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1.城を出ていった悪妃
何をしようとしたの
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「ね、ほんとにいいの?」
「僕がいいって言ってるんだからいいんだよ」
氷砂糖を煮溶かしたかなように甘い声だった。一瞬、誰の声か、分からなかった。
それが、私の夫のものであることに気がつき、私は固まった。
彼が、そんな声を出すなんて、知らなかったから。
「んー……」
腕に抱いたウィルが抗議するように鳴く。
恐らく、『降ろせー』とでも言っているのだろう。早く、リリアたちのところに連れていかなければならない。
分かっているのに、足が竦んで動けなかった。
動いたら、足音で気付かれてしまうかも。
また、彼に冷たい目で見られるかもしれない。
これ以上嫌われたくない、と想った。思ってしまった。
嫌われるのは、怖いことだから。
「んー……」
「少し、待ってね」
小声でウィルに返答する。
ウィルは優しい子だ。
辛いことがあって私がロイヤルガーデンをふらりと訪れた時、いつも傍によってきてくれるのは彼だった。
だから、ウィルはもっとも早く捕まえることが出来た猫だったのだけど、意外なことに彼は脱走の名人だった。
捕まえた猫を洗い、獣医に見せようと支度をしている間に窓からぴょんっと逃げてしまったのである。
いつもおっとりしたウィルの野生さながらの体捌きには驚かされた。
あまりに華麗な身のこなしだったので、その場の侍女たちは唖然とウィルを見ていた。
その中で、もっともウィルの近くにいた私が、慌てて彼の後を追ってきた……というわけだ。
(困った子ね)
苦笑して、ウィルの額を撫でる。
撫でられて、ウィルは気持ちよさそうに目を閉じた。
猫の毛は柔らかい。ふわふわして、あたたかい。
寒い冬が来る前に全匹捕まえられてよかった。
そう思って、彼らの会話を思考の外に追いやった。
ウィルのあたたかさが、ぬくもりが、ふわふわとした毛が、有難かった。
ベロニカの声が、聞こえてくる。
「ここ、クレメンティーナ様のために用意した花壇じゃなかったの?そんなところで私に愛を囁くなんて、悪いひと」
「いいんだよ。彼女より、きみの方がずっと似合っている。……ああ、これで髪飾りを作ろうか?ブリザードフラワーにすれば、きっと似合う」
「それはどうかしら……。こういう赤い花は、クレメンティーナ様の黒髪には似合うかもしれないけど。私の金髪には……」
「確かにそうだな。きみにはダリアとか、マリーゴールドの方が似合う。ああ、あとスノードロップなんかもいいね。次贈る髪留めはそれを象った宝石にするよ」
「本当!?嬉しい……!クレメンティーナ様はね、目も赤いでしょう。黒髪に赤目って……」
そこで、彼女は声量を落とした。
それでも、ロイヤルガーデンはひとが立ち入らない場所なのもあって、とても静かだ。だから、聞こえてきた。聞こえてしまった。
「竜を殺した罪人に似ていると思わない?」
「それは……」
「黒は闇。赤は血みたいで、怖いのよ」
「──」
息を、飲んだ。
【竜を殺した罪人】。
それは、レヴィアタン王国に住まう人間なら誰しもが知る寓話。
遠い昔、レヴィアタンには竜がいた。
だけど愚かな人間が竜を殺してしまった、というもの。
竜には相棒とも呼べる親しい人間がいて、そのひとこそが、今の王家を興した初代国王だとされている。
胸が痛い。心臓が、バクバクと鳴っている。
視界がふらついて、目に映るアネモネの花が、いやに鮮やかに見えた。
「……言われてみれば、確かにそうだな」
彼は、そう言った。
ベロニカに同意したのだ。
「…………」
呆然として、私はウィルを抱きしめた。
何も分からないウィルは、私を真っ直ぐに見つめていた。
感情がせめぎあって、追いつかなくて、思考はぐちゃぐちゃなのに、どうしていいかわからない。
私は、混乱していた。
いつまで、そうしていただろう。
気がつけば陛下はいなくなっていた。残っているのは、ロイヤルガーデンに咲く花を楽しむベロニカだけ。
彼女と鉢合わせたら、まずい、と思った。
今会えば、取り返しのつかないことを口走ってしまいそうだ。
そう思って、ウィルを抱きしめて踵を返そうとしたところで──
ウィルが、私の腕から飛び降りてしまった。
「……!!」
驚い彼を見る。
ウィルは、そのまま何かを目指して一目散に駆けていってしまった。猫の瞬発力はすごい。
人間は追いかけることしかできない。
慌てて彼の後を追うと──ウィルが目指した先には、ベロニカがいた。
「きゃあ!?」
ウィルは、ベロニカのドレスにじゃれついたのだった。
(なるほど……!それで走っていったのね!)
