【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

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第二部:天下布武と二人の軍師

第10話 迷子の功名

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​「ああ、私はなんというミスを~~~~~っ!」

​ 夜の森に響き渡る俺の情けない慟哭は、背後から振り下ろされた利家の拳によって、物理的に止められた。

​「やかましい!泣いて道が分かるか、たわけが!」

​ 利家の怒声が、ゴツンと鈍い痛みが走る頭の上から降り注ぐ。彼の顔は、怒りと焦りで鬼のようだった。
 無理もない。この絶体絶命の状況で、唯一の命綱であった地図を、俺は握り飯でダメにしてしまったのだから。

​「も、申し訳ございません!この通りでございます!」

​ 俺は馬から転げ落ちるようにして、泥だらけの地面に額をこすりつけた。しかし、謝罪で兵糧が湧くわけでも、道が開けるわけでもない。

​「……こうなれば、仕方あるまい」

​ 利家は深いため息をつくと、俺の襟首を掴んで無理やり立たせた。

​「学人、貴様の記憶を頼る!朧げでも構わん。信長様が見ていた地図の道を思い出せ!」

​「む、無茶でございます!
 私の記憶など、味噌で汚れた地図よりも当てになりませぬ!」

​「黙れ!やるしかないのだ!」

​ こうして、俺たちの絶望的な彷徨が始まった。
​ 俺の曖昧な記憶を頼りに、右へ、左へと進むが、周囲はどこまで行っても同じような木々が続くだけ。
 兵たちの間にも、次第に不安と疲労の色が広がっていく。

​「利家様……本当に、この道で合っておりますのか……」

「学人殿の顔色が、ますます土気色に……」

​ 利家は「黙って歩け!」と一喝して士気を保とうとするが、その額にも脂汗が滲んでいた。
 俺は、もはや半泣き状態で利家の馬の鞍にしがみついているだけだった。

​ やがて、道とも呼べぬような、草木が生い茂る狭い獣道へと迷い込んだ。

​「こ、こちらでございます!確か、地図にこのような抜け道が……あったような気がいたします……!」

​ 俺の自信のない言葉に、利家も「本当か?」と疑いの目を向けるが、もはや他に道はない。
​ 一行が、息を潜めるようにその獣道を進んでいた、その時だった。

​ すぐ近く、おそらくは並行して走る街道の方から、地響きのような音が聞こえてきた。

​ ​ーードッドッドッドッ……!

​ 数えきれないほどの馬蹄の音と、鎧の擦れる音、そして人々の荒い息遣い。

​「……静かにしろ!伏せろ!」

​ 利家の鋭い号令で、俺たちは慌ててその場に身を伏せた。
 木の葉の隙間から、街道の方角を窺う。

​ そこを、松明の光を連ねた大軍が、凄まじい勢いで駆け抜けていくのが見えた。
 旗印は、朝倉家のものだ。

​「……追撃の本隊か。危ないところだった……」

​ 利家は、冷や汗を拭って安堵の息を漏らす。
​ 俺たちは、ただ運良く見つからなかっただけだと思っていた。
 この獣道に迷い込んだおかげで、敵の主力部隊との正面衝突を奇跡的に回避できたことなど、知る由もなかったのだ。

​ 夜が明け、疲労困憊のまま山中を彷徨い続けた俺たちは、ついに森を抜け、開けた場所へと転がり出た。

​ そして、目の前に広がっていた光景に言葉を失った。

​ そこは、小さな川が流れる谷間のようになっており、数十の荷駄と共に、多くの兵たちが休息を取っていたのだ。

​ 彼らは武装を解き、焚火を囲んで談笑したり、川で馬に水を飲ませたりと、完全に油断しきっていた。
​ そして、その掲げられた旗印は……浅井家のものだった。

​「……敵……」

​ 利家が、唸るように呟く。

​ しかも、その様子からして、戦闘部隊ではない。前線へ兵糧や武具を運ぶ、補給部隊のようだった。

​ 浅井の兵たちも、森から突然現れた俺たちに気づき、一瞬、何が起きたか分からないといった顔できょとんとしている。

​ その数秒の静寂を破ったのは、やけくそになった利家の雄叫びだった。

​「うおおおおっ! 敵襲と勘違いしたか、者ども!こうなれば、やぶれかぶれじゃあ!」

​ 利家は、自ら槍を構えると、真っ先に敵陣へと突っ込んでいった。

​「かかれぇぇぇっ!」

​ 俺たちも、もはやどうにでもなれという気持ちで、その後に続く。

​ 完全に意表を突かれた浅井の補給部隊は、何の抵抗もできなかった。
 非戦闘員も多い彼らは、鬼の形相で突撃してくる利家たちを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

​ 戦いは、一方的な蹂躙に終わった。

​ 俺たちは、そこに残された大量の兵糧を焼き払い、追撃の足を少しでも遅らせることに成功したのだった。
​ ​
 ​
 数日後、命からがら京の都へたどり着いた信長様の本陣。

​ そこでは、竹中半兵衛が、各地から集まる報告を元に、各部隊の損害状況と撤退経路の確認を不眠不休で続けていた。

​「……柴田殿の隊は、損害三十」

「丹羽殿は、五十か……」

​ 苦々しい表情で筆を走らせる半兵衛の元へ、新たな報告書が届けられた。

​「……前田利家、及び呉学人の部隊より、報告にございます」

​ 半兵衛は、何気なくその報告書に目を通し……そして、凍りついた。

​「……損害、数名。そして……浅井軍の補給部隊を撃破、兵糧を焼却……?」

​ 馬鹿な、と半兵衛は地図を広げた。

​ 報告書に記された戦闘場所は、正規の退却路から大きく外れた、山中の僻地。
 なぜ、そんな場所に……

​ 半兵衛は、地図上の点と点を思考の糸で結びつけていく。

​ 正規の退却路を外すことで、朝倉の追撃本隊の予測から逃れる。
​ そして、あえて険しい獣道を進むことで、敵の斥候網を完全に掻い潜る。

​ その最終目的は……敵の追撃能力そのものを奪うための、兵站への直接攻撃。

​ 全ての駒が、盤上にはまったかのように、完璧な意味を持ち始めた。

​「まさか……」

​ 半兵衛の背筋を、冷たい汗が伝った。

​「陽動と見せかけ、敵の追撃部隊を避け、兵站を叩くのが……真の目的だったというのか……」

​ あの時、信長様は確かに彼らを「陽動」だと言った。
 だが、それは敵だけでなく、味方をも欺くための偽装だったとしたら?

​ 半兵衛の脳裏に、軍議で恥をかき、うろたえていた呉学人の姿が蘇る。

​ あの姿さえも、自らの真意を隠すための「演技」だったとでも言うのか。

​「私の策など……彼の掌の上だったとは……」

​ 竹中半兵衛は、呉学人という軍師の、その底知れない深謀遠慮に、もはや戦慄を禁じ得なかった。

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