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入門試験
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京の都――日ノ本でもっとも栄える、まさに国の心臓である。
経済の中心地であり、国中の人々がまるで血液のように行き交っている。桶や壺などの日用品のほか、薪や藁束や炭などの消耗品、米や野菜や魚介など、さまざまな品物が市場に並べられ、いつも活気に湧いている。
セナは羅城門の前に立った。
京の都の正門である。朱塗りの柱に美しい白壁、二重の青い瓦屋根には金色の鳥の彫像が設えられている。
羅城門は大きな口を開け、人々を飲み込んでは吐き出していた。
「ここが……都……」
愛宕山からいつも見下ろしていた。でも、いざ自分の足で目の前に立つとそのあまりの巨大さに圧倒される。
街並みは縦横に走った大路・小路によって整然と区切られ、それぞれ『町』と呼ぶ。羅城門から大内裏までまっすぐ伸びた朱雀大路は京の都の背骨といってよく、その道幅は28丈(約83メートル)もあるという。大内裏に背を向けて、この大路を境界線に、右側を『右京』とし、左側を『左京』とする。
つまり妖怪――帝の住まう大内裏は正面にあるはずだが、どんなに目をこらしても見ることはかなわない。それほど京の都は大きかった。
「セナ、こっちだ」
羅城門の前で佇んでいると、男の声で呼ばれた。
行商人に変装した鬼童丸の手下のホオヅキだった。千駄櫃(引き出しのたくさんついた箱)を背負い、笠を目深にかぶり、顔の下半分を布で覆っている。声からするとまだ年若い。
「ここでは俺がお頭の命令を伝える」
セナはこくりと頷く。
「大内裏の正面から大垣に沿って左京に行け。謡舞寮はそこにある。塀よりも大きな松の木が目印だ。そしてお前の身分は、丹波国(現在の京都府と兵庫県の一部)鳥居村の百姓の娘だ。名前はセナでいい。どうせ仮初の名だ」
それから、とホオヅキは言った。
「お頭から伝言だ。慎重にやれ、ってな」
「……ホオヅキ」
「何だ?」
「……もし、しくじったら?」
ホオヅキは驚いたように笑う。
「は……ははっ、都の風に中てられたか?」
セナはその言葉の意味がわからなかった。
「余計なことは考えるな。命令は追って伝える」
「……わかった」
ホオヅキは行き交う人々の流れにまぎれ、挨拶もなくその場を去った。
気配を消す術を得意とし、変装の上手い男である。セナとは仕事でよく組んだ。
セナは髪に挿した黒い笄に触れた。これは、妖怪を殺すための毒だが、それと同時に、自分が死ぬための毒でもある。
任務に成功しても、失敗しても、どちらにせよ――。
と、そこまで考えて、セナはやめた。今は任務に集中すべきだ。妖怪にたどり着く前に失敗しては、鬼童丸に申し訳が立たない。
みなしごだった自分を拾ってくれたのは鬼童丸なのだ。一度は失われるはずだったこの命は鬼童丸のモノ。すべては鬼童丸のために――。
セナは羅城門をくぐった。にぎわう市場を横目に、往来の人々にぶつからないよう歩いて行く。
それにしても、まるで別世界である。
辺境の村では見られないほどの人の多さ。食べ物の種類、着物の数。それはセナにとって音、色、匂い、そのすべてが新しく、くらくらするほどだった。
大内裏の前にたどり着いた。セナは呆然とその門を見上げる。
「この先が……妖怪の……」
朱塗りの柱は羅城門よりもさらに色鮮やかだった。金の装飾も、壁や瓦の色もまぶしいほどに。
門には何人もの警護の衛士が石像のように立っている。
そして門前広場は、家が何十軒も建てられるほどだだっ広い。何千人と並んでも余裕がある。ここが朱雀大路の終着点である『朱雀門』だった。
「おっと、ごめんよ!」
誰かが肩にぶつかった。セナはサッと振り向き、それとなく身構える。
見ると、自分よりも背の高い少女だった。長い髪を後ろで高く結い上げ、日に焼けた浅黒い肌が何ともハツラツとしている。
「考え事してて気付かなかったんだ」
セナは首を横に振った。
「あたしの名前は『りつ』――あんたも謡舞寮に?」
セナは少し考え、頷く。
「そうだよな。年に一度の入門試験だ。今年が初めて?」
「え?」
「その顔はお初だね。郷は?」
「……丹波」
「あたしもさ。二度目の一人旅。今年落ちたら親父に合わせる顔がないよ」
りつは屈託ない笑みを浮かべた。
「あの、試験って、どんなことを?」
「行けばわかるさ。あ、そういえば名前、聞いてなかった」
「セナ」
「へえ、珍しい名前。あんたも一人旅? 親は?」
「いない」
「そっか。あたしも母さんがいないんだ」
セナとりつは連れ立って謡舞寮に向かった。
塀より大きな松の木が目印――ホオヅキはそう言っていたが、松の木を見つけるまでもなく謡舞寮はすぐにわかった。
ある大路の途中で、年頃の娘たちがわらわらと集まっていたのだ。
娘たちの前にある巨大な邸宅こそが謡舞寮だった。
