見ているだけで満足な姫と死んでも触りませんと誓った剣士の両片思いの恋物語

まつめ

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102.くじらの星空

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 リエリーはアツリュウの肩に頭を乗せて目を閉じた。
 愛する人に触れる喜びがあまりに強くて、震える心でしがみついていた。
 
 彼が動いて、身を離した。ぎゅっとリエリーの胸の中をつかむ怖さがあった。「私は帰りません」そう言おうとしたとき、ぐらりと体が傾いてリエリーの足が宙に浮いた。気づくとアツリュウに抱きかかえられていた。

「姫は帰さない」
 アツリュウの声が頭の上で聞こえた。それは彼がスオウに告げた言葉だった。

 アツリュウはくるりと向きを変え城に向かって歩き出した。
 リエリーは彼に抱きかかえられたまま運ばれていく、広場の真ん中あたりまでくると、アツリュウが「姫様私の首に手をかけて」と微かな声で言った。

 リエリーは言われた通りに彼の首に手をまわし、そのままぎゅーっとしがみついた。
 「姫は帰さない」彼がさっき告げた言葉が、甘く苦しいほどの喜びを与えた。
 
 領主城にもどると、彼はリエリーを抱えたまま階段を登り、ゆっくりと歩いて行った。領主館のアツリュウの自室の扉の前に着くと立ち止まった。

 彼が振り返るとそこに心配して付いてきたキボネがいた。アツリュウは彼に「しばらく開けるな」と怒った声で告げた。

 寝室に入ると、急に彼は勢いを増して足早にリエリーを運び、リエリーが気が付いた時には彼の寝台の上に倒された。覆いかぶさるようにして、己の体の上に彼がいた。
 そのままアツリュウはリエリーをじっと見つめる。怒った顔で口を結んでいる。

「アツリュ……」
 名を上手く呼べず、震える手でリエリーは上に手を伸ばし、彼の頬に指先でふれた。

 何か言おうとリエリーが息を吸ったと同時に、彼の唇が強く押し付けられた。噛みつくような口づけに目を閉じて、知らず彼にしがみついていた。

 心がめちゃくちゃに乱れて苦しかった。甘美で痺れるようなかたまりを、どんどん押し込まれるようで、その気持ちを受け止めきれず、息を継ごうとするのに、アツリュウは頭を手で抱え込んでリエリーが逃げるのを許してくれなかった。
 彼は荒く継いだ息が落ち着いてくると、浅く口づけながら、狂おしく姫様と何度も呼ぶ。
 しだいに口づけが優しく甘くなり、深く何度も繰り返されて、リエリーの体は痺れたように何の力も入らなくなった。
 半分ぼんやりして、溶けるような心地にのみ込まれていると、もっと先に進むつもりだと彼の手が伝えてくる。

「待って」
 リエリーは両腕で彼の体を押しとどめた。
 琥珀こはくの瞳が見詰めている。胸の鼓動が、体の内から強く、強く打ち付けてくる。
 どうしようもなく切羽詰まったように、狂おしく求めてくる彼の瞳。
 そのあまりの熱さに怖くなって、もう一度「待って……」と。

「待たない」
 琥珀の瞳はリエリーを逃がさない、大きな手が頬を包む。彼の顔が近づいてくる。

「あなたが私を欲しいと言ったんだ」
 
 熱い吐息が耳に触れる、唇が耳に触れ「俺を欲しいと……あなたが……」かすれる声がもう一度ささやいた。
 そして、息もできぬほどリエリーは強く抱きしめられた。

                ◇◇◇   ◇◇◇

 静かだ。いつの間に眠っていたのだろう。
 薄い暗がりの中、ぼんやりとアツリュウの胸が目の前に見える。
 ここはどこ?
 彼の腕の中で目を覚まし、体を動かすと、彼は大きな固い手で、リエリーの頬を優しく包んだ。
 瞳と瞳が重なると、アツリュウが幸せそうに微笑んだ。

