12 / 81
第一章 北州編
広阿攻略
しおりを挟む
柏人から離れるとき、そして離れてからしばらくは、後方へ厳戒態勢を敷いていた漢軍だったが、案の定、李育の追撃はなかった。
「良将だな」
李育が柏人から出てこなかったことに、無念と安堵という矛盾する吐息を漏らしながら劉秀はそう評した。
鄧禹も同じ評価である。彼にとって初の敗北であったが、それだけに学ぶことも多かった。
「まだまだ、必ずや明公のお役に立てる人間になってみせるぞ」
自身の矜持とは別に、その決心も新たにする鄧禹だった。
さて鉅鹿へ向かうと決めた劉秀だが、柏人からそのまま直行したわけではなかった。
「とりあえずは兵を休ませ、回復させなければ」
漢軍は李育を急襲で破った後、そのまま柏人包囲に入った。その間、常に戦闘をおこなっていたわけではないし、定期的に休息を取らせてはいた。それでもいつ戦闘が起こるかわからず、兵は常に一定の緊張感を強いられる状況が続いたのだ。心身とも完全に一新し回復させるには、心から安心してぐっすり眠り、たっぷり食べられる場所が必須である。
それに鄧禹たちが敗れていびつになった全軍の編成も、今一度やりなおさなければならない。柏人攻略の滞陣中に応急処置は施したが、落ち着ける場所で一から再構築する必要があるのだ。
「となればどこかの城を取るのが一番だな」
そう考えた劉秀は広阿に目をつけた。さほど大きな城ではないが軍を休ませるには充分である。
また劉秀としては、柏人攻城の失敗は自軍の戦い方がまずかったのか、あるいは他に理由があったのか、それを確認しておきたかった。そうでなければ鉅鹿攻略にも支障が出る。
「広阿を攻めるぞ」
劉秀は全軍へ命令を発した。
結果として、広阿はあっさり落ちた。
もちろん激戦はあったが、それは長いものではなく苦戦と呼べるほどのものでもなかった。
広阿を守るのは王郎の横野将軍・劉発だったが、彼の指揮能力にも問題があったのだろう。李育の守る柏人に比べ「こんなものか」と拍子抜けするほどだったが、とにかく劉秀にとってはありがたい勝利だった。自軍の攻城能力が乏しいわけではないと自信も持てたし、何より柏人を落とせなかった兵の士気を一気に回復させることができたのが大きい。
「これで鉅鹿を攻めることができるぞ」
広阿に入城した兵が、安全な城壁の中それぞれの部隊ごとに駐屯し、ここしばらくの疲労を落とし始めたのを見て、劉秀は安堵した。
「……よし」
兵たちはそれぞれに荷物をおろし食事の準備も始める。そんな穏やかな喧噪の中、劉秀も馬から降り甲冑を脱ぐと、平服のままぶらりとある場所へ向かった。
城内で兵たちはめいめいに竈を作り食事の用意を始める。勝利の余韻もあってそれはにぎやかで、彼らにとって久々の憂いなき楽しい時間であった。
それは鄧禹の屯営も同じである。劉秀軍はまだまだ制度も整っておらず、将である鄧禹も手ずから火をおこし、魚を焼き、己の食事を用意していた。
広阿攻略には鄧禹も充分な働きがあった。
彼は柏人を撤退してから劉秀に新たな兵を与えられていた。
「二度同じ失敗はせぬぞ」
鄧禹は静かな闘志とともに広阿へ激しく攻め込んだ。
といって考えなしにがむしゃらにというわけではない。彼は実質謹慎中だった柏人攻略の最中、味方の攻め方、敵の守り方をつぶさに観察していた。何がよくて何が悪いか。何が有効で何が無効か。
戦場は生き物であり、同じ戦況があらわれるわけもない。それでも鄧禹は自らの知識とも照らし合わせ、可能な限り学び、体感し、それらを広阿攻略にそそぎ込んだ。
結果、彼の部隊は大いに敵兵を破り、功績を揚げ、鄧禹も前戦の敗北を見事に払拭し、名誉を回復することができた。
それもあって鄧禹も気分よく魚を焼き、近くで料理する彼の兵たちも自分たちの若い指揮官を見直していた。
