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79. 奇跡の名を冠する花①
朝靄が残る早い時間。
眠い目をこすりながら起きて、夜を過ごした岩場から足元に気をつけつつ巨石の隙間を降りた。
デトイドさんが教えてくれた冷たい泉でノプスという珍しい花が咲いていないか確認するために。
水が湧いているためか草花が泉を囲んでいて遠目ではここに泉があるなんて思えない隠れた場所で、連れて来てもらうまで、ここに湧水の泉があるとも思わなかった。
朝靄が少しずつ晴れてきて、その隙間から見えるのはきれいな青空。
早朝とはいえ夏という季節柄なのか、すぐに暑さが強まり始めて、少し動くだけでも汗が流れてくるのでタオルで拭う。
隙間から降りきって泉を覗くと青い花がぽつんと水面に浮き、ちゃぷちゃぷと聞くだけで涼しくなるような水の音と合わせるように底から湧いてくる水の勢いでゆらゆらと揺れている。
「これかな」
「思ってたより小さい花だね」
同じように覗き込んだイーグルくんと言葉を交わしている背後で、
「これだぁな。にしても、なかなかお目にかかれねぇもんをこうもタイミング良く見れるとはなぁ」
デトイドさんが感嘆のため息一つ。
花農家のツァイさんから聞いていた通り、丸くて青い宝石のような花を咲かせている。
思っていたよりも小さなその花は確かに青い。よく見ると、その中心の周りには水滴が付いている透明な花びらが数枚。
冷たい清流と話していたけど、ここはそんなに冷たいのだろうか。
ふと気になって、足元近くの泉に指を入れてみて驚きながら「つめたっ…!」と思わず手を引っ込めた。
指先を浸けただけで汗が滲んでいた全身が一気に冷えていくほどの冷たさ。
わたしの反応を見たイーグルくんも同じように指を浸けて目を丸くして驚く。
「何でこんな冷たいの?!」
「……おめぇら、この花が咲いている前で水に驚くたぁなぁ…、呆れてものも言えねえ」
唖然とした様子で息をついたデトイドさんは太い腕を組んで、わたしたちの様子を見て苦笑しているバルトくんへ続ける。
「あんま詳しくはねぇが、奇跡の花って呼ばれてんだ。とにかく花を持って帰るんなら取ってしまえや」
「種を探してほしいって依頼なんですよね、花…だと違いませんか」
「そりゃあちげぇな、種とはまあ難儀なもんを頼まれてんな」
花ですら見つけることが難しいってぇのに、とデトイドさんは呆れ果てたと息をつく。
そうやって二人で依頼について話し始めたので、わたしはまたノプスという花を見つめた。
驚くほど冷たい水面にまるで浮くように透明の花びらと青くて丸い宝石のように煌めく花が一輪。透き通る湧き水の中を覗くと、話に聞いていた通り、白い砂の広がる底のほうから細い茎が伸びて揺れている。
花びらがない状態で見れば、鉱石にも見えるほど花が輝いていて、リュウオウによく似ていた。
ここでふと、昨日のことを思い出す。
亀裂の隙間から入る洞窟内に幾つもあった歪な丸の水中に淡く青に光るリュウオウという鉱石が光り、そこに白い花を撒いた。
まるでそのまま、とは言わないが、少しだけ光景は似ている。
淡く青に光る花。というところが。
「昨日の光景に似てますね」
「ああ、ストーンプールはこれを真似ただけだ。ノプスを集められりゃあいいが、咲いてるもんを探すことが相当難しいからなぁ」
「…その人、このノプスがすごく好きだったんですね」
「おう、見るために冒険者になったってぇ珍しい奴だったな。探し回って初めて見つけたときの顔と言ったら…………って何話させやがんだ」
話している途中でふと我に返ったらしいデトイドさんは眉間を寄せて頭をかくと、深くため息一つ。
話しながら一瞬だけ、初めて見るほど優しい顔を浮かべた。
そんな顔を向けるような相手だったんだろうことは分かって、笑いつつも「すみません」と謝罪する。
最初の頃とは随分とデトイドさんの印象は変わった。怖くて話しかけられない、というほどではなくても身構えてしまいそうになった人だった。
人を寄せ付けないところはあまり変わらないにしても、一緒に仕事をしたことで他人を心配してくれたり気遣ってくれる人だと今は理解している。
笑顔で兄よりも背の高いデトイドさんを見上げていると、困ったようにふうと息をついて諦めた様子で額に手を当てたあと。
