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第17話 エピローグ 虚構の海
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1
九月下旬、東京。
前田香里奈は、会社のデスクで通常業務に戻っていた。
科学技術雑誌の記事執筆、取材のアポイント調整、編集会議——広島での出来事から一ヶ月以上が過ぎたが、前田の心の中では、あの夜がまだ終わっていなかった。
海に下ろされた巨大な潜水艦。音もなく水中を進むプローブ。安藤の説明——「あれは海洋調査用の技術だ」。
嘘だ。
前田は、それを確信していた。
あれは、間違いなく軍事用の潜水艦だった。電磁推進システムを使った、完全無音の——革命的な兵器だ。
証拠は消された。しかし、この目で見たものは消せない。
前田は時々、インターネットで関連ニュースを検索した。
『政府、原潜建造疑惑を全面否定』
『野党、引き続き追及の構え』
『専門家「そのような技術は実現困難」との見解』
否定すればするほど、前田の確信は強まった。
隠している——必死に隠そうとしている。
それこそが、真実の証拠だ。
2
ある日、社内便の担当者が、前田のデスクに郵便物を置いていった。
「前田さん、私信が届いてますよ」
「ありがとうございます」
封筒を手に取ると、差出人の欄に小さな文字で名前が書かれていた。
『水嶋総』
前田は驚いて、周囲を確認した。誰も見ていない。
急いで封筒を鞄にしまい込んだ。
昼休み、前田は会社近くの公園のベンチで、一人手紙を開いた。
便箋三枚に、几帳面な文字で文章が綴られていた。
『前田香里奈様
突然の手紙、失礼いたします。水嶋総です。
あなたが、私の研究について取材されていたこと、そして広島で何かを目撃されたことは、聞いております。
私から詳しいことをお話しすることはできません。契約上の制約もありますし、何より、これは国家機密に関わることだからです。
ただ、一つだけお伝えしたいことがあります。
私は科学者として、自分の研究の行方を案じています。技術には二面性があります。それがどう使われるかは、私の手を離れた瞬間から、コントロールできません。
あなたは記者として、真実を追求されました。その姿勢に、私は敬意を表します。
しかし——』
ここで文章が途切れ、次のページに続いていた。
『——時には、真実を公にしないことが、より大きな善になることもあります。
それは、記者としてのあなたの信念に反するかもしれません。しかし、世の中には、知らない方がいいこと、知っていても言わない方がいいことがあるのです。
私自身、その葛藤の中にいます。
C国からの高額なオファーを断り、日本に残ることを選びました。しかし、それが正しかったのか——今も分かりません。
ただ、信じていることがあります。
この技術が、いつか人類のために使われる日が来ると。
海を知り、海を守り、海と共に生きるために。
その日まで、私は研究を続けます。
あなたも、記者として、真実を追い続けてください。
たとえ、その真実が今は語れないものであっても——いつか、語るべき時が来ると信じて。
水嶋総』
前田は手紙を閉じ、深く息をついた。
水嶋は何も認めなかった。しかし、この手紙自体が——暗に、全てを認めているようなものだった。
3
その夜、前田は自宅で、パソコンに向かっていた。
画面には、広島での取材メモが表示されている。データは消去されたが、記憶は鮮明だ。見たもの、聞いたこと、感じたこと——全てを、詳細に記録していた。
前田は、新しいドキュメントを開いた。
タイトルを入力する。
『日本の秘密——電磁推進潜水艦の真実』
そして、書き始めた。
『2025年8月5日の夜、私は広島市の観音地区で、日本政府が秘密裏に開発した革命的な潜水艦を目撃した。
それは、全長80メートルを超える巨大な構造物で、従来の潜水艦とは全く異なる形状をしていた。スクリューがなく、完全に流線形の船体——それは、電磁推進システムを使用していると推測される。
この技術は、日本先端技術大学の水嶋総准教授が開発したものだ。完全無音で航行でき、音紋を残さない——海中の幽霊とも呼ぶべき、革命的な兵器である。
政府は、その存在を否定している。しかし、私はこの目で見た。そして、確信している。
日本には、世界を変える力を持つ潜水艦が存在する——』
前田は書き続けた。
数時間後、原稿は完成した。
しかし、前田は「送信」ボタンを押さなかった。
代わりに、ファイルを暗号化し、複数のクラウドストレージに保存した。
今は発表しない。しかし、いつか——いつか必ず、この真実を世界に伝える。
