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15.手合わせ
しおりを挟む顔見せを終えた次の日のことだった。
いつものように朝の鍛錬へ向かう準備をしていたところ、朝陽の自室前に高文がやって来て障子越しに声を掛けてきた。
「侘助サマがお呼びですよー、道場までお越しくださーい」
「あ、うん」
障子を開けるといつもの人懐こい笑顔の高文がちょうど歩きだそうとしたところで、以前と同じように足音がほとんど聞こえない。
『音を発さない特別な歩き方があるんだ。気になるなら、教えようか?』
先週聞いた言葉を思い出して、足音も立てずに先導する高文の背中へ朝陽は話しかける。
「足音を立てない歩き方、やっぱりわからないんだよね」
「あー、やっぱり分からないかぁ」
あははと楽しそうに目の前の男は笑って、足を止めると顔だけ振り向いた。
「近いうちに教えてあげるよー、でもまずは侘助サマのとこ行こうか」
「…そ、そうだよね」
浮かべた笑顔に少しばかり背筋が寒く感じた気がして苦笑いを向けながら頷く。
普段は人懐こい笑顔だというのに、今の笑い方はなんだろうか。疑問に思うも、まずは道場へ足を運んだ。
道場は二十人の門下生が入り切るほどの広さがあるというのに、外に門下生たちが集まって雑談している。そんな姿が視界に入ったものの朝陽は高文に連れられて、中へ足を踏み入れた。
ひやりと冷たい道場の床を踏んで入ったそこには、朝陽の父と夕顔、兄二人。
座して向かい合う、無言の二人組が二つある。
右片方は父と夕顔。静かに目を閉じて座る父侘助の隣には、黒紐でたすき掛けをした状態で正座をしている夕顔。昨日と違い振り袖ではなく、赤と白の市松模様の着物姿だ。父と同じく目を伏せている。
もう左片方は兄二人。並んで座っているものの、落ち着かない様子。
兄たちは朝陽と同じで、普段通り鍛錬の準備をしていたのだろう。普段と変わらない格好をしていたので、兄たちの隣に朝陽もまた腰を下ろした。
それを見届けて高文が朝陽の父へと話しかける。
「侘助サマ、揃いましたよ」
「ああ」
父がすっと目を開く。
夕顔は目を伏せたままだ。
こちらへ目を向けて父は口を開く。
「お前達には夕顔と竹刀で勝負してもらう」
ん? 朝陽は思わずそう声を上げかけたが、なんとか留めた。
だが一番上の兄理嗣が戸惑ったように父へ問いかける。
「じょ、女性と、ですか? しかも彼女は跡継ぎの嫁になる方では?」
その問いかけには夕顔本人が伏せていた目を開けて、三人を真っ直ぐに見つめて微笑みながら言い切った。
「この家を次代へ繋げるための後継ぎを産むことはもちろんでございますが、亭主不在の際には家を守ることもまた嫁の大事な役割と考えております。ですが、その亭主がいざというときに頼りになるかどうか、話しただけでは理解できぬもの。ぜひ手合わせをよろしくお願いいたします」
「ですが…」
兄理嗣はかなり戸惑っているが、それに対して夕顔は特に気にする様子もなく笑顔のまま、深々と頭を下げる。
「わたくしも武家の娘として、それなりに父から鍛えられております。嫁になる前の、最後の我儘です」
昨日初めて顔を合わせ、通りを往復するため歩きながら話した程度しか夕顔のことを朝陽は知らない。
だが何かしらの覚悟を持ってこの家に来ているのだとは言葉の端々に感じられていたし、背筋を真っすぐ伸ばして歩く凛とした姿が武道をしているようにも見えたのは確かだったので朝陽もまた深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします」
たぶん、彼女の言う“それなり”の程度は自分が考えているより高い水準だ。
不思議なほどそう朝陽は思えてならなかった。
「朝陽まで……」
「兄上、あそこまで言われるのだから受けて立てばよろしいのでは」
戸惑う理嗣と反対に冷めた声で風苅が珍しく背を押したことで、竹刀での勝負をすることとなり。
道場の外にいた門下生たちのざわめきが一層強まった。
「では理嗣から開始する」
「分かりました」
「…はい」
竹刀を持って向かい立つ二人が一番よく見える位置へ、父侘助は移動する。
夕顔は涼しげな表情で竹刀を構えているが、理嗣は戸惑いが強いようで腕や肩に余計な力が入っているように朝陽には見えた。
ああこれは兄が負けたかも。そんな考えが彼の頭を過ぎる。
勝負事の際、無駄に力が入ってしまえば動きが鈍る。相手も同じように無駄に力が入り余裕がなければ結果は分からないが、精神的な余裕があれば勝てる見込みはぐっと増す。
