11 / 48
1.城を出ていった悪妃
コースからドロップアウト
しおりを挟む
王太后陛下は、昔を懐かしむようにしながら言った。
「さっきの……ベロニカの言葉は事実よ。私は夫に顧みられることはなかった。それを、あなたに重ね合わせていた」
「王太后陛下……」
王太后陛下の夫、つまり前々国王陛下。
彼は色を好む豪胆な性格で、愛人を何人も抱えていたという。
(前々国王陛下は早逝されたけど……。愛人から移された性病が原因ではないか、というのは有名な話なのよね……)
沈黙していると、王太后陛下が苦笑した。
「あなたと私は、別の人間なのにね。だけど、ブライアンにいいようにされるあなたを見ていると……まるで過去の私を見ているようで、腹が立って仕方なかったのよ」
彼女は、肩を竦め、大きく息を吐いて、言葉を続けた。
「だから、あなたたちの諍いにも極力関わらなかったわ。私の時は、誰も助けてくれなかったもの。あなただけ助けてくれるひとがいるのは狡いじゃない……そんなふうに思っていたわ」
何と、言葉を返せばいいか分からなかった。
『お辛かったですね』?
『お気持ち、よく分かります』?
『そう思うのも、仕方ないですよ』?
どれも、その場しのぎの言葉に聞こえるし、どれも、正解とは思えなかった。
上辺だけの慰めなど、彼女も求めていないだろう。
彼女は苦笑すると、肩を竦めてみせた。
「結局のところ、私は未だ、あの時のままなのでしょうね。あの時の感情に囚われている。どうして私だけ、という呪いにね」
「…………」
「だからあなたを羨ましいと思ったの。眩しい、ともね。……私にも、あなたのように髪をバッサリ切ってしまうくらいの気概があれば良かったのだけど」
「……私は、貴族として、妃として、完璧を演じられませんでした。だから、途中離脱するだけです。コースからドロップアウト。……一番心が軽くなる手段かと思いますが、責任感が欠如している、と言われたら確かにその通りです」
私は苦笑して答えた。
私は、私の過失を一番理解している。
私は王妃として、パーフェクトではなかった。
目の前のことに囚われて周りが見えなくなっていたし、何もかも後手に回ってしまっていた。
つまり、私は王妃という役割を演じるには力不足だった、ということだろう。
私の言葉に、王太后陛下は微笑んだ。
眩しいものを見るような──つい先程。
私が向日葵を見たような目で。
「……ドロップアウトするのも、なかなか勇気のいることだと思うわ。特に、あなたや私のような立場の人間がするにはね」
「お褒めの言葉と受け取らせていただきます」
「ええ。そうしてちょうだい」
王太后陛下はそういった後、ふと思い出したように私に尋ねた。
「……そうだわ。猫は元気?あなたがベロニカから譲り受けた」
先程ベロニカが返して返してと騒いでいた猫たちだ。
王太后陛下の言葉に、私は笑みを浮かべて返す。
「ええ、元気ですわ。クラウゼニッツァー公爵邸で可愛がられているようです。特に、兄に懐いているようで」
「そう。元気ならいいの」
彼女の言葉に、もしかしたら彼女も彼女なりに、猫たちを心配していたのかもしれない、と気が付いた。
私はふたたび、ロイヤルガーデンに視線を移す。
(……ここは、私が前世の記憶を取り戻した場所)
ここでベロニカと陛下は愛を語らっていた。
去年の十月。
コスモスの花が見頃の季節に──陛下が、私のために植えた、と仰ったコスモス花壇。
そこで彼は、彼女と──。
「…………」
少し思い出して、苦笑する。
あの時の胸の痛みは、きっと、私が大事にしていた、大事に思っていたコスモスの花壇の前で、行われたことだからだ。
愛を語らう男女の姿に、私は言葉を失った。
ちょうどその頃は、ベロニカがあちこちから拾ってきた猫がロイヤルガーデンに居着いてしまい、困っていた時だった。
外は危険が多い。猫を飼うなら室内に入れた方がいい。ベロニカは猫たちを拾ってくるとロイヤルガーデンに放つだけ放って、あとは放置だった。
餌を求めた猫たちはロイヤルガーデンを荒らすようになり、粗相もするようになった。
だから、私は侍女や騎士と手分けして猫を一匹一匹捕獲して回っていたのだけど。
最後の一匹──茶トラ猫のウィルを捕まえた、その時。
少し離れたところから、ひとの声が聞こえてくることに気がついた。
「さっきの……ベロニカの言葉は事実よ。私は夫に顧みられることはなかった。それを、あなたに重ね合わせていた」
「王太后陛下……」
王太后陛下の夫、つまり前々国王陛下。
彼は色を好む豪胆な性格で、愛人を何人も抱えていたという。
(前々国王陛下は早逝されたけど……。愛人から移された性病が原因ではないか、というのは有名な話なのよね……)
沈黙していると、王太后陛下が苦笑した。
「あなたと私は、別の人間なのにね。だけど、ブライアンにいいようにされるあなたを見ていると……まるで過去の私を見ているようで、腹が立って仕方なかったのよ」
彼女は、肩を竦め、大きく息を吐いて、言葉を続けた。
「だから、あなたたちの諍いにも極力関わらなかったわ。私の時は、誰も助けてくれなかったもの。あなただけ助けてくれるひとがいるのは狡いじゃない……そんなふうに思っていたわ」
何と、言葉を返せばいいか分からなかった。
『お辛かったですね』?
