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第7話 魔王逃亡、そして代役へ
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バイト二十八日目。
ようやく仕事にも慣れてきた頃、俺は六回目の魔王城担当になった。
今日の役は「裏切り者の冒険者」。勇者パーティに同行しながら、最後に裏切って魔王側につくという役だ。
もう五回やっているから、セリフも動きも完璧に覚えた。
朝、いつものようにロッカールームで着替えて、魔王城エリアに向かう。
「おはようございまーす」
魔王城の入口で声をかけると、異様な雰囲気だった。
四天王たちが、険しい顔で話し込んでいる。メリーナさんとフラーラさんもいる。
全員、表情が暗い。
「おはようございます……どうかしました?」
プロフェッサー・カオスが振り返る。
その顔は、いつもの自信に満ちた表情ではなく、明らかに動揺していた。
「ああ、佐伯くん。ちょうどいい。実は……」
彼は眼鏡を外し、額を押さえながら言った。
「イグニス様が、逃亡された」
「え?」
カオスが深刻な顔で説明する。
「今朝、宿舎に行ったら、もぬけの殻だった。置き手紙があって……『しばらく自由にさせてくれ』と」
「置き手紙……」
「ああ。それに、ギルドの受付のサーミャ……いや、秋月佳奈さんも一緒に消えている」
俺は思わず固まった。
イグニスさんと……佳奈さんが?
胸の奥が、ざわつく。
「どういうことですか?」
「わからない」
アイアン・ガーディアンが腕を組む。
「ただ、今回のサボりはこれまでと違う。完全に計画的だ。荷物も持って出ている」
「目撃情報によると……」
ミス・シャドウが小さな声で言う。
「……二人でタクシーに……奥多摩駅の方へ……モゴモゴ……」
「声が小さい!」
カオスが叫ぶ。
「すみません……要するに、駆け落ちかと……」
駆け落ち。
その言葉が、俺の胸に突き刺さる。
やっぱり、二人はそういう関係だったのか。
「とにかく」
フォン・マネーゼンが冷静に言う。
「今日の営業に支障が出る。魔王役の代役が必要だ」
「代役候補は?」
カオスが聞く。
「体格が似ている者は数名いるが……皆、今日は別のエリアで重要な役割がある」
マネーゼンが資料を見ながら答える。
「配置転換すると、全体のバランスが崩れる。経費的にも非効率だ」
「では、どうする?」
四天王たちが顔を見合わせる。
その時、フラーラさんが口を開いた。
「佐伯がいるじゃない」
全員の視線が、俺に向いた。
「……え?」
「佐伯くん」
カオスが言う。
「君、イグニスと体格が似ているだろう? それに、この前のリハーサルで玉座にも座った」
「え、まあ……でも、あれはリハーサルで……」
「なら、決まりだ」
カオスが即断する。
「今日から君が魔王だ」
「え、ちょっと待ってください!」
俺は慌てて手を振る。
「無理ですよ! リハーサルと本番は違うし、俺、魔王役なんて……」
「大丈夫だ」
アイアン・ガーディアンが力強く言う。
「我々がサポートする。セリフも最小限でいい」
「でも……」
「報酬は上乗せする」
フォン・マネーゼンが即座に言う。
「時給二割増し。いや、三割増しでどうだ」
「……それは嬉しいですけど」
「時間がない」
カオスが時計を見る。
「開園まであと一時間。君しかいないんだ」
俺は困惑した。
でも、みんなの真剣な顔を見て、断れなかった。
カオスの表情には、焦りと……何か別の感情が混じっている。
フラーラさんも、心配そうな顔をしている。
メリーナさんは、手を組んで祈るような仕草をしている。
「……わかりました。やります」
「よし!」
四天王が安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう、佐伯」
フラーラさんが微笑む。
その笑顔には、いつもとは違う何かがあった。
まるで、本当に救われたような……。
その時、廊下の奥から二人の人影が現れた。
一人は、メイド服を着た若い女性。長い黒髪を三つ編みにしている。
もう一人は、執事服を着た初老の男性。背筋がピンと伸びている。
「失礼いたします」
メイド服の女性が言う。
「王子付きのメイド、フィオナ・ミントと申します」
「執事のセバスチャン・グレイです」
男性が深々と頭を下げる。
俺は初めて見る二人に驚いた。
こんなスタッフ、いたのか?
