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しおりを挟むアラード卿に気付かれない様、声を殺していたが、彼は気付いた様だ。
わたしと距離を取るかの様に、小さなソファの真ん中に腰を下ろすと、
怒りを消し、落ち着いた声で言った。
「俺の早合点かもしれん…話を聞いただけで決め付けた事は謝ろう。
怖がらせた事も謝っておく、安心しろ、嫌がる女を無理矢理抱く事はせん。
だが、疑いを解いた訳では無いからな!」
わたしは頷きながら、涙を拭った。
ボヌールが「クゥーン…」と心配そうな声で、わたしに顔を擦り寄せた。
「その犬は、息子に似ているな…嫌な事を思い出した…
俺が妻を責めると、息子はいつも止めようと、俺にしがみついて来た。
小さい体で、だが、気だけは強くて…俺を恐れないのは、あいつ位だ」
アラード卿は苦笑している様だった。
ソファの方に目を向けると、アラード卿は肩を落としていて、十歳は老けて見えた。
「大事な息子が、女に誑かされていると聞けば、冷静ではいられまい?」
「ランメルトは、わたしを義母と慕ってくれているだけです…」
わたしも漸く冷静さを取り戻し、答えた。
尤も、その事で、アラード卿はまたもや声を荒げた。
「結婚の事を、息子に話したのか!?」
この様子では、アラード卿は結婚の事を秘密にしておきたかった様だ。
父と息子で会話が無いというなら、確かにそれも可能だろうが…
ランメルトは知っていた。
それに、彼が塔を訪ねて来たのは、わたしが来た翌日の事では無かっただろうか?
不思議に思いつつ、わたしは話した。
「ランメルトは、あなたが再婚された事をご存じでした。
それで、わたしの所に挨拶に来られたのです。
ですが、本当の事は話せませんでした。この結婚が、体裁の為だけのもので、
わたしが人質であるとは…
父親であるあなたが話していないのならば、言わない方が良いかと…」
「フン、盗人の娘の癖に恩着せがましいヤツだ、
だが、その判断は正解だ、礼を言えばいいのか?」
怒らせずに済んだ事に、わたしは内心で安堵の息を吐いた。
だが、言っておかなければいけない事はまだあった。
「ですが、結婚しておいて、妻を塔に閉じ込めておく事の説明は、
わたしには考え付きませんでした。ランメルトは怪しんでいる筈です。
『お義母さん』と慕ってくれる事に、罪悪感もあります…
本当の事を話して頂けないでしょうか?」
「本当の事を話せだと!?
おまえたち父娘の所為で、俺に息子から嫌われろというのか!?」
どうも、ランメルトが関わると、アラード卿は冷静でいられないらしい。
アラード卿が怒鳴るので、ボヌールが興奮し、「キャンキャン!」と吠えた。
「ランメルトは大人です、あなたを嫌いになどなりませんわ」
嫌われるというなら、わたしであり、わたしの父親の方だろう。
自分の父親から、金を騙し盗った者の娘だ…
今になり、わたしは自分の立場を思い知り、絶望した。
「フン、おまえなどに何が分かる、俺は息子から嫌われているんだぞ」
それが虚勢である事は直ぐに分かる。
荒々しく、男らしいアラード卿だが、少年の様に純粋で単純な処もあるらしい…
憎めない人だ。きっと、人誑しだろう。
あれ程怖い思いをしたというのに、わたしはそんな事など忘れ、
彼を可愛いとすら思ってしまった。
「わたしには、ランメルトがあなたを嫌っている様には見えませんでした」
「フン、息子は、俺の事を話したのか?」
「はい、時々ですが…」
「何と言っていた?どうせ、悪口だろうが、聞いてやろう」
そう言いながらも、知りたくてそわそわとしているのが伝わってきて、
わたしは笑いそうになってしまった。
「騎士として立派な方で、父に敵う者はいないだろうと」
「そうか…」
「ただ、他の事には疎く、わたしが髪型を変えた位では気付かないとか」
「ああ、そうだ、女は髪型を変え過ぎる、どんな違いがあるのか、俺には分からん」
ランメルトはあれ程良く気付く方なのに…
驚く程、似ていない父息子だ。
先程の事で、きっと、今のわたしは酷い頭をしているだろう。
ランメルトであれば、必要以上に心配するだろうし、髪を梳かしてくれるだろう…
わたしは髪を梳かして貰った時の事を思い出し、赤くなる頬を、
