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23. 元婚約者と 〜約束の報告
しおりを挟む──事の顛末を語り終えると、しばらく沈黙が下りた。
「これは、予想以上に──大変だったね、セシリア」
喋り通しで渇いた喉を冷めかけの紅茶で潤していると、彼が労いの言葉をかけてくれる。
私は小さく苦笑を返した。
「まさか、ここまで愚か者だらけだったとは思わなかったから⋯⋯疲れたわ、本当に」
大きくため息をつけば、彼──マルクスも苦笑を返す。
──あの日から、もう一週間が経っていた。
母は滞りなく離縁の手続きを終え、公的にもフィングレイ侯爵夫人から解放された。
その後は私を連れて実家である公爵家に戻ったため、それ以降はプライセル姓を名乗っている。
これはまさしく出戻りになるのだが、家令のフィリップ他フィングレイ侯爵家の主要な使用人がついて来たため、凱旋のような様相を呈してしまったのは、もはや笑い話である。
侯爵家を見限った使用人たちだが、希望があれば公爵家に受け入れるとは言ったものの、想像以上の人数に膨らんだため、さすがに全員を雇い入れることはできず、ほとんどは他のお家─もちろん評判の良い家だ─に紹介することになった。
中には仕える家の家格が下がり、給金等の待遇が悪くなるであろう者もいたが、侯爵家に残るよりは遥かにましだと皆わかっているのだろう、感謝しかされなかった。
この件でフィングレイ侯爵家は、驚くことに実に半数以上の使用人を失ったこととなった。
しかも、半数弱が残ったと言えど、時勢を見極められず、なんとなくで残った者たちなのだ。
加えて、─いくら無能でもいないよりはいた方がいいだろう─主たる侯爵と、その子息までがしばらくは不在なのである。
家令も執事長も侍女長もいなくなったのに、そんな彼ら彼女らだけで、まともに屋敷を回せるとは思えない。
そんな彼らの行く末が予期できたため、罪のない使用人たちに辛い思いをさせるのは可哀想だと、侯爵家の屋敷から引き上げる際に、困ったらプライセル公爵家に来なさいと、母と二人、会う者会う者に言って聞かせてはおいたのだが。
この一週間でも次々と公爵家を訪ねる者たちがあったので、あちらの屋敷はこれからも人が減り続けるだろうと思われる。
そして──変わったことは、もう一つ。
苦笑したマルクスは、しかし、すぐにばつの悪そうな顔をした。
「失礼、つい癖で気安い口をきいてしまいました。これからはセシリア嬢とお呼びした方がよろしいでしょうか」
突然の丁寧な口調と改まった提案に、思わず吹き出してしまった。
「どうしたの?いきなりそんな、他人行儀に」
「いえ、私たちはもう婚約関係にはありませんので。公爵家の跡取りになった貴女に今まで通りに接するのは、さすがに失礼かと」
──そう。
私とマルクスの婚約は、本日、解消された。
セシリア・プライセルとなった私は、幼い頃に提案されていたように、プライセル公爵家の跡取りとなった。
それに伴い、同じく侯爵家の跡取りであったマルクスとの婚約を解消したのだ。
もちろん、公爵家にはまた別の養子でも取ってもらい、私はそのままマルクスの侯爵家に嫁ぐという方法──20年前の断罪劇から続く、フィングレイとプライセルの因縁から逃れるという手もあった。
だが、ほんの一週間前に一時決着を迎えたとはいえ、20年を経た今も悪影響を振り撒くことがある因縁に、これ以上無関係な者を巻き込んでもいいものか──そう考えた結果、私は自分がプライセル公爵家の跡取りとなることを選んだ。
これなら婿養子を取ることになろうとも、悪評はすべて私が受け止め、婿になる男性は因縁に巻き込まれた被害者という構図になるだろうと思ったから。
母と祖父の公爵は、何も言わず、私の決定を尊重してくれた。
実際は、何も言えなかったのだろう。言える立場にないと思ったのかもしれない。
とはいえ、もともと婚約を結んでいたマルクス方にしてみれば、予定していた婚姻の期日が差し迫っているのに、相手方の都合だけで一方的に解消をされることとなったのだ。
そのため、相応の慰謝料の支払いを申し出たのだが、事情が事情だからとマルクス方は辞退してくれた。
今日は諸々の書類の記入や取り交わしのために、マルクスたちが公爵家にわざわざ足労してくれていたのだ。
今はその話を終え、前の夜会に交わした約束─事の顛末を話すという─のために、マルクスと二人、天気が良いからと庭園に出てきていた。
穏やかな風の吹く東屋で茶を喫しながら話しているのだが、内容が内容だけにさすがに人払いをしてある。
それでも、婚約者でなくなった未婚の男女を二人きりにはできないと、すべての事情を知る侯爵家の元家令が傍近くに侍り、茶などあれこれの世話を焼いてくれている。
「今まで通りでいいわ。貴方がそうだと、こちらも調子が狂ってしまうし⋯⋯」
「本当?それなら失礼して甘えてしまおうかな。こちらの話し方の方が僕も楽だし」
「ええ、是非そうしてちょうだい。⋯⋯それと⋯⋯」
