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第1話 二人の、男の中の男
⑤大木は天涯孤独の身だった
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翌朝、大木のマンション前で純子ママと落ち合った嶋木は、マンションの管理人に事情を説明して、部屋を見せて欲しい、と依願した、が、管理人を納得させて許可を得るには暫く時間が掛かった。大木の死を証明するものは未だ何も無かったし、入居人のプライバシー保護にも関ることであり、そして、嶋木も純子ママも大木との関係を明示出来るものは何も無かった。結局、管理人も一緒に立ち会うことで、部屋に入ることを許されたのだった。
大木の部屋は三階にあった。管理人の手でドアが開けられた瞬間、嶋木はしばしその場に立ち竦んだ。2LDKの、さして広くは無いスペースではあるが、入り口の下駄箱から奥の洋間まで、寺院のように粉塵一つ無く綺麗に、整頓され、清掃されていた。
ダイニング・キッチンの、裸のままの木製テーブルには、ナプキンが一枚、丁寧に折畳まれ、その脇には椅子が一つ、きちんと置かれていた。冷蔵庫の中には、玉子が三個に、ハムの入った容器が一個、それにバターが二個とスライスされた食パンが二枚。床には沁み一つ無い。
隣のリビングルームには、シルバーグレイのステレオコンポと大型テレビが並び、その向かい側に横長ソファーが一つ置かれていた。ソファーの横の背の高い本棚は上段二段が空いている。何処を見ても、埃も被っていない。
奥の洋間にはベッドと和箪笥一竿、それに黒塗りの机と椅子一脚、壁には乳白色のクロス紙が貼られ、クローゼットが埋め込まれている。ベッドはシーツの四隅がきちんとマットレスの下にたくし込まれてホテル並みにメーキングされていた。窓に面した机には、閉じたノート型パソコンとプリンター、筆記用具立てが整然と並んでいる。机の横の壁には、座右の銘と思われる、達筆の毛筆でしたためられた色紙が飾られていた。
“欺瞞無く偽善無く、驕り無く卑下無く”。
「ねえ、ねえ、あんた達」
胡散臭そうな口調で管理人が二人に言った。
「いったい、この部屋で何を捜そうというんですか?」
「家族か親戚の名前、住所、何でも良いんだ」
嶋木は答えた。
「誰か一人くらい身寄りが居るんじゃないかと思ってね」
「一人暮らしの年寄りってのは、今どきめっぽう増えているからなあ」
嶋木はクローゼットの三枚扉の、観音扉を開けた。スーツ、ネクタイ、コート類が、冬用、夏用、春秋用に別けて整然と吊るされていた。ビジネス用に大木が着用したらしい黒系統と紺系統などの地味な色合いのものが多い。
三枚目の扉を開いて嶋木は「おうー!」と声を上げた。
「これは綺麗だ!」
管理人が言った。
中には女物のドレスが二着、透明なカバーをかけて吊るされていた。
一枚は春の晴れやかな桜色、もう一枚は秋の鮮やかな柿色であった。どちらも生粋のシルクで、いかにも豪奢な手触りがした。
一着ずつ管理人の手に渡す度に、さらさらという音がしたようである。恐らくこれらのドレスを着る筈の女性は小柄であったに違いない。管理人はどきどきした表情でドレスを眺め、飾り気の無いベッドの上に一着ずつ並べて置いた。
純子ママが開いた和箪笥の抽斗には、ハンカチ、靴下、ワイシャツ類と、シャツ、ブリーフ、ズボン下等の下着類が、これも季節毎に分けて、きちんと並べられていた。
