見ているだけで満足な姫と死んでも触りませんと誓った剣士の両片思いの恋物語

まつめ

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61.抱きしめる……と

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 リョマリョマ牧場からエイドドアドの邸宅に帰る道すがら、カーリンはぼんやりとしているリエリーに何度か話しかけたが、耳に入らない様子で彼女は馬車の窓から外を見ていた。
 
 明後日にはモーリヒルドに帰るというのに、結局今日も代行は彼女に会わなかった。リエリーが落胆らくたんするのも分かる。

『優しい目で見て欲しい』
 なんて小さい願い事。こんなちっぽけな、小さな小さな願いでさえ、彼女は口に出せない。

 結婚しても別々に暮らすのだと言うリエリー。胸が痛いのは、その決まりを守ることが、王女として当然であると信じていることだ。

 彼女は自分の気持ちを言うことは『悪い事』とさえ言った。リエリーは人の言いなりになるように教え込まれているようにしか見えない。

 リエリーは小さい時からお爺さんと二人暮らしだったと言っていた。彼女は閉じ込められていたのだ。
 それなのに……

 一人で勇気を出してリエリーはおりから出てきたのに、また自分から閉じ込められに帰るのだ。

 1度も婚約者らしいことなどしてもらっていない男に命がけで会いにきたのに、まともに会ってももらえないまま、彼女は帰るのだ。

 あの男は本当はどう思っているのだろう。リエリーに会うために断りも無く部屋に飛び込んできて、彼女はどうしたのかと取り乱した、一晩中張り付いて、一時も目を離さず見守っていた。

 あの時の代行は確かに、優しい目で彼女を見ていた。

 ではどうして、リエリーがこんなにも望むのに、その目を見せてやらないのか……

 あの男の本音が見えない。でもはっきりしていることが1つある。あの男はリエリーを傷つけた。
 
 港街の自宅に戻ると、疲れた様子のリエリーを部屋で休ませた。一人にさせてあげようと、カーリンが部屋から出ると、ちょうど兄と鉢合はちあわせた。

 顔を見たとたんにカーリンはなんだか無性に腹が立ってきた。
「兄さんは、領主城に毎日通っているそうだけど、代行に取り入るつもりなの? あんなひどい男にびを売って恥ずかしくないの?」

 タクマ―はうんざりした顔で、機嫌が悪いと俺に絡むのはやめてくれよとぼやいた。

「代行は今日も会ってくれなかった。リエリーは明後日帰るんだよ、それなのに会わないってどういうこと? どれだけ冷たいの、ねえ、乗り込んでいってあの男を怒鳴りつけてもいいよね」

「おまえが言うと冗談に聞こえないからやめて。あのなあ、代行様はそんなに悪い人じゃないんだ、人にはどうしようもない事情があるんだよ、おまえには関係の無い事だから、な、変な事は考えずに、リエリー様を楽しませてやってくれ」

 怒りがおさまらず無言でにらみ続けると、明日の朝早いからもう勘弁してくれと泣きそうに頼んできた。
「明日の朝どこか行くの?」

「材木切り出しの作業小屋に行く。古くなった道具を引き上げようと思うんだ、きこり達は朝が早いから四つ時にはここを出ないといけない、だから今日は早く寝たいんだ、もう勘弁してくれ」

「そう、頑張って行ってきてね兄さん」
 タクマ―が両手で口を塞いで、幽霊でも見たかのように驚愕きょうがくの目で怖いとつぶやいた。

「なに? 頑張ってと言った? 明日は大雨になるのか、いやこれはリエリー様がもたらしたエイヘッドの奇跡なのか、やはりあの方は本当に女神……」

 ばしりと兄の頭を一撃して、カーリンはフンっと鼻を鳴らした。

                ◇◇◇   ◇◇◇

 夜明け前の暗い林道を馬車はぐんぐん登っていく、馬は道を覚えているのだろう、タクマ―の近くに吊るしたランプが小さく光るだけですべては闇の中だ。

 馬車の荷台はほとんど空で、そこに毛布にくるまったカーリンとリエリーが隠れている。

 荷台に座っても、御者台からは見えないので、ミノムシのように茶色い塊から顔だけ出して二人は揺られていた。

 リエリーを連れ出すのはなかなか骨が折れたが成功した。

 カーリンは彼女を説得する方法を知っていた。リエリーはお願いされると断ることができない、言われたことに従うように育てられた彼女の悲しい弱点を利用する罪悪感があったが、どうしてもこのまま彼女を帰したくなかった。

「リエリーにお願いがあるの。1つだけ友達として私を助けてくれないかな?」

 いつも相手の気持ちに気を配るリエリーは「助けて」と言われたら断れないはず。カーリンの予想はその通りで、リエリーは助けてもらった恩もあるから何でも言ってくださいと返してきた。

