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第四話 喝采の陰影
②歌手の卵、若原美樹
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若原美樹の本名は若本純子と言った。
純子は高校一年生の夏休みに、最寄りの私鉄駅東側にある食品スーパー「鶴亀屋」にアルバイトで入った。買い物に行った純子が店頭の「アルバイト急募」の貼り紙を見て直ぐに応募したのだった。
純子は履歴書を持って恐る恐るレジの女性に声を掛けた。
「あのぉ・・・アルバイトの広告を見てお邪魔したんですけど・・・」
時間は午後二時過ぎで、店内の客は疎らだった。
「ああ、バイトの・・・」
女性は店内を見渡して、丁度、近くで品出しをしていた若い男性を呼んだ。
「村山君、この人、アルバイトの応募だって。店長に引き合わせてあげてくれる」
「ああ、解った」
村山と呼ばれた男性は直ぐに純子を店の奥にある事務室へ案内した。観音扉を開けた奥には右側に商品を収納する定温倉庫と事務室が並んで在った。
この店は店長の父親である鶴田亀吉が開いたもので、今の店長は二代目であった。
店長は机の前に手近かの椅子を引き寄せて純子を座らせ、簡単な面接テストを行った後、時給額・勤務シフト・仕事内容などを説明した。仕事はレジ係、時給は〇〇〇円、シフトは三時間毎の四交代制ということであった。
純子は目鼻立ちのはっきりした色白の端整な面長、中肉中背のすらりとした容姿だったので、とても高校一年生には見えなかった。高一と聞いて店長は少し驚いた様子だったが、その場で直ぐに採用が決定された。純子にとっては初めてのアルバイトだった。
純子の父親は腕の良い大工職人だったが、常用を嫌って請負型の一人親方だったので仕事が途切れることも間々有ったし、雨の降る日には外の仕事が出来なかったりして、収入は極めて不安定だった。加えて、母親は身体が弱くてしょっちゅう医者通いをしていたので、家事の負担は否応無しに純子にもそれなりに掛っていた。純子が通う府立高校は名の通った進学校だったので、級友たちは皆、大学や専門学校などの上級学校へ進むのを先の路としていた。たが、純子の頭には進学と言う選択肢は無かった。家計は苦しかったし三歳下の弟のことも考えなければならなかった。それに何よりも純子は勉強自体がそれほど好きではなかった。が、だからと言って、純子が暗くいじけたり拗ねたりすることはなく、彼女は毎日、級友たちと屈託の無い愉しい学園生活を送っていたのも事実であった。
「初めまして、若本純子です。宜しくお願い致します」
アルバイトの初日、店長の横で純子は丁寧に頭を下げた。
「若本さんは高校一年生。夏休み期間のアルバイトです。皆さん、宜しく面倒を見てあげて下さい、頼みます」
「は~い」
パートのおばさん達が幼稚園児みたいに声を揃えて返事をした。見たところ、おばさん達は四十歳台、純子の母親と同じ年代だが、全く違う人種の感じがした。母親よりも遥かに若々しくてパワーが有りそうだった。
「野々村さん、若本さんに仕事の内容を教えてあげて下さい。では皆さん、今日も一日張り切って参りましょう」
店長の解散宣言でそれぞれ持ち場へ散った。
純子は野々村さんと呼ばれた、一番古株だろうと思われる人の後に続いた。
野々村さんが後れ毛を三角巾に押し込みながら振り返って言った。
「名前、純子ちゃんと言ったよね、言い難かったら純ちゃんで良い?」
「はい、結構です」
純子は高校生らしい爽やかなスマイルを浮かべた。十六歳で初めてお金の為に働くのだ、と思った。
開店の十時、純子はこれから午後一時までの三時間、レジに立ち続けなければならない。
開店と同時に客がワッと入って来た。チラシ広告に載った数量限定の安売り商品をゲットする客である。
