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5.尽きない悩み
しおりを挟むしゅ。風を切る音が、川のせせらぎに混じって響く。
両手で木刀を握りしめ、しゅ。一定の間隔を空けながら、上から下へ。空を切る。同時に足元から聞こえる砂利を踏む音。
吐く息は真っ白でだいぶ肌寒いが、彼は白の胴着を脱ぎ、袴で折り返し押さえている上半身は裸。
だが、額にもその鍛えられた身体にも汗が浮かんでいる。
そんな男を見ているのは、別の男が一人。綾菜の幼馴染である将吉だ。
着流しの袖の中に腕を差し入れて、寒いのか思い切り顔を顰めてしゃがみ込んでいたのだが。
「…寒くない? 朝陽さん」
呟いた。
「別に。ていうか、何でずっと見てんの」
「すっごい暇で」
「……見られていると気になるんだけど」
暇と言い放つ男に、彼は木刀を握りしめたまま苦笑いを浮かべてそう返した。
そして会話のために一旦止めた手を、再び動かしだす。しゅ、とまた木刀が振り下ろされ空を切る。
鍛錬をしているのは、朝陽。普段であれば屋敷の庭を使うのだが、本日は庭の手入れをしているため使用できなかった。
もちろん道場を使うことを考えなかったわけではないが、兄たちの嫉妬を多分に含んだ目線と、父親が不在になった途端に始まる嫌味を受けることが分かっていて、足を向ける気にはどうしてもなれなかった。
結果、鍛錬のできる広さのあるこの河原にたどり着いたわけだ。
屋敷の前から続く道を東に歩けば、この町で深い信仰を集めている「あもり様」の社へ続く山道と街道が交わる。その参道沿いには湧き水の川があり、そこには広くはないものの日当たりの良い河原が出来上がっている。
今日は透けるような青空だ。一週間ほど前の雪が降った冷え込みよりは日差しも手伝って随分と暖かい。
普段腰に提げている黒漆の打刀はこの鍛錬のために屋敷へ置いてきているため、近くの大岩の上に手ぬぐいを置いている以外荷物もない。
その大岩に背を預けて、しゃがみ込んでひたすらに鍛錬を見つめ続けられるのはなかなかに気恥ずかしくて朝陽はふうと大きく息をついて手を改めて止めた。
「暇なら仕事しなよ」
手ぬぐいを手にして汗を拭く。
その動きをちらりと見たあと、将吉は口を尖らせる。
「おれに仕事が回ってこないの理解してて言ってんの朝陽さんは」
「いや~、そういう訳では」
苦笑したまま彼は汗を拭き終えたことで胴着を着直した。
将吉は絵を描くことが好きで、一度見せてもらったが、確かに上手い。
人相はもちろん道具や食べ物も特徴を捉えているため、絵を見ればそれが何か連想できるほど。絵を描くことで磨いている物事への観察眼は、朝陽から見てもすごいとは思う。
だが、上手いからといって仕事が容易に見つかるとは限らない。どこかでお抱えの絵師にでもなれば、絵一本で生活していくことも可能なのだろうが。
「で、なんか用事?」
胴着を整えて、手ぬぐいを肩から掛けつつ問う。
「だーかーらー、すっっっごい暇なんだって! あーちゃんも忙しそうだし、おれの話し相手になってよ朝陽さん」
尖ったままの口で器用にそう告げる。
「綾菜さん、そんなに忙しいんだ?」
「先週、雪降ったっしょ? あの日とするとあったかくなったからか、ここのところ客が多いみたいでさ。ゆっくり話もできやしない」
雪の降った日、という言葉に思わずどきりとして、彼に気づかれないように小さく深呼吸。
気恥ずかしさのせいで、一週間近く、彼女のいる団子屋へは行けていない。
もちろんそれ以外に家の用事もあったためだが、その用事の集大成でもある日が近づいてきており、彼としてもすぐ店へ訪れるほど気持ちに余裕がなかった。
「じゃあ暇っていうならさ、愚痴聞いてくんない?」
「何々? 梅御門の内情?」
「そ」
人の鍛錬を覗いているときからほとんど姿勢に変化のない将吉が身を乗り出して食いつくので、隣に腰掛けた朝陽は胡座を組むと右足に右肘を乗せてつまらなさそうに頷いた。
梅御門というのは、朝陽の家名。道場を開いていることもあって、そこそこに名の知れた武家だ。
藩主から与えられた役職は強く優れた部下に任されるものだからこそ、当主である父親は規律に厳しく強さを求める。それは構わない。維持するにはそれなりの労力は必要なことだ。
そして家を継ぐために子孫を残さなくてはいけないことも、大事なこと。
それは理解している。
だが理解はしていても、納得はいかない。
「次期当主の許嫁となる人が近々挨拶に来るんだよ」
庭の手入れに屋敷の掃除が日々進んでいるのはこのため。
許嫁が訪れる挨拶の日が、現在進んでいることの集大成となる日だ。
つまらなさそうに呟く朝陽に、将吉は一瞬考えたあと浮かんだらしい疑問を素直に聞いてくる。
「次期当主って長兄?」
「知らない」
