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2 青龍将軍の結婚
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涼白の地にある白虎将軍の館に到着したのは、星燐が家族との別れを告げた一週間後のことだった。もうすぐ着きますと御者に声をかけられ星燐がそっと窓から外を覗くと、そこには星燐の実家にも引けを取らない程の大きな館が聳え立っていた。温暖な青辰とは異なり涼白は夏でも涼しく、冬になれば雪に国中が覆われる寒冷の地であるためか、屋敷の様式はかなり異なっている。ここにきてようやく異国に来たのだと実感した星燐は、僅かに緊張しながら自分の身なりを整え始めた。
「第一印象はとても大切です」とは母の言葉だ。国の代表として、そして伴侶として、白虎将軍には良い印象を持ってもらいたかった。持ってきていた櫛で髪を梳かし、服に汚れや皺がないかを丹念に確認したところで、馬車がゆっくりと動きを止めた。軽くノックをされた直後、静かに扉が開かれる。星燐は一度大きく深呼吸をしてから、出来るだけ堂々と、だが謙虚さと親しみも意識してゆっくりとした動作で馬車から降りた。
館の前には男性が数人が立っていたのだが、星燐はすぐに誰が白虎将軍なのかが分かった。星燐が想像していた通り、白虎将軍は周囲の人間よりひと際体格が良いらしく、男性の中では背の低い星燐と比べると頭二つ程も背が高かった。白虎将軍という名に相応しい真っ白な毛皮を身に纏っており、顔立ちは美形とも形容できる程整っていたが、軍人らしい厳格さが表情に現れていた。
噂で聞いていた以上に男らしく精悍な白虎将軍の迫力に星燐は内心酷く緊張したが、何とかそれを表に出さないよう意識して両手を合わせて頭を下げるという涼白の礼儀に則った挨拶をした。
「お初にお目にかかる。信星燐と申します。かの白虎将軍にお目見えできたことを嬉しく思います」
父から叩きこまれた挨拶を完璧にこなした星燐がそっと顔を上げると、白虎将軍は何かに驚いているような、戸惑っているかのような表情を浮かべて星燐を見下ろしていた。白虎将軍の後ろに控えている部下と思われる数人も、困惑しているかのように顔を見合わせている。もしかして何か粗相をしてしまったのかと思った星燐が白虎将軍を不安げに見返した時、白虎将軍が固い口調で言った。
「失礼を承知で尋ねるが、貴方は真に青龍将軍と名高い信星燐殿であらせられるか」
「え、ええ。左様ですが」
何でそんなことを聞くのかと思いながら星燐が応えると、白虎将軍は僅かに頷いてから、青辰式の挨拶を完璧な所作で返してくれた。
「そうか。失礼した。私は怜准華と申します。前に国境の砦でお見掛けした時は背の高い方のように見えたので。不躾な質問をいたしました」
そう言って頭を上げた准華の表情には先ほどまでの不思議そうな表情は全くなく、軍人らしい険しさはありつつも落ち着いた声でそう言った。准華の言葉に思い当たることがあった星燐は、勘違いさせたのはこちらの方だと恥を忍んでそのことを話した。
「じ、実は背が高く見えるよう甲冑に細工をしておりました。背が低いと侮られることが多く、少しでも強く見えるようにと……」
星燐が見栄を張っていたことを自白すると、准華は驚いたように僅かに目を見開いた。こんな小細工で自分を強く見せようとしていたことを知られ、星燐は羞恥心で顔を真っ赤にさせながら俯いた。
「お、お恥ずかしい限りです」
どちらかというと女性的な顔立ちで背が低い星燐は、とても将軍という肩書があるようには見えなかっただろう。准華が信じられないのも無理はない。そのことに思い至った星燐は、何とか自分が正真正銘の青龍将軍であると証明しなければならないと思った。国交を結ぶための大切な婚姻に、偽物を連れてこられたなどと思われては大問題になってしまう。
「替え玉などではないのでご心配なく! 証拠などは持っておりませぬが、もしお疑いなら剣舞でもご覧に入れましょう。剣の扱いには慣れておりますゆえ」
星燐が焦ってそう言うと、その必死さが伝わったのか、准華は小さく笑みを浮かべて首を振った。
「いや、それには及ばない。こちらこそ失礼な態度をとって申し訳ないことをした」