忽ち、店内は人でごった返し、次いで、レジにも行列が出来始めた。五列在るレジが直ぐに一杯になった。
先ず会員カードを受け取って機械に通す。次に商品のバーコードを一つ一つ感知器にかざして読み取らせ、品物を横に置いた空のカートに移し替える。重い物、大きい物、硬い物は下に置き、軽くて小さくて壊れやすい物は上に置く。商品が潰れないように割れないように、破損しないように、細心の注意を払って、迅速にてきぱきと処理しなければならない。それから、会計である。レジスターの小さな画面に出ている金額を確認しながら代金を受け取って釣銭を返す。一円の単位まで小銭を扱うのは思いの外、神経を使った。これら一連の作業は見た目ほど簡単ではなかった。純子は気が急いてなかなか思うように進まなかった。手付きがモタモタする、慌てて間違える、血が上って来て身体が火照り顔が紅潮する、左右のレジは次々と客を捌いて行くのに純子の居るレジだけがなかなか進まない。客の苛立つ声が聞こえて来た。
「遅いわね、何モタモタしているのかしら、あの子」
「新米なんじゃない、きっと」
「何もこんな朝の立て込む時間に、見習生を立たせることも無いでしょうに、ねえ」
純子は益々気だけが急いて焦りが倍増する。
退勤時刻の午後一時前になって漸く客足が疎らになった。店内は冷房が程良く効いて涼しかったが、純子一人だけは汗だくだった。それに三時間の立ちっ放しは脚に来た。殆ど動くことが無かったので太腿から足先までがぱんぱんに浮腫んで腫れた。キャッシャーを閉めて精算をし、奥の事務室に引き揚げるのに歩くのが大儀だった。
観音扉を押して入った倉庫の前で野々村さんが純子を労った。
「お疲れさん、大変だったでしょう、よく頑張ったわね」
「はあ。ご迷惑をお掛けしました、済みませんでした」
「何言っているのよ、最初は皆、あんなもんよ。三日もすれば慣れるから楽になるわよ。明日また頑張りましょう、ね」
純子は涙を溢しそうになって、慌てて俯いた。
「開店から午前中が、一番お客さんが立て込むのよ。でも、その時間にちゃんと覚えれば後の時間帯は容易いから、店長がそういう方法で今までずうっとやって来たの。解るでしょう」
野々村さんは純子の背中を押して事務室のドアを開けた。純子は、明日また頑張ろう、と思った。
純子は高校一年生の夏休みに、最寄りの私鉄駅東側にある食品スーパー「鶴亀屋」にアルバイトで入った。買い物に行った純子が店頭の「アルバイト急募」の貼り紙を見て直ぐに応募したのだった。
純子は履歴書を持って恐る恐るレジの女性に声を掛けた。
「あのぉ・・・アルバイトの広告を見てお邪魔したんですけど・・・」
時間は午後二時過ぎで、店内の客は疎らだった。
「ああ、バイトの・・・」
女性は店内を見渡して、丁度、近くで品出しをしていた若い男性を呼んだ。
「村山君、この人、アルバイトの応募だって。店長に引き合わせてあげてくれる」
「ああ、解った」
村山と呼ばれた男性は直ぐに純子を店の奥にある事務室へ案内した。観音扉を開けた奥には右側に商品を収納する定温倉庫と事務室が並んで在った。
この店は店長の父親である鶴田亀吉が開いたもので、今の店長は二代目であった。
店長は机の前に手近かの椅子を引き寄せて純子を座らせ、簡単な面接テストを行った後、時給額・勤務シフト・仕事内容などを説明した。仕事はレジ係、時給は〇〇〇円、シフトは三時間毎の四交代制ということであった。
純子は目鼻立ちのはっきりした色白の端整な面長、中肉中背のすらりとした容姿だったので、とても高校一年生には見えなかった。高一と聞いて店長は少し驚いた様子だったが、その場で直ぐに採用が決定された。純子にとっては初めてのアルバイトだった。
