【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
8 / 38
第二部:天下布武と二人の軍師

​第8話 渡河の奇跡

しおりを挟む

​ 竹中半兵衛の立てた上洛計画は、完璧なはずだった。

​ 兵の進む道、兵糧を運ぶ経路、そして敵である六角氏が仕掛けてくるであろう抵抗の予測まで、全てが緻密な計算の上に成り立っていた。
​ しかし、現実は盤上の駒のように都合よくは動いてくれない。

​「申し上げます!南方の間道にて、六角方の伏兵による襲撃!兵糧の一部が焼かれました!」

「くそっ、またか!あの者ら、まるで土竜もぐらのように現れては消えるわ!」

​ 進軍を開始して数日、織田軍は粘り強い六角家の抵抗に遭い、その歩みは遅々として進まなかった。
 折からの長雨で道は泥濘ぬかるみと化し、兵たちの疲労は色濃い。
 半兵衛の計画に綻びはない……だが、その計画が想定していた以上の「時間」が、じりじりと消費されていくだけだった。
​ 本陣には、焦りの色が浮かび始めていた。

​「どうした半兵衛、貴様の策にしては歯切れが悪いのう」

​ 信長様の言葉には棘がある。
 半兵衛は冷静な表情を崩さぬまま、地図を睨みつけていた。

​「……六角の抵抗は想定の範囲内。
 しかし、これ以上時を費やすは得策にあらず。今一度、兵の配置を見直します」

​ その理知的な横顔を見ながら、俺、呉学人は後方でただ身を縮めていた。
​ 軍議での失態以来、俺は完全に「いてもいなくても良い者」となっていた。

 利家の隊に所属し、主に兵糧の管理という名の雑用をこなす日々。
 戦の采配に口を出すことなど、もはや許されるはずもなかった。

​(これでいいのだ……俺が口を開けば、ろくなことにならん)

​ 自嘲気味にそう思う。
 あの川の件は、皆の記憶からも消えつつあるだろう。
 ただの恥ずかしい思い出として、早く泥水に流れてしまえばいい。
​ その、まさに俺が忘れてしまいたいと願っていた「川」の報せが、本陣に激震を走らせることになるとは、夢にも思わずに……

​ 一人の物見が、泥まみれのまま本陣に転がり込んできたのは、その日の昼過ぎのことだった。

​「も、申し上げます! 一大事にございます!」

​ 息も絶え絶えの伝令に、将たちの視線が集まる。

​「北の山中を進んでおりましたところ……先日来の雨で、大規模な山崩れが起きておりました!」

​「山崩れだと?それで道が塞がれたと申すか!?」

​ 柴田勝家殿が声を荒らげる。
 ただでさえ遅れている進軍が、さらに滞る。
 誰もが最悪の事態を想像した。
 しかし、伝令の報告は、その真逆を行くものだった。

​「いえ!その崩れた土砂が、川の上流を堰き止めております!その影響で……!」

​ 伝令は、ごくりと唾を飲み込み、信じられないといった口調で続けた。

​「……先日まで激流であったはずの川が、まるで嘘のように干上がっております!
 水嵩は、大人の膝にも届かぬほどに!
 馬はもちろん、足軽も容易に渡ることが可能にございます!」

