見ているだけで満足な姫と死んでも触りませんと誓った剣士の両片思いの恋物語

まつめ

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106.苦しみの夜を越える

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 オルゴンは彼の執務室で書類書きをしながら、知らないうちに自分が微笑んでいることに気づいて筆を止めた。
 アツリュウが覚悟を決めて姫様の手をとったことが心から嬉しかった。オルゴンは今日まで生きてきて良かったと感じたのは、戦地から戻って以来初めてだと思った。

 男になって落ち着くのかと思いきや、ここ数日のアツリュウは浮かれて飛んでいきそうだ。やれやれ相変わらずだと呆れながらも、彼の好きなようにさせてやりたかった。

 扉を叩く音がして、アツリュウが入ってきた、こんな時間に珍しいなと思った。
 アツリュウはオルゴンの前に立つと、顔を見るばかりで何も言わない。

「どうしたアツリュウ」
「オルゴンの顔を見にきた」
 急にどうしたとオルゴンは笑って見せたが、アツリュウは真面目な顔でじっと見ている。明るい光にさっと影がよぎるように不安が生まれた。

「言いたいことがあった気がしたけど、顔を見たらもうそれだけで良くなった。ああでも一言いっておくか、もういい爺さんなんだから無茶をするなよ。エイヘッドの冬は厳しいそうだから、雪が降るまえにモーリヒルドに帰っていいぞ」
「……アツリュウおまえ何かあったか?」

 アツリュウは笑った、それはいつか見たようなはかなげな笑い方だった。オルゴンが初めて彼を母のもとに連れて行った帰りに、この子はこんなふうに悲し気に……笑って……

「俺はさ……満足だ。だから父上にそう伝えてくれ」

                 ◇◇◇   ◇◇◇

 一刻の後、オルゴンがサンバシの大声を館内に聞いて、騒ぎの元に駆けつけると、アツリュウが手に拘束こうそくかせを付けられて、兵士に両側を押さえられて連行されていく姿が目に飛び込んできた。

 兵士達の先頭に背の高いスオウの頭が見え、振り返った彼とオルゴンの目が合った。
 感情を持たないブルーグレーの瞳の向こうに、あの日見た悪魔の顔を見た。

 セウヤ殿下
 あなたはどこまでむごいのか。アツリュウは殿下を堀から命がけで救ったというのに……

 城中の者が出てきて、連行されていくアツリュウを見て言葉を失う。
 アツリュウは抵抗することなく静かに従い、すぐに彼は城門前まで連れていかれた。そこにはもう多くの兵が控えていて、アツリュウを乗せる馬車も用意されていた。

「スオウ隊長、私は納得できません」
 サンバシが大声で怒鳴って、馬車の前に胡坐あぐらで座り込んだ。その後ろに集まっていた兵士達もサンバシにならって次々に座り込む。馬車の周りはアツリュウを行かせまいとする兵士達で埋まった。

 スオウは淡々と進み、セウヤ殿下からの書状らしきものを読み上げた。

「アツリュウ・ミタツルギはアーディル・フェサード・バッシャール率いる賊と共謀きょうぼうし、シュロム王家に反逆を企てた。よって取り押さえ連行せよとのセウヤ殿下からの命令である」

 兵士たちが騒然として口々に代行は無実だと叫ぶ、サンバシが怒鳴った「スオウ隊長、代行を連れていくなら私たちをどかしてから行ってください。我々は動かない」
「サンバシ」
 アツリュウの落ち着いた声に皆が黙った。

「悪いがそこを空けてくれ、これは始めから決まっていたことだ。スオウと俺が対立したらスオウの命令が絶対だとの内示に納得してこの仕事を受けた。サンバシそうだろう? 契約違反するなよ」

「代行は始めからそれを知っていて……そんな……」
 サンバシがうめきながら立ち上がると、アツリュウのもとに駆け寄った。

「あなたは無実だ。どうしてこんな目に合わないといけないんだ! スオウ隊長、あなたは本当にこれでいいのか!」

 何も答えないスオウの代わりにアツリュウがサンバシに言った。

「いいわけないだろ、スオウは損な役を押し付けられただけ、スオウがやらなければ、他の兵士がモーリヒルドから送られてくるだけだ。ここでお前らが逆らえば、シュロム王家と戦争になる、そうしたら本当に反逆だそんなことできる訳ないだろ。なあサンバシ、最後に頼みがある」

 アツリュウの言葉にサンバシは悔しそうに目を閉じた。

「俺の後任にはスオウを置いていきたい。バッシャールの奴が来たらスオウが対応した方がいいからな。サンバシは帝国語ができないだろう? だからお前に頼みがある、スオウに代わって俺をモーリヒルドまで連行してくれ」

「あなたは、ここまでのことをされて、なおもエイヘッドのことを気にかけるのか?」
 サンバシが泣きそうな声でアツリュウの拘束具こうそくぐに手をかけた。

「ここに来るって決まった時はさ、最悪だと思ったけど、来てみたら俺エイヘッド気に入ったんだよ」
 アツリュウは「おまえらもそうだろう」と兵士達に大声で言って笑った。
「まあ、ここにいる間はエイヘッドを第二の故郷と思ってなんとかしてくれると嬉しい。すまないな、俺はもうたぶん帰って来ない。みんな今までありがとう」

