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15. 母の"重要な話"
しおりを挟む突然の母の登場に焦ったのは父だった。
鬼の居ぬ間にと、今まさに母に聞かせられない話をしていただけあって、その動揺は計り知れない。
「シンシア!突然帰ってくるとは、どういうことだ⁉︎」
泡を食ったような父の言葉に、母はゆったりと首を傾げてみせた。
「あら?貴方の妻である侯爵夫人の私が家に帰るときに、いちいち許可が必要なのですか?」
「それは、その⋯⋯準備というものがあるだろう!」
「思い出しましたわ。確か二日ほど前にお出ししたお手紙に、本日の夕食どきに帰ることを書いておりました」
母は、わざとらしく手を打ち鳴らして、笑う。
──しかし私には、その目は笑っていないように見えた。
「使者の者に必ずお目通しくださいと言付けましたもの。当然──ご覧になっておりますよね?」
見る見るうちに父の顔が青くなっていく。
その手紙はおそらく、今も手付かずのまま執務室の机の上で、その他の重要書類等と共に埋もれているはずだ。
「あ⋯⋯あぁ、思い出した。そういえば、そんな手紙を見たな。いや、忙しかったから忘れていた」
「やはりそうだったのですね!姻家となった公爵家の一大事ですのに、こちらからのお手紙にまともにお返事を書いてくださったのは、最初の数度だけでしたもの。よっぽどお忙しいのでしょうとお話ししておりましたわ」
顔に貼り付けた表情こそ笑顔だが、言葉は皮肉の極みで容赦がない。
父は、それはまあ、ああうん、そうだな、などと要領を得ないことを言いながら、激しく震える手で席を勧めた。
「た、立ち話もなんだ、座ろう。そなたが帰ってくると思い、馳走を用意させたのだ」
"お祝い"とやらはどこにいったのか。
無責任にもそんなことを宣う父に、メリルが目を剥いた。
「お義父さま、何を⋯⋯!」
「メリル、はしたないだろう。早く座りなさい」
抗議の声を上げたメリルを素早く制する。
突然手のひらを返した父に、メリルが驚愕の眼差しを向けた。
ここまで来ると滑稽を通り過ぎてもはや哀れだと思いながら、父にそっと伝える。
「お父様、お料理の席数と人数が合いませんわ」
「あら、本当ね」
おかしいわねふふふと笑う母に、父は倒れそうになりながらも使用人たちを睨んだ。
「貴様ら、晩餐の人数を間違えるとは何事だ!」
「構いませんわ、トビアス様。お食事よりも大切で重要なお話がありますもの。──フィリップ」
清々しいまでの責任転嫁にも構うことなく、母は婉然と笑う。
静かに母の傍に控えていた忠実なる家令は、はいと返事をすると片手を上げ、他の使用人たちに当主の席の前に置かれたテーブルセッティングを片付けさせた。
そうやって空いたスペースに、3枚の紙─いずれも高級紙であるとすぐに見て分かる─をうやうやしく並べる。
「さあトビアス様、お掛けになってください。そして、まずはこの間のお手紙でお話ししたことを確認いたしましょう」
手紙を読んでいないどころか触れてもいない父は、当然だが事態を飲み込めていない。
それでも操られたように当主の席に着き、示された一番右端の紙に視線を落とした。
──父は、気づいているのだろうか。
母が、父のことを"旦那様"ではなく、"トビアス様"─父の名前─で呼び始めていることに。
父は震えの治まってきた手で、卓上に置かれた紙を持った。
そうやってしばらく無言で書かれたことを読んでいたのだが──突然、手にした紙をビリビリに破り出した。
「なんだ、これは!──っ、シンシア!お前は私を馬鹿にしているのか!」
「馬鹿になどしておりませんわ。真面目な要求です」
母は父の剣幕にも一切動じることなく言い切った。
紙を覗ける位置になく、何が書いてあるのかが分からないメリルとトリスタンは、ただ表情を固くして状況を見守っている。
それでもその表情から、今から大変なことが起こると、二人ともが感じているのだと読み取れた。
「その紙に認めた通りでございますわ。
──私シンシア・フィングレイは、その紙に書かれた条件をもって、汝トビアス・フィングレイと離縁いたします」
"月の女神"と讃えられた母が、その呼び名に相応しい冴え冴えと冷たい表情で言い放った。
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