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第四章: 虚無なる卒業
第25話:上層部の狂気
しおりを挟む都市で発生する集団精神錯乱は、もはや無視できないレベルに達していた。
政府は、緊急対策本部の会議を連日開き、その対応に追われていた。
対策の陣頭指揮を執る国家安全保障局の幹部、田中健一は、国民への情報統制をさらに強化し、精神錯乱者の強制隔離を主張した。
彼の顔色は日に日に悪化し、目の下の隈は深く刻まれ、その言動には常軌を逸した焦燥が見て取れた。
「これは国家の危機だ! 徹底的に封じ込めなければならない! 弱腰な対応は許されない! 」
会議室に響く田中の声は、以前のような冷静さを欠き、ヒステリックに響いた。
彼の目は血走り、モニターに映し出される最新の感染者数のグラフを睨みつけていた。
しかし、彼自身の精神も、また既に『くねくね』の情報に深く侵食され始めていた。
ある日の会議中、ホワイトボードに書かれた難解な数式と対策案の文字が突然、彼の視界の中で『くねくね』のように「くねり」と動き出した。
文字の輪郭が歪み、不規則に脈動する。
田中は一瞬、息を呑み必死に目を瞬かせた。
幻覚は消えたが、彼の冷や汗は止まらなかった。 隣に座るベテランの官僚が、彼に何かを耳打ちしようと顔を向けた時、その顔が 一瞬だけ学園Zの監視映像で見た「ひとつになった者たち」の、アノ虚ろで幸福な笑顔に変わったように見えた。
田中は、とっさに顔を背け無理に咳払いをしてその場を取り繕った。
彼は自身の精神状態が悪化していることを決して認められず、むしろ『くねくね』への対策をさらに強硬に進めることで、その現実から目を背けようとした。
その強硬策は、都市にさらなる混乱と恐怖をもたらし、結果的に『くねくね』の情報拡散を助長する結果となることを彼は理解していなかった。
一方、神楽製薬の研究室でも狂気は静かに進行していた。
新任の研究責任者 佐藤浩二は、黒瀬義昭が残した研究データを引き継ぎ、『くねくね』の情報を完全に制御する「新薬」の改良に没頭していた。
彼は、この薬が人類を救う唯一の希望だと信じ込んでいた。
しかし、連日の過酷な実験と、『くねくね』のデータを直視し続けることで、彼の精神もまた、蝕まれ始めていた。
実験室の片隅に置かれた、無人の培養器から微かな「キサ、キサ」という音が聞こえる。
佐藤が振り向くと音は消える。
彼の疲弊した視界の端で白衣の助手が、一瞬だけ『くねくね』のように体を「くねらせる」幻覚を見る。
彼はそれを「過労による視覚疲労」と判断し、さらに研究に没頭した。
そして、ある日……
佐藤は、新薬を投与した被験者たちの臨床データに、ある戦慄の事実を発見する。
彼が開発を進める「精神安定剤」は、『くねくね』の情報を抑制するどころか、むしろ人間の精神が『くねくね』の情報を受け入れやすくす、すなわち**『くねくね』への適合者へと変質させる効果があるという事実だった。
モニターには、新薬を服用した被験者たちのデータが並んでいた。
彼らの脳波は異常な活性化を示し、精神状態は安定どころか、まるで『くねくね』の教義を理解したかのように、満面の笑みで虚空を見つめたり、奇妙な動きを始めたりする様子が記録されていた。
それは、学園Zで血野美鈴や我妻亞夢、そして蛇沼凶一郎が辿った末路と寸分違わなかった。
彼らが「安定」と呼んでいたものは、『くねくね』への幸福な順応だったのだ。
「馬鹿な……こんな、まさか……」
佐藤の背筋に冷たい汗が伝った。
彼らが人類を救うために開発していたはずの新薬が、実は『くねくね』の情報を社会全体に拡散するための触媒となっていたのだ。
この薬が普及すれば、日本中に、そして世界中に『くねくね』の狂気が静かに、しかし確実に蔓延していく。
佐藤は、この恐るべき真実を上層部に報告しようと決意した。
しかし、彼の精神も既に限界に達していた。
彼の脳裏には、『くねくね』に適合し、幸福な笑みを浮かべる被験者たちの顔と学園Zで見たひとつになった者たちの虚ろな笑顔が、次々とフラッシュバックのように現れる。
その真実を誰かに伝えなければ……この呪われた連鎖を、ここで断ち切らなければ……
しかし、彼の震える指先は既に彼の意思とは無関係に彼の心臓を『くねくね』の情報へと誘い始めていた。
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