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「ソフィアお嬢様、こちらにテオドール公爵からの書簡が届いております」
午後のひととき、執事のウィルフレッドが落ち着いた声で私を呼び出した。伯爵家のリビングルームで手渡された書簡には、公爵家の印がはっきりと刻まれている。
「公爵家から……」
緊張しながら封を切ると、中には短いながらも意味深な文面が記されていた。
「近々、正式な場を設けたいので都合をお知らせ願いたい。改めて婚約の件について話し合いたい――」
それは、私とライネルの婚約に関して“再接触”を希望する内容。今までも何度か動きがあったが、ライネル本人が姿を現さなかったり、曖昧な返事で終わったりしていた。しかし、今回は公爵家当主であるテオドール公爵の名義だ。これはいよいよ本格的に婚約破棄を進めようとしているのかもしれない。
「どうする、ソフィア?」
知らせを受けた父が眉間に皺を寄せる。婚約の問題は家同士の話になるから、当然ながら父の一存が重要だ。しかし、私は深呼吸をしてから意見をはっきりと述べた。
「私は、できれば避けたい。でも、このまま逃げ続けるわけにもいきません。ライネル様に会えないまま破棄を宣言されるのは絶対に嫌です」
父は少し黙り込んだが、やがて重々しく頷いた。
「わかった。おまえの意思が固いなら、公爵家の面会を受けて立とう。ただし、公爵やライネル殿がどれほどの条件を提示してくるかはわからんぞ。もしかしたら、耳を疑うような要求をされるかもしれない」
「はい、覚悟はしています」
それでも、ここで話し合いを回避していては、ずるずると相手の思うままになってしまう。ライネルの真意も探れぬまま、私一人が“捨てられた可哀想な令嬢”として扱われるのは御免だ。
そうして数日後、私は父とともに公爵家を訪れた。重厚な門をくぐると、広大な庭園と厳かなたたずまいの屋敷が目に入ってくる。以前はしょっちゅう足を運んでいた場所なのに、婚約破棄を切り出されてからは初めて来ることになる。
案内された応接室で待っていると、やがてテオドール公爵が入ってきた。威圧感のある体格と鋭い眼差し。政治の世界でも一目置かれる存在だと聞くが、その雰囲気はさすがに圧倒的だ。
「ご足労いただき感謝する。エヴァンス伯爵、そしてソフィア嬢」
公爵が深く礼をしてからソファに腰を下ろす。彼の表情はどこか硬く、家臣らしき男性がそばにつき従っている。
「早速だが、我が家としてはライネルとソフィア嬢の婚約を解消する方向で考えている。理由は……まあ、伯爵家にも伝えている通りだが、両家の将来を踏まえたうえでの選択だ」
テオドール公爵は淡々と話す。その背景にリリーナの存在があることは明白だが、彼女については一切言及しない。父ギルバートが口を開く前に、私は思い切って質問した。
「ライネル様はどうなさるのですか。今日はお姿がないようですが」
公爵は一瞬だけ眉をひそめるが、すぐに冷静な表情に戻る。
「ライネルは多忙でね。代わりに私が話をさせてもらう。……彼も婚約破棄には賛同している」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。あの穏やかな笑顔で私を迎えてくれたライネルが、本当に破棄を望んでいるのか。それとも、公爵家の圧力で言わされているだけなのか。私には判断がつかない。
交渉の場は緊迫した空気のまま進んだ。公爵側は“多額の手切れ金”を支払う代わりに、伯爵家には一切の異議申し立てを認めないという条件を提示してきた。父は目を見開き、一度声を荒げる。
「馬鹿な。今まで両家のためにと尽くしてきたこの娘を、ただ金で黙らせようというのか!」
「あくまで、ソフィア嬢の名誉を損なわないための措置だよ。金銭は一種の誠意だ。これ以上、無用な噂が広まらないようにするのも、双方にとって得策ではないかね」
テオドール公爵の言い分はもっともらしいが、私にはリリーナの姿が脳裏をよぎる。やはり彼女が裏で糸を引いているのだろうか。そのことを問い詰めたい気持ちでいっぱいなのに、うかつに口にするわけにはいかない。
「私は……」
何とか声を振り絞ろうとしたとき、遠くから足音が近づいてきた。廊下を小走りするような音だ。すると、扉が乱暴に開け放たれ、ライネル本人が息を切らしながら姿を現す。
「待ってください、父上。ソフィアとの婚約を、こんな形で終わらせるなんて……」
ライネルは苦しそうに言葉を継ぎ、私のほうへ向き直る。
「ソフィア、ごめん。話したいことがあるんだ。……いや、話さなきゃならないことがある」
その瞳には、強い決意が宿っているように見えた。私がようやく望んでいた“直接の対話”が、ここで叶おうとしている。テオドール公爵が「ライネル」と低く諫めるが、息子は引き下がろうとしない。
「私も、このまま黙っているつもりはない。ソフィア、少し時間をくれないか。誤解されたままで終わるなんて、絶対に嫌だ」
ライネルの強い視線を受けながら、私はこくりと頷いた。胸が締め付けられるような不安と期待が入り混じる。公爵家に動かされるままではなく、ライネル自身の言葉をようやく聞ける――その意味はあまりにも大きい。
「……はい。私も、あなたの本音が聞きたいです」