「フィオナ、セバスチャン」
カオスが言う。
「イグニス様の行方について、何か知らないか?」
「申し訳ございません」
フィオナが困った顔をする。
「あらあら、王子様ったらまた……昨夜、『少し出かけてくる』とおっしゃって、そのまま……」
「ああ、神よ、何ということでしょう!」
セバスチャンが大げさに嘆く。
「王子様が駆け落ちだなんて! マナー違反もいいところです!」
「落ち着け、二人とも」
カオスが額を押さえる。
「とにかく、今は代役を立てた。佐伯くんだ」
フィオナとセバスチャンが俺を見る。
そして、目を見開いた。
「まあ! 確かに、体格も顔立ちも似ていらっしゃる!」
「これは……神のご加護でしょうか!」
二人が興奮している。
その時、カオスが俺に近づき、小声で囁いた。
「それと……これは魔王陛下には秘密だ」
「魔王陛下?」
「ああ、イグニスの父上だ。もし知られたら……」
カオスの顔が、一瞬だけ青ざめた。
「いや、考えたくもない。とにかく、イグニスが戻ってくるまで、このことは絶対に秘密だ」
俺は背筋が寒くなった。
なんか、とんでもないことに巻き込まれた気がする。
それに、「魔王陛下」って、設定の話だよな?
でも、カオスの怯えた表情は、演技には見えなかった。
「では、準備をしましょう」
フィオナが言う。
「佐伯様、こちらへ」
「あの、佐伯でいいですよ」
「いえいえ、これから魔王様の代役を務められるのですから。それ相応の敬意を」
セバスチャンが言う。
俺は二人に案内されて、見たことのない扉へ向かった。
「え、こっちですか?」
「ええ。魔王様の衣装は、こちらの部屋にございます」
扉を開けると、そこには長い廊下が続いていた。
石造りの壁、豪華なシャンデリア、絨毯が敷かれた床。
天井には、見事な彫刻が施されている。
「……これ、セット?」
俺が呟くと、フィオナが不思議そうな顔をする。
「セット? 何のことでしょう」
「いや、その……こんな立派な場所が、テーマパークにあるのかなって」
「ああ」
セバスチャンが微笑む。
「ここは特別な場所ですから。魔王城の奥の院、とでも申しましょうか」
廊下を進むと、いくつかの部屋が並んでいる。
扉には、金の装飾が施されている。本物の金に見える。
「これ、本物の金ですか?」
「ええ、もちろん」
フィオナがあっさり答える。
俺は驚いた。テーマパークの装飾に本物の金?
その一つの扉を開けると、そこには豪華な部屋があった。
大きな鏡、化粧台、そしてクローゼット。
窓からは……森が見える。
あれ? 魔王城って、施設の奥にあるはずだよな。外が見える窓なんてあったか?