少し考え躊躇ったが、先を促すマルクスの視線を受けて、思い切って続けた。
「その⋯⋯マルクスさえよければ、これからはお友達としてお付き合いをしたいと思っているの」
駄目かしら、と上目で窺えば、彼は目を見張って私を見ていた。
「いや、僕としてはたいへん嬉しい提案なんだけど⋯⋯その、いいのかな?僕なんかと親しくしちゃって。
だって、君──もうお婿さんがいるんでしょう?」
マルクスの言葉に、危うくカップを引っくり返すところだった。
「違うわ!まだ候補ってだけで、婚約も結んでいないし⋯⋯そもそも、会ってもいないもの!」
「それは失礼。⋯⋯ええと、ちなみに誰なんだい?」
誤魔化すようにずれたカップを直しながら、問いに答える。
「ラザル子爵家の三男でいらっしゃる、エリアーシュ様よ」
「⋯⋯うーん、聞いてはみたものの、さすがに子爵家まではあまり縁がないから⋯⋯──ん?ラザル?」
知らないと言いかけたらしいマルクスが、首を傾げる。
どこかで聞いたようなと顎に手を当て──やがて手を打った。
「あぁ!フィングレイ侯爵を捕まえに来た、騎士隊長!──え?子爵家を婿養子にするの?」
言ってから、その発言の失礼さに気づいたのだろう、マルクスはすぐさま謝った。
とは言うものの、確かに公爵家に子爵家の婿養子は釣り合いが取れないため、おかしいのは間違いないのだ。
それでも、そこには理由がある。
「侯爵を捕まえに来た、お父君のアルフレート・ラザル様が、祖父の甥なのよ。確か──祖父の二番目の弟の、次男だったかしら?それで、武家であるラザル子爵家に婿入りしたらしいの」
公爵家の親戚筋と言えど、三男の次男ともなれば、元々の家格もあまり関係なくなる。
それでもアルフレートという人物は、武家の名門であるプライセル公爵家の血をよく受け継いでいたのか、騎士としてたいそう優秀だった。
それは、子爵という家格では破格の第一騎士隊長にまで出世したことが示している。
そして、祖父はそんな彼をいたく気に入っており、たいそう高く買っていた。
「祖父としては、何としてもプライセルの血筋から再び騎士団長を出したいのよ。それに最も近いところにいるのがラザル卿なの」
そもそもプライセル公爵家は、臣籍に下って騎士団を率いた、昔の王弟が祖だという。
サイラスの不祥事で、騎士団長職を退いた祖父としては、そのような家に生まれた者としての負い目があるのだろう。
だから、何としても血筋の者に団長職を取り戻したがっているのだ。
「でも、彼はとても優秀な方なのに、どうしても家格が障害になってしまっているのよね」
ラザル卿は、本来は騎士団長まで昇り詰めてしかるべきなのだが、子爵家という家格が足を引っ張ってしまっていた。
故に彼は、『騎士団長に最も近くて遠い者』などと揶揄されているらしい。
「だから、彼の息子が公爵家に養子に入れば、強力な後ろ盾になって騎士団長まで押し上げられると思っているのよ」
サイラスの引責で辞任したものの、祖父は騎士団内でたいそう慕われていたらしい。当時は祖父を惜しむ声も大きかったらしいが、祖父はけじめをつけるためと引かなかった。
だから、騎士団内の重鎮には祖父信者とも呼ぶべき御仁が今もなおたくさんいるらしい。
それは再三のサイラスの愚行に、正式な処罰が下る前に八つ裂きにする者が出るのではないかと、そんな心配から勾留されたあの男の警備を増やさなければならないほどだった。
「⋯⋯そういえば、もともと公爵家に養子に入る予定だったのも⋯⋯」
「ええ。ラザル卿の次男だったわ」
ラザル卿は三男一女をもうけており、男児は3人とも騎士を志していた。
長男は子爵家を継ぐことが決まっていたため、公爵家の養子の話が出たときに、彼は次男を推薦した。
次男は確か私と同い年で、この国での成人である18歳を迎えたときに、公爵家に養子入りする予定だったのだ。
しかし──彼は18歳を迎える前に亡くなってしまった。
訓練中の落馬事故だったらしいが、そのことに誰よりも納得していないのは、ラザル卿だった。
あの息子が、よく調教された軍馬を御せぬはずがないのに。その死には何者かの悪意が潜んでいるのではないか、と。
だが、そうやって声を上げたところで、騎士団にまともに取り合う者はいなかったという。
第三者から見たラザル卿は、息子の突然の不幸に現実を直視できない父親そのものだ。
しかもその息子は、公爵家に養子入りして自身の地盤固めになってくれる、大事な大事な息子だったのだ。なおさら斜めに見られた。
むしろ、大出世を果たしたラザル卿を面白く思わぬ者などは、再調査を求めるラザル卿に対し、職権乱用するつもりかと騒ぎ立てたほどだという。
「だからこの計画の際には、ラザル卿にもご協力をお願いしたのよ」
母の従兄であるために、もともと繋がりはある。
そして、プライセル公爵家で20年前に起きた騒動を知っていた彼は、自らの息子の死に、真っ先にサイラスの関与を疑っていた。
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