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3.悪妃はその名を下ろす
本性を見たでしょう
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陛下はそれに答えなかった。とはいえ、私たちは急ぎ城に戻る必要があったため、失礼を承知で、その場を辞した。
私は、侍女と騎士を伴い、宿に早歩きで向かっていた。ルーンケン卿も途中まで道が同じなので、同道している。
私たちは城に戻ったらまず何からすべきか、ということを相談していたが、会話の一区切りがついた時、ふいにルーンケン卿が言った。
「そういえば、なんですが」
「何です?」
今はとにかく時間が惜しい。
早歩きで進みながら尋ねると、ちらりと、ルーンケン卿が私を見た。そして、言いにくそうにしながらも、言葉を続ける。
「大丈夫ですか」
「…………大丈夫、とは?」
曖昧な言葉に、思わず足を止める。
ルーンケン卿も、同じく足を止めた。
大通りはとうに抜け、人通りのない道で良かった。大通りで突然足を止めたら、周囲の観光客の迷惑になっていたことだろう。
ルーンケン卿は、何か言いかけた後、まじまじと私を見る。いや、見つめる、といった方が正しいかしら。
その眼差しは何かを確認するようでもあり、患者を見る医者のようだった。ますます不可解で、首を傾げると、それに気がついたルーンケン卿がハッとした様子を見せる。
「失礼、不躾でしたね」
「何か?」
「……いえ、体調に変化がないならいいんです」
「?」
やはり、彼の言葉は部分的で全体像が見えない。いつもハッキリした物言いをするルーンケン卿にしては、珍しいことだ。
私が再び首を傾げると、ルーンケン卿は促すように言った。
「説明しますので、歩きましょう」
「……ええ」
彼の言葉には同意だったので、頷いて歩く。
だけど先程の、競歩のようなそれではない。
何となく、探り合うような雰囲気になってしまった。
彼の不可解な態度が気にかかってルーンケン卿を見ていると、私の視線がプスプスと刺さったのだろう。
彼はひとつ咳払いをしてから、言った。
「あなたは私の──本性を見たでしょう」
「本性……って、ああ。はい。そうですわね」
本性、それはつまり、ルーンケン卿が竜だった、というそれである。
(実際目の当たりにしたとはいえ、やっぱり実感が湧かない……)
ひとが、竜だったのだ。
突然そんなことを言われたらだいたいの人間が『頭大丈夫?』とその思考回路を心配するだろう。それくらい、荒唐無稽としか思えない、とんでもない秘密。
それを、私は知ってしまったのである。
先程──陛下の件があって、随分前に思えるけれど、時間にしてまだ一時間も経過していないはずだ。
そこでふと、思い出す。
(そういえば、気温上昇の話をした時、やけに具体的な数字を出してたのって……)
彼が竜だから、とかそういうのが関係しているのだろうか。
竜って、変温動物?爬虫類?そんな、とりとめのないことを考えていると、ルーンケン卿の言葉が私の思考をさえぎった。
「竜は、ひとの心を惑わせる生き物としても知られています」
「……欲深い人間がこぞって求める、というやつですわね」
竜は、天からの使いであり、神にもっとも近しい存在だ。
縁起のいい動物で、存在しない幻の生き物だからこその神秘性がある。
もし、竜が実在しているとひとに知られれば、それこそ目も当てられないことになるだろう。
私がそう思っていると、ルーンケン卿が苦笑した。
「まあ、そういう意味合いもありますが。ある一定の異性に、精神異常を与える生き物なんですよ、竜というものは」
「……一定の?」
また、奇妙な話が始まった。
彼を見ると、ルーンケン卿は「番以外の異性に、ということです」と、まさかの単語を口にし、私は絶句した。
(番!?番、ってあれ!?)