ボヌールを抱く事で誤魔化した。
きっと、アラード卿は気付かないだろうが…
「酒豪で有名で、記憶を失くすので、お酒は飲ませない方が良い。
喧嘩好きだけど、女性には暴力は振るわない方だと…」
「フン…」
「悪口など、一つも言っておられません、いつも、あなたを庇っておいでですわ。
気の付かない父親の代わりに…と、わたしに良くして下さるのです」
だから、気付かなかったのだ。
この父息子に、確執がある事など、それをランメルトから聞くまでは…
「ただ…母親の事では、あなたを許せないと…」
「デルフィネの事は言うな!」
アラード卿が声を荒げた。
前妻は、デルフィネというのね…
わたしは初めて知った。
アラード卿は立ち上がり、部屋を出て行こうとしたが、ふと足を止め、振り返った。
「家には手紙を書いたのか?」
そういえば、アラード卿は、以前、家に助けを求める手紙を書けと言っていた。
「いえ…」
「何故、書かない!」
「手紙を書く、便箋と封筒を持っていません…」
「そんな事か、直ぐに用意しよう、父親が金を返せば直ぐにでも家に帰してやる。
おまえも、いつまでもこんな所に居たく無いだろう___」
言うだけ言うと、アラード卿は部屋を出て行った。
その姿が消え、アラード卿が塔を出て行くのを、耳を澄ませて待ち、漸く息を吐いた。
わたしが手紙を書いた所で、あの父が金を返すとは思えない。
アラード卿が真実を知れば、どれ程怒るだろう…
それを想像すると、気が重くなった。
だが、今日、少し話せた事で、アラード卿がそれ程分からず屋で無い事は分かった。
暴力を振るわれるかと思ったが、それも我慢していた。
驚く程、息子想いで…そして、意外にも、可愛い面があった。
「いい方だわ…怖い顔をしたり、怒鳴らなければね」
ボヌールに言うと、「キャンキャン」と同調するかの様に、元気良く吠えた。
「あの方が、わたしの形式上の夫…
本当の夫になってくれたらいいのに…」
だが、その望みは薄い。
彼は息子に結婚の話をしていなかった。
わたしを妻として見ていない所か、『盗人の娘』と呼んだ。
わたしは自分の立場を思い知らされた。
アラード卿と事実上の夫婦になるなど、図々しい願いだろう…
『父親が金を返せば直ぐにでも家に帰してやる』
アラード卿は、わたしをデシャン家に返すつもりだった…
『おまえも、いつまでもこんな所に居たく無いだろう』
「いいえ、いいえ、出来る事なら、ずっと居たいですわ…」
◇
晩食と一緒に、沢山の便箋と封筒が届けられた。
これでは、十年毎日家に手紙を書けそうだ。
アラード卿という人は、本当に、生活の事に関して疎いらしい。
それと一緒に、アラード卿からの手紙があった。
そこには、明日の夜、王都での夜会に一緒に出席する様に、
昼過ぎに館を出発するので準備しておけ…と書かれていた。
「夜会?何故、急に?」
今まで、一度も誘われた事は無かった。
いや、今日まで、わたしの事など忘れてしまっているのでは?とさえ思っていた。
それが、王都での夜会に一緒に出席する?
「困ったわ、夜会なんて…」
わたしは夜会など出た事は無い。
何を話して良いかも分からない。
きっと、酷い失態を犯すだろう…
だが、クリスティナはパーティを楽しんでいた。
クリスティナが行くのは、同年代のパーティなので、アラード卿がそれを知って
いるとは思え無かったが、怪しまれてはいけないので、下手な断り方は出来無い。
「ボヌールを置いてはいけないわね?」
この理由で納得するかは分からなかったが、今まで出席した事は無いのだ、
どうしても出席しなければいけないというパーティでは無いだろう。
わたしは断り文句を書き、ベルを鳴らし、使用人に届けて貰った。
これで問題は片付いたと思っていたのだが…
一時間もせずに、アラード卿から返事が届いた。
《犬は使用人が面倒を見る》
《アラード卿夫人に拒否権は無い》
「アラード卿夫人ですって!?こんな時だけ、都合の良い方!」
だが、悪い気はしなかった。
『盗人の娘』より、余程良い。
もしかしたら、好意を持って貰えるのでは…
そんな期待が再び芽を出した。
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