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店に到着した。石畳の細い道を進んで行くと、花が咲いている階段があった。そこを上がると、沢山の花に囲まれたテラスがある。今日はこの席を予約した。
案内された席に座った。夏樹が座っている隣の椅子には、茶色のマットを敷いてある。その上では、アンが寝転んでいる。先に食事を済ませて、寝息を立て始めた。昼間の温かさの中で眠気が起きたのは、俺らしくないことだ。誰かに対して動揺することもだ。
「何を見てんだよ?」
「眺めさせろ」
「照れくさいからやめろよーー」
夏樹が笑った。そして、タブレット端末で花の種類を調べ始めた。次々と観察し始めた。その光景を眺めていると、俺は温かな日常を手に入れたことが分かった。夏樹のことを離したくないと思った。帰宅するとアンと夏樹が迎えに出て来てくれている。そして、キッチンから料理の匂いがしている。アンが悪戯をして夏樹が止めている。寝る前には、夏樹が今日一日の出来事を報告してくる。その中には嫌なことは含まれていない。まだ話して貰えないのは寂しいが、そのうち話してくれると思っている。
「……料理が来たぞ」
「うん。また後で調べるよ。この店はウェデングパーティーも出来るんだね。花の手入れが大変だと思うけど、こんなに綺麗なら、やりがいがあるよねー」
「バルコニーで育ててみるか?ローズガーデンを作ればいい」
「やったー!どの品種にしようかな。園芸ショップは、どこにあるかな……」
「反対のエリアだ。今週末に店へ連れて行く」
「ミニトマトと九条ネギも育てたいんだ。バジルもね。薬味は買うと高いからね。育てた方が楽しめるし、お得感があるよ」
「ニラには気をつけろ。水仙と間違えたことがあっただろう」
「う……。人の古傷をえぐるなよ。それ以上言ったら、一生許さないからね」
夏樹が唇を尖らせた。実家の家庭菜園で採れた野菜を使って料理を作ってくれたことがあった。しかし、その中に食用ではない物が入っていた。夏樹が慌てていた光景を思い出して笑うと、彼が拗ねてしまった。子供じみた表情だが、随分と印象が変わったと思う。 人形のような容貌は変わらないものの、丸みを帯びていた輪郭が変化し、男の子らしくなった。大人になっていく姿を見るのは楽しいことだが、寂しくもある。
「さっきからなんだよ?観察するなら薔薇にしろよ」
「バラでも藤でも育てればいい。思う存分に眺めさせろ」
「キャベツの芯を確認しろよー。デパ地下ではね、割引されたやつを選んでね。わざわざ作ってもらうのは大変だし、定価になるんだよ?美味しい物を食べている分だけ、工夫しようよ」
「努力する」
「このカボチャのムース、貰ってもいい?」
「ああ。追加で頼もうか?気に入ったなら持ち帰りをする」
「いいよ。帰ったら、プリンがあるからさ」
「そうか。焼き菓子なら、持ち帰りやすいだろう」
そばのスタッフに声を掛けた、好みを伝えて選んでもらった。帰りに受け取ればいいと声をかけると、唇を噛んでいた。強引に用意させたからか?学校へ持って行けばいい。
「焼き菓子は飽きたのか?他の店のものがいいなら、買いに行こう」
「そうじゃないよ。そこまで気を遣ってほしくない。反抗したら怒るくせに、そういう部分は甘すぎるんだ。今は怒らないけどさ。例えだよ……」
「……」
気の利いた言葉が出ないことが情けない。数え切れないほどの人間に会い、良好な関係を築いていたというのに、大事な相手には通用しない。心づかいを見せ合う、対話する、早い決断。それを、やっているつもりになっている。些細なことが難しい。
「ごめんね!あのー、強引だから腹が立ったんだ」
本気で謝らせてしまった。腕を伸ばして夏樹の肩に触れた。軽く叩き、頬をつまんで引っ張った。軽く押したり撫でたりすると、表情が緩んで笑顔に変わった。鼓動が跳ねて戸惑いが落ち着き、ため息が出た。