准華に再度頭を下げられ、星燐は恐縮に思ったが何とか偽物だとは思われていないようで胸を撫で下ろした。准華は軍人らしい厳格さのまま、だが確かに僅かな親しみを感じる声で、星燐に言った。
「私も、かの青龍将軍とは一度お会いしてみたかったのだ。このような目出度い機会を得られて嬉しく思う」
***
それから結婚式までの三日間は慌ただしく過ぎていった。結婚式の準備や涼白の文化を学ぶことで星燐は忙しく、結婚式の準備に加え軍部の仕事もある准華は更に時間がないらしく、ほとんど顔も合わせないまま結婚式当日になってしまった。星燐はこの間にもどうにかして准華に伴侶として尽くせないかと色々考えていたのだが、とてもそんなことをしている時間が無く、全く親交を深められないままだった。
今回の結婚式はお互いの国の友好関係を示すために、星燐は涼白式の婚礼服を、准華は青辰式の婚礼服を着ることになっている。薄手で軽い作りが主流の青辰の服とは異なり、涼白は厚手で重厚感のある布地をたっぷりあしらった服が主流のようで、星燐は高級感のある真っ白な婚礼服を背筋が伸びる気持ちで袖を通した。失礼の無いよう美しく着こなさなければと侍従達に手伝ってもらって準備している間に、あっという間に婚礼式が行われる時間になった。
館の広間には大勢の招待客が招かれており、先に館の主である准華が挨拶をしてから星燐の紹介をする、という流れになっていた。国同士の友好を示すための婚姻であるためか招待客は両国の王族、高位貴族と錚々たる顔ぶれで、つつがなく式を終わらせなければと星燐もかなり緊張していた。
「今宵は青辰と涼白二国にとって素晴らしい夜になるだろう。どうか、皆彼らに祝福を送って欲しい」
今回の婚姻を計画した張本人である涼白の王太子の挨拶後、准華が皆の前に進み出る。堂々とした体躯の准華は見事に青辰式の黒い婚礼服を着こなしており、壁に隠れるように立っていた星燐も一瞬重責を忘れて見惚れてしまう程だった。
「このような目出度い式を迎えることができ、殿下を含め皆様には感謝を述べさせていただきます。では、かの青龍将軍と謳われし我が伴侶、星燐殿と共に皆様にご挨拶をさせていただきます」
准華の目配せに頷き、星燐は重厚な婚礼服が美しく見えるよう意識しながら准華の傍まで歩みを進めた。今の星燐の使命は、将軍として武勇を示すのではなく、とにかくこの婚姻が幸せなものであると、目出度いものであると、そう皆に示すことだ。星燐は准華に寄り添うように立ち止まってから、招待客に向かって出来るだけ柔らかく微笑んで見せた。将軍らしく無い、幸せな新婚夫夫に見えるように。
星燐は、皆内心どう思っているかはともかくとして、国同士の友好を象徴する婚姻として皆祝福してくれると思っていた。だが、星燐のそんな予想を裏切って、招待客たちはまるで鬼にでも会ったかのように驚いた顔で星燐を見詰めるばかりで祝福の声も拍手の無く、広間は水を打ったかのような静けさに包まれてしまった。
そんな状況に星燐は思わず縋るような気持ちで隣に立っている准華を見上げると、准華だけは特に驚いている様子もなく、落ち着いた様子で星燐をじっと見下ろしていた。
「私は何か間違ってしまったのでしょうか」
「貴方が心配に思うようなことは何もない。武勇を音に聞く青龍将軍の美貌に、皆驚いているだけでしょう」
「び、びぼう?」
「婚姻服に身を包んだ今宵の貴方は、ひと際美しいですから」
軍人気質の准華から出たとは思えない言葉に星燐は赤面して准華を見返したが、准華は特に気にも留めない様子で招待客の方に視線を向けた。
「それではこれから皆様にご挨拶に伺います。どうか皆さま今宵を楽しんで頂ければと思います」
よく通る准華の声によって、広間は次第に先ほどまでの喧噪を取り戻す。それから星燐は准華と共に招待客と一人一人挨拶を交わすのに精いっぱいで、結婚式が終わる頃には先ほど准華に言われた言葉のことはすっかり忘れてしまっていた。
***
「貴方も今日は疲れたでしょう。私のことは気にせず休むといい」
結婚式を終え、湯あみも済ました星燐の元を訪れた准華は、全く疲れも見せない様子でそう言った。侍従が用意していた心なしか薄手の夜着に身を通して寝室にいた星燐は、准華の言葉にほっと安心するような、寂しいような、そんな複雑な気持ちになった。
「分かりました。お言葉に甘えて休ませていただきます」
