婚約破棄されたら、多方面から溺愛されていたことを知りました

灯倉日鈴(合歓鈴)

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21、兄と弟

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「ど……どうしたんだよ、フルール?」

 グレゴリーは戸惑う。ずっと従順だった彼女の態度がおかしい。

「また僕と婚約できるんだよ? 王太子妃になれるんだよ?」

「……離してください」

 素っ気ないフルールに、王太子はますます彼女の腕を強く握る。

「どうしたんだい? メロディとは本当に終わっ……」

「やめて!」

 フルールは堪らず叫んだ。

「離してください! 一度心を通わせた相手を毒婦呼ばわりするような殿方に触れられたくありません!」

 腕を振り回し、無理矢理引き剥がす。

「グレゴリー殿下のおっしゃる真実の愛ってなんですか? 簡単に捨てられるものなのですか? メロディ様の存在は、そんなに軽かったのですか? 私の存在は……そんなに軽かったのですか?」

 必死に訴えるフルールに、グレゴリーは――

「ははっ!」

 ――おどけて笑った。

「なんだい、フルール。ねているのかい? 可愛いところがあるじゃないか。大丈夫、僕は君の元へ戻ったんだよ。安心して僕の胸に飛び込んでおいで」

 鷹揚に両手を広げる王太子を、令嬢は冷ややかに見つめる。

「お断りします」

 きっぱりと言い放つ。

「わたくしと殿下のご縁は切れました。二度と交わることはございません」

 これまで一度だってグレゴリーに逆らったことのなかったフルールの最初で最後の反乱に、彼は大いに狼狽えた。

「どうしてだ? 僕を捨てる気か? 僕を裏切る気か!?」

「それを殿下が言いますか?」

 まさにお前が言うなだ。

「ええい。うるさい、うるさい!」

 グレゴリーはフルールに掴みかかる。

「お前は黙って僕の言うことを聞いていればいいんだ!」

 男が右手を振り上げる。

「きゃ……」

 ぶたれる! とフルールが目を瞑り、顔を背けた……その時!

「やめろ!」

 揉み合う王太子と公爵令嬢の間に、頭半分低い影が飛び込んだ。淡い栗色の巻毛は、第二王子セドリックだ。

「……!」

 咄嗟のことで振り下ろされた手は止まらず、兄は自分とよく似た弟の頬を叩いてしまう。
 パンッ! と乾いた打撃音が廊下に響くが、セドリックは揺るがない。そのままグレゴリーを睨みつけた。

「何をしているのですか、兄上。王族が守るべき国民の、しかも婦女子を殴るなどあってはならぬこと。恥を知れ!」

 年下に毅然と叱られ、グレゴリーは顔を真っ赤にして憤る。

「そこをどけ、セドリック。これは僕とフルールの問題だ。子供は引っ込んでろ!」

 それでもセドリックは怯まない。

「兄上とフルールの問題とは?」

「もう一度婚約してやろうって言ってるんだ。王太子との結婚だぞ、これ以上名誉なことはないだろう!」

 意気揚々と答える兄に、弟は振り返って公爵令嬢を見た。

「……て、言ってるけど、フルールはもう一度こいつと婚約するの?」

 聞かれた彼女はふるふると首を横に振る。

「だって」

 向き直ってフルールの意志を伝える弟に、兄は声を荒げた。

「なんでだ!? ずっとフルールは僕に尽くしてくれたじゃないか。たった一度の過ちが許せないほど、君は狭量な女だったのか!」

「回数の問題じゃないよ」

 噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出してくるグレゴリーに、フルールとの視界を遮るようにセドリックが通せんぼする。

「そうだよ、フルールはずっと兄上に尽くしてきた。生まれた時からずっと、王太子妃候補として、王太子にふさわしい女性になるためだけに生きてきたんだよ」

 弟は同じ紫色の瞳で兄を見つめる。

「生まれただけで地位を確立した兄上のために、フルールはたくさんの努力をさせられてきたんだ。憲法も歴史もマナーも語学も、王族の僕らより余程詳しいよ。フルールは自分の身を削って、親同士が勝手に決めた兄上との結婚のためだけにがんばってきたんだ。それを……」

 血が滲むほど、唇を噛みしめる。

「フルールの努力を……。フルールの十八年の人生すべてを踏みにじって、別の相手を選んでおいて、自分の立場が悪くなったからって復縁したいなんて、バカにするにも程がある。これ以上フルールを侮辱するな!」

 セドリックの言葉に、グレゴリーは愕然とする。彼は今の今まで、自分の行いが他人の人生を狂わせたことに気がついていなかったのだ。……四歳年下の弟はちゃんと解っていたというのに。

「フ、フルール……」

 助けを乞うように視線を送るグレゴリーに、フルールは憐れみの目を向ける。

「グレゴリー殿下、わたくしはわたくしなりにあなたに誠実でした。だから殿下が真実の愛に目覚めたと仰った時、喜んで身を引きました。政治や世論よりも、心のままに決めたお相手の方が幸せになれると。でも……あなたはご自分が不利になると真実の愛を手放した」

 ひとつ息をついて、呼吸を整える。

「簡単に捨てたり拾ったりできるのがあなたの愛なら、わたくしはそんなもの要りません。これまでの十八年を悔やむことはありません。でも、この先の人生を、わたくしは自分のためだけに使います。そこにグレゴリー殿下の居場所はありません」

 背筋を伸ばし、凛とした口調で語る公爵令嬢に、王太子は最早反論の術もない。

「……っ」

 言葉の出ない口を閉じ、すごすごと自室に消えていく。
 グレゴリーの後ろ姿が見えなくなると、フルールの体がぐらりとかしいだ。

「フルール!?」

 慌てて第二王子が自分より背の高い公爵令嬢を支える。

「申し訳ありません、ちょっと力が抜けて……」

 膝がガクガク震えている。思った以上に気を張っていたのだろう。

「お騒がせしてすみません。すぐ帰りますから……」

「こんな状態で帰せるわけないでしょ!」

 気丈に振る舞おうとする年長者を、年下が一喝した。

「マティアス、マティアス!」

 呼ぶとすぐ顔を出した秘書官に、セドリックは命令する。

「ブランジェ公爵家の執事を呼んできて。城門の馬車止めにいると思うから。あと、どこか休める部屋を空けて。熱い紅茶の用意も」

「畏まりました」

 恭しく頭を下げてマティアスが去ると、入れ替わりにすぐに侍女が来て、第二王子と公爵令嬢を近くの談話室へと導いた。
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