ぐるりと囲む塀の長さから察するに、下級貴族の屋敷なら五つは軽く入りそうな広さである。なるほど、一ヶ所だけ松の枝が路に飛び出している。その枝ぶりから大きさがうかがえる。
「あそこが受付だよ」
さすがにりつは勝手知ったるもの。列の最後尾にセナを導く。
それにしても、すごい数の娘たちである。国中から集まるというが、北は雪国から南は島国まで、あらゆる場所から来ているらしい。つまりは日ノ本全部に御触れを出したということだ。帝の権力がよくわかる。
受付の順番がまわって来た。
数人の女官の前に脚の長い文机があり、上に筆と墨と半紙が並んでいる。
セナは名を書いた。文字は教わっている。だが、紙に文字を書くのはほとんど経験がない。少し、緊張した。
「セナ……丹波国……よろしい、ではコレを」
女官から『九十一』と書かれた襷を渡された。
「あたしは九十二だ。要は目印さ」りつは言った。
無事に受付を済ませると、りつと一緒に門をくぐった。
謡舞寮はいくつもの棟が合体した屋敷だった。
舞人の卵たちが寝起きをする大部屋や、食堂、書斎に衣裳部屋。練習場となる広大な板張りの間もある。
それぞれの建物には回廊を巡らせ、飛び石の小道と白砂青松で囲んでいた。そして煌びやかな鯉が泳ぐ大きな池には、水面の上にせり出した特別な舞台が設えられている。
「みなの者、こちらに参られよ」
女官の案内で、みんな白砂の庭に集められた。その数、百名を超える。
娘たちはガヤガヤと隣同士でしゃべり、落ち着きがない。
セナはゆっくりまわりの様子を見た。
ふと、ある少女と目があった。くりくりと丸い瞳の愛らしい、溜め息の出るような美少女である。
年頃はセナと同じ。襷の数字は『一』。
その少女はセナを見ると、ニコリと微笑んだ。
セナはなぜだかドキッとして、あわてて目を伏せた。
「謡舞寮の長にあらしゃいます――弓御前さまのおなりである!」
女官の一人が声高に叫ぶと、屋敷の奥から一人の老女が現れた。足音もなく、着物に足が隠れているため滑って移動しているように見える。白い衣に白い頭巾をかぶっていて全身白尽くめだが、何より白いのはその顔だった。
キツネに似た相貌で、いかにもキツい目付きをしている。
「私は弓御前。みなの者、よくぞ参った。帝もたいそうお喜びである。ゆるりと足を休めたいであろうが、これも試しゆえ、さっそく始めようと思う」
弓御前のかたわらに、篠笛を持った女官が進み出た。
「まずはこの笛の音を聞き、頭の中で自由に舞を作りなさい」
女官が笛に唇を当てる。涼やかな音が響き渡った。
最初は聞き惚れそうになった娘たちも、サッと真剣な表情に切り替え、一音も漏らさぬよう耳を澄ます。
「下手……」
セナは思わずつぶやいた。鬼童丸の笛に比べれば、雪解けの清流と雨上がりの川ぐらいの差がある。
ふと横を見ると、りつが険しい顔をしている。
「やっぱ苦手だなぁ……」
「なに?」
「あたし苦手なんだよ、舞が」
「そんなの簡単、風に――」
小声で話していると、前にいた『六十九』のそばかすの少女が振り向いてキッと睨んだ。身だしなみは整えているが、着物はみすぼらしい。
セナとりつは押し黙る。
「そこまで」
笛の音が何度か繰り返されたのち、弓御前は手を叩いた。試験官として女官たちが白砂の庭のまわりに散らばる。採点用の半紙の束を持っている。
「では、十人ずつ前に出て、自由に舞うがよい」
最初に呼ばれたのは、一から十の番号の娘たちである。
あの『一』の襷の少女が、誰よりも早く白砂の上に立った。その佇まいは実に落ちついている。立ち姿は凛として美しい。女官たちも『一』の少女に注目しているようで、場の緊張感が一気に増した。
「始め!」
篠笛の女官が再び音を奏で始めた。
白砂の舞台で、娘たちはいっせいに舞い始める。が、ぎこちない。初めて聞く音曲、自分で舞を創作した経験もまったくない。そのため懸命に飛び跳ねたり、回ってみたり、科を作ってみたりしたが、サマにならない。
しかし『一』の少女だけが、堂々と軽やかに舞ってみせた。
「ほう……」
段上から見ていた弓御前が、鋭い目を少しだけ開く。試験官の女官たちも『一』の少女の舞を見て、すぐに半紙に何やら書き留めた。
笛の音がやんだ。娘たちは弓御前に一礼し、舞台から離れる。
このようにして何度か繰り返したあと、いよいよセナの順番がやって来た。
「うう……気持ち悪くなってきた……」
りつはガチガチになっている。
「平気」
と、声をかけようとしてセナはやめた。今は集中しなければならない。謡舞寮に入れなければ意味がない。拾われた意味も、今日まで生きた意味も。
「始め!」
篠笛の音が響き渡る。音曲ならもう耳に染みついた。
あとは、風に乗るだけ――。
セナは初めて鬼童丸以外の笛の音で舞った。
(これが都の音……)
そんなことを思いながら、自分でも初めて舞うカタチを披露した。臓腑が揺さぶられるようなモノではなかったが、とても優雅でたおやかだった。
弓御前はセナの舞を見て、鋭い目をさらに細めた。