『お気持ち、よく分かります』?
『そう思うのも、仕方ないですよ』?
どれも、その場しのぎの言葉に聞こえるし、どれも、正解とは思えなかった。
上辺だけの慰めなど、彼女も求めていないだろう。
彼女は苦笑すると、肩を竦めてみせた。
「結局のところ、私は未だ、あの時のままなのでしょうね。あの時の感情に囚われている。どうして私だけ、という呪いにね」
「…………」
「だからあなたを羨ましいと思ったの。眩しい、ともね。……私にも、あなたのように髪をバッサリ切ってしまうくらいの気概があれば良かったのだけど」
「……私は、貴族として、妃として、完璧を演じられませんでした。だから、途中離脱するだけです。コースからドロップアウト。……一番心が軽くなる手段かと思いますが、責任感が欠如している、と言われたら確かにその通りです」
私は苦笑して答えた。
私は、私の過失を一番理解している。
私は王妃として、パーフェクトではなかった。
目の前のことに囚われて周りが見えなくなっていたし、何もかも後手に回ってしまっていた。
つまり、私は王妃という役割を演じるには力不足だった、ということだろう。
私の言葉に、王太后陛下は微笑んだ。
眩しいものを見るような──つい先程。
私が向日葵を見たような目で。
「……ドロップアウトするのも、なかなか勇気のいることだと思うわ。特に、あなたや私のような立場の人間がするにはね」
「お褒めの言葉と受け取らせていただきます」
「ええ。そうしてちょうだい」
王太后陛下はそういった後、ふと思い出したように私に尋ねた。
「……そうだわ。猫は元気?あなたがベロニカから譲り受けた」
先程ベロニカが返して返してと騒いでいた猫たちだ。
王太后陛下の言葉に、私は笑みを浮かべて返す。
「ええ、元気ですわ。クラウゼニッツァー公爵邸で可愛がられているようです。特に、兄に懐いているようで」
「そう。元気ならいいの」
彼女の言葉に、もしかしたら彼女も彼女なりに、猫たちを心配していたのかもしれない、と気が付いた。
私はふたたび、ロイヤルガーデンに視線を移す。
(……ここは、私が前世の記憶を取り戻した場所)
ここでベロニカと陛下は愛を語らっていた。
去年の十月。
コスモスの花が見頃の季節に──陛下が、私のために植えた、と仰ったコスモス花壇。
そこで彼は、彼女と──。
「…………」
少し思い出して、苦笑する。
あの時の胸の痛みは、きっと、私が大事にしていた、大事に思っていたコスモスの花壇の前で、行われたことだからだ。
愛を語らう男女の姿に、私は言葉を失った。
ちょうどその頃は、ベロニカがあちこちから拾ってきた猫がロイヤルガーデンに居着いてしまい、困っていた時だった。
外は危険が多い。猫を飼うなら室内に入れた方がいい。ベロニカは猫たちを拾ってくるとロイヤルガーデンに放つだけ放って、あとは放置だった。
餌を求めた猫たちはロイヤルガーデンを荒らすようになり、粗相もするようになった。
だから、私は侍女や騎士と手分けして猫を一匹一匹捕獲して回っていたのだけど。
最後の一匹──茶トラ猫のウィルを捕まえた、その時。
少し離れたところから、ひとの声が聞こえてくることに気がついた。
2,709
あなたにおすすめの小説
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう
おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。
本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。
初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。
翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス……
(※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)
前世と今世の幸せ
夕香里
恋愛
【商業化予定のため、時期未定ですが引き下げ予定があります。詳しくは近況ボードをご確認ください】
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。
しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。
皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。
そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。
この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。
「今世は幸せになりたい」と
※小説家になろう様にも投稿しています
【書籍化決定】愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。
パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。
将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。
平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。
根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。
その突然の失踪に、大騒ぎ。
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる