【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
28 / 38
終章:天下統一と「誤先生」の伝説

​閑話五:暗殺者と天運の絶対防壁(物理)

しおりを挟む

​ 呉学人の旅は、遅々として進まなかった。
​ いや、あれはもはや「旅」ではない。「確認作業」だ。
 俺、前田慶次は、安全な距離を保ちながら尾行していたが、退屈すぎて三度ほどあくびで顎が外れそうになった。

​「……つまらん」

​ 木の上で酒を呷りながら、俺は眼下の道化芝居を眺める。
 学人の奴、分かれ道に来るたびに馬を止め、五人の通行人を捕まえては同じ質問を繰り返している。

​「(農夫に)もし、お尋ねします。安土はこっちで間違いないか?」

「おう」

「(商人に)もし、念のため。本当にこっちで間違いないか?」

「そうさ」

「(通りすがりの僧侶に)もし、仏に誓ってこっちか!?」

「南無……」

​ ……あいつ、本気でやってやがる。
 本能寺での道迷いが、よほど骨身にこたえたと見える。
 だが、真面目くさった呉学人なんぞ、ただの気の弱い小男だ。酒がまずくなる。

​「おい、神様! そろそろ出番じゃないのか! 例の『うっかり』の!」

​ 俺が天に向かって悪態をついた、まさにその時だった。
 ピリ、と肌が粟立った。
​ 前方、越前から近江へ抜ける峠道。あの茂みの中……いるな。

「ほう。ようやく面白くなってきたわ」

 俺は酒瓢箪さけびょうたんの栓を閉め、朱槍の柄を握り直した。


​◇

​ 茂みに潜むは、五名の刺客。

 本能寺で信長を討ち損ねた明智の残党か、あるいは北条の残党か。どちらにせよ、信長の天下を快く思わぬ者たちだ。

​「来たぞ……あれが、信長の天運の源、歩く護符『誤先生』!」

「小男とはいえ油断するな。あの男は、天の理を操る魔人……」

「奴を討てば、再び世は乱れる! 我らの怨念、思い知れ!」

​ おお、言ってる言ってる。

 あいつら、学人を「魔人」だとよ。
 見当違いも甚だしいが、ある意味では間違ってもいねえ。
​ 刺客たちが弓を絞り、峠の隘路あいろに差し掛かる学人に狙いを定める。

 絶体絶命……

 俺が飛び出すか、と腰を浮かせた、その瞬間……


​ 学人が緊張のあまり、道端のただの石ころにつまずいた。

​「ひゃっ!?」

​ (――ここから、スローモーション)

​ 学人のひょろ長い体が、宙を舞う。

 まるで稽古を積んだ忍びのように、彼は見事な(そして意図しない)前方回転を披露した。

 だが、その遠心力で、腰に下げていた大事な水筒が岩に激突。

​ カシャーン! パリンッ!

​ 甲高い音と共に、水筒は無残に砕け散った。
 利家から拝領したとかいう、立派な瓢箪ひょうたんだった。


​ (――スローモーション、終了)


​しん、と静まり返る峠道。

 学人は、受け身も取れずに転がったまま、ゆっくりと顔を上げる。
 そして、砕けた水筒の残骸と、渇いた地面に染み込んでいく「命の水(ただの井戸水)」を見つめ……

​「ああ、私はなんという失敗(ミス)を~~~~~っ!」

​ 本日一番の慟哭が、山々に響き渡った。
 彼は、刺客の存在など少しも気づかず、ただ己のうっかりを呪って絶望している。

​「水が! 利家様から拝領した、命の水がぁぁぁ!
  これでは私は、安土に着く前に干からびてしまう! 私は、道に迷う前に、渇きで死ぬのか!」

​ その時、彼の耳が、かすかな水音を捉えた。
 崖の下……谷底からだ。

​「み、水……!」

 学人は、正規の道筋(刺客が待ち構える峠道)を完全に無視。

 「水~! 水~!」と、獣のような声を上げながら、崖を転がるようにして谷底へと消えていった。

​ 後に残されたのは、弓を構えたまま硬直する刺客たち。

​「……行ったぞ」

「……ああ」

「我らの殺気、読まれたのか?」

「いや……あいつ、峠越えより、水か?」

​俺は、木の上で腹を抱えた。

「ぶっは! 歩く前にまず転ぶか! 
 そして水筒を割るか! 期待を裏切らんわ! はっはっは、ああ、酒が美味い!」


​◇


​ 刺客たちも、玄人くろうと(プロ)だった。

「魔人は水浴びで身を清めているのだ」と(あらぬ)解釈をし、先回りして次の罠を仕掛けた。
 場所は、谷底にかかる古い吊り橋。

​「今度こそ逃がさん。奴が橋の中ほどに来たら、この縄を切る」

「谷底の川霧で、奴も油断するはずだ」

​ 果たして、一刻(二時間)後。

 全身ずぶ濡れになった学人が、谷底から這い上がってきた。

「はあ、はあ……なんとか生き延びた。危うく溺れるところだった……」

​ どうやら、水を飲む際に、足を滑らせて川に落ちたらしい。
 どこまでも「うっかり」をきわめていく男だ。
​ 学人は、目の前の吊り橋にたどり着く。

「さて、この橋を渡れば、街道に戻れるはず……」

 学人は、懐から大事そうに、あの自作の看板(← 安土はこっち(のはず))を取り出した。
 それだけが、彼の心の支えだった。
​ だが、その手が、川の水で濡れて滑った。


