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5. 毒親
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「極度のショック状態に陥って、一時的かと思われますが、退行化しているのでしょう。
何か思い当たることはありますか?」
なかなかお目にかかれない、小洒落た装い。実に恰幅の良い身体を、目の前の男はセンス良く着飾っていた。
ジャケットがこれほど様になる人間を、私は見たことがない。
「この前、ちょっときつく叱りつけちゃって…この子が僕に暴言を吐いたもので。気がついたら、意識がなかったんです…僕も反省しています。
なにぶん、好きなようにさせていましたから…びっくりしたのだと思います」
男がごめんね、と隣に座る彼の頭を撫で上げると、その子は何のことだろうという風に、無邪気な様子で男の腕に絡みついていく。
黒いスウェットはまだ真新しく、どこか垢抜けた雰囲気の彼によく似合っていた。足元のスニーカーはピカピカで、赤い紐の蝶々結びが綺麗に成されている。
こらこら、とその子を諭す男の姿は、さして気を揉んでいるようでもない。むしろ……愉悦に浸ってさえいそうで、心地悪さを覚える。この親子には母がいないらしい。
今日はよく晴れていた。そんな日は暖かさが背中を押してか、とんだ変わり種がやって来るものだ。
「そうでしたか。ではお父さん、すみませんが、息子さんと二人きりにさせてもらえますか?お父さんの顔色をうかがって、喋れない子もいますので」
「…はぁ、僕は構わないですよ」
ゆうくん。父さんねぇ、ちょっとむこうに行ってくるけど平気?
そう言って、男は彼の腕を振り解こうとする。私は、おや…とひっそり首を傾げる。男の声色がどこか挑戦的だったのだ。
理由はじきに分かった。彼の愛らしい顔が、みるみるうちに歪んでいったからだ。
あー…よしよし、大丈夫。ごめんね、一緒にいるからね。
…すみません、先生。この子、僕にいつもべったりで…離れると泣き出すんですよ。
困ったような笑みを浮かべ…というよりは、勝ち誇った…と表現する方がいい。そんな様子で、男は彼の肩を抱いていた。
そうですか。私は出来上がった笑顔を貼り付けて、「では、このままで構いません。由貴くん、先生がいくつか質問をするから、思ったことを答えてね。いいかな?」と尋ねる。
すると彼は、おもむろに男の方へ顔を向けてしまった。男は甘ったるい声で、「なんでも好きなことを言ってごらん」と寄り添う。
「由貴くん、お父さんのことは好き?」
私の言葉に彼はこくりと頷き、どうやらその気になったらしい。躊躇いがちではあったが、「うん」と小さく返ってきた。
「大好き?」
「うん、大好き」
「お父さんのどんなところが好き?」
「うー…ん、優しいところ…かな。いつも一緒にいてくれるから、おれ、ちっとも寂しくないよ」
「そうなんだ。じゃあ由貴くん、お父さんと喧嘩することはあるの?」
「ううん、ぜーんぜん」
そうじゃない。もっと違う言葉だ、私が聞きたいのは。
ひかえめに笑うこの子に、わずかな苛立ちを覚えてしまう。男の腕にいつまでも引っ付いている様子も、なんとなく癪だった。
それが伝わってなのか、「むしろ…」と何かを言いかけたところで、彼は口を閉ざしてしまった。
私がいくら話しかけても黙ったまま、目も合わせてくれない……会話はとうとうそれで終わってしまった。
「一時的と聞いて少し安心しました。しばらくして治らないようなら、また来ます」
男の顔はどこか晴れやかだった。対する私の心の内は、穏やかとは程遠い。
「お父さん…私の方でぜひとも、由貴くんを預からせて頂きますよ。環境が変われば、それが刺激になって良いかもしれません」
などと提案してみたが、男の返答はこうだった。
「ゆうくんを、預ける…?出来るわけないでしょう、そんな可哀想なこと。結構ですよ」
ゆうくん、お家に帰ろうか……とのこと。柔軟な考えの持ち主ではないようだ。
彼のことを甘やかしていたか、ほったらかしていたか。叱り方の加減を知らないらしい。あまり良き父親とは思い難い。
男に身体を支えられ、小さな背はよろよろとしながら去って行く。私はそれをただ、ジッと見つめる。
あの子はまだ…青い。これからいくらでも、何にだってなれる。無限の可能性を秘めている。つまずいたって立ち上がれば、どんな道も切り開ける。
