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しおりを挟む翌日は、馬車でベアトリスと町へ向かった。
町を一周し、学校や孤児院を訪ね、様子を見せて貰い、話を聞いた。
困っている事や不足しているものを聞き、後で計画を立て、寄付や支援を行う。
それらは、ベアトリスとリアムに任されていた。
「最近はリアムがやってくれています、何れは、リアムとあなたに任せましょう」
ベアトリスに言われ、わたしは気が引き締まった。
町の景色には、記憶に繋がるものは無かったが、教会の前に来た時、
不意に記憶が蘇った。
父と二人、教会に来た事…
神父から壁画の仕事を貰い、教会の離れの一室に泊めて貰っていた。
食事は、神父たちが、自分たちと同じ物を用意してくれ、貰った。
夜は父と一緒に寝て、昼間はずっと、父の仕事を見ていたり、雑用を手伝っていた…
「ここが教会ですよ___」
馬車から降り、それを見上げる。
古く、それ程大きな建物では無い。
だが、《ここ》だと分かった。
体がぶるりと震えた。
神父は、わたし…《カリーヌ》を覚えているだろうか?
もし、ベアトリスの前で名を呼ばれたら…
不安になったが、残念ながら、わたしたちの前に現れた神父は、記憶よりも随分若い人だった。
神父が教会の内を案内してくれた。
わたしは集中出来ず、神父の話も耳から抜けてしまっていた。
ただ、昔、リアムと話した…中庭を通った時は、意識が戻り、
胸に甘酸っぱい想いが溢れ、懐かしく眺めた。
礼拝堂に入り、わたしに緊張が走った。
ここに、父の壁画が___!!
未完成ではあったが、場所も、何を描こうとしていたかも覚えていた。
だが、そこにあったのは…全く違う絵だった。
父の絵では無いわ…
父の絵は未完成だった。
これだけ時が流れているのだから、違う画家の絵に変っていても、それは当然の事だった。
だけど、わたしは、ここに来たら、父の絵に会えると思っていた___
「そんなの、夢物語だわ…」
わたしは肩を落とし、悲しく壁画を見た。
その壁画は、技巧に稚拙さが見えたが、派手で華やかさがあった。
天の神が堂々と光を放ち、その周囲、雲の上を天使たちが舞い、
それを地上から崇める人間たち…
「壁画が気に入りましたか、シュゼット」
ベアトリスに訊かれ、わたしはビクリとした。
わたしは笑顔を作った。
「とても、華やかで…神様の偉大さが伝わってきます」
「そうですね、五年程前でしたか、若い画家が壁画を描かせて欲しいと言って来られ、
それまで、ここの壁画は未完成でしたので、続きをとお願いしたのですが…
全く違う物に仕上げてしまいましたの。きっと、自分の力を誇示したかったのでしょう。
若い人でしたからね。でも、以前のものを気に入っていたで、残念です…」
ベアトリスは僅かに眉を顰め、頭を振った。
わたしはこの話に反応していた。
変に思われない様、慎重に言葉を選ぶ…
「お義母様…その、以前の絵は、何故、未完成だったのですか?」
「前の神父様の話では、画家が流行り病で急逝されたとの事でした」
「お義母様は、会った事は無いのですね…」
「ええ、ご存じなのは、前の神父様だけの様ですよ」
「前の神父様は、どうされたのですか?」
「お年で、足を悪くされましてね、今は親族の家で療養されています」
神父様には会えないのね…
もし、会えていたら、父の事を聞けただろうか?
わたしは再び肩を落とした。
「前の壁画の事ですが、実は前の神父様から、下描きというのですか?
それを頂いていますので、後で、あなたに見せましょう…」
ベアトリスの言葉に、わたしは「はっ」と顔を上げた。
「下絵が!?ああ、是非見せて下さい!」
ベアトリスは驚いた目をしたが、直ぐに頷き、笑みを見せた。
壁画は違う絵になり、神父も居らず、何も得る事が無いと思っていた処に、
急に光が差し、わたしの前を明るくした。
父の絵が見られる!
わたしは興奮していた。
別邸に戻り、ベアトリスは書庫に案内してくれ、大きな箱を取り出した。
「下絵の他にもありますが、そちらも同じ画家のものだと聞いています。
親族の方から処分する様に言われたそうですが、捨てられなかったそうです…」
絵は箱に入れられ保管されていて、破損や色褪せはほとんど見えなかった。
ああ!これだわ!