「……ふむ……」
笛の音がやむ。セナはピタリと足を止めた。ただ一人涼しい顔である。他の娘たちは緊張と慣れない動きでヘトヘト。その場にへたり込む者もいた。
「お、終わった……」
りつもすっかり消耗していた。セナはりつに歩調を合わせて舞台を出た。
すべての試験が終了した。
娘たちの顔は悲喜こもごも。手応えのある者や、がっくり肩を落とす者、みんなそれぞれの表情で、弓御前の言葉を待つ。
「みな、ご苦労であった。とても良い舞であったぞ」
その言葉に、娘たちの口元がゆるむ。
「では、合格者を発表する――」
娘たちは呼吸を止めた。白砂の庭は静寂に満ち、新雪降り積もる冬の広野のようだった。
きつく結ばれていた弓御前の唇がゆっくりと開く。
「今年の合格者は――無しとする!」
誰もが言葉を失った。ある者は肩を落とし、顔を見合わせ、大きなため息を吐く。動揺の波がしだいに大きくなり、方々で涙がこぼれた。
りつを見ると青ざめた顔で佇んでいる。
「せいぜい都の見物でもして帰るのだな」
弓御前はそう言うと、また音もなく屋敷の奥に消えた。
娘たちはパラパラと謡舞寮からの門から去って行く。セナとりつもまた、行きとは正反対の足取りで門をくぐって出た。
セナはふと気になって、あの『一』の少女を探した。あれほど美しい舞でも合格が叶わないとは思わなかった。
さて、これからどうしよう――。
謡舞寮に入門すら出来ないとは。これでは鬼童丸に合わせる顔がない。
往来を歩く人々の中に、ホオヅキの姿を探す。これからどうすればいいのか? そう尋ねたところで、答えは一つ――セナは黒い笄に触れた。
「あーあ、今年もダメだったな……」
朱雀大路の途中で、りつはつぶやいた。
「あたし、歌には自信があるんだ。田楽って知ってる?」
「ううん」
「田植え唄さ。親父はいっつもあたしの歌を誉めてくれた。お前の歌は日ノ本一だ! ってさ。恥ずかしいっつの……ハハハ」
りつの笑みが弱々しい。
「それで、無い袖振ってあたしを都に行かせてくれた。それも二回も。すごいよね。フツー出来ないよね。まったくバカな親父だよ」
りつの目尻に涙が浮かんでいた。こぼれる寸前に指でサッと拭ってしまう。
「あたしに三度目の正直はないんだ。だから、これでおしまい!」
そう言って、りつはカラッと笑った。
「セナ、あんたは?」
「私は……」
「あっ……アイツ」
りつが何かを見つけた。目線の先に見覚えのある少女がいた。往来の端っこで両膝を抱えている。『六十九』の少女だった。
「なあ、あんた」
近寄って声をかけると『六十九』の少女はゆっくり顔を上げた。その目は赤く泣き腫らし、光を失っている。だが、セナとりつの顔を見るや、サッと色めき立って怒りをあらわにした。
「あーっ! お前たち! お前たちのせいで!」
「な、なんだよっ」
少女はりつの足にしがみつき、ギャアギャアわめく。
「お前たちがうるさくて上手く舞えなかったじゃないの!」
「おい、放せよ。人のせいにするな」
ちょっとした騒ぎになり、人々が奇異の目を向ける。見かねたセナが少女の衣の首をつかみ、その腕を痛くない程度にひねって動きを封じた。
「落ち着いて」
「は、放せ!」
「ほら、涙ふけよ」
りつが懐から手ぬぐいを差し出す。少女は十分にためらった後、ひったくるようにして取った。
「コイツ……なあ、名前は? あたしはりつ。こっちはセナ」
「サギリ……」
手ぬぐいを涙と鼻水で汚しながら、曇った声で少女は言った。
「ふうん、サギリね。郷は?」
「……知らない」
「親は?」
「ずっと前に死んだ。だから朝から晩まで馬の糞にまみれて暮らしてた。やっとの思いで逃げて来て、ここまで来たのに……」
お前たちがっ、とサギリが怒りを思い出して、りつにつかみかかろうとしたところを再びセナが止める。あっさりと片手で。力が肉体のどこに宿り、動くのかセナは熟知していた。サギリの胸に軽く当てるだけで十分だった。
「落ち着いて」
サギリはセナをキッと睨み付ける。りつは手を合わせて謝る。
「邪魔したのは悪かった。すまん!」
セナもりつを真似て合掌した。サギリはそっぽを向く。
「もういい……どうせみんな落っこちたんだ」
一気に空気が沈んだ。まぎれもない事実である。
「な、なあ、サギリは何で謡舞寮に? あたしは歌が得意で」
「バカなの? そんなの生きていくために決まってる……私に残された道は一つしかないの! でもおしまいよ! もう死ぬしかないじゃない!」
「そっか、そうだよな……じゃあ、あたしのウチに来るか?」
「は?」
「侘びにもならないけど、しっかり働いてくれれば食い扶持ぐらいは」
「あんたってバカね」
「何でだよ。人がせっかく」
「そのウチが貧しいから来たくせに」
りつは押し黙る。図星だった。
「歌が得意? 笑わせないでよ。それだけの理由で、ノコノコ都まで来るわけないじゃない。どうせ帝お抱えの舞人になって、いっぱい稼いで、親を楽させたいなんて浅はかな考えでしょ? 親も親よ、子供に無理を押し付けて」
