婚約破棄からの……溺愛 ~エリート侯爵子息は最愛をうっかり婚約破棄してしまう~

まつめ

文字の大きさ
9 / 11

恐ろしい目のドラゴン

しおりを挟む
「ソフィアお嬢様、恐ろしかったですね」
 侍女のカヤに声をかけられて、呆然としていた私はやっと我に返った。

 たった今、初めてのお茶会を終え、ノヴァック侯爵家の次男で婚約者になるであろう男性が帰ったところだ。
「ドラゴンで間違いないわ、絵本の中にしか出てこない空想上の動物。あの方はそういう類の生き物よ」
 カヤと私は手を取り合って、先ほど見た恐怖の光景を思い出しブルブルと震えた。

 クノール地方の田舎からほとんど出たことのない私は、領地を任されている気さくな執事夫婦の実の子のように育てられ、男爵令嬢とは名ばかりの村娘みたいな18歳だ。

 父から王都のタウンハウスに来るよう命じられ、来てみたらびっくり仰天、侯爵家のご子息と婚約ですと? 男爵令嬢が侯爵家と? ありえないからそんなこと。何度も聞き返して確認してしまい、10年ぶりくらいに言葉を交わした父の機嫌を損ねてしまった。

 父は事業を次々と成功させ、今や国でも名の知れた大実業家で信じられないほどの財を築いているらしい、とは言っても、いくら何でも身分差があり過ぎる。だってクノールの領地を管轄する伯爵様だって、遠目に姿をちらっと見たことがあるくらい、侯爵家ともなれば馬車さえお目に掛かったことがない。

 そう、生涯会うことがないであろう存在である侯爵家のご子息。だから私はこの想像をはるかに超えた状況に取り乱し、何とか落ち着くために彼をドラゴンと名付けた。伝説の獣に会うくらいの心地なのだ。

「あのドラゴンの目を見たら、魂を抜かれて魔界へ連れていかれそうだったわ。この婚約にどんな謎が隠されているのか不思議だったけど、1回会っただけで理由が分かった。あの方と結婚したいとは誰も思わない、ねえそう思うでしょカヤ」

 クノール領を取り仕切っている執事の娘で、2つ年上の姉のような存在であるカヤは、侍女としていつも側にいてくれる。彼女もノヴァック様がどれほど異様だったかを語ると首をぶんぶん振って同意してくれた。

 ドラゴンであるノヴァック様は男爵家を訪れると丁寧に挨拶をしてくれた。そしてお茶の席に座り、1時間後に立ち上がり、そして帰っていった。火は吹かなかった、かぎ爪で暴れもしなかった、しかし……

 彼は無言のまま不動の石像のように座り続けた。黙っているくらいいくらでも耐えられる。でも彼は目を半眼にしてこちらをずっと見ているのだ。地獄の底から覗いてくるような、背筋を凍らせる鋭さで、がつっと視線を合わせたまま動かない。

 怖い、怖い、怖いから~ 
 目をそらしてもいいの? ずっと見てなくちゃいけないのこれ? え? 眼球が時々上下に動くんですけど、何これ人間なの?誰かタ・ス・ケ・テー、精神崩壊するから~

 彼はドラゴンで間違いなかった。いつか見た絵本の中に書いてあった。『ドラゴンと目を合わせてはいけません、精神を狂わされてしまいます』

 父は私と会話をしないので、家令にこの婚約のいきさつを教えてもらった。ノヴァック侯爵家と鉄道事業の話を進めている時に冗談として父が「娘を差し上げます」と伝えたら、二つ返事で次男の嫁に欲しいとなったとのことだ。何故ならこの次男のダニエル様は、会う令嬢すべてから婚約をお断りされてしまうというのだ。結婚さえできるなら、もう男爵令嬢でもかまわないところまで彼は落ちてきているのだ。

 まさか! だって侯爵家ですよ。そんな格上からの婚約を誰が断れるというの? 明日結婚ですって言われても、はい仰せの通りにいたしますってなるから。変だからこの話は、たぶん結婚したら何かの生贄にされて血を抜かれるとかそういう隠された理由があるに違いない……

 たった1度の面会で、何故彼が婚約できないのか、身をもって知った。血を抜かれる方がまだましと思えるほどに、黙ったままの彼と1時間見つめ合うことは拷問のようだった。しかし、侯爵家との共同事業の献上品である私は、このドラゴンから逃げ出すことは無理なのだ。

 次に会った時も、きっちり1時間の拷問に耐えた。3回目のお茶会で私はもしや……と思い始めたことを確かめることにした。
 このドラゴンは、目は合うけれどこちらを見ていないのでは……

 私はドキドキと高鳴る心臓で震える指を持ち上げた、勇気を奮って……
 アッカンベーと指で目じりを下げると舌をべーっと出した。

 なんと! ドラゴンに反応は無い。不動のまま半眼でじっとこちらを見たままだ。
 ほうと息を吐いて安心した。なんだこの人私のこと見てないじゃん。

 それからは、かなりリラックスして紅茶を飲んでお菓子を食べたりした。私が何をしようと目の前のドラゴンは目を開けたままどこかの世界に意識を飛ばしているようで、何の変化も無かった。

 ノヴァック様を遠慮なく眺めた。いつも冷たい表情で固まった顔であるけれど、太めの眉と通った鼻筋は凛々しく、騎士様のような精悍な美しさがあった。肌は綺麗で、爪も手入れがされており、髪型には微かな乱れもない。公爵家ともなると、頭からつま先まで侍従にお手入れされているのかも。これが真のお貴族様かとため息がでるほどの品の良い体が、最上級のジャケットに包まれている。