「ここで着替えていただきます」
フィオナがクローゼットを開ける。
そこには、魔王の衣装が掛けられていた。
黒と赤のローブ、金の装飾、重厚なマント。王冠も置かれている。
「うわ……」
俺は衣装を手に取る。
重い。そして、明らかに高級だ。
これまで着ていた冒険者Aの衣装とは、比べ物にならない。
生地の質感が違う。刺繍も、一つ一つ手作業で縫われているように見える。
「これ、本物のシルクですよね……?」
「ええ。魔界産の最高級シルクです」
フィオナが当然のように答える。
「魔界産……?」
「ああ、失礼。異世界風の、という意味です」
フィオナが慌てて訂正する。
でも、その表情には動揺が見えた。
「さあ、早く着替えていただきましょう」
セバスチャンが促す。
俺は渋々、衣装を着始める。
ローブを羽織ると、体にぴったりとフィットする。
まるで、最初から俺のために作られたかのように。
「あれ……サイズ、合ってる」
「ええ、イグニス様と体格がほぼ同じですから」
フィオナが微笑む。
マントを肩にかける。重厚だが、不思議と動きやすい。
最後に、王冠を頭に乗せる。
鏡を見ると、そこには見知らぬ自分がいた。
魔王。
まるで、本物の王のように見える。
その後、フィオナとセバスチャンがメイクを手伝ってくれた。
いや、手伝うというより、本格的なメイクだった。
「少し顔色を暗くして……」
「目元にシャドウを……」
「眉も少し整えましょう」
「髪も……ええと、イグニス様はいつも後ろで結んでいらっしゃいますから」
三十分後、鏡を見た俺は驚いた。
別人だ。
魔王らしい、威厳のある顔。
でも、どこか優しさも残っている。
「すごい……」
「お似合いですよ、佐伯様!」
フィオナが嬉しそうに言う。
「ええ、まるで本物の王子様のようです!」
セバスチャンが感激している。
「王子……?」
なんか、変な呼び方だな。代役なのに、王子?
でも、開園時間が迫っている。考えている暇はない。
「では、魔王の間へご案内します」
セバスチャンが言う。
「あ、はい」
俺は魔王の衣装を纏い、廊下を歩き出す。
重いマントが、床を引きずる。
なんか、本当に魔王になった気分だ。
廊下を進んでいると、途中でフラーラさんとメリーナさんに出会った。
二人とも、エルフの衣装を着ている。
「あ、フラーラさん、メリーナさん」
俺が声をかけると、二人は一瞬驚いた顔をした。
それから、膝をついて頭を下げた。
「お帰りなさいませ、イグニス様」
「え……」
俺は固まった。
なんで、膝をつくんだ?
リハーサルの時は、こんなことしなかったのに。
フラーラさんが顔を上げて、微笑む。
「ついに来たのね」
「来た……?」
「ええ。この扉のこちら側に」
フラーラさんが意味深に言う。
メリーナさんも、嬉しそうな顔をしている。
「イグニス様、お似合いですよ!」
「いや、俺、イグニスじゃなくて……」
「わかっているわ」
フラーラさんが微笑む。
「でも、今日からあなたは魔王よ。少なくとも、イグニスが戻ってくるまでは」
その言葉の意味が、俺にはわからなかった。
ただ、フラーラさんの表情が、いつもと違う気がした。
まるで、本当の臣下のような……。
「行きましょう」
フラーラさんが立ち上がり、俺の前を歩き出す。
その背中が、いつもより凛として見えた。
魔王の間に到着する。
すでに四天王たちが揃っていた。
そして、俺が入ってくると、全員が膝をついた。
「お待ちしておりました、イグニス様」
カオスが言う。
「あ、いや、俺は……」
「今日から、あなたは魔王です」
ガーディアンが力強く言う。
「我々は、あなたに従います」
その言葉に、俺は言葉を失った。
