森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

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115、過ぎゆく時に(7)

ゴンッ!!

 ――正面から思いっきりノワゼアに頭突きをかました!

「ふぎゅっ」

 目の奥に星が飛ぶ。頭蓋骨に響く衝撃に、リルは両手で額を押さえて前屈みになるが……。
 ノワゼアの方がもっと大惨事だった。
 なにせ脱力してノーガードな状態でリル渾身の頭突きを喰らったのだ。堪えることもできず直立のまま背中から地面に倒れ込む。

「きゃー! ノワ君!!」

 想像以上の効果に、加害者は慌てて被害者に駆け寄った。

「ねぇ、ノワ君。大丈夫? 起きれる?」

 上から顔を覗き込むリルに、霞がかった赤い目をぼんやり見開いていたノワゼアは、二・三度瞬きして……。

「く、ははっ」

 やおらぴょんっと跳ね起きた!

「わはははは! やっぱりリルは変なヤツだな!」

 手を腰に当てて高らかに笑うノアゼアの瞳は真紅に輝き……生気に満ちていた。

「さすがは我が嫁。うっかり落ち込む隙もない」

「ノワ君……」

 いつもの横柄な口調の黒狐に、人間の少女は思わず涙ぐむ。

「なんだこれ、不快だ」

 ノワゼアは下半身に絡みついた泥をベリッと剥がすと、地面に投げ捨てた。

「我がちょっぴり感傷に浸っている間に、随分面倒な事態になっていたようだな」

 背の高い狐耳が首を巡らせると、地竜の遺骸を取り囲むように森からおぞましい汚泥が溢れてくるのが見える。
 泥の円はじわりじわりとその半径を狭めている。

「ノワ君、どうにかして助けを呼ばないと」

 スイウは術が完成するまで動けない。リルは戦力外。かといってノワゼア一人で多勢を相手にするのは難しい。だから援軍が欲しいとリルは考えたのだが……。
 リルの提案を、ノワゼアはふんっと鼻で笑い飛ばした。

「助けなどいらん。我を誰だと思っている?」

 三角耳をピンッと立て、自信満々に胸を張る。

「我は誉れ高き宵朱狐一族の頭領ノワゼア。下衆な禍物なぞに遅れを取るものか!」

 言うが早いか、ノワゼアは右手を天に突き上げた。……途端。

 ボッ!!

 辺りを囲んでいた禍物が一斉に燃え上がった!

「ひえっ!?」

 リルは驚愕してノワゼアの腕にしがみつく。

「ちょっとノワ君、やりすぎ! 森が燃えちゃう!」

 木々の間に蠢く泥にまで火がついてリルは大慌てになるが、ノワゼアはどこ吹く風だ。

「問題ない。我の炎は万能だ、燃やしたいものしか燃えぬ」

「……へ?」

 よく見ると、確かに燃えているのは泥のみで、周辺の木々は焦げることもなく青々としたままだ。

「すごい。これがノワ君の力……」

 大蛇と戦った時の比ではない。これが、グラウンによって開放されたノワゼアの本来の能力だ。

(……こんなの、子どもに持たせるのは不安よね)

 成長すこの日が来るまでグラウン大人に預けたノワゼア父の気持ちがよく分かる。
 火に包まれのたうち回る泥の動きが徐々に弱くなるのに連動するように、地竜の躯を包む光が大きくなっていく。

 ――もうすぐ、スイウの術が完成する。

 雨のように降り注ぐ金色の粒子を、リルとノワゼアは黙って見守っている。傍らに立つノワゼアの左手がリルの右手に触れ、彼女は肩を跳ねさせた。
 グラウンから目を離さぬまま、ノワゼアがリルの手を握ってくる。リルは少しだけ躊躇ってから、その手を握り返した。
 地竜の黒い甲羅が草に覆われ、木々の新芽が伸び、色とりどりの花が咲き乱れる。溢れていた光の粒子が数を減らし、やがて最後の一粒が風に舞い散ると、スイウは杖を下ろした。
 魔法使いの前には、緑豊かな小山が一つ。

「どうぞ、安らかに」

 ローブの裾を払い、スイウが一礼する。

 ――これで、黒甲地竜グラウンの弔いは滞りなく終了した。

 穏やかな風がリルのポニーテールの毛先を揺らす。
 彼女は握ったノワゼアの手に一瞬力が籠もったのを感じたが……彼の頬を伝う涙には、気づかぬふりをした。
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