 素肌で抱き合っていることにリエリーは驚いた。
 ああでも、なんて心地がいいんだろう。
 滑らかな彼の胸に頬をすり寄せると、アツリュウの唇がリエリー髪に何度も触れるのが分かった。

 部屋に入った時は明るかったのに、今は夕刻だろうか。
 窓掛け布を閉じていないので、陽が暮れた後の青い光が部屋を満たしていた。

 眠る前、初めは震えるばかりで身を縮めるしかなかったが、彼の見つめる瞳も、姫様と呼ぶ甘い声も優しくて、少しずつ力が抜けていき身をまかせた。
 口づけされながら、ゆっくり、ゆっくり、大好きなアツリュウの大きな手が、リエリーに優しく触れてきて安心の中でうっとりと心地よさに身を任せた。いつしかアツリュウに何もかもを愛されていた。初めての感覚に震える度に、深く甘く口づけられる。そうして濁流に飲み込まれるように、なすすべもなく彼の嵐の中にいた。夢中で抱き付いて……そこで意識が途切れている。

 アツリュウの手が優しく髪を撫ぜている。
 私が眠っている間、彼はずっと起きていたのかしら。
 リエリーが抱きつくと、彼が強く抱きしめかえしてくれた。
 私は知らなかった、
 こんなにも心が満たされて、幸せな場所が、この世にあるなんて。

「姫様」
 声音は震えて、少し苦しげだった。

 体を離して彼の顔を見上げる。どうしたの? と問うと、返事の替わりにアツリュウが上から抱き付いてきた。
 リエリーの胸に顔を埋めて、彼がきつくしがみついてくる。
 それは先ほどの彼が、狂おしく求めてきたそれとは違って、子供が母に抱きつくような姿に思えた。

 どうしたの? と聞いてもアツリュウは何も言わず、すがりつくように強く抱き付いてくる。
 そうして、とても熱いものがリエリーの胸にこぼれた。
 あまりの熱さに驚いて、何が起きたか一瞬分からなかった。けれど肩を震わせて、息を殺すように嗚咽を耐える彼の涙なのだと気が付いた。
 涙がこれほど熱いことをリエリーは初めて知った。

 もう何も聞かずに、彼の頭を撫ぜてあげた。
 ゆっくり、ゆっくり髪をすくように、小さな子供をあやすように撫ぜ続けた。

 「姫様」と繰り返しささやいて、きつくしがみつきながら、アツリュウはもう嗚咽を抑えることができずに、声を上げて熱い涙を流し続けた。

 『くじらの歌』を歌っていた。
 母にせがんで、寝る前によく歌ってもらった子守歌。

 子守歌と言っても、朗らかな曲調で、幼子が色を覚えるためのかわいい童謡だ。
 もう、自分が歌える日がくるなんて、2度と来ないと思っていたのに。
 旋律せんりつは、知らないうちにリエリーの口からこぼれていた。

 よるのおそらに くじらがおよぐ
 くるりと まわって おびれが はじけて 赤のほし

 よるのおそらに くじらがおよく
 くるりと まわって せびれが はじけて 青のほし

 歌の中で、鯨は夜空を泳いでくるりと回る、すると体がだんだんはじけて、様々な色の星に代わる。
 そうして、9回まわると、体がすべて星になるのだ。

 よるのおそらに くじらがおよぐ
 くるりと まわって おなかが はじけて 黄のほし

 よるのおそらに くじらがおよぐ……

 鯨の体がすべて星になっても、アツリュウの涙は止まらなかった。リエリーの胸に溜まった熱い涙が、体からこぼれて落ちていく。

 リエリーは彼の頭を撫ぜながら、優しく歌い続けた。
 繰り返し、繰り返し、夜の空に鯨はやってきて、その姿を星にかえた。

 彼の嗚咽が小さくなって静かになり、やがて安らかな寝息にかわった。
 色とりどりの星が満天にひろがるアツリュウの夜空を眺めながら、リエリーは彼の頭を撫ぜてあげた。
 
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