パン、と乾いた音が響いた。りつがサギリの頬を打ったのだった。
「何よっ!」
「親父のことは悪く言うな!」
とうとう、りつとサギリが取っ組み合いを始めた。胸がはだけそうになるほど衣をつかんで振り回す。往来の人々から注目が集まる。
セナは小さくため息を吐いた。
「落ち着いて」
それぞれの衣の帯をグイと引く。りつとサギリの身体は簡単に離れた。
喧嘩が殺し合いになる鬼たちに比べれば造作もない。鬼の喧嘩は短刀をノドに突き付けて仲裁する。そして素早く耳たぶに切り込みをいれるのだ。手足では仕事に支障が出るため、言葉でダメなら耳でわからせろ、とは鬼童丸の教えだ。手下たちの耳たぶにはみんな傷痕がある。
「セナ……」
「ふん……」
二人はバツが悪そうに互いから視線を外した。
「あんた、さっきから何なの?」
サギリがセナに突っかかる。
「落っこちたのになーんにも堪えてない。まさか遊びで受けたわけ? 気まぐれに? バカにしないでよ! こっちは人生賭けてたんだ!」
サギリの怒りを、りつは止めなかった。
「……違う」
セナは口の中でつぶやく。使命を果たせなかった今、死ぬしかない。黒い笄で喉を突き、命を絶って詫びるしかない。自分もまた居場所がないのだから。
だが、死んでどうなる? 鬼童丸は納得するだろうか。
鬼童丸の望みは自分の死ではない。妖怪の死だ。ならば――。
「まだ……終わりじゃない」
セナは顔を上げ、もと来た道を引き返した。一人でどんどん歩く。
「お、おい、セナ」
りつとサギリは顔を見合わせる。とにかくセナについて行った。
謡舞寮に戻って来た。屋敷の前は閑散とし、さっきまで娘たちであふれかえっていたのが嘘のようだった。
セナは謡舞寮の正門の前に立った。後から二人も追いつくが、ハアハアと肩を上下させている。見失わないだけで必死だった。
「セナ……まさか」
セナは頷く。サギリは呆れ半分という様子で笑う。
「ははっ、ウソでしょ……ウソよね?」
「私は死ぬまで諦めない」
セナは門をくぐった。二人は唖然としたが、やがてりつが小さく拳を握った。
「なあ、サギリ」
「な、何よ」
「あたしは行くよ。あんたはどうする?」
「も、もちろん行くわよ! ここで終われるワケないじゃない!」
二人もセナと一緒に、さっきまで試験会場だった白砂の庭に出る。
そこには『一』の少女がいた。少女はセナに微笑む。
「やっぱり来ると思った」
「……私が? どうして?」
「うーん、なんとなく?」少女は小首をかしげて微笑んだ。
弓御前がやって来た。御供の女官を引き連れ、酷く険しい顔である。
弓御前は順番にセナたちの顔を確かめる。
「なぜ、戻って来た?」
その鋭い問いに答えあぐねていると、『一』の少女が口を開いた。
「試験がまだ終わっていないからです」
「はて……これは異なことを」
「不公平ではありませんか」
「不公平?」
「ええ、なぜなら、順番が後の子ほど有利になるからです。自分の番が来るまで時間がたっぷり。舞の型をしっかり考えられる」
「して、それが何か? 返答次第では鞭で打つぞ」
冷たい脅しにも『一』の少女は動じない。
「帝の作りし謡舞寮が、曖昧な事をするはずがありません。ならば、あの試しには別の思惑があったのでは? 私はそれを確かめに来ました。真意をお聞きするまで、ここから動きませぬ」
「ふむ……で、お前は? なぜ戻って来た」
弓御前はセナに向き直った。セナは腹の底にグッと力を溜める。
「舞人になると決めたからです」そして妖怪を殺す――。
「それゆえ、落とされてもなお食い下がるか」
「……はい」
弓御前は鼻先で笑った。が、目は寒々としていた。
「お前たちも同じと申すか?」
弓御前の目付きがさらに鋭くなる。
「わ、私も舞人になります!」
隙を見てサギリも続けて発言し、りつも深く頷いてみせた。
弓御前は、ふうむ、と長い鼻息を出す。沈黙がキリキリと張りつめる。
「よろしい――みなの者、合格です」
いともあっさり言ってのけた。
「え、ええっ!?」
サギリが一番大きな声をあげた。みんな驚いて何度も顔を見合わせる。弓御前の言葉が信じられなかった。
「そなた……名をたしか」
「し、静乃にございます」『一』の少女は名乗った。
「静乃――そなたの申すとおり、舞の試しは所詮、技量を計るためのもの。それゆえ一度は必ず不合格を出し、それでもなお諦めぬ者を待っておった。門を開けてな……すなわち試しの真意とは――心を見ること」
「心……?」
然様、と弓御前はぴしゃりと言った。
「いかに天賦の才があろうとも、心が空虚ならば舞は錆びつき朽ち果てよう。技はあとで学べばよい。帝が欲する舞人とは、天女の如き心の持ち主」
「天女……」
その不思議な響きにセナは思わずつぶやく。
「天女がひとたび舞えば、たちまちそこは春の野になるらしい。せいぜい励むがよい。だが……過ぎた才は身を滅ぼす――覚えておくのだな」
そう言って弓御前は何が可笑しいのか、ふふふ、と笑い出す。