ヒラヒラしているドレスにウズウズしたのだろう。このままウィルを回収するとなると、ベロニカと会ってしまうことになるが、もうそれは仕方ない。
早くウィルを捕まえてしまおうと私がそちらに駆け寄った時──
「触らないでよ!汚いわね!!」
ベロニカが、ウィルを無理に振り払おうと、足を上げた。
それを目にして、我ながら悲鳴に近い声が出た。
「な──何をするの!?」
私の大声に驚いたのだろう。
ベロニカがバッとこちらを振り向く。彼女の足元で、私の勢いに驚いて固まるウィルを捕獲して抱き上げると、私は彼をぎゅっと強く抱いた。
「な……どうしてクレメンティーナ様が」
「あなた、今何をしようとしたの」
「何って……」
「この子、あなたが拾ってきたのよね」
我ながら、こんな声が出るのか、というほど低い声が出た。
いつもベロニカと口論になった時、私は彼女を刺激しないよう気をつけてきた。彼女の思考回路は私には理解できないものだったし、彼女が陛下に泣きついて、陛下から嫌味を言われる、という繰り返しに疲れたからだ。
だけどこの時ばかりは──絶対に許せない、と思った。
だって、猫たちは彼女が連れてきたのよ?
それなのに彼女は猫の面倒を見ることなく、汚いからと乱暴しようとするなんて、そんなの。あまりにも──
(自分勝手すぎる)
嫌悪を通り越して、怒りがふつふつと湧いた。
「僕がいいって言ってるんだからいいんだよ」
氷砂糖を煮溶かしたかなように甘い声だった。一瞬、誰の声か、分からなかった。
それが、私の夫のものであることに気がつき、私は固まった。
彼が、そんな声を出すなんて、知らなかったから。
「んー……」
腕に抱いたウィルが抗議するように鳴く。
恐らく、『降ろせー』とでも言っているのだろう。早く、リリアたちのところに連れていかなければならない。
分かっているのに、足が竦んで動けなかった。
動いたら、足音で気付かれてしまうかも。
また、彼に冷たい目で見られるかもしれない。
これ以上嫌われたくない、と想った。思ってしまった。
嫌われるのは、怖いことだから。
「んー……」
「少し、待ってね」
小声でウィルに返答する。
ウィルは優しい子だ。
辛いことがあって私がロイヤルガーデンをふらりと訪れた時、いつも傍によってきてくれるのは彼だった。
だから、ウィルはもっとも早く捕まえることが出来た猫だったのだけど、意外なことに彼は脱走の名人だった。
捕まえた猫を洗い、獣医に見せようと支度をしている間に窓からぴょんっと逃げてしまったのである。
いつもおっとりしたウィルの野生さながらの体捌きには驚かされた。
あまりに華麗な身のこなしだったので、その場の侍女たちは唖然とウィルを見ていた。
その中で、もっともウィルの近くにいた私が、慌てて彼の後を追ってきた……というわけだ。
(困った子ね)
苦笑して、ウィルの額を撫でる。
撫でられて、ウィルは気持ちよさそうに目を閉じた。
猫の毛は柔らかい。ふわふわして、あたたかい。
寒い冬が来る前に全匹捕まえられてよかった。
そう思って、彼らの会話を思考の外に追いやった。
ウィルのあたたかさが、ぬくもりが、ふわふわとした毛が、有難かった。
ベロニカの声が、聞こえてくる。
「ここ、クレメンティーナ様のために用意した花壇じゃなかったの?そんなところで私に愛を囁くなんて、悪いひと」
「いいんだよ。彼女より、きみの方がずっと似合っている。……ああ、これで髪飾りを作ろうか?ブリザードフラワーにすれば、きっと似合う」
「それはどうかしら……。こういう赤い花は、クレメンティーナ様の黒髪には似合うかもしれないけど。私の金髪には……」