最下段の抽斗から、紐でキッチリと括った手紙の束が出て来た。差出人はすべて一人の女性の名前であり、発信地はいずれも北郊の地方都市であった。嶋木は宛名の住所に目を走らせながら封書の束を繰った。宛先住所は大木の異動の跡をそのまま示しているように思われた。札幌、東京、名古屋、大阪、広島、博多。最後の住所はこの都市であった。その他の手紙やハガキ類は机の抽斗にも、部屋の何処にも無かった。残されていたのはこれだけだった。
手掛りを求めてリビングルームの本棚を見てみた。
吉川英治、司馬遼太郎、長谷川伸、山本周五郎、藤沢周平、子母澤寛、笹沢佐保、柴田錬三郎、池波正太郎といった時代小説がぎっしり並んでいる。空いている上二段には、恐らく仕事に関する専門書やビジネス読本が並んでいたのであろうと、嶋木は推量した。ビジネスマンの現役を退いた時、大木が処分したのであろう。
最下段の棚にアルバムが一冊立っていた。ケースから抜き出して捲ったアルバムには、一枚一枚の写真に日付と場所が付記されて、二十代の輝くように若くて自信に満ちた微笑の大木と、瞳の大きな気品ある可憐な女性が並んで写っていた。
どの写真も笑顔と幸福に満ち満ちていた。が、最後の四、五枚は笑顔が消えて憂愁と悲嘆にくれた表情の二人が、淋しそうに並んでいるものであった。日付は昭和〇〇年〇月〇日、場所は熱海「お宮の松の前」、アルバムの写真は其処で終わっており、他には一葉の写真も残っていなかった。
結局、大木の死を知らせるべき家族や親戚の手掛りは何一つ得られず、嶋木は大木の天涯孤独を思いやって胸が塞がれた。
管理人と嶋木と純子ママは、またドレスをクローゼットに終い直し、全てを元通りに戻した。手紙は開封しなかった。管理人が部屋に鍵をかけ、三人はマンションの前で別れた。
自宅マンションに帰った嶋木は長い時間をかけて入浴した。胸のうちの澱んだ思い、又もや大木の領分を侵してしまったという苦々しい思いを、熱い湯で洗い流したかった。
二日後、純子ママと嶋木はクラブ「純」の常連客である吉井、石田、中谷、村田、佐々木達に声を掛け、店の者全員を混じえて、市の斎場で大木をひっそりと葬ってやった。
その翌日、嶋木はあの全ての手紙の差出人である女性に手紙を書いて、大木の死を知らせた。
大木の部屋は三階にあった。管理人の手でドアが開けられた瞬間、嶋木はしばしその場に立ち竦んだ。2LDKの、さして広くは無いスペースではあるが、入り口の下駄箱から奥の洋間まで、寺院のように粉塵一つ無く綺麗に、整頓され、清掃されていた。
ダイニング・キッチンの、裸のままの木製テーブルには、ナプキンが一枚、丁寧に折畳まれ、その脇には椅子が一つ、きちんと置かれていた。冷蔵庫の中には、玉子が三個に、ハムの入った容器が一個、それにバターが二個とスライスされた食パンが二枚。床には沁み一つ無い。
隣のリビングルームには、シルバーグレイのステレオコンポと大型テレビが並び、その向かい側に横長ソファーが一つ置かれていた。ソファーの横の背の高い本棚は上段二段が空いている。何処を見ても、埃も被っていない。
奥の洋間にはベッドと和箪笥一竿、それに黒塗りの机と椅子一脚、壁には乳白色のクロス紙が貼られ、クローゼットが埋め込まれている。ベッドはシーツの四隅がきちんとマットレスの下にたくし込まれてホテル並みにメーキングされていた。窓に面した机には、閉じたノート型パソコンとプリンター、筆記用具立てが整然と並んでいる。机の横の壁には、座右の銘と思われる、達筆の毛筆でしたためられた色紙が飾られていた。
“欺瞞無く偽善無く、驕り無く卑下無く”。
「ねえ、ねえ、あんた達」
胡散臭そうな口調で管理人が二人に言った。
「いったい、この部屋で何を捜そうというんですか?」