互いを唯一と認めた、動物の本能。
有名なのがタンチョウだ。生涯同じパートナーと過ごすことで知られている。
それと同時に、ルーンケン卿の噂も思い出した。
それは──彼が、【精神崩壊者】と呼ばれていること。
前世の記憶を取り戻した私は、メンヘラ製造機、の二つ名を(勝手に)彼に与えたのだった。
「どうも、竜の一種の防衛本能で、番以外の異性に精神異常を与えるようでして……。とはいえ、竜の血もだいぶ薄くなっていますので、話半分で聞いていただいて構わないのですが」
「…………は、はぁ」
まさか、『じゃあ今までの婚約者が狂ったのってそのせいですの?』なんて聞けるはずがない。流石にそこまで踏み込む無神経さは持ち合わせていないつもりだ。
「だけど」とルーンケン卿は言葉を続けた。
「竜体は別です。あれは、異性に強い竜性の効果を与える。本来、竜体というのは番以外には見せない決まりなのですが……」
「偶然、それを私が見てしまった」
私は、彼の言葉を引き継ぐように言った。
あの場には、私だけではなくケヴィンとルークもいた。だけど彼らは男性だ。
(なるほど、だからルーンケン卿は私を心配していたのね)
もっといえば、私が狂っていないかの確認だったのだろう。
そういえば、彼は婚約者に自傷されたり自死を迫られたりと散々な目にあったひとなのだった。
その過去を思えば、偶然とはいえ竜体を見てしまった異性の様子が気にかかるのは当然と言えよう。
私はしばしの沈黙のあと、口元に指先を添えた。
「そう、ですわね──」
自分が狂っていないと言えるかという問いに、何人が是と答えられるだろう。そもそも、既に狂っている場合もあるのだから。
というか、何を持ってして、狂っていないと言えるのだろう。定義が曖昧なので、確信を持って答えることはできない。
だけど、少なくとも今の私は昨日と急激な変化をきたしているようには見えないし──ルーンケン卿を見ても、激情は起こらない。
つまりこれは、狂っていない、と答えていいのではないかしら。
私は隣を歩く彼を見て、首をかしげ、微笑んだ。
「少なくとも、普段と変わりはないと思います」
私の回答に、ルーンケン卿は、深く安堵の息を吐いた。
私は、侍女と騎士を伴い、宿に早歩きで向かっていた。ルーンケン卿も途中まで道が同じなので、同道している。
私たちは城に戻ったらまず何からすべきか、ということを相談していたが、会話の一区切りがついた時、ふいにルーンケン卿が言った。
「そういえば、なんですが」
「何です?」
今はとにかく時間が惜しい。
早歩きで進みながら尋ねると、ちらりと、ルーンケン卿が私を見た。そして、言いにくそうにしながらも、言葉を続ける。
「大丈夫ですか」
「…………大丈夫、とは?」
曖昧な言葉に、思わず足を止める。
ルーンケン卿も、同じく足を止めた。
大通りはとうに抜け、人通りのない道で良かった。大通りで突然足を止めたら、周囲の観光客の迷惑になっていたことだろう。
ルーンケン卿は、何か言いかけた後、まじまじと私を見る。いや、見つめる、といった方が正しいかしら。
その眼差しは何かを確認するようでもあり、患者を見る医者のようだった。ますます不可解で、首を傾げると、それに気がついたルーンケン卿がハッとした様子を見せる。
「失礼、不躾でしたね」
「何か?」
「……いえ、体調に変化がないならいいんです」
「?」
やはり、彼の言葉は部分的で全体像が見えない。いつもハッキリした物言いをするルーンケン卿にしては、珍しいことだ。
私が再び首を傾げると、ルーンケン卿は促すように言った。
「説明しますので、歩きましょう」
「……ええ」
彼の言葉には同意だったので、頷いて歩く。
だけど先程の、競歩のようなそれではない。
何となく、探り合うような雰囲気になってしまった。
彼の不可解な態度が気にかかってルーンケン卿を見ていると、私の視線がプスプスと刺さったのだろう。
彼はひとつ咳払いをしてから、言った。
「あなたは私の──本性を見たでしょう」