その時まで、記録は守り続ける。
4
十月に入り、前田は新しい取材に取り組んでいた。
再生可能エネルギーの研究者へのインタビュー。こちらは、何の秘密もない、純粋な科学技術の取材だ。
研究室で、前田は若い研究者と話していた。
「太陽光発電の効率は、年々向上しています。特に、ペロブスカイト太陽電池は革命的です」
ペロブスカイト——その言葉を聞いて、前田は小与島のプローブを思い出した。
あのプローブの表面にも、ペロブスカイト太陽電池が貼り付けられていた。
「前田さん?」
研究者が、不思議そうに前田を見た。
「あ、すみません。ペロブスカイト太陽電池について、もう少し詳しく教えていただけますか」
取材は続いた。
前田は、科学技術の取材を通じて、技術の二面性について考えることが多くなっていた。
どんな技術も、使い方次第で善にも悪にもなる。その判断は、人間が下すものだ。
だからこそ、技術の発展を正しく伝え、社会がそれをどう使うべきか考える材料を提供すること——それが、科学技術記者の役割なのではないか。
前田は、そう考えるようになっていた。
5
十一月、前田のデスクに上司がやってきた。
「前田、少しいいか」
「はい」
上司は周囲を確認してから、声を潜めた。
「広島の件だが……」
前田の心臓が、一瞬高鳴った。
「最近、海外のメディアで、日本の新型潜水艦について報道が出始めている」
「え……」
「C国のメディアが、『日本が革命的な潜水艦技術を開発』と報じたんだ。それが、欧米のメディアにも広がっている」
上司はタブレットを前田に見せた。
そこには、英語の記事が表示されていた。
『Japan's Silent Submarine: A Game Changer in Naval Warfare?』
「どの国も、確証はないようだ。しかし、噂は広がっている」
「……」
「前田、お前が見たものは、本物だったのかもしれない」
上司の言葉に、前田は複雑な表情を浮かべた。
「でも、私には証拠がありません」
「そうだな」上司は頷いた。「今は、それでいいのかもしれない」
上司は立ち上がった。
「ただ、記録は残しておけ。いつか、真実を明かす時が来るかもしれない」
「はい」
前田は、上司の背中を見送った。
6
十一月のある日、前田のスマートフォンに、見知らぬ番号からメッセージが届いた。
『前田さん、お元気ですか。あの夜のことを、時々思い出します。いつか、ゆっくりお話しできる日を楽しみにしています。— M』
M——森川だ。
前田は、長い時間そのメッセージを見つめていた。
森川は、何者なのか。彼もまた、あの計画の一部なのか。それとも、本当に真実を求める者なのか。
前田は返信しなかった。
しかし、メッセージは削除しなかった。
いつか、また会う日が来るかもしれない。その時、全てを問いただそう。
7
十二月、冬の東京。
前田は、書店で一冊の本を手に取った。
『海洋工学の最前線——未来を拓く技術』
著者の一人に、水嶋総の名前があった。
本を開くと、電磁推進システムについての学術的な解説が載っていた。ただし、実用化については一切触れられていない。
最後のページに、水嶋の言葉が引用されていた。
『技術は、人類の未来を切り拓く鍵である。しかし、その鍵をどう使うかは、私たち一人一人の選択にかかっている。
海は、地球表面の70%を占めながら、その95%が未探査のままだ。私たちは、海をもっと知る必要がある。
そのために、新しい技術が必要だ。
そして、その技術が、平和的に使われることを——私は心から願っている』
前田は本を閉じ、レジに向かった。
書店を出ると、街はクリスマスのイルミネーションで彩られていた。
人々は、何も知らずに、平和な日常を過ごしている。
しかし、前田は知っている。
その平和の裏側で、何かが動いていることを。
8
その夜、前田は自宅で、海外ニュースサイトを見ていた。
そこには、衝撃的な記事があった。
『日本の潜水艦技術、NATO各国が関心 共同開発の打診も』
記事を読み進めると、複数の国が日本に接触していることが分かった。A国、E国、F国——
そして、記事の最後には、こう書かれていた。
『日本政府は、そのような技術の存在を否定し続けている。しかし、各国の諜報機関は、複数の証拠から、その存在を確信しているという。
ある情報筋は語る。「日本の記者が、命がけで追いかけた秘密だ。それが偽物であるはずがない」と』
前田は、画面を凝視した。
私が——私の行動が、この状況を作り出したのか。
前田の胸に、複雑な感情が渦巻いた。
もし、あの潜水艦が本物なら、私は正しいことをした。真実を追求し、世界に警鐘を鳴らした。
しかし、もし——もし、あれが何か別のものだったとしたら?
