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「テオフィル様がご婚約された!」
「相手は伯爵令嬢ですって!」
「フルール=メルシェ」
「知らないわ、誰なのよ?」
「テオフィル様と同じクラスの女子生徒らしいわ」
「最近、ずっと一緒に居たじゃないの!怪しいと思ってたのよ!」
「テオフィル様はずっと片想いをされていたのですって!」
「お相手は少し前まで婚約してらしたそうよ」
「テオフィル様が略奪なさったって事?」
「そんな事しないわよ、テオフィル様は公爵令息なのよ?」
「ロマンチックね…」
「ああ、私も略奪されたいわ~」
学園の何処を歩いても、テオフィル=グノーとフルール=メルシェの話が聞こえてくる。
廊下を歩きながら、エリアーヌの顔はどんどん険しくなっていく。
「面白くないったらないわ!!」
エリアーヌはとうとう、廊下の壁を靴底で蹴り付けた。
姉がジョルジュ=マンデオ侯爵令息と婚約した時も、エリアーヌは面白く無かった。
婚約者を自分に代えろと、自分を溺愛する両親に駄々を捏ねたが、
格上の侯爵家には逆らえず、無理だった。
そこで、ジョルジュに近付き、姉に苛められる可哀想な妹を演じ、
姉の悪口を吹き込んでやった。
ジョルジュは面白い位にエリアーヌの言う事を信じ、情熱的になった。
「僕が求めていたのは、フルールの様な卑しい女では無く、エリアーヌの様な清らかな淑女だ!」と、彼はいとも簡単に姉を捨て、エリアーヌに乗り換えたのだった。
学園のパーティで、周囲の注目を集め、姉を断罪した時は、体中の血が沸き上がり最高の気分だった。
真っ青な顔で、惨めったらしく立ち尽くす姉を、周囲の生徒たちは『自業自得だ』と罵った。
舞台は完璧だった。正に、エリアーヌが思い描いた通りに進み、着地した。
ここがパーティ会場でなければ、隣にジョルジュがいなければ、
エリアーヌはその甲高い声で、高らかに笑っていただろう。
「ふん、最初からあたしにジョルジュを譲っていれば良かったのよ、馬鹿なフルール!」
「フルールに侯爵夫人なんて勿体ないわ!」
「その座は、あたし、エリアーヌ=メルシェにこそ、相応しいのよ!」
ジョルジュと婚約式を挙げ、指輪を見せつけ、姉に思い知らせてやった。
おまえは、一生、エリアーヌ=メルシェには勝てないのだと!
価値の無い惨めな下女なのだと!
エリアーヌは物心がついた頃から、双子の姉を憎んでいた。
双子でありながら、いつも少しだけ、姉が勝っていたからだ。
ストロベリーブロンドという髪色に、フルール《花》という名前、
それだけで、姉は周囲から、「可愛い、小さな花の妖精」とちやほやさてきた。
姉さえいなければ、皆自分を注目するのに!
あれらは、産まれる時に、姉が自分から盗ったのだ!
それなら、奪い返すまでよ___!!
エリアーヌは、自分が賢く、口が上手く、発言力がある事を自覚していた。
それを利用し、全てを姉から奪っていった。
愚かで、鈍臭く、口下手な姉を陥れる事など、エリアーヌには簡単だった。
だが、ここに来て、急に、エリアーヌの思い通りに物事が運ばなくなってきた。
テオフィル=グノー
彼の所為だ。
テオフィルは賢く、口も達者で、発言力もある。
それは、エリアーヌの比では無かった。
エリアーヌの企みは悉く彼に捻り潰された。
それだけでなく、婚約者のジョルジュまでも、テオフィルにやり込められた。
エリアーヌは烈火の如く、テオフィルに怒りを持っていた。
そのテオフィルが、姉と婚約した___!?
「あのテオフィルを手懐けるなんて、姉なんかに出来る筈ないわ!」
そう思いたかったが、婚約の報告に来た二人を見て、エリアーヌは自分の間違いに気付いた。
姉は母から言われて以来、解く事が無かったおさげを止め、
あの憎たらしいストロベリーブロンドの髪を晒していた。
それだけでなく、その指には、婚約指輪まで嵌っていた。
テオフィルは必要以上に姉を見つめ、周囲に『自分のもの』だと誇示した。
「馬鹿な姉は、気付いて無いみたいだけど…」
「そうよ、あたしは、まだ負けてない!」
幾らテオフィルが賢くても、姉が馬鹿なのだから、幾らでも挽回は出来る。
エリアーヌは決して人には見せ無い、悪い笑みを浮かべた。
「夏に婚約式を挙げると言ってたわね…
その時、テオフィルの隣にいるのは、一体、誰かしらね?」
◆◆◆
◇◇◇
彼女がわたしに見せつけようと謀ったのか、
それとも、彼女はわたしの居ない時を狙っていたのか…
その日の放課後、テオとヒューゴの前で、涙ながらに訴えているエリアーヌの姿を目にしてしまった。
「こんな事、誰にも話せません、でも、テオフィル様は姉の婚約者ですもの、
どうか話を聞いて下さい!」
「相手を間違えている様だ、話なら君の婚約者に話してくれ」
「ジョルジュ様には言えませんわ!だって、ジョルジュ様の事なのですから!」
「それなら、フルールと一緒の時に聞くよ、変な誤解をされては困るからね」
「緊急なんです!どうか、あたしを助けて下さい!義兄様!」
「残念だけど、僕には助けられない、
それに、まだ結婚していないのだから、儀兄とは呼ばないでくれ、いいね」
「ああ、お願いですから!あたし、ジョルジュ様に暴力を受けているの!