「ふふ、ははは……アーハッハッハ!」
高らかに笑いながら、弓御前は謡舞寮の奥に消えた。
経済の中心地であり、国中の人々がまるで血液のように行き交っている。桶や壺などの日用品のほか、薪や藁束や炭などの消耗品、米や野菜や魚介など、さまざまな品物が市場に並べられ、いつも活気に湧いている。
セナは羅城門の前に立った。
京の都の正門である。朱塗りの柱に美しい白壁、二重の青い瓦屋根には金色の鳥の彫像が設えられている。
羅城門は大きな口を開け、人々を飲み込んでは吐き出していた。
「ここが……都……」
愛宕山からいつも見下ろしていた。でも、いざ自分の足で目の前に立つとそのあまりの巨大さに圧倒される。
街並みは縦横に走った大路・小路によって整然と区切られ、それぞれ『町』と呼ぶ。羅城門から大内裏までまっすぐ伸びた朱雀大路は京の都の背骨といってよく、その道幅は28丈(約83メートル)もあるという。大内裏に背を向けて、この大路を境界線に、右側を『右京』とし、左側を『左京』とする。
つまり妖怪――帝の住まう大内裏は正面にあるはずだが、どんなに目をこらしても見ることはかなわない。それほど京の都は大きかった。
「セナ、こっちだ」
羅城門の前で佇んでいると、男の声で呼ばれた。
行商人に変装した鬼童丸の手下のホオヅキだった。千駄櫃(引き出しのたくさんついた箱)を背負い、笠を目深にかぶり、顔の下半分を布で覆っている。声からするとまだ年若い。
「ここでは俺がお頭の命令を伝える」
セナはこくりと頷く。
「大内裏の正面から大垣に沿って左京に行け。謡舞寮はそこにある。塀よりも大きな松の木が目印だ。そしてお前の身分は、丹波国(現在の京都府と兵庫県の一部)鳥居村の百姓の娘だ。名前はセナでいい。どうせ仮初の名だ」
それから、とホオヅキは言った。
「お頭から伝言だ。慎重にやれ、ってな」
「……ホオヅキ」
「何だ?」
「……もし、しくじったら?」
ホオヅキは驚いたように笑う。
「は……ははっ、都の風に中てられたか?」
セナはその言葉の意味がわからなかった。
「余計なことは考えるな。命令は追って伝える」
「……わかった」
ホオヅキは行き交う人々の流れにまぎれ、挨拶もなくその場を去った。
気配を消す術を得意とし、変装の上手い男である。セナとは仕事でよく組んだ。
セナは髪に挿した黒い笄に触れた。これは、妖怪を殺すための毒だが、それと同時に、自分が死ぬための毒でもある。
任務に成功しても、失敗しても、どちらにせよ――。
と、そこまで考えて、セナはやめた。今は任務に集中すべきだ。妖怪にたどり着く前に失敗しては、鬼童丸に申し訳が立たない。
みなしごだった自分を拾ってくれたのは鬼童丸なのだ。一度は失われるはずだったこの命は鬼童丸のモノ。すべては鬼童丸のために――。
セナは羅城門をくぐった。にぎわう市場を横目に、往来の人々にぶつからないよう歩いて行く。
それにしても、まるで別世界である。
辺境の村では見られないほどの人の多さ。食べ物の種類、着物の数。それはセナにとって音、色、匂い、そのすべてが新しく、くらくらするほどだった。
大内裏の前にたどり着いた。セナは呆然とその門を見上げる。
「この先が……妖怪の……」
朱塗りの柱は羅城門よりもさらに色鮮やかだった。金の装飾も、壁や瓦の色もまぶしいほどに。
門には何人もの警護の衛士が石像のように立っている。
そして門前広場は、家が何十軒も建てられるほどだだっ広い。何千人と並んでも余裕がある。ここが朱雀大路の終着点である『朱雀門』だった。
「おっと、ごめんよ!」
誰かが肩にぶつかった。セナはサッと振り向き、それとなく身構える。
見ると、自分よりも背の高い少女だった。長い髪を後ろで高く結い上げ、日に焼けた浅黒い肌が何ともハツラツとしている。
「考え事してて気付かなかったんだ」
セナは首を横に振った。
「あたしの名前は『りつ』――あんたも謡舞寮に?」
セナは少し考え、頷く。
「そうだよな。年に一度の入門試験だ。今年が初めて?」
「え?」
「その顔はお初だね。郷は?」
「……丹波」
「あたしもさ。二度目の一人旅。今年落ちたら親父に合わせる顔がないよ」
りつは屈託ない笑みを浮かべた。
「あの、試験って、どんなことを?」
「行けばわかるさ。あ、そういえば名前、聞いてなかった」
「セナ」
「へえ、珍しい名前。あんたも一人旅? 親は?」
「いない」
「そっか。あたしも母さんがいないんだ」
セナとりつは連れ立って謡舞寮に向かった。
塀より大きな松の木が目印――ホオヅキはそう言っていたが、松の木を見つけるまでもなく謡舞寮はすぐにわかった。
ある大路の途中で、年頃の娘たちがわらわらと集まっていたのだ。
娘たちの前にある巨大な邸宅こそが謡舞寮だった。
ぐるりと囲む塀の長さから察するに、下級貴族の屋敷なら五つは軽く入りそうな広さである。なるほど、一ヶ所だけ松の枝が路に飛び出している。その枝ぶりから大きさがうかがえる。
「あそこが受付だよ」