星燐の言葉に准華は頷くと、そのまま踵を返して自室の方へと歩いて行った。星燐は遠ざかっていく雪のように輝く銀髪をじっと見詰めていたが、准華が数歩歩みを進めた時に思い切って呼び止めた。
「准華殿」
星燐の声に、准華が振り向く。星燐が言葉を迷っていることに気付いたのか、准華はじっとそのまま待ってくれていた。星燐はもしかするとまだ早いのではないか、もしかして嫌がられるのではないかと思ったが、ずっと憧れだったある呼び方を思い切って口にした。
「これからよろしくお願いします。……だ、旦那様」
きっと自分の顔は今茹蛸のように赤くなっているだろうと思いながら、星燐はそっと准華に視線を向けた。
「ああ……よろしく頼む」
暗い廊下に立っている准華の表情は見えなかったが、返ってきた声には不快に思っている様子は無かった。そのことにひとまず安心した星燐は、そっと扉を閉めて明日からの新婚生活のことを考えながら眠りについた。
***
初夜は無かった。それから一週間経っても、准華は星燐を閨に呼ばなかった。誰とも体を重ねたことのない星燐にとってそれは安心することでもあり、酷く寂しいことでもあった。
同性同士の結婚はどちらの国でも認められているとはいえ、恋愛・性的対象が同性か異性かは人によって異なる。星燐は特に伴侶の性別に拘りがなかったが、もしかすると准華は異性にしかそういった感情や欲求を抱かない人なのかもしれない。恐らく、この政略的なこの結婚を准華は将軍としての仕事として受け入れたのだろう。勿論星燐にもその気持ちはあったのだが、それでも良き伴侶として温かい家庭を築くという夢を持っていた星燐とは決定的な違いがある。
だが、そういった意味で求められないだけで准華は星燐に誠意を持って接してくれるし、侍従達もよく仕えてくれて新婚生活はとても穏やかで楽しいものであった。軍人気質の准華は口数が少なく笑顔を浮かべることも無いが、それでも星燐に対して出来るだけ真摯に向き合ってくれているということは分かる。激務だろうに必ず食事は星燐と共にしてくれるし、青辰出身の星燐が馴染めるよう食事や服装にもかなり気遣ってくれている。一見気難しい人のように見えるが、部下や侍従達からも慕われている姿を見ればそれが見た目だけのものなのだろうと簡単に想像がつく。それに、国に尽くす白虎将軍の姿は、星燐の目にもとても魅力的に映った。
これ以上を望むのは、きっと贅沢なことだろう。本当の伴侶となるにはこの身は至らないが、せめて政略結婚の相手として、この国に尽くしている立派な白虎将軍に自分なりに尽くそう。
星燐は、そう自分に誓いを立てた。
「第一印象はとても大切です」とは母の言葉だ。国の代表として、そして伴侶として、白虎将軍には良い印象を持ってもらいたかった。持ってきていた櫛で髪を梳かし、服に汚れや皺がないかを丹念に確認したところで、馬車がゆっくりと動きを止めた。軽くノックをされた直後、静かに扉が開かれる。星燐は一度大きく深呼吸をしてから、出来るだけ堂々と、だが謙虚さと親しみも意識してゆっくりとした動作で馬車から降りた。
館の前には男性が数人が立っていたのだが、星燐はすぐに誰が白虎将軍なのかが分かった。星燐が想像していた通り、白虎将軍は周囲の人間よりひと際体格が良いらしく、男性の中では背の低い星燐と比べると頭二つ程も背が高かった。白虎将軍という名に相応しい真っ白な毛皮を身に纏っており、顔立ちは美形とも形容できる程整っていたが、軍人らしい厳格さが表情に現れていた。
噂で聞いていた以上に男らしく精悍な白虎将軍の迫力に星燐は内心酷く緊張したが、何とかそれを表に出さないよう意識して両手を合わせて頭を下げるという涼白の礼儀に則った挨拶をした。
「お初にお目にかかる。信星燐と申します。かの白虎将軍にお目見えできたことを嬉しく思います」
父から叩きこまれた挨拶を完璧にこなした星燐がそっと顔を上げると、白虎将軍は何かに驚いているような、戸惑っているかのような表情を浮かべて星燐を見下ろしていた。白虎将軍の後ろに控えている部下と思われる数人も、困惑しているかのように顔を見合わせている。もしかして何か粗相をしてしまったのかと思った星燐が白虎将軍を不安げに見返した時、白虎将軍が固い口調で言った。
「失礼を承知で尋ねるが、貴方は真に青龍将軍と名高い信星燐殿であらせられるか」
「え、ええ。左様ですが」
何でそんなことを聞くのかと思いながら星燐が応えると、白虎将軍は僅かに頷いてから、青辰式の挨拶を完璧な所作で返してくれた。