わたしが見た絵だ。素描だが、それと分かる。
神は優しく慈悲に溢れ、その光で包み込もうとしている。
天使たちは喜びに、風の様に舞い、豊かな実りの中、人々は笑顔に包まれている___
今の壁画は、構図こそ似ているが、意図するものが全く違っていた。
わたしは息を飲み、感動に震えた。
「どうですか、シュゼット」
「素晴らしいです…」
わたしは溢れる涙を抑えられず、目元を覆った。
ベアトリスはわたしの肩を抱いてくれた。
「本当に、素敵な絵ですね」
わたしは頷いた。
「気に入ったのなら、一枚、お持ちなさい」
「よろしいのですか!?」
「ええ、あなたなら、大切にするでしょう、それに、見て貰えた方が、画家も喜ぶでしょう」
「ああ!ありがとうございます!!」
わたしは、その中から、一枚の水彩で描かれた風景画を選んだ。
それは、ごく普通の風景画の様に見えるが、小さく、人の姿がある。
父、母、小さな子…きっと、父は、わたしたち家族を描いたのだ。
父が夢見た家族の姿だったのだろう…
◇
別邸で数日を過ごした後、フォーレの館に戻った。
ベアトリスの言葉に希望を貰い、父の絵に元気付けられた。
わたしは父の絵を、大切に厚めの紙で挟み、部屋の引き出しに仕舞った。
いつでも見られる様に…
父の絵からは、父を感じる事が出来る。
「お父様、どうか、わたしを勇気付けて…」
わたしは別邸で摘ませて貰った花を花瓶に挿し、寝室に飾った。
少しでも、リアムに心地良く過ごして貰おう…
そして、わたしも…
リアムに拒絶を示され、いつも生きた心地がしなかった。
だけど、それでは、わたしも参ってしまう…
今では、寝室に向かう時が近付くと、気持ちは塞ぎ、寝支度をする頃には、
恐ろしさに体が震え…『夜なんて来なければいいのに』と思うまでになっていた。
愛する人と一緒に居る事を恐れるなんて…
「そんなの、悲し過ぎるもの…」
それに、わたしが恐れれば、リアムは今以上に離れて行ってしまう…
そんな気がした。
晩餐で、久しぶりにリアムと会った。
リアムに変化は無く、何も映さない目で、無言で食事をしていた。
わたしが居ない間も、こんな風だったのだろうか…
わたしはリアムが気の毒に思えた。
「シュゼット、別邸はどうだった?」
オベールに聞かれ、わたしは意識を戻した。
「はい、とても素敵な所でした、ミュラー夫妻も良い方たちで…
町も周りましたが、学校がありましたし、医師もいらして、
人々が安心して住める、良い町に思いました…」
「そうか、良い町になったな、だが、以前はそうでは無かったんだぞ?
領主や町の人たち、それから、ベアトリスとリアムのお陰だな」
オベールが褒め、わたしは隣のリアムに目を向けた。
だが、リアムは喜ぶ処か、眉を寄せ、ナイフとフォークを持つ手を置いた。
「僕たちだけじゃありません、助言してくれた人にも感謝を___」
リアムの手が怒りで震えている。
助言してくれた人…アドリーヌだろうか…
きっと、賢い方だったのね…
自分と比べてしまい、わたしの心は沈みそうになったが、
別邸でのベアトリスの励ましを思い出し、唇を噛み、顔を上げた。
わたしは、わたし…
わたしにしか出来ない事も、きっとある筈…
「皆さんの力添えがあってこその、今なのですね。
わたしも力になれますよう、努めたいと思います」
オベールは『おや?』という表情をし、ベアトリスは微笑みを浮かべ、頷いてくれた。
リアムは無言で食事を再開した。
その顔からは怒りは消えていて、わたしは安堵した。
わたしはベアトリスの助言に従い、香水を変えた。
刺激の少ないもので、甘い香りよりも、気持ちの落ち着く香りを選んだ。
それを少しだけ付け、寝室への内扉を開けた。
リアムはいつも通り、ベッドの端に寄り、背を向け眠っている。
わたしは足音を忍ばせ、ベッドに上がり、寝具に入った。
いつもは、邪魔をしない様にと、わたしも端に寄り、リアムに背を向ける形で眠っていたが、
わたしは思いきって、ベッドの中央に寄り、仰向けで目を閉じた。
少しずつ、わたしも努力をしよう…
わたしたちが、幸せになる為に…
《夫婦》になれなくても、せめて、《友》になれたら…
眠りに落ちた時だった。
急に体を拘束され、わたしは驚きに目を覚ました。
「!?」
固く熱い腕が、わたしの体に絡み付き、背中にその熱を感じる…
「リアム…様?」
ギュっと強く抱きしめられ、わたしは息を飲んだ。
一体、何が起こっているのか…!?
顔を擦り寄せられ、首筋に吐息が掛かると、反射的にビクリと反応してしまい、
わたしはカッと赤くなった。
ああ…!この様な時は、どうしたら…
動揺と恥ずかしさに、じっと固まるしかないわたしに、リアムの呟きが届いた。
「アドリーヌ…」
瞬間、わたしの内にあった熱は冷めた。
動揺も消えていた。
ああ…なんて、馬鹿なわたし…
もう、泣かないと決めた筈だった。
だが、胸が苦しく、涙は溢れ、わたしはそれを止められなかった。
早朝に目を覚ましたリアムは、わたしから腕を解き、無言で寝室を出て行った。
わたしに気付かなかった筈は無い。
アドリーヌでは無い事にガッカリしただろうか?
「ふ…ぇ…」
わたしは声を洩らし、泣いた。
わたしを抱きしめた、あの腕も、あの熱も、甘い吐息も…
全て、アドリーヌのものだった。
自分が酷く惨めに思えた。
だが、それ以上に…アドリーヌが羨ましかった。
これは、きっと、嫉妬の涙だ。
《夫婦》になれなくても、《友》になれたら___
そんなの、嘘だ!
わたしは、リアムに抱かれたい。
わたしは、リアムに愛されたい。
だけど、それは、叶わない。
「リアムは、わたしを愛してくれない___!」
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