「最後の思い出に、森の小川で遊ぼう。護衛には内緒で、こっそり出かけるの。それでついでに代行をちょっぴりおどろかせようよ」

 リエリーは森の小川で遊ぶことにはすぐ了承したが、護衛を連れて行かないことには抵抗を示した。

「皆さんを心配させることはできません」と納得しない。モーリヒルドから一人できた人とは思えない返事だ、一晩説得して『手紙を書いていく』というリエリーの案を飲むことで、二人の脱走劇は実行されることになった。

 朝の7つ時に侍女が起こしにきて、手紙を見つければ、代行を心配させるのは、1刻かよくて2刻くらいの間だけど……まあそれでも何にもしないよりましか。騒ぎを大きくするのも良くないしね、手紙はちゃんと書いて置いていこう。

 山の急な坂道を登る頃には、木立の間から優しい朝日が差し込み、『蜻蛉かげろう月』6月の若い緑の葉が美しく朝露を光らせた。

 作業小屋に着くと、タクマ―は慣れた手つきで、馬を外し水場へ連れて行く。
 タクマ―に見つからないように、カーリンとリエリーは荷台を降りた。

 作業小屋の下に続く、小路を降りて小川へと向かった。

「見て見てカーリン、マスがいる!きゃっこれは……すごい、沢蟹さわがにです!本物です!」

 何もかも初めて見るだろうに、リエリーが物知りすぎてびっくりする。この子の頭には図鑑が何冊入っているのだろう。

 王女様が裸足になって、小川に入りはしゃぐ姿はカーリンを幸せな気分にさせた。

 この姿を代行様にも見せてあげたい、婚約者の二人の時間をこんな風に過ごせたらリエリーはどんなに幸せだろう。
 「自分一人がこんな可愛いリエリーを独り占めしてごめんね代行様」と思った瞬間、いや待てカーリンあいつは敵だと己に言い聞かせ、首をぶるぶる振った。

 足をいて、毛布の上に座り、こっそり持ってきたパンにジャムをつけて二人で食べた。

「色々な美味しい物を今まで頂いてきましたけれど、こんなに美味しいと感じるパンは初めてです」
「よかったリエリーが楽しんでくれて、私とても嬉しいよ」 

 カーリンは今日の本当の目的をリエリーに伝えることにした。

「ねえ、リエリー。代行様にあなたの気持ちを言ってみようよ。好きですってことも伝えてないんでしょ」
 リエリーは食べるのをピタリとやめて、首を左右に振った。
「じゃあ、もう少しここに居たいって伝えるのならできるかな」

 困った顔がそこにあった。「それはできないのです、私は帰らないといけないんのです」と昨日の繰り返しになった。

「それなら、一つだけでいいの。リエリーが本当に代行様にしてもらいたいことを私に教えて?本人に伝えられなくてもいいから、見てもらうだけとかじゃないよ、何かもっとちゃんとしてもらうこと」

 そんなことは……なんにも無いですと彼女は俯いた。

 それきり返事をしない。小川の流れる心地よい音と小鳥のさえずりだけが聞こえる。長い時間待ったが、頑として答えないつもりのようだ。

 根気よく待つことにした。リエリーはきっと答えるだろう、誰かにお願いと言われると、答えることが正しいと思っている。かわいそうだと思う、けれど何度もお願い教えてと頼んだ。

「あの……アツリュウはイチゴのジャムパイクッキーが好きなのだと教えてもらいました。だから……もし、願いが叶うなら、お茶を御一緒して、それをアツリュウが食べるところを見てみたい……」

 胸が痛かった。なんてささやかなお願いだろう。それも彼が喜ぶ姿を見てみたいなんて……

「とても素敵なお願いごとだね」
 リエリーは不思議そうな顔でしばらく黙ってから、泣きそうな顔になって「でもそんなの無理なの」と呟いた。

「もう会えなくなるんだよ。だから無理でもさ、聞いてもらうだけならいいでしょう?」

 そこから彼女を説得するまで、何十回もの「無理です」と「できません」と「いけないことです」を聞いた後、何とかお願いの言葉をここで言わせることに成功した。

「よく覚えておいてリエリー、たとえ相手が駄目だと言うと分かっていても、自分の要求を伝えることは大事なの。黙っていたら、それでいいと答えたと同じなの」

「それはカーリンだからできるのです。私にはできません」

「そんなことないよ、私だって駄目だと分かっている相手に伝えるのは怖いよ。でも伝えないと始まらない、それに、1回目は絶対に駄目だと言われても……3回目、5回目、10回目は、「いいよ」と言うかもしれない。だから1回駄目だと言われたくらいで諦めてはだめなの。私なんて100回は挑戦するよ」