前田は頭を振った。
いや、あれは本物だ。間違いない。
この確信こそが、私の記者としての誇りだ。
9
年が明けた。
前田は、新年最初の出社日、上司に呼ばれた。
「前田、今年も頼むぞ」
「はい」
「ただ、一つだけ言っておく」上司は真剣な表情だった。「広島の件——あれは、もう追うな」
「……はい」
「いいか、よく聞け」上司は声を落とした。「お前が見たものが何であれ、それはもう、お前の手を離れた」
「どういう意味ですか」
「世界が、それを真実だと信じている。日本政府が否定しようが、各国はそれを前提に動き始めている」
上司は窓の外を見た。
「つまり、真実かどうかは、もはや関係ない。世界が信じている——その事実だけが、今は重要なんだ」
前田は、その言葉の重みを理解した。
「私は……利用されたんですか」
「分からない」上司は首を振った。「しかし、結果的に、お前の行動が、この国に新しい抑止力を与えた。それは、認めざるを得ない」
前田は自分のデスクに戻り、窓の外を見た。
冬の空は、青く澄んでいた。
遠くに、東京湾が見える。その向こうには、太平洋が広がっている。
あの海のどこかに、今も音もなく、何かが動いているのだろう。
それが本物の潜水艦なのか、それとも——
前田には、もう分からなかった。
ただ一つ確かなのは、自分が見たものを、信じ続けるということ。
それが、記者としての矜持だから。
数週間後、広島。
二葉山の秘密拠点で、安藤と森川は、モニターを見つめていた。
画面には、世界各国のニュースが表示されている。
「完璧だな」安藤が満足そうに言った。
「ええ。計画通りです」森川も頷いた。「前田さんの疑念が、世界中に広がりました」
「彼女が、あれの存在を信じ続けてくれたおかげだ」
安藤は別のモニターを指差した。そこには、SNSに公開されている、東京のオフィスで働く前田の写真がアップで表示されていた。
「彼女は、きっとこれからも真実を追い続けるのでしょうね」森川が言った。
「そうだな。そして、その姿勢こそが——我々の最大の武器だ」
安藤は立ち上がった。
「さあ、仕事に戻ろう。本物のサイレントサブマリンを、一日も早く完成させなければならない」
二人は地下の司令室へと向かった。
モニターには、49機のプローブが、今日も日本近海を静かに泳ぎ続けている様子が映し出されていた。
虚像が、現実になろうとしている。
そして、その虚像を現実にするために——日本の技術者たちは、今日も研究を続けている。
前田香里奈は、今も知らないままだ。
自分が追い続けた「真実」が、実は壮大な虚構の一部だったことを。
しかし、それでいい。
彼女の疑念こそが、この国を守る盾となった。
そして、いつか——本物が完成した時、彼女は再び、真実を追うことになるだろう。
その時、彼女は何を思うのか。
それは、まだ誰にも分からない。
(完)
あとがき
日本を取り巻く安全保障環境は、日々変化しています。
この物語は、フィクションです。しかし、その背景にある問題——真実の報道と国家安全保障のバランス、技術の二面性、民主主義と秘密主義——これらは、現実の課題でもあります。
記者として真実を追求する前田香里奈。
科学者として技術を開発する水嶋総。
国家のために秘密を守る安藤と森川。
彼らは皆、それぞれの信念に従って行動しています。そして、その選択が正しいか間違っているか——それは、読者の皆さんが判断することです。
技術は、人類に大きな可能性をもたらします。しかし同時に、大きな責任も伴います。
私たちは、その技術をどう使うのか。
その選択が、未来を決めるのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
サイレント・サブマリン ―虚構の海― 全17話 完結
九月下旬、東京。
前田香里奈は、会社のデスクで通常業務に戻っていた。
科学技術雑誌の記事執筆、取材のアポイント調整、編集会議——広島での出来事から一ヶ月以上が過ぎたが、前田の心の中では、あの夜がまだ終わっていなかった。
海に下ろされた巨大な潜水艦。音もなく水中を進むプローブ。安藤の説明——「あれは海洋調査用の技術だ」。
嘘だ。
前田は、それを確信していた。
あれは、間違いなく軍事用の潜水艦だった。電磁推進システムを使った、完全無音の——革命的な兵器だ。