そうして、唐突にも動き出した再接触の場は、次なる激変を予感させながら幕を閉じた。
午後のひととき、執事のウィルフレッドが落ち着いた声で私を呼び出した。伯爵家のリビングルームで手渡された書簡には、公爵家の印がはっきりと刻まれている。
「公爵家から……」
緊張しながら封を切ると、中には短いながらも意味深な文面が記されていた。
「近々、正式な場を設けたいので都合をお知らせ願いたい。改めて婚約の件について話し合いたい――」
それは、私とライネルの婚約に関して“再接触”を希望する内容。今までも何度か動きがあったが、ライネル本人が姿を現さなかったり、曖昧な返事で終わったりしていた。しかし、今回は公爵家当主であるテオドール公爵の名義だ。これはいよいよ本格的に婚約破棄を進めようとしているのかもしれない。
「どうする、ソフィア?」
知らせを受けた父が眉間に皺を寄せる。婚約の問題は家同士の話になるから、当然ながら父の一存が重要だ。しかし、私は深呼吸をしてから意見をはっきりと述べた。
「私は、できれば避けたい。でも、このまま逃げ続けるわけにもいきません。ライネル様に会えないまま破棄を宣言されるのは絶対に嫌です」
父は少し黙り込んだが、やがて重々しく頷いた。
「わかった。おまえの意思が固いなら、公爵家の面会を受けて立とう。ただし、公爵やライネル殿がどれほどの条件を提示してくるかはわからんぞ。もしかしたら、耳を疑うような要求をされるかもしれない」
「はい、覚悟はしています」
それでも、ここで話し合いを回避していては、ずるずると相手の思うままになってしまう。ライネルの真意も探れぬまま、私一人が“捨てられた可哀想な令嬢”として扱われるのは御免だ。
そうして数日後、私は父とともに公爵家を訪れた。重厚な門をくぐると、広大な庭園と厳かなたたずまいの屋敷が目に入ってくる。以前はしょっちゅう足を運んでいた場所なのに、婚約破棄を切り出されてからは初めて来ることになる。
案内された応接室で待っていると、やがてテオドール公爵が入ってきた。威圧感のある体格と鋭い眼差し。政治の世界でも一目置かれる存在だと聞くが、その雰囲気はさすがに圧倒的だ。
「ご足労いただき感謝する。エヴァンス伯爵、そしてソフィア嬢」
公爵が深く礼をしてからソファに腰を下ろす。彼の表情はどこか硬く、家臣らしき男性がそばにつき従っている。
「早速だが、我が家としてはライネルとソフィア嬢の婚約を解消する方向で考えている。理由は……まあ、伯爵家にも伝えている通りだが、両家の将来を踏まえたうえでの選択だ」
テオドール公爵は淡々と話す。その背景にリリーナの存在があることは明白だが、彼女については一切言及しない。父ギルバートが口を開く前に、私は思い切って質問した。
「ライネル様はどうなさるのですか。今日はお姿がないようですが」
公爵は一瞬だけ眉をひそめるが、すぐに冷静な表情に戻る。
「ライネルは多忙でね。代わりに私が話をさせてもらう。……彼も婚約破棄には賛同している」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。あの穏やかな笑顔で私を迎えてくれたライネルが、本当に破棄を望んでいるのか。それとも、公爵家の圧力で言わされているだけなのか。私には判断がつかない。
交渉の場は緊迫した空気のまま進んだ。公爵側は“多額の手切れ金”を支払う代わりに、伯爵家には一切の異議申し立てを認めないという条件を提示してきた。父は目を見開き、一度声を荒げる。
「馬鹿な。今まで両家のためにと尽くしてきたこの娘を、ただ金で黙らせようというのか!」
「あくまで、ソフィア嬢の名誉を損なわないための措置だよ。金銭は一種の誠意だ。これ以上、無用な噂が広まらないようにするのも、双方にとって得策ではないかね」
テオドール公爵の言い分はもっともらしいが、私にはリリーナの姿が脳裏をよぎる。やはり彼女が裏で糸を引いているのだろうか。そのことを問い詰めたい気持ちでいっぱいなのに、うかつに口にするわけにはいかない。
「私は……」
何とか声を振り絞ろうとしたとき、遠くから足音が近づいてきた。廊下を小走りするような音だ。すると、扉が乱暴に開け放たれ、ライネル本人が息を切らしながら姿を現す。
「待ってください、父上。ソフィアとの婚約を、こんな形で終わらせるなんて……」
ライネルは苦しそうに言葉を継ぎ、私のほうへ向き直る。
「ソフィア、ごめん。話したいことがあるんだ。……いや、話さなきゃならないことがある」
その瞳には、強い決意が宿っているように見えた。私がようやく望んでいた“直接の対話”が、ここで叶おうとしている。テオドール公爵が「ライネル」と低く諫めるが、息子は引き下がろうとしない。
「私も、このまま黙っているつもりはない。ソフィア、少し時間をくれないか。誤解されたままで終わるなんて、絶対に嫌だ」
ライネルの強い視線を受けながら、私はこくりと頷いた。胸が締め付けられるような不安と期待が入り混じる。公爵家に動かされるままではなく、ライネル自身の言葉をようやく聞ける――その意味はあまりにも大きい。
「……はい。私も、あなたの本音が聞きたいです」
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