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第二部 擾乱のパニエンスラ
30.美景を蝕む灰の海
しおりを挟むマドールは中央道の中程にあり、東にドリード西はセローナ、北にはイベリスへと道を継ぐ。
東西の通用門は開かれているが北大門は開閉が制限されており、通行には手形を必要とする為、
往来は豪商や貴族、シニア戦人に限られ、飾り立てられている反面――閑散としていた。
左右を山に挟まれた一本道は盗賊被害も無く、石灰岩で舗装された滑らかな路面を滑る如く、
豪華な荷馬車が緩衝具の威力を発揮する必要も無く、疎らに行き交っている。
そんな見栄に脚色された風景から浮いている3人が、常歩する馬に跨り緩やかに進む。
「こうノンビリだと眠くなってくるな……ルシアノ、ルメールは初なんだが遠いのか?」
ヴィーノは錐行に並ぶ左斜め後ろに首を傾げて、声をかけた。
「えっと……ヴィーノさん、このままならクロスビレッジに着くのも夜になるっスねぇ」
「舗道で馬走らせたら足傷めるだろうしな、どうしたもんか……無駄に金かけてんな」
「イサークの野郎っス。人と金注ぎ込んで勝手に公道を私道にしやがったんっスよ」
「お前……さっきディエゴのとこじゃ義兄とか呼んでなかったか?」
「あ、ありゃぁ……! 叔父上の事は尊敬してるっスから……言いづらいんすよ」
「アイツは面倒見良いからな……にしても、イサークの息子にそんな奴が居たのか」
前に向き直って考えるように先を進むヴィーノに、気づかれないように軽く足並みを落とし、
最後尾に居たメリーの横に並んだルシアノは声を潜める。
「……おい」
「……」
「……なぁ、おい!」
「……なんでしょう、ルシアノ様」
「……お前、メラニーだよな? オクシテーヌの……なんでそんな恰好してんだ?」
「なんのことでしょう? 私達は初対面のはずですが?」
「いやいや、そんなはずないだろ。見間違える訳ねぇよ、そのジトっとした目付き――」
スパンッという軽い打音がルシアノの後方に響き、弓弦で鞭打たれた馬が驚き駆け出す。
「どわっ な、なにしやがる!」
「何してんだルシアノ? 走らせると負担かかるっつってんだろ」
「い、いや……な、なんか踏んだんスかね、アハハ……ん?」
ヴィーノに答えたルシアノの視線遠方に、一際体格の良い戦人の姿が現れた。
「あ、あれ……、あー……ヴィーノさん、裏道! 近道っス! あっち行きましょう!」
「は? 裏? んなもんあんのか?」
「ちょ、ちょっと険しい山道ですけど、そっちの方が余裕で早いッス!」
「険しいって、危なくないのか? 急いじゃいるが、無理する程じゃ――」
「――っと、ダルシアって町の対岸に着くんスが、強引に走り抜けりゃ何とでもなるっス!
このままじゃ日も暮れますし、先導しますから付いてきてください! 行くぞメリー!」
ルシアノの焦るような号令で道を逸れた3人は、眼前に広がる草むらを蹴散らし、走った。
抜け道とは名ばかりの獣道を、休み休み強引に駆け抜け疲弊した馬の首を撫でたヴィーノが、
森を抜けて左右に首を振るルシアノを呼び止める。
「おい、もう良いだろ! 速度落とすぞ! このままじゃ馬が潰れちまう!」
「え、あ、っス……すんません。後は川岸を下るだけなんで、大丈夫っス」
「何だってんだ、わざわざリスク侵す必要ねぇだろ……馬で通るような道じゃ無かったぞ」
「ま、まぁ俺も早くルメールに着きたかったんで……」
「……よく言うわ」
しどろもどろのルシアノに聞こえないように呟いたメリーは、息を整えながら、吐き捨てる。
渓谷の向こうには険しい山の斜面に所狭しと広がる街並みが見えた。
「ルシアノ、あれがダルシアか? あんな所にも町なんてあんだな」
「え? ああ、そっスね。割と新しいけど普通に領主が治めてますし、
ウチのアラニス領の観光地で温泉が有名っス。幼馴染が居るんスよあそこ」
「ほー……デルシアに似た名前だな、何か意味あんのか?」
「さぁ……俺は知らないっスね。特に意味とか無いんじゃないっスか?」
「アンタねぇ……自分の領地なのに何で知らないのよ!
アンダールシアは剣姫ルシア様が由来に決まってんでしょ!