そんな子が、なんの因果であんな目に……
何か思い当たることはありますか?」
なかなかお目にかかれない、小洒落た装い。実に恰幅の良い身体を、目の前の男はセンス良く着飾っていた。
ジャケットがこれほど様になる人間を、私は見たことがない。
「この前、ちょっときつく叱りつけちゃって…この子が僕に暴言を吐いたもので。気がついたら、意識がなかったんです…僕も反省しています。
なにぶん、好きなようにさせていましたから…びっくりしたのだと思います」
男がごめんね、と隣に座る彼の頭を撫で上げると、その子は何のことだろうという風に、無邪気な様子で男の腕に絡みついていく。
黒いスウェットはまだ真新しく、どこか垢抜けた雰囲気の彼によく似合っていた。足元のスニーカーはピカピカで、赤い紐の蝶々結びが綺麗に成されている。
こらこら、とその子を諭す男の姿は、さして気を揉んでいるようでもない。むしろ……愉悦に浸ってさえいそうで、心地悪さを覚える。この親子には母がいないらしい。
今日はよく晴れていた。そんな日は暖かさが背中を押してか、とんだ変わり種がやって来るものだ。
「そうでしたか。ではお父さん、すみませんが、息子さんと二人きりにさせてもらえますか?お父さんの顔色をうかがって、喋れない子もいますので」
「…はぁ、僕は構わないですよ」
ゆうくん。父さんねぇ、ちょっとむこうに行ってくるけど平気?
そう言って、男は彼の腕を振り解こうとする。私は、おや…とひっそり首を傾げる。男の声色がどこか挑戦的だったのだ。
理由はじきに分かった。彼の愛らしい顔が、みるみるうちに歪んでいったからだ。
あー…よしよし、大丈夫。ごめんね、一緒にいるからね。
…すみません、先生。この子、僕にいつもべったりで…離れると泣き出すんですよ。
困ったような笑みを浮かべ…というよりは、勝ち誇った…と表現する方がいい。そんな様子で、男は彼の肩を抱いていた。
そうですか。私は出来上がった笑顔を貼り付けて、「では、このままで構いません。由貴くん、先生がいくつか質問をするから、思ったことを答えてね。いいかな?」と尋ねる。
すると彼は、おもむろに男の方へ顔を向けてしまった。男は甘ったるい声で、「なんでも好きなことを言ってごらん」と寄り添う。
「由貴くん、お父さんのことは好き?」
私の言葉に彼はこくりと頷き、どうやらその気になったらしい。躊躇いがちではあったが、「うん」と小さく返ってきた。
「大好き?」
「うん、大好き」
「お父さんのどんなところが好き?」
「うー…ん、優しいところ…かな。いつも一緒にいてくれるから、おれ、ちっとも寂しくないよ」
「そうなんだ。じゃあ由貴くん、お父さんと喧嘩することはあるの?」
「ううん、ぜーんぜん」
そうじゃない。もっと違う言葉だ、私が聞きたいのは。
ひかえめに笑うこの子に、わずかな苛立ちを覚えてしまう。男の腕にいつまでも引っ付いている様子も、なんとなく癪だった。
それが伝わってなのか、「むしろ…」と何かを言いかけたところで、彼は口を閉ざしてしまった。
私がいくら話しかけても黙ったまま、目も合わせてくれない……会話はとうとうそれで終わってしまった。
「一時的と聞いて少し安心しました。しばらくして治らないようなら、また来ます」
男の顔はどこか晴れやかだった。対する私の心の内は、穏やかとは程遠い。
「お父さん…私の方でぜひとも、由貴くんを預からせて頂きますよ。環境が変われば、それが刺激になって良いかもしれません」
などと提案してみたが、男の返答はこうだった。
「ゆうくんを、預ける…?出来るわけないでしょう、そんな可哀想なこと。結構ですよ」
ゆうくん、お家に帰ろうか……とのこと。柔軟な考えの持ち主ではないようだ。
彼のことを甘やかしていたか、ほったらかしていたか。叱り方の加減を知らないらしい。あまり良き父親とは思い難い。
男に身体を支えられ、小さな背はよろよろとしながら去って行く。私はそれをただ、ジッと見つめる。
あの子はまだ…青い。これからいくらでも、何にだってなれる。無限の可能性を秘めている。つまずいたって立ち上がれば、どんな道も切り開ける。
そんな子が、なんの因果であんな目に……
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