「私は……きっと、千回言っても届かない。だって私の話を聞いてもらえないもの。間違えたら怒鳴られるもの、全部覚えるまで許してもらえないもの……」

 それは代行とのことを言っているのではないと分かった。全部覚えるまで許してもらえない……図鑑が頭に入っているかのようなリエリー、ぞっとする言葉だった。

 彼女がどんな過酷な場所にいるのかを自分は本当は分かっていないのだろう、それでも、一言でいいからリエリーに言葉に出して欲しい。

 リエリーの気持ちを知らないまま生きていくなんてあの代行を許せない。

「きっと言えるよ、リエリーはきっと言える。あなたとお茶を飲みたいですって代行様に伝えたら、きっと願いが叶うよ、ずっと渡せずにいるハンカチもあげなよきっと喜ぶよ」

 こうやって手を握っていてあげるからきっと言える、と顔を覗き込むと、ささやくように小さく「言ってもいいかしら」と聞こえた。

「いいんだよリエリー、伝えるだけだよ。1回だけ言ってみよう。私が隣にいるからね」
 彼女はこくりと頷いた。

                ◇◇◇   ◇◇◇

 もう昼を過ぎた。とっくに護衛さんたちに見つかってもいいはずなのになあと思いつつ、作業小屋をこっそりのぞくと、作業していたきこりの一人と目が合い「旦那あ、女の子がいますぜ」と兄にあっけなくばれた。

 その後、タクマ―の絶叫が森に響き渡った。
 
 爆速ばくそくで馬車が山道を下る。ガタゴトときしむ音をたてる荷台の中で、二人は落ちないように必死でつかまって揺られている。その頭の上を兄の大声が吹き抜けていく。

「なんてことをしでかしてくれたんだ。分かってない、お前は全然分かってない、あの代行がどれだけリエリー様を……、あーどうしよう、あの人狂ってるかもしれない。こわいよーこわいよーこわいよー」

 森を抜けて、領主城に続く街道に出ると「来たー!」と兄がまた絶叫し、馬車を止めた。

 首を出して前方を見ると、5人の兵士が馬を走らせぐんぐん近づいて来る。いつも自分達に張り付いている護衛官とは雰囲気が違う、まさしく兵士といったいでたちだ、そして顔がすごく怖い。彼らはやってくると、ぐるりと回りを取り囲んだ。そして兄に「降りろ」と怒鳴った。

 その後は、私と兄は罪人さながら詰問きつもんされ、「とにかく王女殿下のご無事な姿を代行にお見せせねばなりません」と、兵士の一人が馬車を操り、兄も荷台に乗せられて領主城に向かうことになった。

「なんか……ちょっとだけ、大事おおごとになった……の、かな?」
 顔を向けると、兄はもう声を出す余裕もなく放心しているに近かった。

 馬車は普通の速度で進むので揺れも少なく、カーリンとリエリーは頭を出して前方を覗いていた。

「アツリュウ」とリエリーが呟いた時、前方に信じられない速度で近づいてくる馬が見えた。

 見えたと思った時には彼との距離はみるみる縮まって、それは紛れもなく代行だと分かった時、何故か代行が馬の上に立った。

 あれ? 走ってる馬の上に立った? と理解が追い付かずにいる瞬間に、代行が馬の背から飛んで、荷台に降ってきた。

 着地の物凄い衝撃に、馬が驚いて荷馬車が急停止した。

「姫様!」

 大きな声に、先ほどの揺れで、荷台の床に倒れたように手を付いていたリエリーが身を起こした。

 代行は誰も見ていない、周りの慌てまくっている兵士達も、駆け抜けていった空の馬も、荷台にいる兄と自分のことも存在していないみたいに、ただ一人、リエリーのことだけを見詰めている。

 あんなにすごいことをして荷台に飛び乗ったのに、しばらく代行はリエリーを見詰めたまま固まっていた。

「アツリュウ」

 リエリーのその声に彼の体が、びくりと動いて、少しずつ近づくと彼女の前に崩れるように両膝を付いた。

「ひ、め……さま……ぶ……じ」
 唇がわなわなと震えて微かにそう聞こえた。

 ぶるぶる震える彼の右手がリエリーに伸ばされる、それはあまりにもゆっくりとした動きだった。
 彼の指が震えながらリエリーの頬に近づいて、もう一方の腕が包むように肩の後ろに伸ばされ……

 あ、抱きしめるんだ、とカーリンは思った。そういう風にしか見えなかった。

 バンっと大きな音がした。

 彼の指が頬に触れたであろうその瞬間、代行の目が大きく見開かれたと思うと、彼は突然身を引いて、そのまま頭を床に打ち付けた。

 どれだけ強く打ち付けたのか驚くほど大きな音だった。そのまま彼はリエリーの前にひれ伏した。拳を握りしめて、震えたまま動かない。
 それは泣いているように見えた。

「アツリュウ」
 小さな声と共にリエリーの手が彼の髪に触れかけた時、代行は素早く立ちあがった、その目は間違いなく赤かった。しかし彼は代行の顔に戻っていてもう彼女を見ない、彼は軽く跳んで荷台を降りると、戻ってきた馬に跨った。

「領主城にもどる」代行のその指示を聞いた後、誰も口をきかなかった。
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