証拠は消された。しかし、この目で見たものは消せない。
前田は時々、インターネットで関連ニュースを検索した。
『政府、原潜建造疑惑を全面否定』
『野党、引き続き追及の構え』
『専門家「そのような技術は実現困難」との見解』
否定すればするほど、前田の確信は強まった。
隠している——必死に隠そうとしている。
それこそが、真実の証拠だ。
2
ある日、社内便の担当者が、前田のデスクに郵便物を置いていった。
「前田さん、私信が届いてますよ」
「ありがとうございます」
封筒を手に取ると、差出人の欄に小さな文字で名前が書かれていた。
『水嶋総』
前田は驚いて、周囲を確認した。誰も見ていない。
急いで封筒を鞄にしまい込んだ。
昼休み、前田は会社近くの公園のベンチで、一人手紙を開いた。
便箋三枚に、几帳面な文字で文章が綴られていた。
『前田香里奈様
突然の手紙、失礼いたします。水嶋総です。
あなたが、私の研究について取材されていたこと、そして広島で何かを目撃されたことは、聞いております。
私から詳しいことをお話しすることはできません。契約上の制約もありますし、何より、これは国家機密に関わることだからです。
ただ、一つだけお伝えしたいことがあります。
私は科学者として、自分の研究の行方を案じています。技術には二面性があります。それがどう使われるかは、私の手を離れた瞬間から、コントロールできません。
あなたは記者として、真実を追求されました。その姿勢に、私は敬意を表します。
しかし——』
ここで文章が途切れ、次のページに続いていた。
『——時には、真実を公にしないことが、より大きな善になることもあります。
それは、記者としてのあなたの信念に反するかもしれません。しかし、世の中には、知らない方がいいこと、知っていても言わない方がいいことがあるのです。
私自身、その葛藤の中にいます。
C国からの高額なオファーを断り、日本に残ることを選びました。しかし、それが正しかったのか——今も分かりません。
ただ、信じていることがあります。
この技術が、いつか人類のために使われる日が来ると。
海を知り、海を守り、海と共に生きるために。
その日まで、私は研究を続けます。
あなたも、記者として、真実を追い続けてください。
たとえ、その真実が今は語れないものであっても——いつか、語るべき時が来ると信じて。
水嶋総』
前田は手紙を閉じ、深く息をついた。
水嶋は何も認めなかった。しかし、この手紙自体が——暗に、全てを認めているようなものだった。
3
その夜、前田は自宅で、パソコンに向かっていた。
画面には、広島での取材メモが表示されている。データは消去されたが、記憶は鮮明だ。見たもの、聞いたこと、感じたこと——全てを、詳細に記録していた。
前田は、新しいドキュメントを開いた。
タイトルを入力する。
『日本の秘密——電磁推進潜水艦の真実』
そして、書き始めた。
『2025年8月5日の夜、私は広島市の観音地区で、日本政府が秘密裏に開発した革命的な潜水艦を目撃した。
それは、全長80メートルを超える巨大な構造物で、従来の潜水艦とは全く異なる形状をしていた。スクリューがなく、完全に流線形の船体——それは、電磁推進システムを使用していると推測される。
この技術は、日本先端技術大学の水嶋総准教授が開発したものだ。完全無音で航行でき、音紋を残さない——海中の幽霊とも呼ぶべき、革命的な兵器である。
政府は、その存在を否定している。しかし、私はこの目で見た。そして、確信している。
日本には、世界を変える力を持つ潜水艦が存在する——』
前田は書き続けた。
数時間後、原稿は完成した。
しかし、前田は「送信」ボタンを押さなかった。
代わりに、ファイルを暗号化し、複数のクラウドストレージに保存した。
今は発表しない。しかし、いつか——いつか必ず、この真実を世界に伝える。
その時まで、記録は守り続ける。
4
十月に入り、前田は新しい取材に取り組んでいた。
再生可能エネルギーの研究者へのインタビュー。こちらは、何の秘密もない、純粋な科学技術の取材だ。
研究室で、前田は若い研究者と話していた。
「太陽光発電の効率は、年々向上しています。特に、ペロブスカイト太陽電池は革命的です」
ペロブスカイト——その言葉を聞いて、前田は小与島のプローブを思い出した。
あのプローブの表面にも、ペロブスカイト太陽電池が貼り付けられていた。