彼女はたぶんそれを理解している。
実際試合が始まった夕顔には理嗣よりも見ていて分かるほど余裕を感じられた。
手を抜いているわけではないが、本気を出していない。それは隣にいる風苅も理解したようで、食い入るように試合を見ながらも正座した足の上に置いていた手が無意識に握りしめられていくのを朝陽は気づく。
そこで、だん、と大きな床を踏み込む音と共に打ち込まれた竹刀を受け流しきれなかった理嗣が竹刀を落とした。
「そこまで。次は風苅」
父侘助の静かな声が道場に響いて、二人は向かい合って一礼。
落とした竹刀を握りしめて理嗣が元の位置に座ったところで、隣にいた風苅が立ち上がった。
見上げる横顔は勝つ気満々だ。
迎える夕顔もかなり余裕が見られる。理嗣が汗をかいているのに対して、彼女は汗一つかいていないからだ。
黒い目が真っ直ぐに兄風苅を見つめ、そしてにっこりと微笑んだ。
「よろしくお願いいたします」
「おう、よろしく。………頼みます」
父侘助の前ということで、丁寧な言葉を付け足して風苅が竹刀を構える。
その様子はかなり余裕があるように見られ、夕顔もまた真剣だが余裕があるように見えた。
最初に踏み込んだのは風苅。模擬戦にも近い形での勝負を楽しんでいるようで、珍しく真剣にちゃんと対戦している。
門下生も含めて一番腕の立つ人物は長年、風苅だった。
誰もが敵わなかった。
朝陽もそんな兄のようになりたいと、鍛錬を続けた結果、どこかで風苅を追い越してしまっていた。
いつ追い抜いてしまったのか、朝陽も分からない。
「……お前はどちらが勝つと思うか」
勝負から真剣な眼差しを離すことなく、理嗣が尋ねてきた。
二人の様子を見てから、問いに答えるため口を開く。
「風苅兄上かと」
「いい勝負をしていると思うが?」
「流石に力負けするのではないかと思います」
ふむ、と理嗣が納得したのか小さく相槌。
目はやはり試合から離れず、動きを目で追っているようだった。
理嗣との勝負よりも長く試合が続き、侘助が手を上げて試合を止めたことで終了。
「引き分けとする。夕顔、少し呼吸を整えなさい」
「……お気遣い感謝いたします」
手ぬぐいで汗を拭いながら、夕顔が感謝の一礼。
同じく汗だくになっている風苅は腕で拭いながら呼吸を整えつつ立ち尽くし、夕顔を見つめていたが。
「腕を上げたな、あれから鍛錬を続けたことがよく伝わる」
「……っ」
父から投げかけられた言葉に風苅が表情を強張らせて。
目線を彷徨わせたあと、「お褒めいただき、恐縮です」と小声で礼を返して元の位置に座った。
熱気が隣から伝わってきて朝陽が思わず顔を傾けて離したとき、小声のまま風苅から話しかけられた。
「このままじゃあ、梅御門が弱っちいと思われちまう。お前は勝ってこい」
「朝陽頼んだぞ」
「…………」
四年も陰湿な“鍛錬”をしておきながら、どの口が。そんな思考が頭に浮かぶ。
だが朝陽が十五になって跡継ぎ問題が出る四年前まで兄二人とはごく普通の、どこにでもいる兄弟だった。
仲が良いとは言えなかったかもしれないが、少なくとも話もまともにできないような関係ではなかった。
十五年、普通の関係だったときのことを思い出して、複雑な心地になる。
まともな会話もできない上にこんな顔を向けてくるような関係ではなかった四年間と、一般的な兄弟の関係だった十五年を天秤にかけて、朝陽は唇に力を入れて立ち上がった。
「できるだけ、お二人の渇望に応えられるようにはします」
隣から向けられる期待に満ちた二人からの目がむず痒いが、そんな風に見てくる兄たちの期待に応えないわけにもいかない。
「わたくしの準備はできております」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ、お手柔らかにお願いいたします」
互いに一礼しあい、目の前にいる夕顔を朝陽は見ていたものの思考は別のことを浮かべていた。
そういえばここ最近、父の前で試合したことあったかな。
先日の風苅と真剣でやり合った際に本気で殺すつもりではあったが、全力を出していたかと問われれば、していない。力を出し切るような機会があまりないよな、とそこまで考えてから、兄たちが珍しく期待しているのだし、せっかく父の前なのだからやってみるかと深く深呼吸して竹刀を構え前を見据えた。
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