セラート山の奥にルシア様の墓標があるって言われてんのよ!」
「お、おう……そっかダルシアは略称だな。つか、メリーが急に語りだしたっスね」
「ふん……それで『アンダー』ルシア、か。そうか……こんな所に」
目を細めて町の裏手の一際高い岩山の頂きを眺めたヴィーノは、寂しそうに目を閉じた。
「ヴィーノさん、アラニスには来た事無いんスか?」
「そうだな……俺がエスパニに来た時にはまだこの辺は原生林で害獣も多かったからな」
「……? 何言ってんスか。ダルシアだって新しいつっても数十年前にはあったっスよ?」
「ん? ああ。まぁともかく行った事があるのは今のイベリスと、タミル洞くらいだな」
「タミル洞……グレンデスにある廃坑っスか? 何であんなとこ――」
「――グダグダ言ってないで早く行くわよ! 日が暮れるでしょうが!」
メリーの鞭により駆け出した三騎は、グランリバーの渓谷沿いを下り始めた。
***
凸凹三人組がルメール郊外に達した時には日は暮れ、山猫が夜を抱く頃に差し掛かっていた。
外れの小高い丘にポツンと建つ宿屋にヴィーノとメリーを残して、
翌朝港湾へ来るようにと言付けと宿賃を託し、ルシアノは一人領主館へ向かった。
明けて疲労と眠気をベッドに置き去った二人は、言われるがままに
朝食のバゲットサンドを齧りながら市街への坂道を下り始める。
広がる河岸の街並みは綺麗だったが、淀んでいた。
「こりゃ……ひでぇな。河が完全にグレーじゃねぇか」
「……噴火のせいね。ペリエは降灰も酷いけど、下流でコレじゃ……」
語尾を飲み込んだメリーは、溜息混じりに灰と青の二色に分かれた河岸を眺める。
元は央河、リウス・メディウスと呼ばれた清流は、今や灰海――【アッシュ・マーシュ】と
唾棄され、ウェス山麓のトルリア湖から供給される水によって生物溢れる豊かな大河だった。
噴火直後にイベリス―帝国間航路への影響を恐れた領主イサークが分流堰を築いた事により、
泥の堆積に拍車がかかり、沿岸の町に大きな被害を及ぼした。
鉱山街セリエ、北オクシテーヌのペリエ、そしてルメールと上流から下流へと続く町々では、
特に漁業が生活基盤となっていたルメールは大きな被害を受けた。幾度も陳情し、無視されて、
縋る思いで領主が息子をディエゴの元に預け――そしてに繋がる。
領地経営に直接関与していない息子を、元権力者の元に送り込んだ領主の考えは分からない。
しかし、こうしてやっと視察の名目で代理を連れて来れた事は第一歩と言えた。
その一歩が破滅の序曲になるとは、この時は誰の頭にも無かっただろう。
「あ! ヴィーノさん、こっちです!」
港湾沿いは生活排水の影響か灰が少なく、辛うじて《水の色》をしていた。
大小の漁船が肩寄せ、所狭しと並び、麻痺した経済活動をまざまざと見せつけている。
「ようルシアノ、いや……聞いてたよりも酷いなこりゃ」
「でしょう!! それをあんの野郎! 直接領民に被害が出てないなら大したこと無いとか、
フザけたこと言いやがるんスよ! 叔父上にも伝えてやってください! この惨状を!」
「お、おう……戻ったら言っといてやる。ところで、今日は何でここに呼んだんだ?」
「そ、そうっスね! そこの小型船でイベリスまで向かうんスよ。クロビレも迂回出来るし、
その方が早いっスよ」
白い歯を輝かせて親指を立てたルシアノは、軽快に船に飛び乗って手招きした。
***
ポンポンポンポンと軽い音を響かせながら進む船は、走るよりは早いが、当然馬よりは遅い、
という何とも言いづらい半端な速度で河岸を北進していた。
左手には暗黒大陸の大森林が遠目に見える反面、右手には伐採で禿げ上がった山肌が連なる。
ルシアノの話ではルメールからイベリスまでの河畔林は、イベリス側の伐採で喪失したという。
口惜しそうな表情でドラムに何やら放り込むルシアノに、オールを持つヴィーノが声をかけた。
「ルシアノ、それって石炭か? これって蒸気船か何かなのか?」
「はい? いや、俺も仕組みは良く知らねっス。親父の代から使ってるらしいっスけど……
これも俺等は黒石って呼んでますが、多分元は泥か何かを固めて乾燥したもんって話っスよ」
「ほぅ……凄い技術者が居たんだな。俺もこの手の話は詳しく無いが、ガソリンも無いのに