「前田さん?」
研究者が、不思議そうに前田を見た。
「あ、すみません。ペロブスカイト太陽電池について、もう少し詳しく教えていただけますか」
取材は続いた。
前田は、科学技術の取材を通じて、技術の二面性について考えることが多くなっていた。
どんな技術も、使い方次第で善にも悪にもなる。その判断は、人間が下すものだ。
だからこそ、技術の発展を正しく伝え、社会がそれをどう使うべきか考える材料を提供すること——それが、科学技術記者の役割なのではないか。
前田は、そう考えるようになっていた。
5
十一月、前田のデスクに上司がやってきた。
「前田、少しいいか」
「はい」
上司は周囲を確認してから、声を潜めた。
「広島の件だが……」
前田の心臓が、一瞬高鳴った。
「最近、海外のメディアで、日本の新型潜水艦について報道が出始めている」
「え……」
「C国のメディアが、『日本が革命的な潜水艦技術を開発』と報じたんだ。それが、欧米のメディアにも広がっている」
上司はタブレットを前田に見せた。
そこには、英語の記事が表示されていた。
『Japan's Silent Submarine: A Game Changer in Naval Warfare?』
「どの国も、確証はないようだ。しかし、噂は広がっている」
「……」
「前田、お前が見たものは、本物だったのかもしれない」
上司の言葉に、前田は複雑な表情を浮かべた。
「でも、私には証拠がありません」
「そうだな」上司は頷いた。「今は、それでいいのかもしれない」
上司は立ち上がった。
「ただ、記録は残しておけ。いつか、真実を明かす時が来るかもしれない」
「はい」
前田は、上司の背中を見送った。
6
十一月のある日、前田のスマートフォンに、見知らぬ番号からメッセージが届いた。
『前田さん、お元気ですか。あの夜のことを、時々思い出します。いつか、ゆっくりお話しできる日を楽しみにしています。— M』
M——森川だ。
前田は、長い時間そのメッセージを見つめていた。
森川は、何者なのか。彼もまた、あの計画の一部なのか。それとも、本当に真実を求める者なのか。
前田は返信しなかった。
しかし、メッセージは削除しなかった。
いつか、また会う日が来るかもしれない。その時、全てを問いただそう。
7
十二月、冬の東京。
前田は、書店で一冊の本を手に取った。
『海洋工学の最前線——未来を拓く技術』
著者の一人に、水嶋総の名前があった。
本を開くと、電磁推進システムについての学術的な解説が載っていた。ただし、実用化については一切触れられていない。
最後のページに、水嶋の言葉が引用されていた。
『技術は、人類の未来を切り拓く鍵である。しかし、その鍵をどう使うかは、私たち一人一人の選択にかかっている。
海は、地球表面の70%を占めながら、その95%が未探査のままだ。私たちは、海をもっと知る必要がある。
そのために、新しい技術が必要だ。
そして、その技術が、平和的に使われることを——私は心から願っている』
前田は本を閉じ、レジに向かった。
書店を出ると、街はクリスマスのイルミネーションで彩られていた。
人々は、何も知らずに、平和な日常を過ごしている。
しかし、前田は知っている。
その平和の裏側で、何かが動いていることを。
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その夜、前田は自宅で、海外ニュースサイトを見ていた。
そこには、衝撃的な記事があった。
『日本の潜水艦技術、NATO各国が関心 共同開発の打診も』
記事を読み進めると、複数の国が日本に接触していることが分かった。A国、E国、F国——
そして、記事の最後には、こう書かれていた。
『日本政府は、そのような技術の存在を否定し続けている。しかし、各国の諜報機関は、複数の証拠から、その存在を確信しているという。
ある情報筋は語る。「日本の記者が、命がけで追いかけた秘密だ。それが偽物であるはずがない」と』
前田は、画面を凝視した。
私が——私の行動が、この状況を作り出したのか。
前田の胸に、複雑な感情が渦巻いた。
もし、あの潜水艦が本物なら、私は正しいことをした。真実を追求し、世界に警鐘を鳴らした。
しかし、もし——もし、あれが何か別のものだったとしたら?
