青龍将軍の新婚生活

蒼井あざらし

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3 白虎将軍の苦悩

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 国中を騒がせた青龍将軍と白虎将軍の結婚式から三か月後、白虎将軍――怜准華は王太子の命令で登城していた。本来王太子に謁見するには多くの手続きがいるのだが、王太子の世話係として幼い頃から親交があった准華は、私的な相談ごとがある時にはこうして直接呼び出されていたのだ。王太子にとって、年が九つ離れているこの将軍は兄のような存在だった。

「殿下、ご無沙汰しております」
「うん、准華も壮健そうで何より」

 その日も、准華はいつも通り王城の奥にある庭園の庵で王太子である水狼すいろうと二人きりになった。人を遠ざける為に池の真ん中に作られたこの庵は、昔から二人の秘密の相談に使われてきた場所だった。水狼が准華に政略結婚の打診をしたのもこの場所で、准華は二つ返事でその依頼を承諾した。元々仕事一筋であまり色恋といったものに興味が無かったのもあるが、元々貴族でも何でもないただの世話係だった自分を見出し、将軍という地位まで取り立ててくれた恩人の愛する国の為ならば、政略結婚など造作もないことだった。

「それで、青龍将軍との生活はどうだ」

 世間話もなく、いきなり本題を投げかけられる。この王族らしからぬ真っすぐさを准華は昔から彼の美徳だと思っていたが、この時ばかりは言葉が詰まった。

「……私はもうダメかもしれません」

 准華は、この三か月間誰にも言えなかった感情を吐露した。水狼にとって准華が兄の存在であるように、准華にとってもこの聡明な王太子はいつまでも可愛い弟のような存在なのである。家族を早くに亡くした准華にとって、水狼は将軍という顔を忘れて話せる唯一の相手だった。

「准華がそこまで言うとは……して、何がダメだというのだ」

 水狼に心配そうに顔を覗き込まれ、准華は将軍という厳格な顔の下でずっと我慢してきた想いを口にした。

「星燐が……可愛すぎて、心臓がもちません」
「ほう、可愛すぎて……」
「まさかあの武勇名高い青龍将軍がこんなに美しく可愛らしい方とは思いませんでした」
「なるほど」

 うんうんと静かに話を聞いてくれる水狼に、星燐の可愛さにずっと胸を高鳴らせていた准華はここぞとばかりに言葉が止まらなくなった。

「何より笑顔がとても愛らしい。まるで天女のように優しく微笑むのです」
「ふむ、笑顔」
「しかも裁縫から炊事から素晴らしい腕前で、この刺繍も星燐が縫い付けてくれたんです」
「これは……見事な刺繍だな。王宮付きのお針子も真っ青な腕前といえよう」
「初めて料理を作ってくれた時もそれは美味で……しかも、美味しいと言っただけで本当に嬉しそうに笑ってくれたんです。私は心臓が止まるかと思いました」
「ふむふむ」

 黒い甲冑に身を包んだ大男。素早い動きは龍のごとく、その目にも止まらぬ剣捌きは雷をも切り裂く。涼白の民にとって、それが青辰国の青龍将軍だった。実際に国境付近で見かけた青龍将軍はその名に恥じぬ恐ろしい姿をしていて准華も最初は警戒していたが、一年前のある出来事からその印象はがらりと変わった。

 一年前、とある部下が足を滑らせて川に落ちてしまったことがあった。准華は部下たちと昼夜を問わず彼を探したのだが、一週間も過ぎれば誰も口に出さずとも何となく分かっていた。彼は、きっと死んだのだろうと。だが驚いたことに、その一ヶ月後にその部下は丁寧に手当てを受けた状態で帰ってきたのだ。聞けば、対岸に流れ着いて動けなくなっていたところを、青龍将軍の部隊に保護してもらっていたとか。青龍将軍は何の見返りもなく、人間同士当然のことだと手厚い治療と国への帰国を約束してくれたらしい。戦争状態ではないとはいえ、それは長年睨み合ってきた国の兵士に対する態度とは思えないものだった。准華はそれ以来、青龍将軍のことを部下を無事に返してくれた恩人だと思うようになった。恐ろしいのは見た目だけで、彼の内面はきっと素晴らしい人格者なのだろうとも。

 だからこそ、水狼から政略結婚の話を持ち掛けられても何も不安に思っていなかった。見た目は恐ろしい大男だったとしても、きっと彼とならお互いに尊重し合える良い関係を築けると思った。

 そう思っていたのに、いざ甲冑を外した青龍将軍の可愛らしさに准華はこれ以上にないほど心を揺さぶられてしまった。筋肉はついているが小柄で華奢な体はとても将軍と呼ばれていた人間のものとは思えないし、長いまつ毛に囲われた切れ長の瞳はまるで子犬のように准華を見上げてくる。照れることや嬉しいことがあれば頬を薔薇色に染め、少し困ったように微笑む姿はとても龍には見えなかった。

