日向御子物語~時を越えた兄妹の絆~

Takachiho

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終章

4-3.エピローグ(完)

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 翌朝、颯と真菜はこの時代で最後の食事をとり、お世話になった皆との別れを済ませた。そして午前中には二人で後の三輪山を登っていく。

「兄さん。沙々羅さんと五十鈴媛とあっさりした挨拶だったけど、あれでよかったの?」
「うん……」

 短い期間ながらも苦楽を共にした美しい少女たち。彼女たちとの別れが惜しくないと言えば嘘になるが、颯も、そしておそらく沙々羅も五十鈴媛も、覚悟はできていた。

 もし同じ時代に生まれて出会っていればという思いはあるものの、それがどれだけ願っても叶うことのない夢であることはお互いにわかっている。

「朝起きたら一緒に寝ていたのには驚いたけど、僕にできるのは二人の、ううん、二人だけじゃないけど、皆が幸せに暮らしてくれることを祈るだけだよ」
「そっか……」

 兄妹の間に切なさを孕んだ空気が流れる。颯は少しだけ先を歩く妹の背中を見つめた。日本神話に詳しい真菜ならばある程度は皆のその後を知っているのではないかと颯は考えるが、それを聞く気にはなれなかった。

 そもそも、古事記や日本書紀に書かれていることがすべて事実だとは限らない。むしろ、編纂者や時の権力者の都合によって少なからず改変されていると思うべきだ。それに、颯の習った歴史に鬼は実在しないのだから、この時代と颯たちの生きてきた時代が一続きなのかも定かではなかった。

「真菜こそ、伽耶ちゃんともっと一緒にいたかったんじゃない?」
「それはそうだよ」

 真菜は出会った頃から伽耶を可愛がっていたし、黄泉国から生還してからは『お姉ちゃん』と呼ばれて喜んでいた。

「だけど、私はこの時代にいつまでもいちゃいけないんだ」
「それを言うなら僕もだろ」

 真菜も颯も、自分のいるべき場所はここではないと自覚していた。颯は真菜が特に反応を示さないことに僅かな疑問を抱きながらも、敢えて触れることなくその後を追う。

 修験者の修行場となる滝を越え、突貫で整備された山道を無言で登る。颯の脳裏にはこれまでの出来事が次々と浮かんでは消えていった。

 颯は胸に手を当てる。平時よりやや早い鼓動の奥で、遥か過去の自分が確かに眠っているのを感じた。

「兄さん。着いたよ」

 しばらくして、真菜に先導されて山頂付近の社へと辿り着いた。元の時代で登ったときは息も絶え絶えになっていたが、今はそれほど疲労を感じなかった。颯は随分と鍛えられたものだと感心しながら、白いやしろを見つめる。できたばかりの社の中に運命を共にした愛剣が納められていると思えば、感慨深いものがあった。

「あれ?」

 颯は今更ながら、昨日から今日にかけて、天之尾羽張あめのおはばりが近くになくても言葉が通じていた事実に思い至った。

「どうかした?」
「ううん。何でもない」

 きっと自分の中の伊邪那岐命いざなぎのみことのおかげだろうと納得し、颯は真菜に並ぶ。真菜は小首を傾げていたが、颯の表情から疑問が消えたのを確認し、社に向き直った。

「じゃあ、兄さん。いくね」
「うん」

 颯は真菜に言われるまま目を閉じる。颯にできるのは、消え行く伊邪那美命いざなみのみことから帰還のすべを授かったという真菜にすべてを委ねることだけだった。颯は深呼吸を繰り返して気を静め、その時を待った。

 やがて、すぐ隣で力が膨れ上がるのを感じた。その直後、雷鳴が轟く

「兄さん、もういいよ」

 颯が恐る恐る瞼を開くと、そこには先ほどまでとあまり代わり映えのしない光景が広がっていた。いや、年季を感じさせる社とその周りだけが、あの時代と今とが隔絶したものであることを示している。

「帰ってきたんだ」

 颯の呟きが澄んだ空気を伝って広がっていく。颯は古びた社に、もの悲しさを感じた。

「真菜、帰ろう」

 そう言って颯は反転し、一歩を踏み出す。

「待って」

 制止の声に颯が振り向くと、どこまでも真摯な瞳をした真菜が出迎えた。

「真菜?」

 颯の心の奥底に得も言われぬ不安が生まれ、せり上がる。真菜の瞳の奥が悲しさと切なさで揺れているように感じた。

「兄さん。社の中の天之尾羽張を使って、今ここで私を殺して」
「真菜、何を――」

 颯は反射的に声を上げかけるが、自分でも意識しない内に心のどこかで真菜がそう言い出すのではないかと考えていたのか、驚愕はすぐに消え去った。颯は一旦口を閉じ、一拍置いてから再び口を開く。

「真菜が、伊邪那美命の魂を宿しているんだね」

 黄泉津大神よもつおおかみと決着がついた際の白い世界で、颯はかつての妹であり妻でもあった伊邪那美命の魂を未来へと送った。来世では幸せになってほしいと願い、叶うなら自らと共にと。