「え、違うんだ?」
「……最も優れている者を跡取りにするんだと」
城主から求められているのは武だろう。
だが人を取りまとめるには知も必要不可欠、果たして父の思惑はどこにあるのか朝陽にはさっぱり読めない。
読めないからこそ、兄たちは自分たちの可能性を少しでも上げるために、自分たちより武に優位となっている弟を蹴落とそうとしているのかもしれないが。
嫉妬で顔を歪める兄たちの様子を頭に思い浮かべつつ、呆れたように彼は続ける。
「今は見極め期間らしいから、許嫁には全員顔を見せるようにと言われてんだけど。俺、跡継ぎに選ばれたくないなぁ……」
仮の話とはいえ、跡継ぎになれば自由もない。
綾菜へ会いに行くこともままならないかもしれない。
何より、好きではない相手と婚姻を結びたくない。
重苦しいため息と共に肩を落として、朝陽は右手で額を押さえた。
「うわ、すごい内情聞いちまった」
隣で将吉が声を弾ませているので、じとりと睨む。
「おちょくるのは無しだからね、本当に嫌なんだ」
「ほいほい」
「……なんだよ、優れた者とかじゃなくて兄上でいいじゃん。後継者争いなんて俺と無関係って思ってたのにさ。おかげで兄上たちはあんな調子だし、母上もあんなだし、道場の奴らだって変わっちゃうし、…嫌になる。ほんと勘弁して」
一気に愚痴を垂れると両手で顔を覆い、はーーー、と思い切りため息を吐き出した。
「人には色々あるもんだよねぇ」
肩を落とす朝陽の肩をぽんぽんと励ましたが、叩く手がゆっくりと止まり、彼もまた、はーー、と短いため息を吐き出して美しい青空を仰いだ。
「……」
「…?」
どうした? と問いかけようとした朝陽が隣の将吉を見たところで顔を空に向けたままで向こうが先に口を開いた。
「生きてたら悩みは尽きないもんだよねぇ」
口調がいつもと違うような、普段のおちゃらけた表情とは随分違うような、どこか寂しげにも見える横顔に朝陽が何も言えずにいると。
「朝陽さんは、お父上に言いたいことをまず伝えてみたら?」
「まあそれが一番早いよね、それが簡単にいかないんだけどさ」
彼のごく当たり前な意見に苦笑して頷いた朝陽に、にこりと将吉は作り笑顔をそこに浮かべた。
「難しいことでもないと思うけどね。おれと違って相手が死んでるわけじゃなし」
「……は?」
彼から返った言葉に思わず朝陽は聞き返したが、次の言葉が見つからない。
綾菜と同じで故郷を失っているのだから、その際に大事な誰かを失っていてもおかしくはない。
あの大火事は周辺の町では一時期、話題に上がらなかった日はないほどに、酷いものだった。
『なんで、贈り物を渡せる機会を不意にすんだよ? 好きって気づいたんなら、買ってあげるくらいしなよ』
先週、言い切った彼の言葉にはやはり理由があったようだ。
大事なものを失った経験者と思われる彼からの言葉は重い。
言葉を失っている朝陽に将吉はあの日と同じ作り笑顔のまま、口を開く。
「あとからとかもう少ししてからなんて言って何もしないでいたら、状況が悪化することだってあんだよ」
「……まあ、うん。そうだよね」
納得して朝陽は頷く。
彼の言いたいことはなんとなく分かる。
分かるが、最初の一歩というのはやはり迷いが出るものだ。
例えそれが家のことでも好きな人のことでも、意味合いに大きな違いはあったとしても同じ気がする。
だがやらなきゃいけないということも理解はしているので、朝陽は空を仰いで大岩に背を預けた。
「……父上に話してみようかな」
「良いじゃん、話してみなよ! 駄目だったり怒られたら励ましてあげるし!」
「励ますだけかい」
呆れて思わず突っ込むと。
「あー、それじゃ、励ましのためにあーちゃんの人相描きでもこっそり渡してあげよっか。変なことに使わないでくれればいいよ」
「変な? ………………そんなことしないから!!!」
一瞬意味がわからず、きょとんと不思議そうな顔で口にした言葉だが、隣のニヤついた将吉の顔を見て真意を理解するなり叫ぶ。
まだ鍛錬をしているかのように体中が熱く感じて、持っていた木刀を握りしめながら将吉の頭を拳で軽く小突きつつ小声で呟く。
「…変なこと言わないでくれない?」
「変なことじゃなくない? 好きな相手とは、ヤりたいとお」
「もう黙って」
「むぐ」
言いかけた言葉を無理やり片手で頬を挟んで中断させ、朝陽はニヤついていた将吉を一睨み。
先ほどの普段とは違う雰囲気などどこへ飛んでいったのか、将吉は楽しげに大笑いしている。
だが彼の一言は少しだけ沈んだ気持ちを変えてくれて、背を押してくれたことで行動してみようかと思えるものではあった。
癪になることも少々言われたが、素直に「ありがとね」と感謝だけは伝えた。
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