 アツリュウはオルゴンを見た。その口は「姫様をたのむ」と言っていた。
 サンバシが静かに泣きながらアツリュウを馬車に連れて行く。
 アツリュウは乗る前に振り返った。

「それじゃあスオウ、あとは頼んだ」
 
 アツリュウはモーリヒルドに連行されて行った。
 オルゴンはそれを止めるすべをもっていなかった。

                ◇◇◇   ◇◇◇

 その日の夜、オルゴンがまんじりともせず、彼の執務室にいるとスオウが訪ねてきた。
 彼は入ってくると、静かに立って「私の要件をご存知ですよね」と言った。

「何のことです」
 オルゴンがスオウを見ると、彼は目をらした。自分の目を直視できないことを彼はした。だが、己とてシュロムの兵士だった。彼の胸中は理解できた。

「姫君がどこを探してもおりません。彼女の居場所をオルゴン殿はご存じか?」
 オルゴンはスオウの問いには答えなかった。

「こうなることが分かっていたなら、スオウ殿はどうして姫君をアツリュウのもとに連れ戻したのです」

「私は、姫君の命令に……あらがえなかった。あの方は私にとって特別なのです」

「どういう意味で特別なのです」
「それをオルゴン殿に話す必要性を感じない」

「あなたの言う特別、その内容いかんで姫君の居場所を伝えるか否か決めましょう」

 スオウは長く黙っていたが、深く息を吐いて、観念したように話始めた。

                 ◇◇◇   ◇◇◇

 スオウは、幼い頃から物事を論理的に組み立て、先を読んで準備をし、実践しまた検証する、その繰り返しが好きだった。
 
 シュロム宮廷護衛団の配属となりスオウは喜んだ。まさに彼がしたい事そのものだと。

 襲撃者を予測し、環境と人員を整備し、状況を把握し、常に先手を読んで護衛対象を守る。論理的な構築こそが護衛の仕事だった。

 しかしスオウは若かった、20代前半で知った口をきく新人はあっという間に飛ばされた。

 『牢獄の館』
 水鳥の上様とリエリー王女殿下が住まう館の警護は、シュロム宮廷護衛団にそう呼ばれていた。上司の不興を買ったものが送られる、島流しの場所。入ったら出られない牢獄。

 狂った老人を10歳の少女が世話をする。虐待されていることにも気付かずに、お祖父様に付き従う王女の護衛。数カ月で精神を病む者もいると上司は笑ってスオウを任にあてた。

 残酷で救いの無い少女の毎日を目にしながら、スオウは黙って護衛を続ける。無為に思える月日が過ぎ王女が11歳になった頃事件は起きた。
 馬鹿馬鹿しい日課の、神殿巡りをその日もしていた。

 水鳥の上様を落ち着かせようと、年齢よりも幼く見える姫君は、懸命に裏門を指さしては嘘をつく。
「おじいさま、もうすぐ門が完成しますね」

 あの日はたまたま、上様の機嫌が悪かった。裏門の彫刻を掘るふりをするために雇われた人足に、上様はつえでいきなり殴りかかった。

 スオウはその時、上様が行動の結果、怪我をするか否かを予測した。そして自分は姫君の護衛であるから、そちらは上様の護衛担当が処理すればいいことだと瞬時に結論を出した。

 だから姫君の後ろで突っ立って動かなかった。

 次の瞬間に起きたのは、信じがたいことだった。
 姫君が飛び出して、人足の男をかばい上様の杖で打たれたのだ。上様は興奮して、姫君を打っていることに気づかない。姫君はやめてと叫んで、なおも男をかばい続けた。

 姫をすぐに救出したが、スオウには理解できなかった。
 王女という立場にありながら、何故人足のような面識もない平民の男を、この少女は身をはって守ったのか。

 愚かだと思った。
 自分の立場を何も理解していない頭の弱い子なのだと、王女は護衛の自分を盾にしてでも生き延びることを選ぶべき人間だと分かっていないのだ。

 抱いて運ぶ道すがら、姫君はスオウにしがみ付いて震えていた。
 
 怖かったに決まっている。どれほど痛かったか、けれど彼女は引かなかった、あの見知らぬ男を守り通した。

 守るとはなんだ。
 自分は護衛官となり、守る手立てを論理的に並べることばかり考えてきた。

 だがこのか弱い少女は、何の力も持たず、何の準備も無く、ただ己の信念のみで人を守った。

 己の体を杖に打たれても、守るべきと彼女は信じた。それは命だ。
 彼女は人の尊さを知り、その命を守った。

 本当の意味で『守る』ということを、己は理解していただろうか。
 愚かなのは自分。守る覚悟など己には始めから無かった。

 上司にもう一度護衛について学ばせてくれと頭を床に付けて詫び、スオウは離宮に戻った。

 そしてリュウヤ殿下に巡り合うことができた。
 己の生涯を捧げるべき、心から敬愛する主に仕える喜びをスオウは知った。

 シュロム宮廷護衛団の副団長となり、緻密な計画をスオウがたて、シンライガが実行した。
 スオウの心には、常にあの日の姫君がいた。
 スオウにとって姫君は、守るということの信念を教えてくれた尊敬すべき人だった。