「家族か親戚の名前、住所、何でも良いんだ」
嶋木は答えた。
「誰か一人くらい身寄りが居るんじゃないかと思ってね」
「一人暮らしの年寄りってのは、今どきめっぽう増えているからなあ」
嶋木はクローゼットの三枚扉の、観音扉を開けた。スーツ、ネクタイ、コート類が、冬用、夏用、春秋用に別けて整然と吊るされていた。ビジネス用に大木が着用したらしい黒系統と紺系統などの地味な色合いのものが多い。
三枚目の扉を開いて嶋木は「おうー!」と声を上げた。
「これは綺麗だ!」
管理人が言った。
中には女物のドレスが二着、透明なカバーをかけて吊るされていた。
一枚は春の晴れやかな桜色、もう一枚は秋の鮮やかな柿色であった。どちらも生粋のシルクで、いかにも豪奢な手触りがした。
一着ずつ管理人の手に渡す度に、さらさらという音がしたようである。恐らくこれらのドレスを着る筈の女性は小柄であったに違いない。管理人はどきどきした表情でドレスを眺め、飾り気の無いベッドの上に一着ずつ並べて置いた。
純子ママが開いた和箪笥の抽斗には、ハンカチ、靴下、ワイシャツ類と、シャツ、ブリーフ、ズボン下等の下着類が、これも季節毎に分けて、きちんと並べられていた。
最下段の抽斗から、紐でキッチリと括った手紙の束が出て来た。差出人はすべて一人の女性の名前であり、発信地はいずれも北郊の地方都市であった。嶋木は宛名の住所に目を走らせながら封書の束を繰った。宛先住所は大木の異動の跡をそのまま示しているように思われた。札幌、東京、名古屋、大阪、広島、博多。最後の住所はこの都市であった。その他の手紙やハガキ類は机の抽斗にも、部屋の何処にも無かった。残されていたのはこれだけだった。
手掛りを求めてリビングルームの本棚を見てみた。
吉川英治、司馬遼太郎、長谷川伸、山本周五郎、藤沢周平、子母澤寛、笹沢佐保、柴田錬三郎、池波正太郎といった時代小説がぎっしり並んでいる。空いている上二段には、恐らく仕事に関する専門書やビジネス読本が並んでいたのであろうと、嶋木は推量した。ビジネスマンの現役を退いた時、大木が処分したのであろう。
最下段の棚にアルバムが一冊立っていた。ケースから抜き出して捲ったアルバムには、一枚一枚の写真に日付と場所が付記されて、二十代の輝くように若くて自信に満ちた微笑の大木と、瞳の大きな気品ある可憐な女性が並んで写っていた。
どの写真も笑顔と幸福に満ち満ちていた。が、最後の四、五枚は笑顔が消えて憂愁と悲嘆にくれた表情の二人が、淋しそうに並んでいるものであった。日付は昭和〇〇年〇月〇日、場所は熱海「お宮の松の前」、アルバムの写真は其処で終わっており、他には一葉の写真も残っていなかった。
結局、大木の死を知らせるべき家族や親戚の手掛りは何一つ得られず、嶋木は大木の天涯孤独を思いやって胸が塞がれた。
管理人と嶋木と純子ママは、またドレスをクローゼットに終い直し、全てを元通りに戻した。手紙は開封しなかった。管理人が部屋に鍵をかけ、三人はマンションの前で別れた。
自宅マンションに帰った嶋木は長い時間をかけて入浴した。胸のうちの澱んだ思い、又もや大木の領分を侵してしまったという苦々しい思いを、熱い湯で洗い流したかった。
二日後、純子ママと嶋木はクラブ「純」の常連客である吉井、石田、中谷、村田、佐々木達に声を掛け、店の者全員を混じえて、市の斎場で大木をひっそりと葬ってやった。
その翌日、嶋木はあの全ての手紙の差出人である女性に手紙を書いて、大木の死を知らせた。
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