「確かにそうだな。きみにはダリアとか、マリーゴールドの方が似合う。ああ、あとスノードロップなんかもいいね。次贈る髪留めはそれを象った宝石にするよ」
「本当!?嬉しい……!クレメンティーナ様はね、目も赤いでしょう。黒髪に赤目って……」
そこで、彼女は声量を落とした。
それでも、ロイヤルガーデンはひとが立ち入らない場所なのもあって、とても静かだ。だから、聞こえてきた。聞こえてしまった。
「竜を殺した罪人に似ていると思わない?」
「それは……」
「黒は闇。赤は血みたいで、怖いのよ」
「──」
息を、飲んだ。
【竜を殺した罪人】。
それは、レヴィアタン王国に住まう人間なら誰しもが知る寓話。
遠い昔、レヴィアタンには竜がいた。
だけど愚かな人間が竜を殺してしまった、というもの。
竜には相棒とも呼べる親しい人間がいて、そのひとこそが、今の王家を興した初代国王だとされている。
胸が痛い。心臓が、バクバクと鳴っている。
視界がふらついて、目に映るアネモネの花が、いやに鮮やかに見えた。
「……言われてみれば、確かにそうだな」
彼は、そう言った。
ベロニカに同意したのだ。
「…………」
呆然として、私はウィルを抱きしめた。
何も分からないウィルは、私を真っ直ぐに見つめていた。
感情がせめぎあって、追いつかなくて、思考はぐちゃぐちゃなのに、どうしていいかわからない。
私は、混乱していた。
いつまで、そうしていただろう。
気がつけば陛下はいなくなっていた。残っているのは、ロイヤルガーデンに咲く花を楽しむベロニカだけ。
彼女と鉢合わせたら、まずい、と思った。
今会えば、取り返しのつかないことを口走ってしまいそうだ。
そう思って、ウィルを抱きしめて踵を返そうとしたところで──
ウィルが、私の腕から飛び降りてしまった。
「……!!」
驚い彼を見る。
ウィルは、そのまま何かを目指して一目散に駆けていってしまった。猫の瞬発力はすごい。
人間は追いかけることしかできない。
慌てて彼の後を追うと──ウィルが目指した先には、ベロニカがいた。
「きゃあ!?」
ウィルは、ベロニカのドレスにじゃれついたのだった。
(なるほど……!それで走っていったのね!)
ヒラヒラしているドレスにウズウズしたのだろう。このままウィルを回収するとなると、ベロニカと会ってしまうことになるが、もうそれは仕方ない。
早くウィルを捕まえてしまおうと私がそちらに駆け寄った時──
「触らないでよ!汚いわね!!」
ベロニカが、ウィルを無理に振り払おうと、足を上げた。
それを目にして、我ながら悲鳴に近い声が出た。
「な──何をするの!?」
私の大声に驚いたのだろう。
ベロニカがバッとこちらを振り向く。彼女の足元で、私の勢いに驚いて固まるウィルを捕獲して抱き上げると、私は彼をぎゅっと強く抱いた。
「な……どうしてクレメンティーナ様が」
「あなた、今何をしようとしたの」
「何って……」
「この子、あなたが拾ってきたのよね」
我ながら、こんな声が出るのか、というほど低い声が出た。
いつもベロニカと口論になった時、私は彼女を刺激しないよう気をつけてきた。彼女の思考回路は私には理解できないものだったし、彼女が陛下に泣きついて、陛下から嫌味を言われる、という繰り返しに疲れたからだ。
だけどこの時ばかりは──絶対に許せない、と思った。
だって、猫たちは彼女が連れてきたのよ?
それなのに彼女は猫の面倒を見ることなく、汚いからと乱暴しようとするなんて、そんなの。あまりにも──
(自分勝手すぎる)
嫌悪を通り越して、怒りがふつふつと湧いた。
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