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1.城を出ていった悪妃
聞いてた話と違います
しおりを挟む扉がノックされる。
入室してきたのは、私の夫であり、この国の若き国王、ブライアンだった。
私は、書類を確認する手を止め、そちらを向いた。
「……陛下、お待ちしておりましたわ」
「何かな。僕は忙しいんだけど?」
ええ、そうね。
あなたは愛人と戯れることに全力を注いでいる方だものね。
彼の嫌味には付き合わず、私は手に持っていた書類を束ねて、ラウンドテーブルの上に軽く置き、角を揃えた。
「本日は大事なお話があり、お呼びいたしました」
もっとも、あなた、約束の時間から二十分近く遅刻しているのだけどね??
公務の書類仕事のほとんどは私が決裁している。陛下の仕事といえば、私がまとめた書類に国璽を押すことだけ。
(後は──)
後は、そう。
愛人のご機嫌伺いに忙しい陛下は、あまり城にいらっしゃらない。
(……聞いてた話と違うのだけど!?)
私は、手に持っていた書類を、陛下にも見せるように広げた。
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」
「…………は?」
彼は文字通り、雲から落ちたような顔になった。
それに、私はにっこりと笑みを浮かべて返す。
「貴族院には既に届けを出しています。あとは、陛下のお許しがいただければと」
「待て。何勝手なことをしている?」
「勝手、ですか?」
私は、首を傾げた。
母譲りの黒髪が、するりと肩に流れる。
陛下がお嫌いな黒髪。
愛人に馬鹿にされたこの髪。
けれど、この髪は私にとって、クラウゼニッツァー公爵家を象徴するものであり、私が大切にしているものだった。
(愛人……ベロニカに馬鹿にされた時点で見切りをつければよかったんだわ)
なぜ、長年(というか三年)も我慢してしまったのだろう。それは、私がクラウゼニッツァー公爵家の娘だから。そして、私はこの国レヴィアタン王国の王妃だから。
その責任感から、耐え忍びことを選んだ。
それが、最善だと信じて。
そんな過去の私の努力と忍耐を無駄だと笑い飛ばすことはしないけれど、それでも、もっと早くに決断していても良かったのではないか、と思うわけである。
前世の──つまり、この国では無い別の世界での記憶と知識を得た、今の私は。
陛下は、私の反応に冗談では無いと思ったのだろう。
本腰を入れて話すために、私の対面のソファに腰掛けると、前のめりになった。
「国王夫妻が離縁など聞いたことがない。お前は、レヴィアタン王国の歴史に泥を塗る気か?」
「ご自身に過失があるとは思いませんの?」
貴族院で認められる離縁は二通り。
有名なので誰しもが知るところだけど、まず一つ目は、不妊。貴族は世継ぎを求められるものなので、子が出来なかったら離縁が認められる。
そして二つ目は。
「白い結婚。陛下、私たちは結婚して先日、三年目を迎えましたが未だ初夜は完遂されておりません。陛下は、『愛人に誠実でありたい』と仰いましたね。世継ぎは彼女の子を……とお考えとのことですので、それなら私は不要かと思うのですが、いかがでしょうか?」
「何を今更……」
陛下は、困惑したように呆れて言った。
そう、これは結婚した翌日に、彼から言われたことである。
『僕には愛しているひとがいる。訳あって彼女を公の身分にすることはできないが、世継ぎは彼女の子を、と考えている』
……と。
そう言われた時の私の衝撃を、きっとあなたは知らないでしょうね。
だって、事前に聞いていた話と全く違ったのだから。
私は、過去を懐かしむような声で、彼との思い出を語った。
「私と結婚したら、素敵な家庭を築きたいと仰ったのは陛下かと思いますが」
「……ベロニカの子を愛せないと?」
「ご冗談を。そういうことを言っているのではありませんわ」
私は鼻で笑い飛ばした。
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