鄧禹陣営は明るい雰囲気に包まれ、いっときの憩いを満喫している。
と、そこに思わぬ客があらわれた。珍客であり賓客でもある。劉秀であった。
「お、仲華、うまそうだな」
服装は平服で、風情は散歩のついでというべきものである。ぶらぶらと自分たちの陣営に入ってきた男が自らの主君だと、兵たちがすぐに気づけなかったのも無理はない。
とはいえ正体を知ればあわてるのも当然で、急ぎ口にしていた食物を吐き出し、立ち上がって挨拶しようとする。が、劉秀は笑ってそれを制し、兵たちに食事を続けるよう告げる。
そして陣営の中、劉秀の腰の軽さに驚かない者もいた。この屯営の若き主将である。
「いかがですか、明公も」
鄧禹は焼き上がった魚を一尾、座ったまま笑顔とともに劉秀へ差し出す。
「そうか、悪いな。では遠慮なくいただこう」
いささか無礼な鄧禹の行為だが、劉秀はまったく気にした風もなく笑顔で受け取ると、立ったまま食べ始める。
「これはうまいな、仲華」
「恐れ入ります」
劉秀は笑顔で鄧禹に言うと彼の軍師も同じ表情で頭を下げる。そして劉秀は魚を手にしたまま兵たちにも声をかけた。
「今日はおぬしらのおかげで劉発に勝てた。本当に感謝する。今は存分に飲んで喰らって休んでくれ。おぬしらの力なくして邯鄲の王郎を破ることもできぬのだからな」
劉秀の、演説とも言えぬねぎらいの言葉は、特に個性あるものではなかったし、兵を無理に鼓舞するためのものでもなかった。
だがこれまで兵たちが見てきた叛乱勢力の首領は野盗上がりの者がほとんどで、粗暴で、略奪を重ね、大声で彼らを威迫し、虐待してきたのだ。そんな田舎首領に比べて劉秀はありえないほどやさしく、かといって繊弱というわけではない。それどころか粗暴な首領にはない自然なおおらかさが感じられ、それでいて気さくだった。
「うちの明公は本物の天人ではないのか」
鄧禹と笑いながら雑談を続ける劉秀を見る兵たちの目には、畏敬と心服の念が浮かびはじめていた。
「良将だな」
李育が柏人から出てこなかったことに、無念と安堵という矛盾する吐息を漏らしながら劉秀はそう評した。
鄧禹も同じ評価である。彼にとって初の敗北であったが、それだけに学ぶことも多かった。
「まだまだ、必ずや明公のお役に立てる人間になってみせるぞ」
自身の矜持とは別に、その決心も新たにする鄧禹だった。
さて鉅鹿へ向かうと決めた劉秀だが、柏人からそのまま直行したわけではなかった。
「とりあえずは兵を休ませ、回復させなければ」
漢軍は李育を急襲で破った後、そのまま柏人包囲に入った。その間、常に戦闘をおこなっていたわけではないし、定期的に休息を取らせてはいた。それでもいつ戦闘が起こるかわからず、兵は常に一定の緊張感を強いられる状況が続いたのだ。心身とも完全に一新し回復させるには、心から安心してぐっすり眠り、たっぷり食べられる場所が必須である。
それに鄧禹たちが敗れていびつになった全軍の編成も、今一度やりなおさなければならない。柏人攻略の滞陣中に応急処置は施したが、落ち着ける場所で一から再構築する必要があるのだ。
「となればどこかの城を取るのが一番だな」
そう考えた劉秀は広阿に目をつけた。さほど大きな城ではないが軍を休ませるには充分である。
また劉秀としては、柏人攻城の失敗は自軍の戦い方がまずかったのか、あるいは他に理由があったのか、それを確認しておきたかった。そうでなければ鉅鹿攻略にも支障が出る。
「広阿を攻めるぞ」
劉秀は全軍へ命令を発した。
結果として、広阿はあっさり落ちた。
もちろん激戦はあったが、それは長いものではなく苦戦と呼べるほどのものでもなかった。
広阿を守るのは王郎の横野将軍・劉発だったが、彼の指揮能力にも問題があったのだろう。李育の守る柏人に比べ「こんなものか」と拍子抜けするほどだったが、とにかく劉秀にとってはありがたい勝利だった。自軍の攻城能力が乏しいわけではないと自信も持てたし、何より柏人を落とせなかった兵の士気を一気に回復させることができたのが大きい。
