【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
6 / 38
​第一部:若き日の「誤先生」

​第6話 鳳雛だけはご勘弁を

しおりを挟む

 ​木下藤吉郎という男は、時として神業のようなことをやってのける。

 ​墨俣に一夜にして城を築いたという俄には信じがたい知らせがもたらされたかと思えば、その勢いのまま、なんとあの竹中半兵衛を説き伏せ、織田家に仕官させるという離れ業を成し遂げてしまったのだ。

​「あの『今孔明』が、我らの味方に……!?」

 ​吉報は瞬く間に織田家中に広まり、城内は歓迎と興奮の渦に包まれた。
 これで美濃攻略は大きく前進する。
 誰もがそう確信し、来るべき天才軍師の到着を今か今かと待ちわびていた。

​ ……ただ一人、俺、呉学人を除いては。

​「腹が……腹が痛い……」

 ​半兵衛殿が清州城へ到着する当日、俺は朝から腹の具合が悪く、厠と自室を何度も往復していた。理由は分かっている。精神的な重圧だ。

「本物」が来る。

 俺という「偽物」の隣に。

 その事実が、鉛のように俺の胃にのしかかっていた。

​「学人、しっかりしろ!今日は大事な日だぞ!」

 利家が、呆れ顔で俺の背中を叩く。

「分かっている……分かっているが、体が言うことを聞かないんだ……」

 ​結局、俺は利家に半ば引きずられるようにして、半兵衛殿の拝謁の儀が行われる大広間へと向かった。
 ​広間には、織田家の名だたる将たちが、いつも以上に緊張した面持ちで居並んでいた。
 やがて、広間の入り口が静かに開かれ、一人の青年が姿を現した。

​(……あの人が、竹中半兵衛)

 ​年の頃は、俺たちとそう変わらないだろうか。

 しかし、その纏う空気はまるで異質だった。

 痩身で、顔色は紙のように白い。
 一見すれば病弱な貴公子といった風情だが、その双眸だけは、暗い水底から全てを見透かすような、鋭く冷たい光を宿していた。

 彼の前に立つと、自分の思考の浅さや隠している弱さまで、全て暴かれてしまうのではないか。そんな錯覚さえ覚える。

 ​将たちが固唾を飲んで見守る中、半兵衛殿は信長様の前に静かに進み出て、流れるような所作で平伏した。

「竹中半兵衛重治、ただいま推参いたしました。これより我が知略の全てを、信長様のために」

 ​その理知的な声を聞き、俺は末席で柱の陰に隠れるようにして、ただただ小さくなっていた。

​「うむ、面を上げよ。よくぞ参った、半兵衛」

 信長様は、心の底から満足げな声で言った。

「貴様の噂は聞き及んでおる。これより貴様を、我が織田家の軍師の一人として迎えよう」

​軍師の一人……

 その言葉に、俺の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。まさか……

​「学人。前へ」

 ​恐れていたことが、現実になった。

 信長様に名を呼ばれ、俺はもはや逃げることもできず、おぼつかない足取りで前へと進み出た。
 そして、生まれて初めて、あの「今孔明」と至近距離で顔を合わせることになった。

 ​射抜くような、理知の眼差し。

 俺は蛇に睨まれた蛙のように硬直し、視線を合わせることもできずに俯いた。

 ​そんな俺と、涼やかな顔で佇む半兵衛殿を交互に見比べ、信長様は実に楽しそうに声を張り上げた。

​「皆の者、聞け!
 これにて我が織田家には、二人の天才軍師が揃った!
 稀代の知将、竹中半兵衛が『今孔明』であるならば……」

 ​信長様は、芝居がかった仕草で俺を指さし、高らかに宣言した。

​「…… 我が福の神、誤先生は、さしずめ『今鳳雛いまほうすう』よ!」

​今、鳳雛……

 ​その言葉が、雷となって俺の頭に突き刺さった。

​(ほう、すう……? 鳳雛だと!?)

 ​呉用の記憶が、脳内で警鐘を乱れ打つ。

 鳳雛・龐統士元ほうとう しげん
 諸葛孔明と並び称された、もう一人の天才軍師。その才覚は誰もが認めるものだったが、彼はあまりに早く、その生涯を終える。蜀への進軍の最中、落鳳坡らくほうはと呼ばれる谷で敵の伏兵に遭い、全身に矢を浴びて、志半ばで落命するのだ。

 ​落鳳坡――鳳、落ちるおか

 その名も知らず、彼は死んでいった。なんと不吉な!なんと縁起の悪い!