​ (――ここから、スローモーション、再び)


​ 看板が、手からスッポ抜けた。
 
 それは、まるで意志を持っているかのように、ひらり、ひらりと舞い……

 吊り橋の板の隙間から、吸い込まれるように、谷底の深い霧の中へと、落ちていった。

​ 学人の顔が、凍りついた。

 時が、止まった。

​「あああああっ! 私の! 私の完璧な道標がぁぁぁぁぁ!」

​ 学人は、橋を渡ることを完全に忘れ、看板が落ちた方向を見つめる。
 幸い、谷底へは、橋の脇から急な獣道が続いていた。

​「看板ど~の~! 待ってくだされ~!」

​ 学人は、刺客が潜む吊り橋に見向きもせず、再び谷底へと続く獣道を泣きながら駆け下りていった。
​ 再び、取り残される刺客たち。

​「……また行ったぞ」

「……ああ」

「今度は、自ら看板を谷に投げ捨てて、飛び降りたように見えたが……」

「あれは、我らを誘う罠か?」

「いや、ただの馬鹿か?」

「馬鹿があの竹中半兵衛を超えるか! やはり魔人だ! 我らの思考を、奴は読んでいる!」


​◇


​ 刺客たちの心は、もう折れていた。

 弓矢も罠も、物理的に当たらない。

 あいつは、未来が見えている。

 我らの動きを察知し、あえて水や看板を理由に、罠を回避しているのだ。

​「だめだ……勝てん。あんな人外、相手にできるか!」

「撤退だ! 生きているのが不思議だ!」

​ 彼らが踵を返そうとした、その背後。
 俺は、音もなく木から飛び降りた。

​「おう、お前らみたいな虫けらじゃ、先生の『天運(うっかり)』には傷一つ付けられんぜ」

「なっ!? ま、前田慶次! なぜここに!」

「だが、わしの退屈の種にはなってくれた。礼に、一瞬で地獄へ送ってやるわ」

​ 朱槍が一閃する。

「ぎゃああああ!」

 悲鳴は、谷底に落ちていく学人の絶叫に、上手いことかき消された。


​◇

​ さて、当の学人先生は、というと……三刻(六時間)後。

 日が暮れかけた頃、泥と木の葉まみれになって、ついに谷底から這い上がってきた。

 その手には、奇跡的に回収した少し折れた看板が、固く握りしめられていた。

​「はあ、はあ……危なかった。この看板さえあれば、もう迷わな……」

​ 学人は、満足げに顔を上げた。
 
 そして、気づいた。

​ そこは、東西南北まったく不明の、ただの森のど真ん中だった。
 正規の街道は、もはや影も形もない。

​「……あれ?」

​ 俺は、遥か頭上の木の枝で、腹筋を痙攣させながら酒を呷った。

「はっはっは! やったぞ、あの男! ついにやり遂げた!

 これぞ『完全なる迷子』の爆誕よ!

 さて、神に愛された迷子の先生は、明日、どっちへ行く?」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔
歴史・時代
刀より強い? 腹が減っては戦はできぬ! 戦国乱世、食に命をかける若武者の兵糧奮闘記、開幕! 血と硝煙の戦国乱世。一大大名家が歴史を変える大いくさを前に、軍全体がかつてない危機に喘いでいた。それは、敵の奇襲でも、寡兵でもない――輸送路の遮断による、避けようのない「飢餓」だった! 武功に血道を上げる武士たちの中で、ひっそりと、だが確かに異彩を放つ若者が一人。伊吹千兵衛。刀の腕は今ひとつだが、「食」の道を探求し、戦場の兵糧に並々ならぬ情熱をかける兵糧奉行補佐だ。絶望的な食糧不足、日に日に失われる兵士たちの士気。この危機に、千兵衛は立ち上がる。 彼の武器は、限られた、乏しい食材から、想像もつかない「いくさ飯」を生み出す驚きの創意工夫! いつもの硬いだけの干飯は、野草と胡麻を加え、香ばしく焼き上げた「魂を焦がす焼きおにぎり」に。 そして、戦場の重苦しい空気を忘れさせる、兵士たちの「ささやかな甘味」まで――。 『乏しき中にこそ、美味は宿る。これぞ、いくさ飯。』 千兵衛が心を込めて作る一品一品は、単なる食事ではない。 それは、飢えと疲労に倒れかけた兵士たちの失われた力となり、荒んだ心を癒やす温もりとなり、そして明日を信じる希望となるのだ。 彼の地道な、しかし確かな仕事が、戦場の片隅で、確実に戦の行方に影響を与えていく。 読めばきっとお腹が空く、創意工夫あふれる戦国グルメの数々。次にどんな驚きの「いくさ飯」が生まれるのか? それが兵士たちを、そしてこの大戦をどう動かすのか? これは、「あの時代の名脇役」が、食という最も人間臭く、最も根源的な力で、乾坤一擲の大戦に挑む物語。 歴史の裏側で紡がれる、もう一つの、心熱くなる戦場ドラマ。 腹ペコを連れて、戦国の陣中へ――いざ、参らん!

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...