さすがにりつは勝手知ったるもの。列の最後尾にセナを導く。
それにしても、すごい数の娘たちである。国中から集まるというが、北は雪国から南は島国まで、あらゆる場所から来ているらしい。つまりは日ノ本全部に御触れを出したということだ。帝の権力がよくわかる。
受付の順番がまわって来た。
数人の女官の前に脚の長い文机があり、上に筆と墨と半紙が並んでいる。
セナは名を書いた。文字は教わっている。だが、紙に文字を書くのはほとんど経験がない。少し、緊張した。
「セナ……丹波国……よろしい、ではコレを」
女官から『九十一』と書かれた襷を渡された。
「あたしは九十二だ。要は目印さ」りつは言った。
無事に受付を済ませると、りつと一緒に門をくぐった。
謡舞寮はいくつもの棟が合体した屋敷だった。
舞人の卵たちが寝起きをする大部屋や、食堂、書斎に衣裳部屋。練習場となる広大な板張りの間もある。
それぞれの建物には回廊を巡らせ、飛び石の小道と白砂青松で囲んでいた。そして煌びやかな鯉が泳ぐ大きな池には、水面の上にせり出した特別な舞台が設えられている。
「みなの者、こちらに参られよ」
女官の案内で、みんな白砂の庭に集められた。その数、百名を超える。
娘たちはガヤガヤと隣同士でしゃべり、落ち着きがない。
セナはゆっくりまわりの様子を見た。
ふと、ある少女と目があった。くりくりと丸い瞳の愛らしい、溜め息の出るような美少女である。
年頃はセナと同じ。襷の数字は『一』。
その少女はセナを見ると、ニコリと微笑んだ。
セナはなぜだかドキッとして、あわてて目を伏せた。
「謡舞寮の長にあらしゃいます――弓御前さまのおなりである!」
女官の一人が声高に叫ぶと、屋敷の奥から一人の老女が現れた。足音もなく、着物に足が隠れているため滑って移動しているように見える。白い衣に白い頭巾をかぶっていて全身白尽くめだが、何より白いのはその顔だった。
キツネに似た相貌で、いかにもキツい目付きをしている。
「私は弓御前。みなの者、よくぞ参った。帝もたいそうお喜びである。ゆるりと足を休めたいであろうが、これも試しゆえ、さっそく始めようと思う」
弓御前のかたわらに、篠笛を持った女官が進み出た。
「まずはこの笛の音を聞き、頭の中で自由に舞を作りなさい」
女官が笛に唇を当てる。涼やかな音が響き渡った。
最初は聞き惚れそうになった娘たちも、サッと真剣な表情に切り替え、一音も漏らさぬよう耳を澄ます。
「下手……」
セナは思わずつぶやいた。鬼童丸の笛に比べれば、雪解けの清流と雨上がりの川ぐらいの差がある。
ふと横を見ると、りつが険しい顔をしている。
「やっぱ苦手だなぁ……」
「なに?」
「あたし苦手なんだよ、舞が」
「そんなの簡単、風に――」
小声で話していると、前にいた『六十九』のそばかすの少女が振り向いてキッと睨んだ。身だしなみは整えているが、着物はみすぼらしい。
セナとりつは押し黙る。
「そこまで」
笛の音が何度か繰り返されたのち、弓御前は手を叩いた。試験官として女官たちが白砂の庭のまわりに散らばる。採点用の半紙の束を持っている。
「では、十人ずつ前に出て、自由に舞うがよい」
最初に呼ばれたのは、一から十の番号の娘たちである。
あの『一』の襷の少女が、誰よりも早く白砂の上に立った。その佇まいは実に落ちついている。立ち姿は凛として美しい。女官たちも『一』の少女に注目しているようで、場の緊張感が一気に増した。
「始め!」
篠笛の女官が再び音を奏で始めた。
白砂の舞台で、娘たちはいっせいに舞い始める。が、ぎこちない。初めて聞く音曲、自分で舞を創作した経験もまったくない。そのため懸命に飛び跳ねたり、回ってみたり、科を作ってみたりしたが、サマにならない。
しかし『一』の少女だけが、堂々と軽やかに舞ってみせた。
「ほう……」
段上から見ていた弓御前が、鋭い目を少しだけ開く。試験官の女官たちも『一』の少女の舞を見て、すぐに半紙に何やら書き留めた。
笛の音がやんだ。娘たちは弓御前に一礼し、舞台から離れる。
このようにして何度か繰り返したあと、いよいよセナの順番がやって来た。
「うう……気持ち悪くなってきた……」
りつはガチガチになっている。
「平気」
と、声をかけようとしてセナはやめた。今は集中しなければならない。謡舞寮に入れなければ意味がない。拾われた意味も、今日まで生きた意味も。
「始め!」
篠笛の音が響き渡る。音曲ならもう耳に染みついた。
あとは、風に乗るだけ――。
セナは初めて鬼童丸以外の笛の音で舞った。
(これが都の音……)
そんなことを思いながら、自分でも初めて舞うカタチを披露した。臓腑が揺さぶられるようなモノではなかったが、とても優雅でたおやかだった。
弓御前はセナの舞を見て、鋭い目をさらに細めた。
「……ふむ……」
笛の音がやむ。セナはピタリと足を止めた。ただ一人涼しい顔である。他の娘たちは緊張と慣れない動きでヘトヘト。その場にへたり込む者もいた。
「お、終わった……」