 ​次の瞬間、俺は我を忘れて叫んでいた。

​「お、お待ちください!信長様!」

 ​静まり返る広間。
 全ての視線が俺に集中するが、もはや構っていられない。
 俺は信長様の前に這い寄ると、半ば泣きつくように懇願した。

​「そ、それだけは!その『鳳雛』という名だけは、なにとぞ、なにとぞご勘弁くださいませ!」

「……何故だ、学人。孔明と並び称される栄誉ある名ではないか」

信長様が、怪訝な顔で問う。

​「栄誉ではございませぬ!
 死の宣告にございます!
 鳳雛・龐統は、落鳳坡にて矢に射られて落命いたします!
 三十半ばで無念の死を遂げるのでございます!
 あまりに縁起が悪い!
 それだけは! それだけは、何卒……!」

 ​俺は、必死だった。

 この世界が、物語の法則に縛られているとしたら?

 そんな名前を付けられたら、俺は本当に三十代で矢に当たって死ぬかもしれないのだ。

 ​俺の必死すぎる形相と、切実な訴えに広間は一瞬、静寂に包まれた。

そして、次の瞬間……

​「……ぷっ」

 ​誰かが、噴き出した。

 それを皮切りに、あちこちから堪えきれない笑い声が漏れ始め、やがて広間は大きな笑いの渦に包まれた。

「あははは!何を言い出すかと思えば!」

「縁起が悪いとは!
 この男は、まこと面白いことを言うわ!」

 ​将たちは、腹を抱えて笑っている。
 信長様も、最初は呆れていたが、やがていつものように腹を抱えて大笑いを始めた。

「クックック……やはり貴様は、ただ者ではないわ、誤先生!」

 ​そんな喧騒の中、ただ一人、笑わずに俺を見つめている男がいた。

 ​竹中半兵衛

 ​彼は、眉間に僅かなしわを寄せ、目の前で繰り広げられる茶番劇を、あるいはその中心で大騒ぎしている俺という存在を、値踏みするように、まるで不可解な生き物でも見るかのように、じっと、静かに見つめていた。

 ​その表情には、ただ一言。

「……変わった男だ」

と、そう書いてあるように俺には思えた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔
歴史・時代
刀より強い? 腹が減っては戦はできぬ! 戦国乱世、食に命をかける若武者の兵糧奮闘記、開幕! 血と硝煙の戦国乱世。一大大名家が歴史を変える大いくさを前に、軍全体がかつてない危機に喘いでいた。それは、敵の奇襲でも、寡兵でもない――輸送路の遮断による、避けようのない「飢餓」だった! 武功に血道を上げる武士たちの中で、ひっそりと、だが確かに異彩を放つ若者が一人。伊吹千兵衛。刀の腕は今ひとつだが、「食」の道を探求し、戦場の兵糧に並々ならぬ情熱をかける兵糧奉行補佐だ。絶望的な食糧不足、日に日に失われる兵士たちの士気。この危機に、千兵衛は立ち上がる。 彼の武器は、限られた、乏しい食材から、想像もつかない「いくさ飯」を生み出す驚きの創意工夫! いつもの硬いだけの干飯は、野草と胡麻を加え、香ばしく焼き上げた「魂を焦がす焼きおにぎり」に。 そして、戦場の重苦しい空気を忘れさせる、兵士たちの「ささやかな甘味」まで――。 『乏しき中にこそ、美味は宿る。これぞ、いくさ飯。』 千兵衛が心を込めて作る一品一品は、単なる食事ではない。 それは、飢えと疲労に倒れかけた兵士たちの失われた力となり、荒んだ心を癒やす温もりとなり、そして明日を信じる希望となるのだ。 彼の地道な、しかし確かな仕事が、戦場の片隅で、確実に戦の行方に影響を与えていく。 読めばきっとお腹が空く、創意工夫あふれる戦国グルメの数々。次にどんな驚きの「いくさ飯」が生まれるのか? それが兵士たちを、そしてこの大戦をどう動かすのか? これは、「あの時代の名脇役」が、食という最も人間臭く、最も根源的な力で、乾坤一擲の大戦に挑む物語。 歴史の裏側で紡がれる、もう一つの、心熱くなる戦場ドラマ。 腹ペコを連れて、戦国の陣中へ――いざ、参らん!

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...