「そうか。失礼した。私は怜准華と申します。前に国境の砦でお見掛けした時は背の高い方のように見えたので。不躾な質問をいたしました」
そう言って頭を上げた准華の表情には先ほどまでの不思議そうな表情は全くなく、軍人らしい険しさはありつつも落ち着いた声でそう言った。准華の言葉に思い当たることがあった星燐は、勘違いさせたのはこちらの方だと恥を忍んでそのことを話した。
「じ、実は背が高く見えるよう甲冑に細工をしておりました。背が低いと侮られることが多く、少しでも強く見えるようにと……」
星燐が見栄を張っていたことを自白すると、准華は驚いたように僅かに目を見開いた。こんな小細工で自分を強く見せようとしていたことを知られ、星燐は羞恥心で顔を真っ赤にさせながら俯いた。
「お、お恥ずかしい限りです」
どちらかというと女性的な顔立ちで背が低い星燐は、とても将軍という肩書があるようには見えなかっただろう。准華が信じられないのも無理はない。そのことに思い至った星燐は、何とか自分が正真正銘の青龍将軍であると証明しなければならないと思った。国交を結ぶための大切な婚姻に、偽物を連れてこられたなどと思われては大問題になってしまう。
「替え玉などではないのでご心配なく! 証拠などは持っておりませぬが、もしお疑いなら剣舞でもご覧に入れましょう。剣の扱いには慣れておりますゆえ」
星燐が焦ってそう言うと、その必死さが伝わったのか、准華は小さく笑みを浮かべて首を振った。
「いや、それには及ばない。こちらこそ失礼な態度をとって申し訳ないことをした」
准華に再度頭を下げられ、星燐は恐縮に思ったが何とか偽物だとは思われていないようで胸を撫で下ろした。准華は軍人らしい厳格さのまま、だが確かに僅かな親しみを感じる声で、星燐に言った。
「私も、かの青龍将軍とは一度お会いしてみたかったのだ。このような目出度い機会を得られて嬉しく思う」
***
それから結婚式までの三日間は慌ただしく過ぎていった。結婚式の準備や涼白の文化を学ぶことで星燐は忙しく、結婚式の準備に加え軍部の仕事もある准華は更に時間がないらしく、ほとんど顔も合わせないまま結婚式当日になってしまった。星燐はこの間にもどうにかして准華に伴侶として尽くせないかと色々考えていたのだが、とてもそんなことをしている時間が無く、全く親交を深められないままだった。
今回の結婚式はお互いの国の友好関係を示すために、星燐は涼白式の婚礼服を、准華は青辰式の婚礼服を着ることになっている。薄手で軽い作りが主流の青辰の服とは異なり、涼白は厚手で重厚感のある布地をたっぷりあしらった服が主流のようで、星燐は高級感のある真っ白な婚礼服を背筋が伸びる気持ちで袖を通した。失礼の無いよう美しく着こなさなければと侍従達に手伝ってもらって準備している間に、あっという間に婚礼式が行われる時間になった。
館の広間には大勢の招待客が招かれており、先に館の主である准華が挨拶をしてから星燐の紹介をする、という流れになっていた。国同士の友好を示すための婚姻であるためか招待客は両国の王族、高位貴族と錚々たる顔ぶれで、つつがなく式を終わらせなければと星燐もかなり緊張していた。
「今宵は青辰と涼白二国にとって素晴らしい夜になるだろう。どうか、皆彼らに祝福を送って欲しい」
今回の婚姻を計画した張本人である涼白の王太子の挨拶後、准華が皆の前に進み出る。堂々とした体躯の准華は見事に青辰式の黒い婚礼服を着こなしており、壁に隠れるように立っていた星燐も一瞬重責を忘れて見惚れてしまう程だった。
「このような目出度い式を迎えることができ、殿下を含め皆様には感謝を述べさせていただきます。では、かの青龍将軍と謳われし我が伴侶、星燐殿と共に皆様にご挨拶をさせていただきます」
准華の目配せに頷き、星燐は重厚な婚礼服が美しく見えるよう意識しながら准華の傍まで歩みを進めた。今の星燐の使命は、将軍として武勇を示すのではなく、とにかくこの婚姻が幸せなものであると、目出度いものであると、そう皆に示すことだ。星燐は准華に寄り添うように立ち止まってから、招待客に向かって出来るだけ柔らかく微笑んで見せた。将軍らしく無い、幸せな新婚夫夫に見えるように。