 クノールの田舎は雨が多いので、ぬかるみを走ってスカートを汚しよく叱られた。こんな野山を駆けまわっていた私が、こんな高貴な方の妻を務めることができるのかしら……

 冷たい風が心の中を吹き抜けて、高まりかけた熱を一気に冷やした。
 ああきっと妻は名ばかりで、結婚したら次の日からもうこの方に会うことも無いのかもしれない。

 もう母とは10年近く会っていない。同じ館にやって来ても顔さえ見せてくれない。クノール領に捨ておかれて、年に数度やってくる父も声をかけてくれることは無かった。
 母や兄に対しては、家族として扱ってもらえない寂しさはもはやなく、会った時に顔が分るかどうかそれが1番の心配事だ。どうしよう、兄と気づかず「初めまして」と挨拶してしまったら。

 私はこの男爵家で、居るのに姿が見えない空気なのだ。
 ノヴァック家に嫁いでも、同じなのかもしれない。結婚しているという事実だけが必要で、私は空気になる。いま目の前にいるのに、このドラゴンは私に気づくこともない……

 ノヴァック様の腕がゼンマイ仕掛けの人形のように動いて、視線を動かさないまま紅茶を口に運んだ。そして、長く形の良い指がクッキーを摘まんで、大きな口に入にいれた。

 ピッとドラゴンの体に電流が走った。
 瞳に生気が宿り、こちらを見た。その瞬間私にも電流が走った。

 ついに見た。彼が初めて気づいたのだ、私がここにいることに!

「どうかなさいましたか?」
「いいえなにも」

 会話ができた! すごい、すごい、ドラゴンが喋った!

 質問すると答えてくれ、なんと彼は頭のなかで書類を広げて仕事ができるのだと教えてくれた。悪魔の眼差しは、こちらの精神を狂わせるためにしているのでは無いことが分った。彼は特別に優秀な頭脳で、ひたすら仕事をしていたのだ!

 私は興奮していた。ドラゴンがこちらに気づいた時の快感がたまらなかった。伝説の獣の気を引くにはどうすればいいだろうか、もう一度この雷に打たれたような衝撃を味わいたい。
 獰猛なドラゴンにもしかしたら返り討ちにあうかもしれない恐怖はあったけれど、どうせ結婚すれば空気になる身だ、せめて何回かは気づいてもらって顔くらいは覚えてもらいたい。

 よし! ドラゴンをびっくりさせる作戦を開始しよう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

捨てられた悪役はきっと幸せになる

ariya
恋愛
ヴィヴィア・ゴーヴァン公爵夫人は少女小説に登場する悪役だった。 強欲で傲慢で嫌われ者、夫に捨てられて惨めな最期を迎えた悪役。 その悪役に転生していたことに気づいたヴィヴィアは、夫がヒロインと結ばれたら潔く退場することを考えていた。 それまでお世話になった為、貴族夫人としての仕事の一部だけでもがんばろう。 「ヴィヴィア、あなたを愛してます」 ヒロインに惹かれつつあるはずの夫・クリスは愛をヴィヴィアに捧げると言ってきて。 そもそもクリスがヴィヴィアを娶ったのは、王位継承を狙っている疑惑から逃れる為の契約結婚だったはずでは? 愛などなかったと思っていた夫婦生活に変化が訪れる。 ※この作品は、人によっては元鞘話にみえて地雷の方がいるかもしれません。また、ヒーローがヤンデレ寄りですので苦手な方はご注意ください。 ※表紙はAIです。

『 私、悪役令嬢にはなりません! 』っていう悪役令嬢が主人公の小説の中のヒロインに転生してしまいました。

さらさ
恋愛
これはゲームの中の世界だと気が付き、自分がヒロインを貶め、断罪され落ちぶれる悪役令嬢だと気がついた時、悪役令嬢にならないよう生きていこうと決める悪役令嬢が主人公の物語・・・の中のゲームで言うヒロイン(ギャフンされる側)に転生してしまった女の子のお話し。悪役令嬢とは関わらず平凡に暮らしたいだけなのに、何故か王子様が私を狙っています? ※更新について 不定期となります。 暖かく見守って頂ければ幸いです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!

ちゃっぴー
恋愛
公爵令嬢アクア・ラズライトは、卒業パーティーの最中に婚約者であるジュリアス殿下から「悪役令嬢」として断罪を突きつけられる。普通なら泣き崩れるか激昂する場面――しかし、超合理的で節約家なアクアは違った。

拝啓~私に婚約破棄を宣告した公爵様へ~

岡暁舟
恋愛
公爵様に宣言された婚約破棄……。あなたは正気ですか?そうですか。ならば、私も全力で行きましょう。全力で!!!

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika
恋愛
社交界で名高い公爵令嬢・アイリスは、婚約者である王太子に冤罪をでっち上げられ、婚約破棄と同時にすべてを失った。 誰も信じられず国外に逃れた彼女は、名を偽り辺境の地で静かに生きるはずだった――が、そこで出会った青年将軍が、彼女に異常なまでの執着と愛を向け始める。 やがて明らかになる陰謀の真相、そして王都から彼女を探す“元婚約者”の焦燥。 過去を乗り越え、愛を選ぶ彼女の物語は、痛快な逆転劇と甘く濃密な溺愛とともに幕を開ける。

処理中です...