【完結】恋を失くした伯爵令息に、赤い糸を結んで

白雨 音

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アドリーヌへの嫉妬に身を焦がす。

その渦巻くどす黒い感情を、わたしはどうして良いのか分からず、
アトリエに籠り、パレットナイフを握り、キャンバスに絵の具を叩きつけた。


あれから、リアムは夜になれば、わたしを抱き締めた。
そして、朝の早い時間に起き、無言で寝室を出て行く。

アドリーヌを想い、抱きしめているのだと知りながらも、わたしが拒絶しないのは、
アドリーヌの身代わりであったとしても、彼に抱きしめられたかったからだ。
彼の温もりを感じたかった。
愛されていると思いたかった。

だが、それも、朝を迎えると、虚しさに変った。


数日、取り憑かれた様にキャンバスに向かっていたわたしは、
ある日、その手を下ろした。

感情のままにキャンバスを汚した絵の具。
誰もが汚いと感じるだろう…
その中に、わたしは《愛》を見た。

渦巻く汚れた感情の中で、燃え上がる嫉妬の炎。
その奥に、小さく咲く、白い炎。

涙が零れ、わたしはそれを指で辿った。





アトリエを出たわたしは、館の敷地を歩いた。
目的がある訳ではない、何も考えずに、ただ、只管に歩く。

どれ位歩いたか…

「バウバウ!」

シュシュの吠える声で、わたしは意識を戻した。
足を止めたわたしに、シュシュが追い付き、飛びついて来た。
いつもの様に、わたしの顔を舐める。
わたしは笑ってシュシュの大きな体を撫でた。

「シュシュ!久しぶりね!」

随分、会っていなかった様に思う。

「シュゼット」

名を呼ばれ、ドキリとした。
だが、それは、オベールのもので、わたしの体から緊張が解けた。

オベールはわたしの元へ歩いて来ると、シュシュを撫でた。

「シュゼット、どうした、ぼんやりして」
「いえ…お義父様の声は、リアム様に似ていらっしゃいますね」
「そうか?俺の方が、威厳があるだろう?」
「はい、そうでした」

わたしは笑った。
リアムがわたしの名を呼ぶ筈なんて無い…

「ベアトリスと別邸に行ってから、元気になったかと思ったが、
最近、また塞いでいるな、シュゼット」

オベールは気付いていた…きっと、わたしたちを良く見ていたのだろう。
わたしは目を伏せ、息を吸う。

「お義父様に、お願いがあります…」

「なんだ?」

「リアム様と、離婚させて下さい」

わたしは泣かない様に、重ねた手を強く握り締めた。

「…理由を聞こう」

「リアム様は、アドリーヌ様を愛していらっしゃいます」

わたしがリアムを愛している様に…
狂おしい程に、リアムは彼女を求めている…

傍に居れば、いつか、わたしを見てくれるのでは…
いつか、わたしを愛してくれるのでは…
その僅かな望みに縋り、夢をみても、現実は簡単に圧し潰してしまう。

リアムがアドリーヌをどれ程求めているかを思い知らされる度、
わたしは粉々になっていく。
自分を保てなくなってしまう。

これ以上、アドリーヌを求める彼を見続ける自信が無い___

「どうか、リアム様とアドリーヌ様を結婚させてあげて下さい」
「おまえはどうするのだ?家に帰るか?」

わたしは頭を振った。

「わたしは、修道院へ行き、修道女として生きます」

家に帰れば、他の者と結婚させられるだろう。
結婚しなければ、ドミニクやフィリップ、ソフィに迷惑を掛ける事になる。
だが、わたしは、リアム以外の者に嫁ぐ気は無い___

リアムも、きっと同じ想いだと、わたしは気付いた。

オベールに、驚きや動揺は見えなかった。
オベールは落ち着いた口調で、それを話す…

「だがな、アドリーヌを伯爵夫人には出来んのだ、どうあってもな。
二人を結婚させるならば、リアムは伯爵を継ぐ事が出来ん、
家を出ねばならん、私たちと縁を切る事になるのだ…」

それで、リアムはアドリーヌと別れ、家族や伯爵を継ぐ事を選び、結婚した…
だが、それでは、リアム自身は幸せになれない___

「リアム様が、可哀想です…!」

「世の中には、どうにもならん事もある…
おまえがどうしても嫌だというなら、離婚の話は考えておこう」

わたしは頷いた。

「わたしとの離婚の後は、どうか、リアム様には、望まぬ結婚はさせないであげて下さい…」

「その条件ならば、飲んでやってもいい、だが、その前に、リアムと話さんとな。
結婚したからには、おまえだけの意見では離婚は出来んのだぞ?」

オベールに指摘され、わたしはそれを失念していたと気付いた。
自分の意志で、簡単に離婚出来ると思っていたのだ。
でも、きっと、リアムもそれを願う筈…

「はい、分かりました」

オベールは微笑み、わたしの肩を優しく叩いた。
その微笑みは、やはりリアムと似ていて、わたしの目に涙が滲んだ。



◇◇ リアム ◇◇


まだ暗い中、リアムの意識は浮上する。

結婚してからというもの、早く目が覚める様になっていた。
眠りが浅いのだ。
原因は隣で眠る者の存在だ。

リアムはこの結婚を望んだ訳では無かった。
アドリーヌは援助を必要とし、リアムはオベールの出した条件を飲むしかなかった。

理不尽を憎み、運命を憎み、オベールを憎んだ。
そして、何食わぬ顔をし、フォーレの家に入り、自分の隣に居る女性…シュゼットの事も。

だが、アドリーヌへの援助を盾に取られ、リアムは従うしかなかった。
必要なのは、形式的な《夫》だと決め、
心を消し、操り人形になる事で、それをやり過ごそうとした。
幸い、シュゼットと顔を合わせるのは、晩餐の時と、就寝の時だけだ。
一緒の寝室を使う事までは『仕方が無い』と自分に言い聞かせたが、
夜の営みは条件の範疇では無い。
リアムに、シュゼットを抱くつもりは無かった。