​「……なに?」

​ 本陣にいた誰もが、耳を疑った。

​ そして、その川の名を聞いて、二度驚愕した。

​ それは、数日前の軍議で、俺が「浅瀬だ」と言い放ち、半兵衛に「渡河は不可能」と一蹴された、あの川だったのだ。

​ 広間が、にわかにざわつき始める。

​「馬鹿な……そんな偶然があるものか」

「いや、しかし、現に物見は見てきたのだ」

​ 将たちが困惑の声を上げる中、ただ一人、竹中半兵衛が絶句していた。

​ 彼の顔から、常の冷静さが抜け落ち、純粋な驚愕と、そして理解不能なものに直面したかのような狼狽の色が浮かんでいた。

​ 無理もなかった。

 彼の完璧な計算、雨量や水嵩の緻密な予測が、天災という名の絶対的な偶然によって、根底から覆されたのだから。

​ その静寂を破ったのは、信長様の一声だった。

​ 玉座からすっくと立ち上がると、その目に烈火のような輝きを宿し、にやりと笑った。

​「……クックック。天が、わしに味方せよと言うておるわ」

​ そして、呆然とする半兵衛と、困惑する俺を交互に見比べると、高らかに言い放った。

​「半兵衛!聞いたか!
 誤先生の言う通りではないか!」

​ その言葉は、決定的な一打だった。
​ 信長様は、迷いなく命を下す。

​「丹羽!柴田!手勢を率いて、ただちに例の川を渡れ!
 敵の側面を突くのだ! 
六角の奴ら、まさかそこから我らが現れるとは思うまい!」

​「「ははっ!」」

​ 信長様の即断一下、織田軍の精鋭が別動隊として編成され、奇跡の川へと殺到した。

​ 結果は、言うまでもない。

​ 全く警戒していなかった背後から、突如として織田の大軍の奇襲を受けた六角軍の防衛線は、あまりにもあっけなく崩壊した。

​ これまで織田軍を苦しめてきた粘り強い抵抗は嘘のように消え去り、観音寺城への道は、一気に開かれることとなった。

​ 勝利の歓声に沸く陣中で、俺はただ、青ざめて立ち尽くしていた。

​(山崩れ……?川が……?俺は、ただ昔の話をしただけなのに……)

​ 自分の発言が、とんでもない結果を引き起こしてしまった。
 しかし、その理屈が分からない。
 幸運?奇跡?どちらにせよ、俺の実力などでは全くない。

​ その夜、一人、自陣の天幕で地図を睨んでいた竹中半兵衛は、静かに戦慄していた。

​ (あり得ぬ……)

​ 彼は、これまでの呉学人という男の「戦功」を、頭の中で反芻はんすうしていた。

​ 稲生の戦いでの、あり得ない「読み違い」。

 そして、今回の上洛戦での、あり得ない「予言」。

​ (まさか……天候と地形の急変まで予測していたとでも言うのか?
 いや、それは人知を超えている。
 偶然か? 偶然にしては、あまりに出来すぎている……)

​ 論理と計算を信条とする半兵衛にとって、呉学人の存在は、もはや理解不能な「異物」だった。

​ 彼の思考は、常人の理屈では測れない。
 こちらの完璧な計算を、まるで嘲笑うかのように、天運そのものを手繰り寄せてしまう。

​ (この男、一体何者なのだ……?)

​ 半兵衛は、呉学人という男に対し、初めて、尊敬でもなく、侮りでもない、底知れぬ「畏怖いふ」の念を抱き始めていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔
歴史・時代
刀より強い? 腹が減っては戦はできぬ! 戦国乱世、食に命をかける若武者の兵糧奮闘記、開幕! 血と硝煙の戦国乱世。一大大名家が歴史を変える大いくさを前に、軍全体がかつてない危機に喘いでいた。それは、敵の奇襲でも、寡兵でもない――輸送路の遮断による、避けようのない「飢餓」だった! 武功に血道を上げる武士たちの中で、ひっそりと、だが確かに異彩を放つ若者が一人。伊吹千兵衛。刀の腕は今ひとつだが、「食」の道を探求し、戦場の兵糧に並々ならぬ情熱をかける兵糧奉行補佐だ。絶望的な食糧不足、日に日に失われる兵士たちの士気。この危機に、千兵衛は立ち上がる。 彼の武器は、限られた、乏しい食材から、想像もつかない「いくさ飯」を生み出す驚きの創意工夫! いつもの硬いだけの干飯は、野草と胡麻を加え、香ばしく焼き上げた「魂を焦がす焼きおにぎり」に。 そして、戦場の重苦しい空気を忘れさせる、兵士たちの「ささやかな甘味」まで――。 『乏しき中にこそ、美味は宿る。これぞ、いくさ飯。』 千兵衛が心を込めて作る一品一品は、単なる食事ではない。 それは、飢えと疲労に倒れかけた兵士たちの失われた力となり、荒んだ心を癒やす温もりとなり、そして明日を信じる希望となるのだ。 彼の地道な、しかし確かな仕事が、戦場の片隅で、確実に戦の行方に影響を与えていく。 読めばきっとお腹が空く、創意工夫あふれる戦国グルメの数々。次にどんな驚きの「いくさ飯」が生まれるのか? それが兵士たちを、そしてこの大戦をどう動かすのか? これは、「あの時代の名脇役」が、食という最も人間臭く、最も根源的な力で、乾坤一擲の大戦に挑む物語。 歴史の裏側で紡がれる、もう一つの、心熱くなる戦場ドラマ。 腹ペコを連れて、戦国の陣中へ――いざ、参らん!

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...