前田は頭を振った。
いや、あれは本物だ。間違いない。
この確信こそが、私の記者としての誇りだ。
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年が明けた。
前田は、新年最初の出社日、上司に呼ばれた。
「前田、今年も頼むぞ」
「はい」
「ただ、一つだけ言っておく」上司は真剣な表情だった。「広島の件——あれは、もう追うな」
「……はい」
「いいか、よく聞け」上司は声を落とした。「お前が見たものが何であれ、それはもう、お前の手を離れた」
「どういう意味ですか」
「世界が、それを真実だと信じている。日本政府が否定しようが、各国はそれを前提に動き始めている」
上司は窓の外を見た。
「つまり、真実かどうかは、もはや関係ない。世界が信じている——その事実だけが、今は重要なんだ」
前田は、その言葉の重みを理解した。
「私は……利用されたんですか」
「分からない」上司は首を振った。「しかし、結果的に、お前の行動が、この国に新しい抑止力を与えた。それは、認めざるを得ない」
前田は自分のデスクに戻り、窓の外を見た。
冬の空は、青く澄んでいた。
遠くに、東京湾が見える。その向こうには、太平洋が広がっている。
あの海のどこかに、今も音もなく、何かが動いているのだろう。
それが本物の潜水艦なのか、それとも——
前田には、もう分からなかった。
ただ一つ確かなのは、自分が見たものを、信じ続けるということ。
それが、記者としての矜持だから。
数週間後、広島。
二葉山の秘密拠点で、安藤と森川は、モニターを見つめていた。
画面には、世界各国のニュースが表示されている。
「完璧だな」安藤が満足そうに言った。
「ええ。計画通りです」森川も頷いた。「前田さんの疑念が、世界中に広がりました」
「彼女が、あれの存在を信じ続けてくれたおかげだ」
安藤は別のモニターを指差した。そこには、SNSに公開されている、東京のオフィスで働く前田の写真がアップで表示されていた。
「彼女は、きっとこれからも真実を追い続けるのでしょうね」森川が言った。
「そうだな。そして、その姿勢こそが——我々の最大の武器だ」
安藤は立ち上がった。
「さあ、仕事に戻ろう。本物のサイレントサブマリンを、一日も早く完成させなければならない」
二人は地下の司令室へと向かった。
モニターには、49機のプローブが、今日も日本近海を静かに泳ぎ続けている様子が映し出されていた。
虚像が、現実になろうとしている。
そして、その虚像を現実にするために——日本の技術者たちは、今日も研究を続けている。
前田香里奈は、今も知らないままだ。
自分が追い続けた「真実」が、実は壮大な虚構の一部だったことを。
しかし、それでいい。
彼女の疑念こそが、この国を守る盾となった。
そして、いつか——本物が完成した時、彼女は再び、真実を追うことになるだろう。
その時、彼女は何を思うのか。
それは、まだ誰にも分からない。
(完)
あとがき
日本を取り巻く安全保障環境は、日々変化しています。
この物語は、フィクションです。しかし、その背景にある問題——真実の報道と国家安全保障のバランス、技術の二面性、民主主義と秘密主義——これらは、現実の課題でもあります。
記者として真実を追求する前田香里奈。
科学者として技術を開発する水嶋総。
国家のために秘密を守る安藤と森川。
彼らは皆、それぞれの信念に従って行動しています。そして、その選択が正しいか間違っているか——それは、読者の皆さんが判断することです。
技術は、人類に大きな可能性をもたらします。しかし同時に、大きな責任も伴います。
私たちは、その技術をどう使うのか。
その選択が、未来を決めるのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
サイレント・サブマリン ―虚構の海― 全17話 完結
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だが、演技を終えた後、案内された扉の先にあったのは……本物の異世界だった!
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魔王城で始まる、まさかの「異世界勤務」生活!
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笑えて、トキメいて、ちょっと泣ける。
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死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
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※カクヨム様で先行公開中!
※2024年3月21で第一部完!
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一気に読んでしまいました。
面白かったので、もっと続いて欲しかったです。
次回作も楽しみにしています。
ありがとうございます。
がんばります。
この話を読みながら、Mapで、場所を確認したら、出てくる場所が本当に全部あって驚いた。小与島とか、本当に建物や中央の大きな池もあるし、二葉山も本当に工事してたし、平和大通り近くに学校と一緒になった施設もあって、地図と一緒に読むと楽しい。ワクワク感が増すかも。