りつもすっかり消耗していた。セナはりつに歩調を合わせて舞台を出た。
すべての試験が終了した。
娘たちの顔は悲喜こもごも。手応えのある者や、がっくり肩を落とす者、みんなそれぞれの表情で、弓御前の言葉を待つ。
「みな、ご苦労であった。とても良い舞であったぞ」
その言葉に、娘たちの口元がゆるむ。
「では、合格者を発表する――」
娘たちは呼吸を止めた。白砂の庭は静寂に満ち、新雪降り積もる冬の広野のようだった。
きつく結ばれていた弓御前の唇がゆっくりと開く。
「今年の合格者は――無しとする!」
誰もが言葉を失った。ある者は肩を落とし、顔を見合わせ、大きなため息を吐く。動揺の波がしだいに大きくなり、方々で涙がこぼれた。
りつを見ると青ざめた顔で佇んでいる。
「せいぜい都の見物でもして帰るのだな」
弓御前はそう言うと、また音もなく屋敷の奥に消えた。
娘たちはパラパラと謡舞寮からの門から去って行く。セナとりつもまた、行きとは正反対の足取りで門をくぐって出た。
セナはふと気になって、あの『一』の少女を探した。あれほど美しい舞でも合格が叶わないとは思わなかった。
さて、これからどうしよう――。
謡舞寮に入門すら出来ないとは。これでは鬼童丸に合わせる顔がない。
往来を歩く人々の中に、ホオヅキの姿を探す。これからどうすればいいのか? そう尋ねたところで、答えは一つ――セナは黒い笄に触れた。
「あーあ、今年もダメだったな……」
朱雀大路の途中で、りつはつぶやいた。
「あたし、歌には自信があるんだ。田楽って知ってる?」
「ううん」
「田植え唄さ。親父はいっつもあたしの歌を誉めてくれた。お前の歌は日ノ本一だ! ってさ。恥ずかしいっつの……ハハハ」
りつの笑みが弱々しい。
「それで、無い袖振ってあたしを都に行かせてくれた。それも二回も。すごいよね。フツー出来ないよね。まったくバカな親父だよ」
りつの目尻に涙が浮かんでいた。こぼれる寸前に指でサッと拭ってしまう。
「あたしに三度目の正直はないんだ。だから、これでおしまい!」
そう言って、りつはカラッと笑った。
「セナ、あんたは?」
「私は……」
「あっ……アイツ」
りつが何かを見つけた。目線の先に見覚えのある少女がいた。往来の端っこで両膝を抱えている。『六十九』の少女だった。
「なあ、あんた」
近寄って声をかけると『六十九』の少女はゆっくり顔を上げた。その目は赤く泣き腫らし、光を失っている。だが、セナとりつの顔を見るや、サッと色めき立って怒りをあらわにした。
「あーっ! お前たち! お前たちのせいで!」
「な、なんだよっ」
少女はりつの足にしがみつき、ギャアギャアわめく。
「お前たちがうるさくて上手く舞えなかったじゃないの!」
「おい、放せよ。人のせいにするな」
ちょっとした騒ぎになり、人々が奇異の目を向ける。見かねたセナが少女の衣の首をつかみ、その腕を痛くない程度にひねって動きを封じた。
「落ち着いて」
「は、放せ!」
「ほら、涙ふけよ」
りつが懐から手ぬぐいを差し出す。少女は十分にためらった後、ひったくるようにして取った。
「コイツ……なあ、名前は? あたしはりつ。こっちはセナ」
「サギリ……」
手ぬぐいを涙と鼻水で汚しながら、曇った声で少女は言った。
「ふうん、サギリね。郷は?」
「……知らない」
「親は?」
「ずっと前に死んだ。だから朝から晩まで馬の糞にまみれて暮らしてた。やっとの思いで逃げて来て、ここまで来たのに……」
お前たちがっ、とサギリが怒りを思い出して、りつにつかみかかろうとしたところを再びセナが止める。あっさりと片手で。力が肉体のどこに宿り、動くのかセナは熟知していた。サギリの胸に軽く当てるだけで十分だった。
「落ち着いて」
サギリはセナをキッと睨み付ける。りつは手を合わせて謝る。
「邪魔したのは悪かった。すまん!」
セナもりつを真似て合掌した。サギリはそっぽを向く。
「もういい……どうせみんな落っこちたんだ」
一気に空気が沈んだ。まぎれもない事実である。
「な、なあ、サギリは何で謡舞寮に? あたしは歌が得意で」
「バカなの? そんなの生きていくために決まってる……私に残された道は一つしかないの! でもおしまいよ! もう死ぬしかないじゃない!」
「そっか、そうだよな……じゃあ、あたしのウチに来るか?」
「は?」
「侘びにもならないけど、しっかり働いてくれれば食い扶持ぐらいは」
「あんたってバカね」
「何でだよ。人がせっかく」
「そのウチが貧しいから来たくせに」
りつは押し黙る。図星だった。
「歌が得意? 笑わせないでよ。それだけの理由で、ノコノコ都まで来るわけないじゃない。どうせ帝お抱えの舞人になって、いっぱい稼いで、親を楽させたいなんて浅はかな考えでしょ? 親も親よ、子供に無理を押し付けて」
パン、と乾いた音が響いた。りつがサギリの頬を打ったのだった。
「何よっ!」
「親父のことは悪く言うな!」