 元々敬意を抱いていた上に、この美しくも可愛らしい容姿と性格。それに加え料理から何から准華を喜ばせてくれようとするこの健気さ。将軍という地位を賜ってから人間らしくないと言われる程に仕事に徹してきた准華でさえ、これにはすっかり心臓を打ち抜かれてしまっていた。

『何か、欲しいものはありますか』

 星燐が余りにもよく尽くしてくれるので、准華はそう聞いたことがあった。この時の准華はもう大分星燐の可愛さにやられていたとはいえ、どうしてここまで星燐が尽くしてくれているのかという疑問を拭えずにいた。可愛い伴侶を貰って舞い上がってしまっていても、これは国同士が決めた政略結婚だということを准華は忘れていなかった。もしかしたら、准華を惚れさせて青辰に有利な状況でも作りたいのかと、そんなことも勘ぐっていた。

 もしこの時星燐が青辰のことを口になどしていたら、一気に准華の目は覚めていただろう。だが、星燐は頬を染めて遠慮がちにこう言ったのだ。

『では、出かける際に……口づけをして欲しいです』
『く……』
『……やはり何でもありません!』

 思わず絶句した准華のことをどう受け取ったのか、星燐は顔を真っ赤に染めて走り去ってしまった。独り残された准華はまるで頭を殴られたのかのような衝撃を受け、思わず頭を抱えて悶絶した。もしかして、星燐は何の打算もなく本当にただただ自分を大切に思ってくれているだけなのだろうか。そんなことを考えただけで、准華は胸が苦しくなった。

 つい一週間ほど前にも更に准華が悶絶することがあったのだ。それは、涼白の内部にいる青辰との国交を望まない反乱分子の取締りに行く日のことだった。青辰と友好を結ぶことをほとんどの民は受け入れていたが、戦争が起きたほうが得を得る一部の人間、いわゆる戦争屋と呼ばれている人間が反乱分子として国内に残っていたのだ。その取締りの為に三日ほど家を空けなければならず、星燐は玄関まで見送りに来てくれたのだ。

『暫く家を空けるが、寂しくはありませんか』
『私も武家の出、戦地に向かう伴侶を困らせるようなことは言ってはいけないと心得ております』

 星燐の凛とした言葉は、安心感のあるものだった。だが、ほんの僅かにその凛々しさを和らげて、星燐は言葉を続けた。

『どうか、怪我などせず無事に帰ってきてください。それ以上のことは望みません』

 そう言って、星燐は少し寂し気な笑みを浮かべた。家族を早くに亡くした准華は、何の打算もなく自分を心配してくれる家族がいると言うことがどんなに得難いことか、この時初めて知ったのだ。

 伴侶が、自分を大切にしてくれる。自分を待っていてくれる。自分を望んでくれている。国に尽くす為にした政略結婚で、まさかこんな幸福を得られるなんて思ってもみなかった。星燐の人格は心配していなかったとはいえ、お互いに命令には逆らえない軍人という立場上、暗殺を危惧して閨を共にしたことが無かった。だが、この考えがもし杞憂であるのなら、今すぐにでも彼と愛し合いたい。それが准華の本音だった。

***

「しかも可愛らしいだけではなく、彼はとても凛々しく気高いのです。私に何かあれば、仇討をするから安心しろと。こんなに心強く思ったことはありません」
「それは少し心強過ぎるのではないか……?」

 准華の言葉に水狼は思わず突っ込みを入れてしまったが、星燐のことで頭がいっぱいらしい准華は特に気にもしていないようだった。ほぼ惚気になっている相談を一通り聞き終わったところで、水狼は改めて准華に問いかけた。

「つまりその、准華は良い相手と結婚をしたと思っておるのだな」
「はい、とても幸せです」
「つまり、青龍将軍は間諜目的でもなく、暗殺目的でもなく、ただただそなたに尽くしてくれる良き伴侶だったと」
「はい」
「そうか……」

 水狼は安心半分、そして驚き半分といった気持ちで呟きながら空を仰いだ。実は政略結婚の話が上がった際、青辰の王太子であり、そして唯一無二の友人でもある夜那やなから『青龍将軍はめちゃくちゃおすすめ! どこに嫁に出しても恥ずかしくない!』と太鼓判を押されていたので水狼もそこまで心配をしていた訳では無かったのだ。(嫁に出しても恥ずかしくないという言葉がまさか本当にそのままの意味だとは思わなかったが。)大切な兄貴分である准華に結婚の打診をしたのも、信頼できる夜那の言葉があったからだ。

 だが、まさか仕事一筋だった准華がここまで骨抜きにされるとは思わなかった。ある意味、噂以上に恐ろしい相手だったということかもしれない。

「……まあ、准華兄が幸せなら僕も言うことなしかな」

 兄貴分の幸せそうな表情を見て、王太子の仮面を外した水狼はそう独りごちた。
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