「すまない。安心して、ため息が出た」
「また変化したね~。温かくなったよ。焼き菓子を持ち帰るよ。食べたいのに意地を張っていたんだ。無理をしていないよ!? ほんとだって……、こらこらこら!優し過ぎだよ。意地悪をするなよ~。それは俺の大事な魚料理だよ~」
「そうか。前菜の追加を頼んでやる。……嫌味のつもりだ」
「うんっ。帰りに雑貨店へ寄ろうよ。ペット入店可を見つけたんだ。ここを出たら起きると思うから……」
頭を撫でながら頷くと、蕩けそうな微笑みを向けられた。その大きな目で見上げられた時、ある光景が脳裏をよぎった。マデリンとの思い出のなかに棲んでいる、一人の男の子の姿だ。思い出したくて、この場にふさわしくない質問をした。
「夏樹。気分を悪くさせるかも知れない。父のことを話したい」
「うん。平気だよ」
「そうか。向き合うべきだろうか?」
「うん!やめておけって思ったことがあるよ。親と仲が良い俺が言うのは変だけど、もう一回挑戦してみたらどうかな?俺も会って、関係づくりをしたい。まずは黒崎さんから。どうかな?」
「……父のことが嫌いだ」
「嫌いなら、お見舞いに行かないだろ?あんたを見て分かったんだ。会社を継いでもらえるから嬉しいかもね。帰って来ることもね。嫌いな息子なら、そう思うかな?優しい話し方をされていないのに、何回もかけてくるじゃん。話したいんだよ」
「黒崎製菓の為だ」
「お父さんはあんたのことが好きだよ。俺はそう思う」
「そうか」
「最近うわの空の時があるよね?どうしたんだよ?」
「考え事をしている。海の音が聞こえないか?」
「うん。少し聞こえるよ」
近くに海がある場所だが、さすがに波の音は聞こえないはずだ。それなのに、砂浜に打ち寄せる音が耳をかすめた。そして、勝手に唇だけが動き、”ありがとう”という言葉を刻んだ。母が出て行かなかったら、俺はここにいないかもしてないからだ。この子の笑顔が見たい。夏樹に微笑みかけると、笑顔を返してもらえて安心した。
案内された席に座った。夏樹が座っている隣の椅子には、茶色のマットを敷いてある。その上では、アンが寝転んでいる。先に食事を済ませて、寝息を立て始めた。昼間の温かさの中で眠気が起きたのは、俺らしくないことだ。誰かに対して動揺することもだ。
「何を見てんだよ?」
「眺めさせろ」
「照れくさいからやめろよーー」
夏樹が笑った。そして、タブレット端末で花の種類を調べ始めた。次々と観察し始めた。その光景を眺めていると、俺は温かな日常を手に入れたことが分かった。夏樹のことを離したくないと思った。帰宅するとアンと夏樹が迎えに出て来てくれている。そして、キッチンから料理の匂いがしている。アンが悪戯をして夏樹が止めている。寝る前には、夏樹が今日一日の出来事を報告してくる。その中には嫌なことは含まれていない。まだ話して貰えないのは寂しいが、そのうち話してくれると思っている。
「……料理が来たぞ」
「うん。また後で調べるよ。この店はウェデングパーティーも出来るんだね。花の手入れが大変だと思うけど、こんなに綺麗なら、やりがいがあるよねー」
「バルコニーで育ててみるか?ローズガーデンを作ればいい」
「やったー!どの品種にしようかな。園芸ショップは、どこにあるかな……」
「反対のエリアだ。今週末に店へ連れて行く」
「ミニトマトと九条ネギも育てたいんだ。バジルもね。薬味は買うと高いからね。育てた方が楽しめるし、お得感があるよ」
「ニラには気をつけろ。水仙と間違えたことがあっただろう」
「う……。人の古傷をえぐるなよ。それ以上言ったら、一生許さないからね」
夏樹が唇を尖らせた。実家の家庭菜園で採れた野菜を使って料理を作ってくれたことがあった。しかし、その中に食用ではない物が入っていた。夏樹が慌てていた光景を思い出して笑うと、彼が拗ねてしまった。子供じみた表情だが、随分と印象が変わったと思う。 人形のような容貌は変わらないものの、丸みを帯びていた輪郭が変化し、男の子らしくなった。大人になっていく姿を見るのは楽しいことだが、寂しくもある。