とうとう、りつとサギリが取っ組み合いを始めた。胸がはだけそうになるほど衣をつかんで振り回す。往来の人々から注目が集まる。
セナは小さくため息を吐いた。
「落ち着いて」
それぞれの衣の帯をグイと引く。りつとサギリの身体は簡単に離れた。
喧嘩が殺し合いになる鬼たちに比べれば造作もない。鬼の喧嘩は短刀をノドに突き付けて仲裁する。そして素早く耳たぶに切り込みをいれるのだ。手足では仕事に支障が出るため、言葉でダメなら耳でわからせろ、とは鬼童丸の教えだ。手下たちの耳たぶにはみんな傷痕がある。
「セナ……」
「ふん……」
二人はバツが悪そうに互いから視線を外した。
「あんた、さっきから何なの?」
サギリがセナに突っかかる。
「落っこちたのになーんにも堪えてない。まさか遊びで受けたわけ? 気まぐれに? バカにしないでよ! こっちは人生賭けてたんだ!」
サギリの怒りを、りつは止めなかった。
「……違う」
セナは口の中でつぶやく。使命を果たせなかった今、死ぬしかない。黒い笄で喉を突き、命を絶って詫びるしかない。自分もまた居場所がないのだから。
だが、死んでどうなる? 鬼童丸は納得するだろうか。
鬼童丸の望みは自分の死ではない。妖怪の死だ。ならば――。
「まだ……終わりじゃない」
セナは顔を上げ、もと来た道を引き返した。一人でどんどん歩く。
「お、おい、セナ」
りつとサギリは顔を見合わせる。とにかくセナについて行った。
謡舞寮に戻って来た。屋敷の前は閑散とし、さっきまで娘たちであふれかえっていたのが嘘のようだった。
セナは謡舞寮の正門の前に立った。後から二人も追いつくが、ハアハアと肩を上下させている。見失わないだけで必死だった。
「セナ……まさか」
セナは頷く。サギリは呆れ半分という様子で笑う。
「ははっ、ウソでしょ……ウソよね?」
「私は死ぬまで諦めない」
セナは門をくぐった。二人は唖然としたが、やがてりつが小さく拳を握った。
「なあ、サギリ」
「な、何よ」
「あたしは行くよ。あんたはどうする?」
「も、もちろん行くわよ! ここで終われるワケないじゃない!」
二人もセナと一緒に、さっきまで試験会場だった白砂の庭に出る。
そこには『一』の少女がいた。少女はセナに微笑む。
「やっぱり来ると思った」
「……私が? どうして?」
「うーん、なんとなく?」少女は小首をかしげて微笑んだ。
弓御前がやって来た。御供の女官を引き連れ、酷く険しい顔である。
弓御前は順番にセナたちの顔を確かめる。
「なぜ、戻って来た?」
その鋭い問いに答えあぐねていると、『一』の少女が口を開いた。
「試験がまだ終わっていないからです」
「はて……これは異なことを」
「不公平ではありませんか」
「不公平?」
「ええ、なぜなら、順番が後の子ほど有利になるからです。自分の番が来るまで時間がたっぷり。舞の型をしっかり考えられる」
「して、それが何か? 返答次第では鞭で打つぞ」
冷たい脅しにも『一』の少女は動じない。
「帝の作りし謡舞寮が、曖昧な事をするはずがありません。ならば、あの試しには別の思惑があったのでは? 私はそれを確かめに来ました。真意をお聞きするまで、ここから動きませぬ」
「ふむ……で、お前は? なぜ戻って来た」
弓御前はセナに向き直った。セナは腹の底にグッと力を溜める。
「舞人になると決めたからです」そして妖怪を殺す――。
「それゆえ、落とされてもなお食い下がるか」
「……はい」
弓御前は鼻先で笑った。が、目は寒々としていた。
「お前たちも同じと申すか?」
弓御前の目付きがさらに鋭くなる。
「わ、私も舞人になります!」
隙を見てサギリも続けて発言し、りつも深く頷いてみせた。
弓御前は、ふうむ、と長い鼻息を出す。沈黙がキリキリと張りつめる。
「よろしい――みなの者、合格です」
いともあっさり言ってのけた。
「え、ええっ!?」
サギリが一番大きな声をあげた。みんな驚いて何度も顔を見合わせる。弓御前の言葉が信じられなかった。
「そなた……名をたしか」
「し、静乃にございます」『一』の少女は名乗った。
「静乃――そなたの申すとおり、舞の試しは所詮、技量を計るためのもの。それゆえ一度は必ず不合格を出し、それでもなお諦めぬ者を待っておった。門を開けてな……すなわち試しの真意とは――心を見ること」
「心……?」
然様、と弓御前はぴしゃりと言った。
「いかに天賦の才があろうとも、心が空虚ならば舞は錆びつき朽ち果てよう。技はあとで学べばよい。帝が欲する舞人とは、天女の如き心の持ち主」
「天女……」
その不思議な響きにセナは思わずつぶやく。
「天女がひとたび舞えば、たちまちそこは春の野になるらしい。せいぜい励むがよい。だが……過ぎた才は身を滅ぼす――覚えておくのだな」
そう言って弓御前は何が可笑しいのか、ふふふ、と笑い出す。
「ふふ、ははは……アーハッハッハ!」
高らかに笑いながら、弓御前は謡舞寮の奥に消えた。
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