るのか」
そして、その少し手前に、私服に着替えた秋月佳奈さんがいた。
彼女はイグニスさんの後ろ姿を見送っている。
手を小さく振っている。
イグニスさんも振り返って、手を振り返す。
それから、森の奥へと消えていった。
佳奈さんは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
それから、小さくため息をついて——いや、笑ったのか? 遠くてよくわからない。
彼女はバス停の方へ歩いていく。
俺は、その一連の光景を見ていることしかできなかった。
「……やっぱり、二人は特別な関係なのか?」
胸の奥が、ざわつく。
でも、それ以上に不思議だった。
イグニスさんは、なぜ着替えずに帰るんだ?
専用ロッカールームがあの森の奥にあるのは知っている。
でも、あの先に何があるんだろう。
昨日見た、森の中に立っている石造りの扉。
まさか、あそこを通って帰るのか?
いや、そんなわけない。ただの演出用のセットだろう。
でも……。
「佐伯くーん、バス来るよー!」
田中さんの声に、慌ててバス停に向かう。
シャトルバスに乗り込み、窓から森の方を見る。
夕暮れに染まる小道。そして、その奥に見える石造りの扉。
やっぱり不自然だ。
建物に付属しているわけでもなく、ただ扉だけが立っている。
まあ、いいか。
俺は首を振って、視線を戻した。
考えても仕方ない。
その夜、布団の中でスマホをいじりながら考えた。
秋月佳奈さん。サーミャさん。
どうすれば、あの壁を越えられるんだろう。
営業中は話せない。休憩中は距離を置かれる。
そして、魔王のイグニスさんという壁。
じゃあ、どこで接点を作ればいいんだ。
仕事で認めてもらう、か。
よし。
明日から、もっと真面目に働こう。
ちゃんと案内して、ちゃんと笑顔で接客して。
サーミャさんが、少しでも俺のことを「仕事ができるスタッフ」として見てくれるように。
そうすれば、いつか……。
「でも、イグニスさんには勝てないよな……」
我ながら情けない思考に、ため息が出る。
あの人、背も高いし、声もいいし、なんか雰囲気もあるし。
それに、佳奈さんとあんなに親しそうに話せるなんて。
俺なんか、目が合っただけでドキドキして、まともに話せないのに。
スマホの画面を閉じる。
俺は目を閉じた。
明日も、また会える。
それだけで、ちょっとだけ嬉しい。
モブ冒険者Aの恋は、まだ始まったばかりだ。
でも、この時の俺は、まだ気づいていなかった。
あの魔王イグニスは、本物の異世界の王子だということ。
そして、佳奈さんが彼に惹かれているのは、ただのバイト仲間としてではないということ。
さらに言えば、俺自身がもうすぐ、とんでもない事態に巻き込まれるということを。
すべては、あの森の奥の扉から始まる。
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