なんか、本気だ。
ただの演技じゃない。
カオスが立ち上がり、俺に近づく。
「では、今日の流れを確認する」
「はい」
「勇者パーティが魔王の間に到着したら、佐伯くん……いや、イグニス様は玉座に座っている」
「はい」
「そこで、我々四天王が戦う。イグニス様は、最後に立ち上がって一言セリフを言うだけでいい」
「セリフは?」
「『愚かな勇者どもよ、我が力を思い知るがいい』だ」
「……了解です」
カオスが続ける。
「それと……もう一つお願いがある」
「何ですか?」
「今夜、閉園後に……本物の魔王城へ来てもらえないか」
「本物の……?」
俺が聞き返すと、カオスが真剣な顔で言った。
「ああ。イグニス様が不在の間、あなたには魔王城でも……王子の代役をしていただきたい」
「魔王城でも?」
「ええ。魔王陛下は、夕食時に王子の顔を見ることを習慣にしておられる。もし王子が不在だと気づかれたら……」
カオスの顔が青ざめる。
「いや、考えたくもない」
「でも、それって……」
俺は戸惑う。
「ここのアトラクションだけじゃなくて、他の場所でも演技しろってことですか?」
「そうだ」
カオスが頷く。
「報酬は、さらに上乗せする。時給五割増しだ」
「いや、報酬の問題じゃなくて……」
「頼む」
カオスが深々と頭を下げる。
他の四天王たちも、頭を下げる。
フラーラさんとメリーナさんも。
全員が、俺に頭を下げている。
「佐伯、お願い」
フラーラさんが言う。
「あなたしか、いないの」
その目は、本気だった。
俺は深呼吸する。
なんか、よくわからないけど。
でも、みんなが本気で困っているなら。
「……わかりました。やります」
「本当か!」
カオスが顔を上げる。
「ああ、ありがとう! これで助かる!」
四天王たちが安堵の表情を浮かべる。
フラーラさんも、微笑む。
「ありがとう、佐伯」
「いえ……でも、本当に大丈夫ですかね」
「大丈夫よ」
フラーラさんが優しく言う。
「あなたなら、できるわ」
その時、開園のアナウンスが流れた。
「本日も、奥多摩異世界ランドをお楽しみください」
俺は玉座に座る。
重いマントが、背もたれに広がる。
四天王たちが、俺の前に並ぶ。
まるで、本物の魔王と四天王のように。
「では、始めましょう」
カオスが言う。
俺は、深く息を吸った。
今日から、俺は魔王だ。
そして、今夜……本物の魔王城へ行く。
本物の、って何だ?
でも、その答えは、もうすぐわかる気がした。
ようやく仕事にも慣れてきた頃、俺は六回目の魔王城担当になった。
今日の役は「裏切り者の冒険者」。勇者パーティに同行しながら、最後に裏切って魔王側につくという役だ。
もう五回やっているから、セリフも動きも完璧に覚えた。
朝、いつものようにロッカールームで着替えて、魔王城エリアに向かう。
「おはようございまーす」
魔王城の入口で声をかけると、異様な雰囲気だった。
四天王たちが、険しい顔で話し込んでいる。メリーナさんとフラーラさんもいる。
全員、表情が暗い。
「おはようございます……どうかしました?」
プロフェッサー・カオスが振り返る。
その顔は、いつもの自信に満ちた表情ではなく、明らかに動揺していた。
「ああ、佐伯くん。ちょうどいい。実は……」
彼は眼鏡を外し、額を押さえながら言った。
「イグニス様が、逃亡された」
「え?」
カオスが深刻な顔で説明する。
「今朝、宿舎に行ったら、もぬけの殻だった。置き手紙があって……『しばらく自由にさせてくれ』と」
「置き手紙……」
「ああ。それに、ギルドの受付のサーミャ……いや、秋月佳奈さんも一緒に消えている」
俺は思わず固まった。
イグニスさんと……佳奈さんが?