遠い目を浮かべてから、空を仰いだ。
「おめぇみてぇに、他人を見返りなく助ける程度にはアホなやつでなぁ。見たいっつー奇跡の花ってぇもんを一緒に探す時間は……楽しかったなぁ」
そう呟く横顔は、悲しさと寂しさと懐かしさが混ざった複雑なもので。
わたしだけでなく、近くにいたバルトくんやイーグルくんも何も言葉を挟まない。
もしかして人を寄せ付けないのは、その思い出があるからなのだろうか。
そう考えていると、泉に咲いている花がよく見える場所にしゃがんだまま、イーグルくんが花から目を離すことなく呟く。
「そんなに珍しい花ってことはなかなか見つけられないってことだよね?」
「そうだぁな」
「滅多に見ることができないから奇跡の花?」
「さぁなぁ」
肩を竦めてデトイドさんは目を伏せると、ノプスへ改めて視線を向けてからバルトくんに話しかけた。
「種に関しちゃ俺もさっぱりだ、町に戻るとするかぁ」
「また情報集めてから、ここに来ることにします」
二人が話しをまとめて結論ついたので、わたしはまだ花を眺めているイーグルくんの隣にしゃがんで同じように花を眺めた。
煌めく青い花が涼しげな音を奏でるように水面で揺られている。
「気になるの?」
「んー、奇跡と呼ばれるならもっと他に理由があるかもなって考えただけ。アストさまからの依頼だったし、理由を知ってるのかな」
「戻ったら聞いてみる?」
「そうしよっか」
二人でそう話している背後で「帰るぞー」というバルトくんからの呼び声が聞こえてきたので、わたしたちは奇跡の花と呼ばれる花をそっとそのままにしてこの場から立ち去ることにした。
ノプスの咲く泉へ行くため山はすでに降りていたので、町までは大きな起伏もなくすんなりたどり着くことができて、デトイドさんとは町にたどり着いた時点で別れることになった。
帰りの道中で、依頼料はギルドへ振り込んでおくこと。そして元々少ない依頼料だったので、機会があればまた夕飯でも奢ってやるということをバルトくんへ話していた依頼人のデトイドさんの横顔は満足そうだったから、わたしも嬉しくなった。
別れたあと、わたしたちは一度アストさんのところへ足を向けることに。
いつも通りの道を歩いて領主の屋敷へ辿り着き、ここへ来ると顔を合わす衛兵さんに挨拶。すぐにサフィナさんへ報告がいったようで、入り口から足を踏み入れたところで迎えにきてくれた。
サフィナさんの案内でアストさんの私室へ向かい、いつものようにソファーに腰掛けた彼へ報告する。
花農家の人でさえ珍しいという花自体はなんとか見つけたものの、種の入手方法は分からずじまい。
驚くほど冷たい水でなければ育たない可能性が高いことも伝えると、アストさんは少し悩んだ末にサフィナさんへ尋ねた。
「迷惑をかけるが、連れて行ってくれるかい?」
「ご希望でしたら、どこまででもお連れいたします」
微笑みながら断言するサフィナさんへ、アストさんはホッとしたように息を吐く。
ここで今更わたしは気がついた。
出会ってからずっと、アストさんは一人で動けないんだった。
一人では生きていけない、できないことだってあると嫌でも理解していた人だ。
自分で自由に動けないがゆえの悩みだってあるはずなのに、そんなことを吹き飛ばすくらい明るくて前向きで優しい人。
ウーヴァさんが言うように、今のアストさんのように、信頼できる人に自分のできないことを頼ることがおかしなことじゃないのなら、わたしもこれからそういう生き方をしていくべきかもしれない。
その道のプロには到底敵わない。クリスタルの効果があるとはいえ、わたしは特別なものを持ってはいない器用貧乏なのだから。
アストさんから何か頼まれてサフィナさんが部屋から出ていく扉の音で、それまで潜っていた思考から浮上して、わたしはようやく周囲に目が向く。
そこで話しを切り出すタイミングが良かったのか、今度はイーグルくんがアストさんに質問を投げた。
「アストさまはなんで奇跡の花と呼ばれているか知ってますか?」
「ああ、たぶん知っているよ」
微笑んだアストさんはテーブルの上にあった真っ白な用紙に絵を描き始めたので三人で覗き込んだ。
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