きっと、姉も同じ目に遭ったんだわ!」
「それならば、然るべき所に訴え出るんだね、行こう、ヒューゴ」
テオが、喚いているエリアーヌを残し、ヒューゴと共に立ち去るのを見て、
わたしは詰めていた息を吐いた。
テオはエリアーヌの言葉を鵜呑みにはしていなかった、
二人きりになる事も避けていた___
それが、どれ程わたしを安堵させる事か!きっと、彼は知らないだろう…
二人の姿が視界から消えると、エリアーヌは顔を上げ、二人とは逆方向へ歩いて行く。その顔に、涙の跡は無い、いや、悲哀すらも浮かんでいなかった。
ああ!またなのね…エリアーヌ!!
わたしはそれを知り、衝動的に駆け出していた。
わたしから全てを奪っていく!
今度もまた、そうなんだわ!
緩やかな芝生の斜面を、必死に駆け上がる。
枝をうねらせ乱立する木々の間を抜けた先、それは変らずに立っていた。
だが、あの時の様に、花は咲いておらず、ただただ、濃く深い緑色の葉が生い茂っていた。
わたしは息を弾ませたまま、その高木の下に立った。
自然とわたしの指は組まれる、祈るように___
「どうか、もう一度、わたしに勇気を下さい…!」
「エリアーヌと闘う、勇気と力を!」
「彼を失うなんて…考えられません!」
それは、ジョルジュを失った時の比では無いだろう___
風が強く吹く。
わたしの髪を舞い上がらせる。
わたしは身動ぎもせず、ただ、祈っていた。
◇◇
わたしは再び、エリアーヌと闘う決心をした。
だが、具体的にどう闘えば良いのかは分からなかった。
ジョルジュの時は、彼を繋ぎ留めようと、出来る限り好意がある事を示してきた。彼はそれを『はしたない行為』と思った様だが…。
エリアーヌはいつもわたしが知らない内に、悪評を言って周り、自分の味方に引き込む。わたしが気付くのは、周囲から責められてからだ。
ただ、ジョルジュの時と一つ違うのは、テオとの婚約が『偽物』『芝居』だという事だ。
婚約を解消する事が決まっている、先の無い『婚約』。
誰とも結婚する気が無いテオの『隠れ蓑』だ。
だから、テオがエリアーヌに靡くとは考え難い。
それでも不安になるのは、どうしてなのだろう…
エリアーヌの狡猾さを知っているからなのか…
わたしは不安になる心を止められず、寮の食堂を借り、菓子作りを始めた。
生地を棒状に整えながら、『結局、わたしはこんな事しか出来ない…』と、
わたしは肩を落とした。
ジョルジュの時と違い、こんな事でテオを繋ぎ留められるとは思っていない。
「元々、そんな気も無いのですから…」
政略結婚であれば、努力や相性次第で『愛』は育つかもしれない。
だけど、期限付きの嘘の婚約には何も無い、
いや、決して求めてはいけないものだ___
「テオ様は、望んでいませんもの…」
悲しく浮かんでくる涙を、わたしは瞬きをして弾き飛ばし、
生地にキラキラと輝く砂糖を塗した。
いつもの噴水の庭で昼食を終えた後、
わたしは缶に詰めてきた、昨夜焼いた厚焼きのクッキーを出した。
「クッキーを焼いたので、よろしければ…」
「おー!美味そう!いただきー」
「馬鹿、こういう時はテオに譲れ」
早速手を伸ばしたヒューゴをヴィクが嗜める。
昨日から考え過ぎて、『嘘の婚約だから』と、すっかり卑屈になっていたわたしは、虚ろに「いえ、気になさらず…」と言っていた。
「フルール、元気ないね、何かあった?」
テオに心配そうな顔で覗き込まれ、わたしは慌てて笑みを作った。
「いえ!何もありません!」
「お菓子は凄くうれしいけど、フルールの負担になるといけないから、
無理しないでね」
無理をしている訳では無かった。
どちらかというと逆で、不安を和らげたくて、作っているのだ。
お菓子や刺繍をする事は、心を平静に保つ手段でもあった。
だが、何故か、それを言え無かった…
わたしは俯き、膝の上で拳をギュっと握った。
「はい…申し訳ありません」
テオの望む自分にならなければ…
「フルール、責めてる訳じゃないんだよ…」
そっと、テオがわたしの髪を耳に掛けようとした。
わたしは顔を見られるのを恐れ、反射的にその手を振り払ってしまった。
「!?」
なんて事を!!
茫然としたテオの表情に、わたしは自分がしてしまった事に気付き、
立ち上がり、「すみません!」と逃げ出していた。
「フルール、待って!」
逃げ切れる筈もなく、幾らも離れない内に、テオに腕を掴まれ、引き止められた。
「すみません、すみません、すみません!」
泣きながら謝るわたしを、テオは何と思ったのか、強く抱きしめてくれた。
「フルール、謝らなくていいよ、僕が悪いんだから…」
「君を傷付けて、ごめんね」
「君を不安にさせて、ごめん」
その言葉に、わたしは脆くも崩壊してしまった。
彼に縋り、声を上げて泣いてしまっていた。
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