胸の奥が、ざわつく。
「どういうことですか?」
「わからない」
アイアン・ガーディアンが腕を組む。
「ただ、今回のサボりはこれまでと違う。完全に計画的だ。荷物も持って出ている」
「目撃情報によると……」
ミス・シャドウが小さな声で言う。
「……二人でタクシーに……奥多摩駅の方へ……モゴモゴ……」
「声が小さい!」
カオスが叫ぶ。
「すみません……要するに、駆け落ちかと……」
駆け落ち。
その言葉が、俺の胸に突き刺さる。
やっぱり、二人はそういう関係だったのか。
「とにかく」
フォン・マネーゼンが冷静に言う。
「今日の営業に支障が出る。魔王役の代役が必要だ」
「代役候補は?」
カオスが聞く。
「体格が似ている者は数名いるが……皆、今日は別のエリアで重要な役割がある」
マネーゼンが資料を見ながら答える。
「配置転換すると、全体のバランスが崩れる。経費的にも非効率だ」
「では、どうする?」
四天王たちが顔を見合わせる。
その時、フラーラさんが口を開いた。
「佐伯がいるじゃない」
全員の視線が、俺に向いた。
「……え?」
「佐伯くん」
カオスが言う。
「君、イグニスと体格が似ているだろう? それに、この前のリハーサルで玉座にも座った」
「え、まあ……でも、あれはリハーサルで……」
「なら、決まりだ」
カオスが即断する。
「今日から君が魔王だ」
「え、ちょっと待ってください!」
俺は慌てて手を振る。
「無理ですよ! リハーサルと本番は違うし、俺、魔王役なんて……」
「大丈夫だ」
アイアン・ガーディアンが力強く言う。
「我々がサポートする。セリフも最小限でいい」
「でも……」
「報酬は上乗せする」
フォン・マネーゼンが即座に言う。
「時給二割増し。いや、三割増しでどうだ」
「……それは嬉しいですけど」
「時間がない」
カオスが時計を見る。
「開園まであと一時間。君しかいないんだ」
俺は困惑した。
でも、みんなの真剣な顔を見て、断れなかった。
カオスの表情には、焦りと……何か別の感情が混じっている。
フラーラさんも、心配そうな顔をしている。
メリーナさんは、手を組んで祈るような仕草をしている。
「……わかりました。やります」
「よし!」
四天王が安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう、佐伯」
フラーラさんが微笑む。
その笑顔には、いつもとは違う何かがあった。
まるで、本当に救われたような……。
その時、廊下の奥から二人の人影が現れた。
一人は、メイド服を着た若い女性。長い黒髪を三つ編みにしている。
もう一人は、執事服を着た初老の男性。背筋がピンと伸びている。
「失礼いたします」
メイド服の女性が言う。
「王子付きのメイド、フィオナ・ミントと申します」
「執事のセバスチャン・グレイです」
男性が深々と頭を下げる。
俺は初めて見る二人に驚いた。
こんなスタッフ、いたのか?
「フィオナ、セバスチャン」
カオスが言う。
「イグニス様の行方について、何か知らないか?」
「申し訳ございません」
フィオナが困った顔をする。
「あらあら、王子様ったらまた……昨夜、『少し出かけてくる』とおっしゃって、そのまま……」
「ああ、神よ、何ということでしょう!」
セバスチャンが大げさに嘆く。
「王子様が駆け落ちだなんて! マナー違反もいいところです!」
「落ち着け、二人とも」
カオスが額を押さえる。
「とにかく、今は代役を立てた。佐伯くんだ」
フィオナとセバスチャンが俺を見る。
そして、目を見開いた。
「まあ! 確かに、体格も顔立ちも似ていらっしゃる!」
「これは……神のご加護でしょうか!」
二人が興奮している。
その時、カオスが俺に近づき、小声で囁いた。
「それと……これは魔王陛下には秘密だ」
「魔王陛下?」
「ああ、イグニスの父上だ。もし知られたら……」
カオスの顔が、一瞬だけ青ざめた。
「いや、考えたくもない。とにかく、イグニスが戻ってくるまで、このことは絶対に秘密だ」
俺は背筋が寒くなった。
なんか、とんでもないことに巻き込まれた気がする。
それに、「魔王陛下」って、設定の話だよな?
でも、カオスの怯えた表情は、演技には見えなかった。
「では、準備をしましょう」
フィオナが言う。
「佐伯様、こちらへ」
「あの、佐伯でいいですよ」
「いえいえ、これから魔王様の代役を務められるのですから。それ相応の敬意を」
セバスチャンが言う。
俺は二人に案内されて、見たことのない扉へ向かった。
「え、こっちですか?」
「ええ。魔王様の衣装は、こちらの部屋にございます」
扉を開けると、そこには長い廊下が続いていた。
石造りの壁、豪華なシャンデリア、絨毯が敷かれた床。
天井には、見事な彫刻が施されている。
「……これ、セット?」
俺が呟くと、フィオナが不思議そうな顔をする。
「セット? 何のことでしょう」
「いや、その……こんな立派な場所が、テーマパークにあるのかなって」
「ああ」
セバスチャンが微笑む。
「ここは特別な場所ですから。魔王城の奥の院、とでも申しましょうか」
廊下を進むと、いくつかの部屋が並んでいる。
扉には、金の装飾が施されている。本物の金に見える。
「これ、本物の金ですか?」
「ええ、もちろん」
フィオナがあっさり答える。
俺は驚いた。テーマパークの装飾に本物の金?