 だがスオウは取り返しのつかない失敗をした。
 リュウヤ殿下を失った。

 スオウが護衛計画の責任者だった。己の護衛の穴によってリュウヤ殿下を守ることができなかった。スオウの失態でリュウヤ殿下を殺してしまった。

 スオウは生涯を捧げると誓った、彼の唯一の主を失った。

               ◇◇◇    ◇◇◇ 

 オルゴンは黙ってスオウの話を聞いていた。
 リュウヤ殿下の存在がスオウにとっていかに大きかったか、彼の絶望的な悲しみをかいま見た。

「私にとって姫君は、護衛官として生きていた私の指標。そしてリュウヤ殿下が愛した妹君です。何物にも代えがたく大切にお守りしたいと思っています。姫君がアツリュウを望むならば、わせてあげたかった」
 
 スオウの言葉に、オルゴンは厳しい口調で言った。

「だがあなたはその姫様が愛する男を殺す手引きをした。スオウ殿、あなたは結局はセウヤ殿下の為にしか動けなかった、口では大切と言ったところで、姫様の心も体も守ることはできなかった」

「今なんと言ったか?」
 スオウがオルゴンの元に駆け寄った。
「姫君に何があった、まさかお命を絶ったのか」
 けして感情を見せてこなかった男が取り乱して大声をあげた。

「何があった、心も体も守ることができなかったとは、オルゴン殿、何故黙っているか! 姫君はどこだ!」
 姫様を失う恐怖にスオウの手は震えている。

「姫君はバッシャールの所へ行かれた」
「なんだと」

「姫様はヨンキント殿とバッシャールの根城ねじろに行かれた。アツリュウが謀反を企てていない証人として、バッシャールをセウヤ殿下の元に連れて行くそうだ」

 そんな……とスオウは首を苦し気に振った。
「あの男が姫君に何をするか、どうしてあなたはそんなことを許したのだ、オルゴン殿何故だ」

愚門ぐもんだなスオウ殿、誰が姫様をそんな危険にさらすか……私はキボネにたくされた姫様の手紙で知ったのだ。今頃彼女はバッシャールの元にいる。殺されればまだましか、だがあれほどに美しい方だ無事に返されるはずもない、賊の集団で慰み者にされる、その意味があなたにもお分かりだろう?」

 苦しみに歪んだ顔でスオウは拳を握りしめ「私のせいだ」とうめいた。

「そうだスオウ殿、あなたのせいだ。アツリュウも姫様も、今日アツリュウが捕らえられることを知っていた様子だった。あなたが事前に教えたのでしょう? 逃がすおつもりだったか、だが、姫様はあの外見だどこに行こうと目立つ、逃げても姫様を幸せにできないとアツリュウには分かっていた。だからあの子は甘んじて死を選んだ」

 オルゴンは冷たく言い放った。
「アツリュウが命を投げうって愛した人を守ってやりたかった。スオウ殿、今姫様がどんな目にあわされているか、最悪の状況を想像しろ。安易にあなたが教えたばかりに、姫様は危険に飛び込んだ。あの方はアツリュウを守るため一人でエイヘッドに来たことを忘れたか!」

 スオウは「姫君」と声を絞り出す。

「セウヤ殿下は悪魔だ。それは私も知っている。だから姫様は悪魔に勝つために、ちがう悪魔の所へ取引に行った。私には絶望しか見えない……だが、スオウ殿、あなたは姫様という人の本質を知っている。あの方は取引を成功させることができるだろうか?」

 スオウは大きく首を左右に振った。
「私にも絶望しか見えない。だが万が一姫君がバッシャールを動かすことができ、あの方がご無事であるならば私は他に望むものなどない」

「姫様は手紙に、バッシャールを連れ出すことができたら、すぐにモーリヒルドに帰る。だからその護衛に私に付いてきてほしいと書いてあった。そこでスオウ殿、もし姫様が無事に戻ったならば、その護衛役をあなたに託したい」
 オルゴンはじっとスオウをみすえる。

「どういうことか」

「万が一にも姫様がバッシャールを連れていくことができたとしても、セウヤ殿下は動かない。なぜなら殿下は真実などどうでも良いのだ、ただアツリュウを殺す理由が欲しいだけなのだから。だから、私は姫様にセウヤ殿下を動かすためのもう一つの案を提案をするつもりだ、そのためにはスオウ殿あなたの力が必要なのだ」

 スオウは返事を返さなかった。悲壮な顔で立ちつくすだけだった。

「日の出を待ち、山小屋へ向かってくれ。姫様を迎えに行って欲しい。もし姫様が戻らなければ最悪の事態が起きたということだろう。その時どうするかはあなたの自由にしたらいい。ではスオウ殿、この苦しみの夜を一人で越えられよ、私も一人で越える」

 オルゴンは執務室の燭台の灯りを消し、暗闇にスオウを残して部屋を去った。
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