動力船を作るとか、しかもスクリューまで付いてっし、なんつうか発想が奇抜だな」
「ガ、ガソ?? なんスかそれ」
「あ~……まぁ気にすんな。ってか自走するなら漕ぐ必要ねぇだろ、何の意味があんだ」
手に持ったオールを振り回すヴィーノを見て、隣に居たメリーも手を止める。
「この動力だけじゃちょっと遅いんすよ。それに燃料切れもあるっスから」
「そう上手くはいかねぇって事か……まだイベリスは遠いのか? もう昼過ぎになるが」
「もうすぐ鬱陶しい《イサーク堰》が見えて来るっスよ。自分の名前付けやがって」
「堰? 灰が溜まってんのにか?」
「溜める為に堰を作ったのよ。ウチの沿岸にも影響出てんの。本当腹立つわ」
「よく分かんねぇな? 堰き止めたら灰が流れねぇだろ」
「だから流さないようにっス。東河に灰が流れ込むと帝国との交易に支障が出るってんで、
自分らの為だけに河のど真ん中を塞いだんスよ」
「聞けば聞く程、想像を上回る頭の悪さだな……その場しのぎと言うか。けどよ、堰が――
ああ、見えて来たな。アレじゃ船が通れねぇんじゃねぇか?」
「央河の水がある程度無いとイベリスに影響出るっスからね、脇だけ隙間を空けてんスよ。
もうちょいしたら、そこだけ流れ早くなるんで気を付けてください」
言った端からぐんぐん進み始める小舟は、急流に押し流される木の葉ように蛇行して進む。
後ろに持っていかれる櫂を水面から上げたヴィーノとメリーは、ルシアノの指図に促されて、
急進する船の制御のみに注力する事となった。
「どわぁぁぁ、あぶねぇ! メリーそっちもっと漕げ! 岸にぶつかる!」
「やってんでしょ!!」
***
一夜明け、イベリスで最も高い城壁が見える東河の岸に、人気の無い船着き場があった。
長く使われていない木の桟橋を踏み抜かないように、足場に気を付けて岸に上がった三人は、
ヴィーノの先導で街の外堀まで進む。壁は岸から河へと伸びて入り込めそうも無かった。
「それで……どうすんのよ。泳ぐ訳?」
「いや、港に上がった時点で速攻バレんだろ。んで……どうすんスか? ヴィーノさん」
「あ~……記憶が曖昧だが、下水の排水口が……ん? アレか?」
ヴィーノが指した先には、用途の無さそうな外殻塔の上部から勢いよく水が流れ落ちている。
落ちた汚水は壁沿いの掘りを流れる水に希釈されて、緩やかに河へと運ばれていく。
「いや……無理でしょアレ。どう見てもあんなとこ届かないっスよ」
「だなぁ……なんか前より壁が高くなってんだよ。ほら上と下で壁色が違うだろ」
「そんな事どうでもいいでしょ! 結局どうすんのよ! 何の為にこんなとこまで!」
「真下まで行けりゃ昇れなくも無さそうだが……お前ら《登攀》は出来るか?」
「出来たとしてもやんないわよ。汚水まみれとか冗談じゃ無いわ」
そっぽを向くメリーに一息吐いてたヴィーノは、同様に肩を竦めるルシアノを見て腕を組む。
「汚水ったって、最低限処理はされてるはずなんだけどな。角の塔がそれだろ」
「気持ちの問題よ! とにかく却下! 行きたきゃ一人で行けば!?」
「つか、メリーって何でヴィーノさんと一緒に居んだ? 無理に来る必要無かったろ」
「だな。別に頼んじゃ居ないんだが、嫌がる割に付いてくんだ。忙しいだろうに」
「う、うるさいわね! こっちにも事情があんのよ!」
メリーの怒声を受けて、諦めたようにルシアノが昇り坂を指して顔を顰める。
「ならいっそクロビレまで行って通行証取るしかないっスよ……取れるか知りませんが」
「ここを登るのか……まぁそれしかねぇか。メリーもそれで文句無いな?」
「……仕方ないわね。濡れるよりマシだし、他に選択肢が無――」
そこまで言った時、メリーは背後の違和感に気づき飛び退いた――
――身構えたヴィーノは、イベリス城壁を覆う天蓋、そして黒煙に包まれる天空を見上げる。
「な、なん……? ふ、伏せろ!!!」
一斉に斜地に伏した彼らの鼓膜は――鳴り響き続く轟音に苛まれ、脳の奥に悲鳴を届ける。
震える大気が伝える圧に封じられた目蓋の裏で――
長い一瞬が勢いよく通り過ぎた。
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