シュゼットがベアトリスと数日を別邸で過ごした時には、
リアムは漸く息をする事が出来た気がした。
深く眠る事が出来た。

それで、安心してしまったのだろう…
二人が別邸から帰って来た日だ。

「シュゼット、別邸はどうだった?」

オベールが、明るくシュゼットに話し掛ける。
その事に、リアムは今更ながら、苛立った。

「はい、とても素敵な所でした、ミュラー夫妻も良い方たちで…
町も周りましたが、学校がありましたし、医師もいらして、
人々が安心して住める、良い町に思いました…」

シュゼットの言葉も、リアムを苛立たせた。

シュゼットは、フォーレの館の使用人たちだけでなく、ミュラー夫妻にも気に入られたらしい。
ミュラー夫妻は良い人たちだが、フォーレ家の者以外には一線を引いていた。
アドリーヌに対しては丁重に接しながらも、必要以上に顔を合わせる事も、
言葉を交わす事も無かった。
ミュラー夫妻とは、古くからの付き合いで、リアムにとっては家族も同然だった為、
それを寂しく感じていた。
アドリーヌがあまりに美しいので、近寄り難いのだろうと、リアムは自分に言い聞かせていた。

良い町だと話すシュゼットは、夢見る少女の様で、それもリアムには良く思えなかった。
シュゼットは、何の苦労もしていない。
アドリーヌはあれ程、皆の為に尽くしていたというのに、誰も褒めようとしない___

「そうか、良い町になったな、だが、以前はそうでは無かったんだぞ?
領主や町の人たち、それから、ベアトリスとリアムのお陰だな」

「僕たちだけじゃありません、助言してくれた人にも感謝を___」

リアムは我慢出来ずに、言っていた。
さぞ、空気を悪くしただろう。
だが、リアムには気にならなかった、寧ろ、当然だと思った。
シュゼットにも、自分の苛立ちが分かった筈だと、安堵にも似た思いでいたが…

「皆さんの力添えがあってこその、今なのですね。
わたしも力になれますよう、努めたいと思います」

気を悪くした訳でも無く、さらりと言われ、リアムは驚いていた。
こんな娘だっただろうか?
リアムが知るのは、いつもビクビクと怯え、人の陰に隠れている様な娘だった。


その夜、リアムはいつもの様に、先に寝室へ行った。
いつもの様にベッドの端で、中央に背を向けて寝る。

こうしていれば、シュゼットは自分に近付けない___
リアムは、シュゼットの気の弱さを知っていて、利用していたのだ。
それは成功していて、今までシュゼットがリアムを誘って来る事は無かった。
誘って来る所か、リアムの意図を読み、ベッドの端で、リアムに背を向けて寝る程だ。
その事に安堵していたが…

この夜は、違った___

優しい匂い、温かく柔らかい感触、満足感と共に、リアムの意識は浮上した。
だが、完全な目覚めには至らず、ふわふわと夢と現実の境目を漂っている。
その手の中の温もりに、リアムは満足していた。

ああ、アドリーヌ…

どれだけ、君を求めていたか…
もう二度と離さない___リアムはその体を強く抱きしめた。


そして、二度目に意識を戻した時、リアムは自分の過ちに気付き、戦慄が走った。
自分がアドリーヌと思い、抱きしめていたのは、全く別の者の体だった。
リアムは愕然とし、自分のしてしまった事に動揺した。
幸いだったのは、相手が眠っていた事だ。

気付かれてはいない…

リアムは、このままシュゼットが目覚めない事を願い、その体を離し、ベッドを下りた。

自室に戻っても、リアムは自分が信じられなかった。
結婚はしたが、シュゼットに手を付ける気は無かった。
シュゼットにも意志表示をしていたつもりだった。
これは、政略結婚だと。
その自分が、あの娘を抱きしめ、眠っていたとは…

「どうかしている!」

リアムは自分の目を覚まさせようと、風呂場へ行き、頭から水を被った。

だが、その効果は無く、リアムは眠るとシュゼットを抱きしめる様になっていた。
無意識なのだから、どうしようも無い。
それに、いけないとは思いながらも、心地良いと感じてしまうのだ。
痩せた小さな体は、貧相に思っていたが、リアムの腕の中にすっぽりと収まり、
柔らかく、温かい。それに、草原の花の様な、良い臭いがする。
リアムは香水を嫌っていたが、この匂いは、心が安らぎ、嗅いでいたいと思ってしまう。
何か媚薬でも使っているのでは無いかと怪しんだが、その形跡を見付ける事は出来なかった。

この事もあり、リアムは益々、シュゼットの顔を見る事が出来無くなっていた。
今までは厳とした態度で拒否を示していたが、後ろめたさもあり、強くも出られず、
その姿を見付けると遠回りしてでも避ける様になった。
シュゼットに気付かれていない事だけが救いだった。

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