星燐は、皆内心どう思っているかはともかくとして、国同士の友好を象徴する婚姻として皆祝福してくれると思っていた。だが、星燐のそんな予想を裏切って、招待客たちはまるで鬼にでも会ったかのように驚いた顔で星燐を見詰めるばかりで祝福の声も拍手の無く、広間は水を打ったかのような静けさに包まれてしまった。
そんな状況に星燐は思わず縋るような気持ちで隣に立っている准華を見上げると、准華だけは特に驚いている様子もなく、落ち着いた様子で星燐をじっと見下ろしていた。
「私は何か間違ってしまったのでしょうか」
「貴方が心配に思うようなことは何もない。武勇を音に聞く青龍将軍の美貌に、皆驚いているだけでしょう」
「び、びぼう?」
「婚姻服に身を包んだ今宵の貴方は、ひと際美しいですから」
軍人気質の准華から出たとは思えない言葉に星燐は赤面して准華を見返したが、准華は特に気にも留めない様子で招待客の方に視線を向けた。
「それではこれから皆様にご挨拶に伺います。どうか皆さま今宵を楽しんで頂ければと思います」
よく通る准華の声によって、広間は次第に先ほどまでの喧噪を取り戻す。それから星燐は准華と共に招待客と一人一人挨拶を交わすのに精いっぱいで、結婚式が終わる頃には先ほど准華に言われた言葉のことはすっかり忘れてしまっていた。
***
「貴方も今日は疲れたでしょう。私のことは気にせず休むといい」
結婚式を終え、湯あみも済ました星燐の元を訪れた准華は、全く疲れも見せない様子でそう言った。侍従が用意していた心なしか薄手の夜着に身を通して寝室にいた星燐は、准華の言葉にほっと安心するような、寂しいような、そんな複雑な気持ちになった。
「分かりました。お言葉に甘えて休ませていただきます」
星燐の言葉に准華は頷くと、そのまま踵を返して自室の方へと歩いて行った。星燐は遠ざかっていく雪のように輝く銀髪をじっと見詰めていたが、准華が数歩歩みを進めた時に思い切って呼び止めた。
「准華殿」
星燐の声に、准華が振り向く。星燐が言葉を迷っていることに気付いたのか、准華はじっとそのまま待ってくれていた。星燐はもしかするとまだ早いのではないか、もしかして嫌がられるのではないかと思ったが、ずっと憧れだったある呼び方を思い切って口にした。
「これからよろしくお願いします。……だ、旦那様」
きっと自分の顔は今茹蛸のように赤くなっているだろうと思いながら、星燐はそっと准華に視線を向けた。
「ああ……よろしく頼む」
暗い廊下に立っている准華の表情は見えなかったが、返ってきた声には不快に思っている様子は無かった。そのことにひとまず安心した星燐は、そっと扉を閉めて明日からの新婚生活のことを考えながら眠りについた。
***
初夜は無かった。それから一週間経っても、准華は星燐を閨に呼ばなかった。誰とも体を重ねたことのない星燐にとってそれは安心することでもあり、酷く寂しいことでもあった。
同性同士の結婚はどちらの国でも認められているとはいえ、恋愛・性的対象が同性か異性かは人によって異なる。星燐は特に伴侶の性別に拘りがなかったが、もしかすると准華は異性にしかそういった感情や欲求を抱かない人なのかもしれない。恐らく、この政略的なこの結婚を准華は将軍としての仕事として受け入れたのだろう。勿論星燐にもその気持ちはあったのだが、それでも良き伴侶として温かい家庭を築くという夢を持っていた星燐とは決定的な違いがある。
だが、そういった意味で求められないだけで准華は星燐に誠意を持って接してくれるし、侍従達もよく仕えてくれて新婚生活はとても穏やかで楽しいものであった。軍人気質の准華は口数が少なく笑顔を浮かべることも無いが、それでも星燐に対して出来るだけ真摯に向き合ってくれているということは分かる。激務だろうに必ず食事は星燐と共にしてくれるし、青辰出身の星燐が馴染めるよう食事や服装にもかなり気遣ってくれている。一見気難しい人のように見えるが、部下や侍従達からも慕われている姿を見ればそれが見た目だけのものなのだろうと簡単に想像がつく。それに、国に尽くす白虎将軍の姿は、星燐の目にもとても魅力的に映った。
これ以上を望むのは、きっと贅沢なことだろう。本当の伴侶となるにはこの身は至らないが、せめて政略結婚の相手として、この国に尽くしている立派な白虎将軍に自分なりに尽くそう。
星燐は、そう自分に誓いを立てた。
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