「さっきからなんだよ?観察するなら薔薇にしろよ」
「バラでも藤でも育てればいい。思う存分に眺めさせろ」
「キャベツの芯を確認しろよー。デパ地下ではね、割引されたやつを選んでね。わざわざ作ってもらうのは大変だし、定価になるんだよ?美味しい物を食べている分だけ、工夫しようよ」
「努力する」
「このカボチャのムース、貰ってもいい?」
「ああ。追加で頼もうか?気に入ったなら持ち帰りをする」
「いいよ。帰ったら、プリンがあるからさ」
「そうか。焼き菓子なら、持ち帰りやすいだろう」
そばのスタッフに声を掛けた、好みを伝えて選んでもらった。帰りに受け取ればいいと声をかけると、唇を噛んでいた。強引に用意させたからか?学校へ持って行けばいい。
「焼き菓子は飽きたのか?他の店のものがいいなら、買いに行こう」
「そうじゃないよ。そこまで気を遣ってほしくない。反抗したら怒るくせに、そういう部分は甘すぎるんだ。今は怒らないけどさ。例えだよ……」
「……」
気の利いた言葉が出ないことが情けない。数え切れないほどの人間に会い、良好な関係を築いていたというのに、大事な相手には通用しない。心づかいを見せ合う、対話する、早い決断。それを、やっているつもりになっている。些細なことが難しい。
「ごめんね!あのー、強引だから腹が立ったんだ」
本気で謝らせてしまった。腕を伸ばして夏樹の肩に触れた。軽く叩き、頬をつまんで引っ張った。軽く押したり撫でたりすると、表情が緩んで笑顔に変わった。鼓動が跳ねて戸惑いが落ち着き、ため息が出た。
「すまない。安心して、ため息が出た」
「また変化したね~。温かくなったよ。焼き菓子を持ち帰るよ。食べたいのに意地を張っていたんだ。無理をしていないよ!? ほんとだって……、こらこらこら!優し過ぎだよ。意地悪をするなよ~。それは俺の大事な魚料理だよ~」
「そうか。前菜の追加を頼んでやる。……嫌味のつもりだ」
「うんっ。帰りに雑貨店へ寄ろうよ。ペット入店可を見つけたんだ。ここを出たら起きると思うから……」
頭を撫でながら頷くと、蕩けそうな微笑みを向けられた。その大きな目で見上げられた時、ある光景が脳裏をよぎった。マデリンとの思い出のなかに棲んでいる、一人の男の子の姿だ。思い出したくて、この場にふさわしくない質問をした。
「夏樹。気分を悪くさせるかも知れない。父のことを話したい」
「うん。平気だよ」
「そうか。向き合うべきだろうか?」
「うん!やめておけって思ったことがあるよ。親と仲が良い俺が言うのは変だけど、もう一回挑戦してみたらどうかな?俺も会って、関係づくりをしたい。まずは黒崎さんから。どうかな?」
「……父のことが嫌いだ」
「嫌いなら、お見舞いに行かないだろ?あんたを見て分かったんだ。会社を継いでもらえるから嬉しいかもね。帰って来ることもね。嫌いな息子なら、そう思うかな?優しい話し方をされていないのに、何回もかけてくるじゃん。話したいんだよ」
「黒崎製菓の為だ」
「お父さんはあんたのことが好きだよ。俺はそう思う」
「そうか」
「最近うわの空の時があるよね?どうしたんだよ?」
「考え事をしている。海の音が聞こえないか?」
「うん。少し聞こえるよ」
近くに海がある場所だが、さすがに波の音は聞こえないはずだ。それなのに、砂浜に打ち寄せる音が耳をかすめた。そして、勝手に唇だけが動き、”ありがとう”という言葉を刻んだ。母が出て行かなかったら、俺はここにいないかもしてないからだ。この子の笑顔が見たい。夏樹に微笑みかけると、笑顔を返してもらえて安心した。
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