「これで鉅鹿を攻めることができるぞ」
広阿に入城した兵が、安全な城壁の中それぞれの部隊ごとに駐屯し、ここしばらくの疲労を落とし始めたのを見て、劉秀は安堵した。
「……よし」
兵たちはそれぞれに荷物をおろし食事の準備も始める。そんな穏やかな喧噪の中、劉秀も馬から降り甲冑を脱ぐと、平服のままぶらりとある場所へ向かった。
城内で兵たちはめいめいに竈を作り食事の用意を始める。勝利の余韻もあってそれはにぎやかで、彼らにとって久々の憂いなき楽しい時間であった。
それは鄧禹の屯営も同じである。劉秀軍はまだまだ制度も整っておらず、将である鄧禹も手ずから火をおこし、魚を焼き、己の食事を用意していた。
広阿攻略には鄧禹も充分な働きがあった。
彼は柏人を撤退してから劉秀に新たな兵を与えられていた。
「二度同じ失敗はせぬぞ」
鄧禹は静かな闘志とともに広阿へ激しく攻め込んだ。
といって考えなしにがむしゃらにというわけではない。彼は実質謹慎中だった柏人攻略の最中、味方の攻め方、敵の守り方をつぶさに観察していた。何がよくて何が悪いか。何が有効で何が無効か。
戦場は生き物であり、同じ戦況があらわれるわけもない。それでも鄧禹は自らの知識とも照らし合わせ、可能な限り学び、体感し、それらを広阿攻略にそそぎ込んだ。
結果、彼の部隊は大いに敵兵を破り、功績を揚げ、鄧禹も前戦の敗北を見事に払拭し、名誉を回復することができた。
それもあって鄧禹も気分よく魚を焼き、近くで料理する彼の兵たちも自分たちの若い指揮官を見直していた。
鄧禹陣営は明るい雰囲気に包まれ、いっときの憩いを満喫している。
と、そこに思わぬ客があらわれた。珍客であり賓客でもある。劉秀であった。
「お、仲華、うまそうだな」
服装は平服で、風情は散歩のついでというべきものである。ぶらぶらと自分たちの陣営に入ってきた男が自らの主君だと、兵たちがすぐに気づけなかったのも無理はない。
とはいえ正体を知ればあわてるのも当然で、急ぎ口にしていた食物を吐き出し、立ち上がって挨拶しようとする。が、劉秀は笑ってそれを制し、兵たちに食事を続けるよう告げる。
そして陣営の中、劉秀の腰の軽さに驚かない者もいた。この屯営の若き主将である。
「いかがですか、明公も」
鄧禹は焼き上がった魚を一尾、座ったまま笑顔とともに劉秀へ差し出す。
「そうか、悪いな。では遠慮なくいただこう」
いささか無礼な鄧禹の行為だが、劉秀はまったく気にした風もなく笑顔で受け取ると、立ったまま食べ始める。
「これはうまいな、仲華」
「恐れ入ります」
劉秀は笑顔で鄧禹に言うと彼の軍師も同じ表情で頭を下げる。そして劉秀は魚を手にしたまま兵たちにも声をかけた。
「今日はおぬしらのおかげで劉発に勝てた。本当に感謝する。今は存分に飲んで喰らって休んでくれ。おぬしらの力なくして邯鄲の王郎を破ることもできぬのだからな」
劉秀の、演説とも言えぬねぎらいの言葉は、特に個性あるものではなかったし、兵を無理に鼓舞するためのものでもなかった。
だがこれまで兵たちが見てきた叛乱勢力の首領は野盗上がりの者がほとんどで、粗暴で、略奪を重ね、大声で彼らを威迫し、虐待してきたのだ。そんな田舎首領に比べて劉秀はありえないほどやさしく、かといって繊弱というわけではない。それどころか粗暴な首領にはない自然なおおらかさが感じられ、それでいて気さくだった。
「うちの明公は本物の天人ではないのか」
鄧禹と笑いながら雑談を続ける劉秀を見る兵たちの目には、畏敬と心服の念が浮かびはじめていた。
0
あなたにおすすめの小説
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる