【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ

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第8章 砂漠の英雄

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 ディンレル王国滅亡から5年後。

 魔王軍五大将軍が1人、炎獅将軍イフリートは大陸南西部の砂漠地帯のアネクネーメ王国を滅ぼしていた。
 灼熱の陽光が、かつて白亜だった都を無慈悲に炙っている。
 煤で黒ずんだ城壁、崩れ落ちたアーチ。路傍には砂に半ば埋もれた人骨が白い染みのように点在していた。
 肌を刺すような熱風が、汗と絶望の酸っぱい匂いと腐敗漂う悪臭を運んでくる。

 人類を奴隷とし、弱かろうが強かろうが剣闘士として闘技場で戦わせる日々を送るイフリートによる統治。
 100連勝すれば奴隷から解放してやるという魔王軍将軍の言葉に、多くの剣士、騎士、元農奴が闘技場を血に染めていた。

 そこへ魔王アリスが夫でもある黒狼将軍ヒイラギと、宰相クレマンティーヌを引き連れて不意に視察に訪れた。
 目的はイフリートが統治する地が、きちんと人が奴隷として絶望の中で生きているかの確認と、イフリート主催の闘技場で、ついに100連勝が現れるかもという興味からだ。

 恭しく出迎えるイフリートに、アリスは労いの言葉をかけ、闘技場までの移動で絶望に染まる居城の人々の様子を見つめる。
 彼らの首には魔力を帯びた錆色の首枷が嵌められ、瞳から光は完全に消え失せていた。

 この地特有の赤い瞳に褐色肌。
 そんな、やつれ、空腹から動きが鈍い女性たちの中に、異彩の美しさを放つ少女の姿があった。

「あれがお気に召しませんか? どうも他の連中が、あやつに食べ物を恵んでいるようでしてな。なので色艶がいいというわけでございます」

 イフリートが理解不能と言いたげに肩を竦める。

「アリス様以外に特別な存在を作るわけにいきません。俺が始末しましょう」

 ヒイラギが進言する中、クレマンティーヌが続けて告げる。

「あの子はアネクネーメの元姫君、ゼノビアさね。すでに彼女以外全員、アネクネーメの王族は死亡している。今さら殺したところで益なんてないねえ」

「ふうん。ちょうどいいわ。100連勝しそうな男って元アネクネーメの奴隷だったのよね。彼女にも見届けてもらいましょう」

 アリスはゼノビアに近づいて微笑みかけた。

「私についてきなさい。一緒に観戦しましょう」

 魔王の命令に、ゼノビアは無言で頷くしかなかった。

 アリスの気まぐれに、クレマンティーヌは嘆息し、イフリートは愉快げに「魔王様の御意に」と口にする。
 ヒイラギだけは警戒怠らずに、ゼノビアを見た。

 闘技場の白い砂は、これまでに流されたおびただしい血を吸って赤黒く変色している。
 壁には剣戟の跡や血痕が生々しく残り、風に乗って鉄錆の匂いが漂っていた。
 観客席を埋める奴隷たちは恐怖に顔を歪めながらも、生き残った剣闘士には熱のない乾いた拍手を送っている。
 それは死への恐怖と、今日も生き延びれたという安堵が入り混じった熱狂である。

 100連勝目前の奴隷登場前の数多くの殺し合い。
 アリスはイフリートから奴隷たちの出自を聞きながら、敗者が必ず死ぬ戦いを愉しんで観戦していった。
 そんな地獄を見下ろす彼女たちの席だけが、豪奢な天幕で日差しから守られ、冷たい果物が用意されている。

 クレマンティーヌは片肘を椅子につけ、ただ観ていく。

 やがて始まる奴隷の、イフリート支配の地からの解放戦。
 100連勝の相手を待つ奴隷の名はハールーン。
 視線は憎悪を込めて、アリスやイフリートが座る方向を向いていた。

「イフリート、彼が待ってるわ。相手は誰なのかしら?」

 アリスの問いに、イフリートはニヤリと笑う。

「99連勝、つまり人を99人殺した奴だ。人相手は飽きたでしょう」

 イフリートは立ち上がり、闘技場に降り立った。
 彼が歩くだけで、足元の砂がパチパチと音を立ててガラス化してしまう。

「俺が相手しよう」

 闘技場の空気が一変し、出場者たちが息を呑んだ。

(藁にすがるような希望が、彼らから潰えたねえ。イフリート、その選択は、この闘技場の質が下がることに気づかないのが魔族である所以さね)

 クレマンティーヌは冷静なまま、状況を把握する。

 アリスは別のことに気を取られていた。
 イフリートがハールーンを嬲り、痛めて愉しんでいる間、ゼノビア元姫が「ハールーン……」と、祈るように小声で名前を呼び、生命力を魔力に変換して彼に渡すように祈りを捧げている姿に。
 
 ハールーンの鋼のような肉体から繰り出される渾身の剣撃は、イフリートのマグマのような肌に触れる前に溶け落ち、邪魔な虫を払うかのように無造作に振るわれた拳が、彼を何度も砂塵に叩きつけていた。

 イフリートの攻撃により、ハールーンが地に伏し、血塗れと火傷で呼吸しかできなくなり、イフリートのトドメの炎がハールーンに覆いそうになる刹那、炎は命令されたかのようにピタリと静止した。

 アリスがゼノビアの手を握り、闘技場に降り立ったのだ。
 イフリートの炎を打ち消しながら。
 
 逆光に照らされたアリスの姿は、一瞬、人々を救いに来た女神のように神々しく見えた。

「魔王様、何かご不満でも?」

 驚き跪くイフリートに動揺はない。魔王様の気まぐれはいつものことなのだ。
 アリスの横に、ヒイラギも移動している。

「あなたたち、愛しあっていたのかしら?」

 アリスはイフリートに構わず、ゼノビアと目も虚ろで死にゆくのみのハールーンに問いかける。
 アリスの赤い瞳は神々しい光とは裏腹に、無邪気な子供のような好奇心と、底知れない狂気をみなぎらせていた。

「……はい」

 答えたのはゼノビア。彼女はアリスの赤い瞳を見つめ返し、か細く言葉を紡ぐ。

「お願い、です……ハールーンを、彼を……助けて……」

 それ以上は言葉にならず、ただ嗚咽が漏れた。
 アリスがゼノビアの予定調和のセリフに苛立ちを覚えた直後、クレマンティーヌが進み出る。

「アリス様、この2人は面白い境遇のようだねえ。その男ハールーンは、かつてアネクネーメ王国に滅ぼされた北方砂漠の民の族長の息子さね」

 クレマンティーヌは続ける。

「姫君は父の非道を詫びようと、奴隷となった彼に近づいた。最初は憎しみ合っていたようだがねえ。いつしか恋仲になったというわけさね」

「先生、この男に神聖魔法を!」

 アリスは興奮状態でクレマンティーヌに指示し、クレマンティーヌは言われた通り、ハールーンを全快させた。

「イフリート、この2人は私が貰っていいかしら?」

「魔王様にねだられては断るわけにいきますまい。ただ、理由を聞いてもよろしいでしょうか?」

 アリスはクスッと笑い、ヒイラギの腕を組んで答えていく。

「私とヒイラギも元王女と元奴隷だもの。この2人の境遇にそっくり! ビックリしたわ。ねえ! ゼノビアさんにハールーンさん、ここで結婚式を挙げましょう!」

 アリスの突然の申し出に、ゼノビアもハールーンも動揺した。
 ハールーンは転がっている己の剣に手を伸ばそうとするが、ヒイラギの視線が彼の行動を許さない。

「ふざけたことを抜かすな! 魔王! 俺は奴隷……ゼノビア様は、俺の故郷エイエスを滅ぼしたアネクネーメの姫君だ! 俺たちが結ばれることなど……!」

 ハールーンが気力を振り絞って叫ぶと、アリスの微笑みが消えた。

「あら、私の祝福が受けられないと?」

 彼女はゼノビアの肩を抱き寄せ、愉しげにイフリートを見る。

「イフリート。この男が言うことを聞かないから、あなたに姫をくれてあげる」

「……はあ。肉にして愚民に配るぐらいしか役目はなさそうですが、魔王様の褒美、ありがたく頂戴します」

 歪んだ笑みを浮かべるイフリートに、ゼノビアの顔が絶望に染まる。
 ハールーンは歯を食いしばり、拳を握りしめた。
 憎い魔王。憎い将軍。だが、ここで逆らえばゼノビアが奴の手に落ち殺される。
 誇りか、愛する人の生か。
 答えは決まっていた。

「……わかった」

 血を吐くような声が、アリスの耳に届く。

「あんたに従う。だから……ゼノビア様に手を出すな」

 ハールーンが闘技場の砂に額を擦り付けると、アリスは満足げに微笑んだ。

「それでいいのよ。姫君? 奴隷? それってアネクネーメ王国があった時の立場でしょ? 今は魔王である私が支配者。旧時代の考えは捨てなさい。言葉は言霊にしてどんな魔法よりも強いの。願い、想い、祈り、言い続けなさい。そうすれば、あなたたちは固い絆で永遠に結ばれるわ」

 アリスの後半の声のトーンは、不気味なほど低かった。

 こうしてハールーンとゼノビアは闘技場で夫婦となった。
 ハールーンは黒狼将軍ヒイラギの側近となり、ゼノビアは魔王アリス付きの侍女となる。

 この後、2人は甲斐甲斐しくアリス夫婦に仕え、七英雄とのアネクネーメ王国解放戦で命を落とした。
 
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