鄧禹

橘誠治

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第二章 長安編

諮問

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 問題は長安侵攻のための別働隊へく戦力があるか。そして別動隊の総大将の人選を誰にするかだった。
 前者は「可」である。幸か不幸か劉秀は銅馬を吸収して戦力を増大させたばかりだった。無尽蔵に割くわけにはいかないが、それでも相応の戦力を別働隊に振り分けることができる。
 だが後者は難問だった。この部隊は完全に劉秀の指揮下から離れ、独自の判断で行動しなければならない。
 長安までの道のりは険しく遠い。それは前述したように地理的なことだけではなく、更始帝の防衛隊や赤眉との戦闘、食糧の調達なども含めてのことである。
 さらに首尾よく長安を占拠できたとしても、今度は統治の困難がつきまとう。
 つまりこの別働隊の総大将には、軍事だけでなく政治に関しても高い能力が求められるのだ。
 そのような特異な力を兼備した男がいるだろうか。
「いるにはいる。が…」
 今現在無数に存在する群雄のほとんどすべては淘汰吸収されてゆくことになるが、吸収する側の陣営は必ずと言っていいほど優秀な人材を重視している。軍事はもちろん政治や経済、学問や芸術に精通した専門家スペシャリストをいかに多数獲得できるか。その重要性をわかっている首領は質量ともに人をかき集めることにやっきになっていたのだ。


 劉秀もその一人であり、争覇戦初期というべきこの段階でも、優秀な人材はかなりそろっていた。
 またこの時代、政治と軍事は完全に峻別しゅんべつされておらず、一人の人間がそれらを兼任することも珍しくない。
 それでも性向や能力により「軍事向き」「政治向き」の個人差はあり、完全に軍事のみ政治のみに特化した者もいた。また政軍どちらの能力も兼備していても、治められる器量が中華全土には及ばず、一県や一邑が限界という者もいる。
 それだけに今回の水準レベルで全軍を統制し、長安のみならず道中で陥落させた地域を統治できる者となれば、いかに劉秀陣営でも数えるほどしかいなかった。
 またどれほど長安掌握が有益でも、これはあくまで突発的好機ボーナスステージでしかない。ゆえにそちらへ人材を割きすぎて、現在着手している北州制圧に失敗すればそれは本末転倒であり、別働隊も根拠地を失って大地に融解してしまう危険もあるのだ。


 熟考を重ねた夜、劉秀は鄧禹を呼んだ。
「仲華、おぬしに長安を掌握してもらいたい。頼めるか」
 劉秀は鄧禹が着座すると、普段と同じ調子で話しかけた。
 今夜は非公式の招聘しょうへいであり、主君の呼び出しというより友人の誘いというべきものだったが、鄧禹としては「やはりか」という気持ちが強かった。彼とて赤眉の関中入りは知っており、それによる長安奪取の可能性と天下に及ぼす影響についても熟知している。
「殿下のご命令とあれば否やはございませぬ。喜んでお引き受けいたします」
 劉秀は更始帝に蕭王しょうおうに封じられて以来、陣営内でも殿下の尊称で呼ばれるようになっている。それゆえそのことについて劉秀は何も言わなかったが、鄧禹の答えには苦笑を漏らした。
「おいおい、そう紋切り型に答えるな。今夜呼んだのはこの件についておぬしと忌憚きたんなく相談したかったからだ。そのこともわかっておろうが」
 二人の前には卓があり、その上には簡単な食事と酒も用意されている。劉秀は酒の器を手に取ると、苦笑を残したまま軽く掲げて一息に飲み干し、鄧禹も静かに主君にならう。
「殿下がそうおっしゃるのであれば、まず長安侵攻の総大将は臣ではなく別の者がよろしいかと存じます」
「たとえば誰だ」
子翼しよく寇恂こうじゅん)どの、公孫こうそん馮異ふうい)どのであれば殿下のご期待に充分応えてくださるかと」
「それは私も考えた。だが無理だ」
 劉秀はきっぱりと答え、鄧禹も沈黙する。実は名を挙げはしたが、鄧禹もこの二人は難しいだろうと考えていたのだ。


 まず寇恂はそれどころではなかった。
 前述したように彼はすでに河内太守の任に就いており、そのための仕事に忙殺されていた。河内経営は劉秀の北州平定にとって最重要の事案であり、そこから彼を外すことは絶対にできない。
 馮異も劉秀陣営では最高峰に位置する将であろう。応変の才があり、どのような戦場、どのような相手でも柔軟に対応し撃破してしまう。人望も厚く、部隊編成の変更をおこなうときなど、兵はこぞって彼の麾下きかに入りたがるほどであった。
 また行政官としても平衡バランスの取れた堅実な経営をおこなう力量があり、むしろこの任は馮異が最適かもしれない。
 だが、いかんせん、それだけに劉秀も彼を手元から離すことができなかった。現在最も重要なことは、北州を完全に劉秀の支配下に置くことで、そのためには馮異ほど優秀な将を簡単に外すわけにはいかなかったのだ。


 実はその意味で、鄧禹は最も「外しやすい」幕僚だった。
 彼は今現在、実働部隊の指揮はおこなっておらず、もっぱら劉秀の相談役、参謀として近くにはべっている。鄧禹が抜けることで知における劉秀の負担は増えるが、それは彼自身が奮励すればなんとか補える。
 そして鄧禹もそのことはわきまえており、懐から持参した木簡を取り出すと、劉秀の前で開いて見せる。
 そこには数人の人名が書かれていた。
「分業制で参りたいと存じます」
 鄧禹が言うことに劉秀は木簡をのぞきこみながらわずかに沈思したが、彼の意図に気づくと顔を上げて笑った。
「なんだ仲華、おぬしすでにここまで考えておったのか。もったいぶりおって」
「恐れ入ります。殿下はこのような芝居がかったこともお好きかと思いましたもので。それに臣は初めに喜んでお引き受けすると申し上げたはずでございますぞ」
 劉秀の物言いに鄧禹はすまして答え、彼の主君はさらに声を挙げて笑った。


 鄧禹は上述のような消去法から長安侵攻の任が自分に回ってくると推察しており、すでに配下の将の人選を終えていたのだ。
 木簡に記されていたのはその将軍たちの名で、劉秀が笑ったのは鄧禹の察しと準備の良さだけでなく、その人選から自身が懸念していたことを鄧禹も感じ取っていたとわかったからである。
  

 鄧禹の最大の弱点は、年齢と、それによる威の不足だった。
 彼は劉秀の軍師としてすでに相応の成果を挙げてはいるが、人は理屈を抜きにその人の年齢や見た目に印象を左右される存在である。
 また鄧禹は実戦指揮においてしばしば敗北を喫しており、そこが負の印象を強める恐れがあった。
 鄧禹の挙げた十名の人材はそれらを補うものだった。



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