「本性……って、ああ。はい。そうですわね」
本性、それはつまり、ルーンケン卿が竜だった、というそれである。
(実際目の当たりにしたとはいえ、やっぱり実感が湧かない……)
ひとが、竜だったのだ。
突然そんなことを言われたらだいたいの人間が『頭大丈夫?』とその思考回路を心配するだろう。それくらい、荒唐無稽としか思えない、とんでもない秘密。
それを、私は知ってしまったのである。
先程──陛下の件があって、随分前に思えるけれど、時間にしてまだ一時間も経過していないはずだ。
そこでふと、思い出す。
(そういえば、気温上昇の話をした時、やけに具体的な数字を出してたのって……)
彼が竜だから、とかそういうのが関係しているのだろうか。
竜って、変温動物?爬虫類?そんな、とりとめのないことを考えていると、ルーンケン卿の言葉が私の思考をさえぎった。
「竜は、ひとの心を惑わせる生き物としても知られています」
「……欲深い人間がこぞって求める、というやつですわね」
竜は、天からの使いであり、神にもっとも近しい存在だ。
縁起のいい動物で、存在しない幻の生き物だからこその神秘性がある。
もし、竜が実在しているとひとに知られれば、それこそ目も当てられないことになるだろう。
私がそう思っていると、ルーンケン卿が苦笑した。
「まあ、そういう意味合いもありますが。ある一定の異性に、精神異常を与える生き物なんですよ、竜というものは」
「……一定の?」
また、奇妙な話が始まった。
彼を見ると、ルーンケン卿は「番以外の異性に、ということです」と、まさかの単語を口にし、私は絶句した。
(番!?番、ってあれ!?)
互いを唯一と認めた、動物の本能。
有名なのがタンチョウだ。生涯同じパートナーと過ごすことで知られている。
それと同時に、ルーンケン卿の噂も思い出した。
それは──彼が、【精神崩壊者】と呼ばれていること。
前世の記憶を取り戻した私は、メンヘラ製造機、の二つ名を(勝手に)彼に与えたのだった。
「どうも、竜の一種の防衛本能で、番以外の異性に精神異常を与えるようでして……。とはいえ、竜の血もだいぶ薄くなっていますので、話半分で聞いていただいて構わないのですが」
「…………は、はぁ」
まさか、『じゃあ今までの婚約者が狂ったのってそのせいですの?』なんて聞けるはずがない。流石にそこまで踏み込む無神経さは持ち合わせていないつもりだ。
「だけど」とルーンケン卿は言葉を続けた。
「竜体は別です。あれは、異性に強い竜性の効果を与える。本来、竜体というのは番以外には見せない決まりなのですが……」
「偶然、それを私が見てしまった」
私は、彼の言葉を引き継ぐように言った。
あの場には、私だけではなくケヴィンとルークもいた。だけど彼らは男性だ。
(なるほど、だからルーンケン卿は私を心配していたのね)
もっといえば、私が狂っていないかの確認だったのだろう。
そういえば、彼は婚約者に自傷されたり自死を迫られたりと散々な目にあったひとなのだった。
その過去を思えば、偶然とはいえ竜体を見てしまった異性の様子が気にかかるのは当然と言えよう。
私はしばしの沈黙のあと、口元に指先を添えた。
「そう、ですわね──」
自分が狂っていないと言えるかという問いに、何人が是と答えられるだろう。そもそも、既に狂っている場合もあるのだから。
というか、何を持ってして、狂っていないと言えるのだろう。定義が曖昧なので、確信を持って答えることはできない。
だけど、少なくとも今の私は昨日と急激な変化をきたしているようには見えないし──ルーンケン卿を見ても、激情は起こらない。
つまりこれは、狂っていない、と答えていいのではないかしら。
私は隣を歩く彼を見て、首をかしげ、微笑んだ。
「少なくとも、普段と変わりはないと思います」
私の回答に、ルーンケン卿は、深く安堵の息を吐いた。
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