その一つの扉を開けると、そこには豪華な部屋があった。
大きな鏡、化粧台、そしてクローゼット。
窓からは……森が見える。
あれ? 魔王城って、施設の奥にあるはずだよな。外が見える窓なんてあったか?
「ここで着替えていただきます」
フィオナがクローゼットを開ける。
そこには、魔王の衣装が掛けられていた。
黒と赤のローブ、金の装飾、重厚なマント。王冠も置かれている。
「うわ……」
俺は衣装を手に取る。
重い。そして、明らかに高級だ。
これまで着ていた冒険者Aの衣装とは、比べ物にならない。
生地の質感が違う。刺繍も、一つ一つ手作業で縫われているように見える。
「これ、本物のシルクですよね……?」
「ええ。魔界産の最高級シルクです」
フィオナが当然のように答える。
「魔界産……?」
「ああ、失礼。異世界風の、という意味です」
フィオナが慌てて訂正する。
でも、その表情には動揺が見えた。
「さあ、早く着替えていただきましょう」
セバスチャンが促す。
俺は渋々、衣装を着始める。
ローブを羽織ると、体にぴったりとフィットする。
まるで、最初から俺のために作られたかのように。
「あれ……サイズ、合ってる」
「ええ、イグニス様と体格がほぼ同じですから」
フィオナが微笑む。
マントを肩にかける。重厚だが、不思議と動きやすい。
最後に、王冠を頭に乗せる。
鏡を見ると、そこには見知らぬ自分がいた。
魔王。
まるで、本物の王のように見える。
その後、フィオナとセバスチャンがメイクを手伝ってくれた。
いや、手伝うというより、本格的なメイクだった。
「少し顔色を暗くして……」
「目元にシャドウを……」
「眉も少し整えましょう」
「髪も……ええと、イグニス様はいつも後ろで結んでいらっしゃいますから」
三十分後、鏡を見た俺は驚いた。
別人だ。
魔王らしい、威厳のある顔。
でも、どこか優しさも残っている。
「すごい……」
「お似合いですよ、佐伯様!」
フィオナが嬉しそうに言う。
「ええ、まるで本物の王子様のようです!」
セバスチャンが感激している。
「王子……?」
なんか、変な呼び方だな。代役なのに、王子?
でも、開園時間が迫っている。考えている暇はない。
「では、魔王の間へご案内します」
セバスチャンが言う。
「あ、はい」
俺は魔王の衣装を纏い、廊下を歩き出す。
重いマントが、床を引きずる。
なんか、本当に魔王になった気分だ。
廊下を進んでいると、途中でフラーラさんとメリーナさんに出会った。
二人とも、エルフの衣装を着ている。
「あ、フラーラさん、メリーナさん」
俺が声をかけると、二人は一瞬驚いた顔をした。
それから、膝をついて頭を下げた。
「お帰りなさいませ、イグニス様」
「え……」
俺は固まった。
なんで、膝をつくんだ?