 颯が見つめるその先で、真菜が大きく頷いた。真菜自身、そのことを知ったのは伊邪那美命と最後に二人きりで話した時だったようだ。

「だから、私を殺してほしい。他ならぬ兄さんの手で……」

 真菜の目は、覚悟を決めた者の目だった。

「真菜。僕があの時、送魂そうごんの秘術で送ったのは伊邪那美命の魂だよ。黄泉津大神じゃない」

 だから大丈夫。何も気にせず幸せになればいい。颯はそう言い聞かせるように伝えるが、真菜は悲し気に首を横に振った。

「当時は知らなかったけど、私は伊邪那美命の魂を宿していたみたい。だけど、黄泉津大神が瀕死の私を救うために死の穢れを使ったの。私は死の穢れをその身に取り込むことで生きながらえた。でも、その代償で、私の、伊邪那美命の魂は黄泉津大神のものへと変わってしまった」

 それを自覚してしまった今、真菜はこれまで通りには暮らせないと告げる。このままではこの世界に死の穢れが撒き散らされ、様々な災厄が起こるかもしれないと真菜は危惧していた。

「私はもう同じ悲劇を繰り返したくない。兄さん、お願い。私を殺して……!」

 真菜は懇願するが、颯は頷くわけにはいかなかった。もう二度と、妹を、大切な家族をその手にかけるわけにはいかなかった。颯は、妹に、真菜に幸せになってほしかった。

「真菜を殺すなんて、それこそ悲劇の繰り返しじゃないか!」
「でも……!」
「真菜は幸せになりたくないの?」
「なりたいよ!」
「だったら――」

 颯が言い切らない内に、真菜が声を張り上げる。

「でも、ダメなの。自分の幸せのためにたくさんの人たちを不幸にするなんて、私は許せない!」

 真菜の瞳に大粒の涙が浮かんでいた。真菜が歯を食いしばる。

 幸せになりたいという願いと、幸せになってはいけないという戒め。真菜はその間で揺れる想いの天秤を無理やり後者に傾けて固定するために歯を食いしばっているように、颯は感じた。

「真菜」

 俯きかけていた真菜が顔を上げる。

「黄泉津大神と真菜には違いがあるのがわかる?」
「……違い?」
「うん」

 真菜が眉根を寄せる。暫しの後、真菜は小さく首を横に振った。

「それは、僕だよ」
「……え?」
「黄泉津大神には伊邪那岐命がいなかった。むしろ、伊邪那岐命のせいで伊邪那美命が黄泉津大神になってしまったみたいなところもある。それに、仕方がなかったとはいえ、彼は黄泉津大神を殺すことでしか彼女を救う道を見出せなかった」

 前世の自分を恥じつつ、颯は続ける。

「結果は真菜も知っての通り、伊邪那岐命は敗れ、黄泉津大神は、伊邪那美命は一人で苦しむことになった。だけど、真菜には僕がいる」

 僅かな希望を見出そうと縋るかのように、キョトンとしていた真菜の顔がくしゃくしゃに歪んだ。

「真菜」

 再び颯が名前を呼ぶと、真菜は涙に濡れた瞳で兄を見つめる。

「もし真菜が1000の災厄をもたらすのなら、僕は1500の幸せをもたらしてみせる」

 颯はいくら黄泉津大神の魂が真菜に宿っていると言っても、本当に過去のようなことが繰り返されるとは思いたくないし、今の自分にそれだけの力があるとも思っていない。けれど、言葉にした想いに嘘はない。

 真菜の瞳が大きく見開かれた。

「過去に起こってしまったことは変えられないけど、未来は自分たち次第なんだ。だから――」

 真菜が颯にしがみつく。颯の胸に額を押し当て、真菜が泣きじゃくる。

「私は、幸せになりたい。なっても、いいの……?」
「僕と一緒に幸せになってほしいって言ったろう?」
「兄さん……!」

 颯は片腕を真菜の背に回し、ギュッと抱きしめる。もう片方の手を真菜の頭に添えて、優しく、それでいて力強く撫でた。

 真菜の嗚咽だけが辺りに響く。颯は真菜が落ち着くまで、いつまでもそうしていた。そして、暫しの時が流れた。

「真菜、帰ろうか」
「うん……!」

 古びた社に背を向けて、二人は共に歩き出す。

 緑の切れ間から差し込む日の光が、辺り一帯を優しく照らしていた。
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みんなの感想(1件)

アトらん
2021.12.02 アトらん
ネタバレ含む
2021.12.03 Takachiho

 感想ありがとうございます。

 実はこの作品の一章の半分ほどが『奴隷勇者の異世界譚』の連載を始めるよりもだいぶ前、それこそweb小説の存在すら知らないときに既に執筆していたものでして、連載しようと思ったときに書き直せばよかったのですが、ストックがあまりできていなかったこともあってそのまま分割して投稿してしまいました。

 web小説向きの書き方ではなく、好みも違うにもかかわらず、お忙しい中で読んでいただき、更には感想までいただけてとても嬉しく思います。

 最近スタートした『奴隷勇者の異世界譚』の外伝第一弾も、もし興味がおありでしたら応援していただけると嬉しいです。いつも素敵な感想をありがとうございます。

解除

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