緑の袱紗が鳴るとき

ホルモンヤん

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京へ江戸へ、藍川織の販路を広めるべく兄様は日々奔走していた。しかし当主の態度は冷たく、その努力を「見っともない」と一蹴するだけ。それでもめげずに行動したが、毎月、いや年月を重ねるにつれ、藍川織の売上も質も下がっていく。藍川家の没落が、現実味を帯びてきていた。
 兄様と俺は、幼い頃に両親を病で亡くしている。頼れる親戚も知り合いも、残されたのは藍川家の人間のみだ。俺達はこれからどうすればいいのだろう。兄様の好きな藍川織の仕事はもちろん、俺たちの生活でさえ危うい。そんな悩みを抱えたある冬の朝、いつもの作業場でのことだった。

「お前たち、葉鶴家へと奉公に行きなさい」
「ほ、奉公ですか? 住み込みで働くということで?」
「あぁ、葉鶴家から支援の申し出だ。藍川家への経済的支援の代わりに、住み込みの職人が欲しいと」
「た、確かに葉鶴家とは古くからの付き合いではあります……ですがっ」
「決定事項だ。なに、向こうも茶道具の袱紗ふくさなりなんなりを作れと命じるくらいだ。お前たちにとって不都合なことでもあるまい」

 それはあまりに突然の話だった。
 兄様は藍川家として、また伝統の藍川織の作業場で仕事をすることに誇りを持っていたのだろう。どこか焦った様子で当主に反論しようとしていたが、ぴしゃりと制されてしまった。
 俺は兄様と対照的に、本家から離れられると少しほっとしていた。本家の分家に対する扱いや当主の物言いに、内心うんざりしていたからだ。
 静かに隣を見ると、どこか青ざめた表情で兄様は俯いていた。具合が悪いのですかと尋ねてみたが、心配ない大丈夫と言い残し、そのまま作業場から走り去ってしまった。
 何かあったのだろうか?



 その1か月後、葉鶴家への出立の日。俺は兄様と荷物を纏めた。もともと仕事が多く、私物の少ない俺たちの荷物はこじんまりとしたものだった。作業用具は後日運ばれるとのことで、簡単な身支度だけを整えた。
 兄様は、先の一件から元気がない。

「兄様、どうされたのですか? ここ最近様子がおかしいような」
「なんでもないよ、冬也。さ、早速行こうか」

 問いかけに兄様は笑顔で応じたが、どこかぎこちなかった。納得のいかない気持ちがありながらも、それでも深く追及できずにそのまま葉鶴家へと向かった。

+++

 華族のお屋敷は西洋の影響を受け、洋室が多いものであるという話は耳にしたことがある。しかし葉鶴家は茶道の家元。目の前にあるのは洋の要素など一切見せない、見事な和のお屋敷だった。植木屋がいつも手入れしているのであろう庭には見事に整った木々が並び、色鮮やかな鯉たちが悠々と池を泳ぐ。
門を通り抜けた瞬間、今までいた世界とは全く異なる凛とした佇まいを肌で感じ、自然の背筋が伸びる。
どこからとなく現れた女中が、俺たちに話しかける。

「話は伺っております。どうぞこちらへ」

 すたすたと歩くその後ろを着いていく。
 少し緊張していた俺はそれ紛らわすように、兄様に小さく話しかけた。

「あの、珠さんのところへ向かうんでしょうか?」
「いや、こちらの作業場へと案内されるんじゃないかな……」

 そういった兄様の声には微かな不安が滲んでいた。
 女中に案内され、扉を開ける。そこにはすっと伸びた姿勢で座る珠さんがいた。今まで町で会った時とどこか違う、確かに高貴な身分の者を象徴するかのような凛とした佇まいだった。


「よおきたね、二人とも。春樹は来たことあるからええけど、弟くんはここ来んの初めてやんな?」
「はっ、はい、そうです!」
「そない緊張せんくてええよ。でも、まぁそやね。まずはうちのこと知ってもらおか。そら、この子、案内したってくれる?」

 声を上ずらせる俺を見て軽く苦笑すると、先に案内してくれた女中にそう呼びかける。これからこのお屋敷の中をと思っていると珠さんはふと兄様の方へ視線を向けた。

「あぁ、でも春樹は別件で用があるから。そや、午後になったらお茶会でもしましょか。そこでまた会いましょ」

 なぜ兄様とは別に、と疑問が表情に出るも女中に促さるままに部屋を出る。視界の隅で、兄様が強張った面持ちで珠さんの前に座るのが見えた。


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