リハーサルの時は、こんなことしなかったのに。
フラーラさんが顔を上げて、微笑む。
「ついに来たのね」
「来た……?」
「ええ。この扉のこちら側に」
フラーラさんが意味深に言う。
メリーナさんも、嬉しそうな顔をしている。
「イグニス様、お似合いですよ!」
「いや、俺、イグニスじゃなくて……」
「わかっているわ」
フラーラさんが微笑む。
「でも、今日からあなたは魔王よ。少なくとも、イグニスが戻ってくるまでは」
その言葉の意味が、俺にはわからなかった。
ただ、フラーラさんの表情が、いつもと違う気がした。
まるで、本当の臣下のような……。
「行きましょう」
フラーラさんが立ち上がり、俺の前を歩き出す。
その背中が、いつもより凛として見えた。
魔王の間に到着する。
すでに四天王たちが揃っていた。
そして、俺が入ってくると、全員が膝をついた。
「お待ちしておりました、イグニス様」
カオスが言う。
「あ、いや、俺は……」
「今日から、あなたは魔王です」
ガーディアンが力強く言う。
「我々は、あなたに従います」
その言葉に、俺は言葉を失った。
なんか、本気だ。
ただの演技じゃない。
カオスが立ち上がり、俺に近づく。
「では、今日の流れを確認する」
「はい」
「勇者パーティが魔王の間に到着したら、佐伯くん……いや、イグニス様は玉座に座っている」
「はい」
「そこで、我々四天王が戦う。イグニス様は、最後に立ち上がって一言セリフを言うだけでいい」
「セリフは?」
「『愚かな勇者どもよ、我が力を思い知るがいい』だ」
「……了解です」
カオスが続ける。
「それと……もう一つお願いがある」
「何ですか?」
「今夜、閉園後に……本物の魔王城へ来てもらえないか」
「本物の……?」
俺が聞き返すと、カオスが真剣な顔で言った。
「ああ。イグニス様が不在の間、あなたには魔王城でも……王子の代役をしていただきたい」
「魔王城でも?」
「ええ。魔王陛下は、夕食時に王子の顔を見ることを習慣にしておられる。もし王子が不在だと気づかれたら……」
カオスの顔が青ざめる。
「いや、考えたくもない」
「でも、それって……」
俺は戸惑う。
「ここのアトラクションだけじゃなくて、他の場所でも演技しろってことですか?」
「そうだ」
カオスが頷く。
「報酬は、さらに上乗せする。時給五割増しだ」
「いや、報酬の問題じゃなくて……」
「頼む」
カオスが深々と頭を下げる。
他の四天王たちも、頭を下げる。
フラーラさんとメリーナさんも。
全員が、俺に頭を下げている。
「佐伯、お願い」
フラーラさんが言う。
「あなたしか、いないの」
その目は、本気だった。
俺は深呼吸する。
なんか、よくわからないけど。
でも、みんなが本気で困っているなら。
「……わかりました。やります」
「本当か!」
カオスが顔を上げる。
「ああ、ありがとう! これで助かる!」
四天王たちが安堵の表情を浮かべる。
フラーラさんも、微笑む。
「ありがとう、佐伯」
「いえ……でも、本当に大丈夫ですかね」
「大丈夫よ」
フラーラさんが優しく言う。
「あなたなら、できるわ」
その時、開園のアナウンスが流れた。
「本日も、奥多摩異世界ランドをお楽しみください」
俺は玉座に座る。
重いマントが、背もたれに広がる。
四天王たちが、俺の前に並ぶ。
まるで、本物の魔王と四天王のように。
「では、始めましょう」
カオスが言う。
俺は、深く息を吸った。
今日から、俺は魔王だ。
そして、今夜……本物の魔王城へ行く。
本物の、って何だ?
でも、その答えは、もうすぐわかる気がした。
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だが、世界を救う勇者として召喚されたはずの人間には特別な能力が授かっているはずなのだが、伝承では勇者の人数は「4人」のはずであり、1人だけ他の人間と比べると能力が低かったレアは召喚に巻き込まれた一般人だと判断されて城から追放されてしまう――
――しかし、追い出されたレアの持っていた能力こそが彼等を上回る性能を誇り、彼は自分の力を利用してステータスを改竄し、名前を変化させる事で物体を変化させ、空想上の武器や物語のキャラクターを作り出せる事に気付く。
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これは剣と魔法の異世界アムパトリが、コウヤがもたらした日本文化によって徐々に浸食を受けていく変革の物語です。
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