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序章
第29話 黒煙の向こうに待つもの
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風が、唸りを上げて耳元を通り過ぎていく。
私の体は、クライブの大きな腕と馬の首に挟まれ、激しい上下動に揺さぶられていた。
早馬の速度は凄まじい。
景色が溶けるように後方へと流れていき、普段は遠くに見える山並みが、みるみるうちに近づいてくる。
「……なぁ、お嬢様。さっきの話、マジなんすか?」
手綱を握るクライブが、風切り音に負けないよう声を張り上げた。
彼の視線は前方に固定されたままだが、その声には隠しきれない不安の色が滲んでいる。
「話って?」
「治癒魔法(ヒール)のことっすよ。理論上は使えるって、あの大見得切ったやつ」
クライブの問いに、私は鞍にしがみつきながら小さく苦笑した。
やはり、彼は気付いている。
私がアミナを説得するために、少しばかり話を盛ったことを。
「……正直に言えば、賭けね」
私は正直に答えた。
共犯者である彼に嘘をついても仕方がない。
「治癒魔法は、通常の元素魔法とはわけが違うわ。火や風は現象を起こすだけだけど、治癒は他人の『生体組織』に干渉して、細胞の再生時間を強制的に早める術式よ。複雑さが桁違いだし、何より魔力消費が半端じゃない」
本来なら、高位の聖職者が神に祈りを捧げ、儀式的に行うレベルの奇跡だ。
あるいは、魔法を極めた大魔導師が、数人がかりで行うような大手術。
それを、六歳児がやろうというのだから、正気の沙汰ではない。
「やっぱり……! じゃあ、ハッタリだったんすか!?」
「いいえ、勝算はあるわ」
私は肩に乗っている黒猫――クロに視線を向けた。
クロは馬の揺れなど意に介さず、鋭い爪で私の服に器用に張り付いている。
そのアメジスト色の瞳は、静かに私を見つめ返していた。
「この子は、魔力を譲渡できるのよ」
「その猫……クロ、でしたっけ……」
クライブがチラリとクロを見る。
騎士の勘が告げているのだろう。
この小さくて可愛い毛玉が、見た目通りの存在ではないことを。
「俺も長く騎士やってますけど、魔力を譲渡する魔物なんて聞いたことねぇっすよ。お嬢様は心当たりあるんすか?」
「……いいえ。私の知識にもないわ」
千年の魔女としての記憶を検索しても、該当する魔物はいなかった。
精霊に近い存在なのか、それとも突然変異種なのか。
だが、確かなことが一つだけある。
この子から流れてくる魔力は、どこまでも澄んでいて、温かいということだ。
「この子の魔力供給があれば、理論上の魔法を強引に成立させられるかもしれない。……ううん、やるしかないのよ」
私は前を見据えた。
地平線の彼方に、黒い煙が立ち上っているのが見える。
あそこがグレイル村だ。
「失敗したら、俺もお嬢様も笑い者っすね」
「笑い者で済めばいいけどね。……飛ばして、クライブ!」
「合点承知!」
クライブが拍車をかける。
馬がいななき、さらに速度を上げた。
◇ ◇ ◇
グレイル村に到着した時、そこはすでに地獄の入り口と化していた。
「……酷い」
私は絶句した。
平和だったはずの開拓村は、黒煙と炎に包まれていた。
家々は焼かれ、畑は踏み荒らされ、あちこちで悲鳴と怒号が飛び交っている。
そして、視界を埋め尽くすのは、おびただしい数の魔物の群れだ。
ゴブリン、オーク、ウルフ。
普段なら森の奥に棲んでいるはずの魔物たちが、まるで統率された軍隊のように隊列を組み、波状攻撃を仕掛けてきている。
「総員、陣形を崩すな! 村人を守りつつ後退せよ!!」
「盾を構えろ! にじり寄れ!」
村の入り口付近では、先行した騎士団が防衛線を張っていた。
その最前線で、一際大きな怒号と共に剣を振るう人物がいる。
父、ローウェンだ。
「ぬんッ!!」
父の一閃が、襲いかかるオークの巨体を兜ごと両断する。
愛馬を巧みに操り、戦場を疾駆するその姿は、まさに『四大騎士』の再来。
鬼神の如き強さだ。
彼の周りにはすでに魔物の死体の山が築かれている。
「すげぇ……ローウェン様、本気だ」
クライブが感嘆の声を漏らす。
だが、状況は芳しくない。
父は強い。
けれど、敵の数が多すぎる。
倒しても倒しても、森の奥から次々と新しい魔物が湧いて出てくるのだ。
騎士たちの疲労は濃く、防衛線じりじりと村の中心部へと押し込まれている。
「クライブ、私たちは避難所へ!」
私は叫んだ。
今、私たちが前線に飛び込んでも、この大軍の中では埋もれてしまう。
私がすべきことは、前線の維持ではなく、後方の安定と負傷者のケアだ。
「了解っす! 村の集会所が避難所になってるはずです!」
クライブは馬を巧みに操り、魔物の群れの薄い場所を突破して村の中へと駆け込んだ。
村の中は混乱の極みだった。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供たち。
私たちは集会所の前で馬を降りた。
「お嬢様、離れないでくださいよ!」
「分かってるわ!」
クライブが剣を抜き、私の護衛につきながら集会所の扉を開ける。
中には、百人近い村人たちがすし詰め状態で避難していた。
空気は重く、澱んでいる。
恐怖と絶望、汗と血の匂い。
女子供の泣き声が響き、男たちは農具を握りしめて入り口を警戒しているが、その手は震えていた。
「き、騎士様だ! 助けが来たぞ!」
私の体は、クライブの大きな腕と馬の首に挟まれ、激しい上下動に揺さぶられていた。
早馬の速度は凄まじい。
景色が溶けるように後方へと流れていき、普段は遠くに見える山並みが、みるみるうちに近づいてくる。
「……なぁ、お嬢様。さっきの話、マジなんすか?」
手綱を握るクライブが、風切り音に負けないよう声を張り上げた。
彼の視線は前方に固定されたままだが、その声には隠しきれない不安の色が滲んでいる。
「話って?」
「治癒魔法(ヒール)のことっすよ。理論上は使えるって、あの大見得切ったやつ」
クライブの問いに、私は鞍にしがみつきながら小さく苦笑した。
やはり、彼は気付いている。
私がアミナを説得するために、少しばかり話を盛ったことを。
「……正直に言えば、賭けね」
私は正直に答えた。
共犯者である彼に嘘をついても仕方がない。
「治癒魔法は、通常の元素魔法とはわけが違うわ。火や風は現象を起こすだけだけど、治癒は他人の『生体組織』に干渉して、細胞の再生時間を強制的に早める術式よ。複雑さが桁違いだし、何より魔力消費が半端じゃない」
本来なら、高位の聖職者が神に祈りを捧げ、儀式的に行うレベルの奇跡だ。
あるいは、魔法を極めた大魔導師が、数人がかりで行うような大手術。
それを、六歳児がやろうというのだから、正気の沙汰ではない。
「やっぱり……! じゃあ、ハッタリだったんすか!?」
「いいえ、勝算はあるわ」
私は肩に乗っている黒猫――クロに視線を向けた。
クロは馬の揺れなど意に介さず、鋭い爪で私の服に器用に張り付いている。
そのアメジスト色の瞳は、静かに私を見つめ返していた。
「この子は、魔力を譲渡できるのよ」
「その猫……クロ、でしたっけ……」
クライブがチラリとクロを見る。
騎士の勘が告げているのだろう。
この小さくて可愛い毛玉が、見た目通りの存在ではないことを。
「俺も長く騎士やってますけど、魔力を譲渡する魔物なんて聞いたことねぇっすよ。お嬢様は心当たりあるんすか?」
「……いいえ。私の知識にもないわ」
千年の魔女としての記憶を検索しても、該当する魔物はいなかった。
精霊に近い存在なのか、それとも突然変異種なのか。
だが、確かなことが一つだけある。
この子から流れてくる魔力は、どこまでも澄んでいて、温かいということだ。
「この子の魔力供給があれば、理論上の魔法を強引に成立させられるかもしれない。……ううん、やるしかないのよ」
私は前を見据えた。
地平線の彼方に、黒い煙が立ち上っているのが見える。
あそこがグレイル村だ。
「失敗したら、俺もお嬢様も笑い者っすね」
「笑い者で済めばいいけどね。……飛ばして、クライブ!」
「合点承知!」
クライブが拍車をかける。
馬がいななき、さらに速度を上げた。
◇ ◇ ◇
グレイル村に到着した時、そこはすでに地獄の入り口と化していた。
「……酷い」
私は絶句した。
平和だったはずの開拓村は、黒煙と炎に包まれていた。
家々は焼かれ、畑は踏み荒らされ、あちこちで悲鳴と怒号が飛び交っている。
そして、視界を埋め尽くすのは、おびただしい数の魔物の群れだ。
ゴブリン、オーク、ウルフ。
普段なら森の奥に棲んでいるはずの魔物たちが、まるで統率された軍隊のように隊列を組み、波状攻撃を仕掛けてきている。
「総員、陣形を崩すな! 村人を守りつつ後退せよ!!」
「盾を構えろ! にじり寄れ!」
村の入り口付近では、先行した騎士団が防衛線を張っていた。
その最前線で、一際大きな怒号と共に剣を振るう人物がいる。
父、ローウェンだ。
「ぬんッ!!」
父の一閃が、襲いかかるオークの巨体を兜ごと両断する。
愛馬を巧みに操り、戦場を疾駆するその姿は、まさに『四大騎士』の再来。
鬼神の如き強さだ。
彼の周りにはすでに魔物の死体の山が築かれている。
「すげぇ……ローウェン様、本気だ」
クライブが感嘆の声を漏らす。
だが、状況は芳しくない。
父は強い。
けれど、敵の数が多すぎる。
倒しても倒しても、森の奥から次々と新しい魔物が湧いて出てくるのだ。
騎士たちの疲労は濃く、防衛線じりじりと村の中心部へと押し込まれている。
「クライブ、私たちは避難所へ!」
私は叫んだ。
今、私たちが前線に飛び込んでも、この大軍の中では埋もれてしまう。
私がすべきことは、前線の維持ではなく、後方の安定と負傷者のケアだ。
「了解っす! 村の集会所が避難所になってるはずです!」
クライブは馬を巧みに操り、魔物の群れの薄い場所を突破して村の中へと駆け込んだ。
村の中は混乱の極みだった。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供たち。
私たちは集会所の前で馬を降りた。
「お嬢様、離れないでくださいよ!」
「分かってるわ!」
クライブが剣を抜き、私の護衛につきながら集会所の扉を開ける。
中には、百人近い村人たちがすし詰め状態で避難していた。
空気は重く、澱んでいる。
恐怖と絶望、汗と血の匂い。
女子供の泣き声が響き、男たちは農具を握りしめて入り口を警戒しているが、その手は震えていた。
「き、騎士様だ! 助けが来たぞ!」
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