純子の父親は腕の良い大工職人だったが、常用を嫌って請負型の一人親方だったので仕事が途切れることも間々有ったし、雨の降る日には外の仕事が出来なかったりして、収入は極めて不安定だった。加えて、母親は身体が弱くてしょっちゅう医者通いをしていたので、家事の負担は否応無しに純子にもそれなりに掛っていた。純子が通う府立高校は名の通った進学校だったので、級友たちは皆、大学や専門学校などの上級学校へ進むのを先の路としていた。たが、純子の頭には進学と言う選択肢は無かった。家計は苦しかったし三歳下の弟のことも考えなければならなかった。それに何よりも純子は勉強自体がそれほど好きではなかった。が、だからと言って、純子が暗くいじけたり拗ねたりすることはなく、彼女は毎日、級友たちと屈託の無い愉しい学園生活を送っていたのも事実であった。
「初めまして、若本純子です。宜しくお願い致します」
アルバイトの初日、店長の横で純子は丁寧に頭を下げた。
「若本さんは高校一年生。夏休み期間のアルバイトです。皆さん、宜しく面倒を見てあげて下さい、頼みます」
「は~い」
パートのおばさん達が幼稚園児みたいに声を揃えて返事をした。見たところ、おばさん達は四十歳台、純子の母親と同じ年代だが、全く違う人種の感じがした。母親よりも遥かに若々しくてパワーが有りそうだった。
「野々村さん、若本さんに仕事の内容を教えてあげて下さい。では皆さん、今日も一日張り切って参りましょう」
店長の解散宣言でそれぞれ持ち場へ散った。
純子は野々村さんと呼ばれた、一番古株だろうと思われる人の後に続いた。
野々村さんが後れ毛を三角巾に押し込みながら振り返って言った。
「名前、純子ちゃんと言ったよね、言い難かったら純ちゃんで良い?」
「はい、結構です」
純子は高校生らしい爽やかなスマイルを浮かべた。十六歳で初めてお金の為に働くのだ、と思った。
開店の十時、純子はこれから午後一時までの三時間、レジに立ち続けなければならない。
開店と同時に客がワッと入って来た。チラシ広告に載った数量限定の安売り商品をゲットする客である。
忽ち、店内は人でごった返し、次いで、レジにも行列が出来始めた。五列在るレジが直ぐに一杯になった。
先ず会員カードを受け取って機械に通す。次に商品のバーコードを一つ一つ感知器にかざして読み取らせ、品物を横に置いた空のカートに移し替える。重い物、大きい物、硬い物は下に置き、軽くて小さくて壊れやすい物は上に置く。商品が潰れないように割れないように、破損しないように、細心の注意を払って、迅速にてきぱきと処理しなければならない。それから、会計である。レジスターの小さな画面に出ている金額を確認しながら代金を受け取って釣銭を返す。一円の単位まで小銭を扱うのは思いの外、神経を使った。これら一連の作業は見た目ほど簡単ではなかった。純子は気が急いてなかなか思うように進まなかった。手付きがモタモタする、慌てて間違える、血が上って来て身体が火照り顔が紅潮する、左右のレジは次々と客を捌いて行くのに純子の居るレジだけがなかなか進まない。客の苛立つ声が聞こえて来た。
「遅いわね、何モタモタしているのかしら、あの子」
「新米なんじゃない、きっと」
「何もこんな朝の立て込む時間に、見習生を立たせることも無いでしょうに、ねえ」
純子は益々気だけが急いて焦りが倍増する。
退勤時刻の午後一時前になって漸く客足が疎らになった。店内は冷房が程良く効いて涼しかったが、純子一人だけは汗だくだった。それに三時間の立ちっ放しは脚に来た。殆ど動くことが無かったので太腿から足先までがぱんぱんに浮腫んで腫れた。キャッシャーを閉めて精算をし、奥の事務室に引き揚げるのに歩くのが大儀だった。
観音扉を押して入った倉庫の前で野々村さんが純子を労った。
「お疲れさん、大変だったでしょう、よく頑張ったわね」
「はあ。ご迷惑をお掛けしました、済みませんでした」
「何言っているのよ、最初は皆、あんなもんよ。三日もすれば慣れるから楽になるわよ。明日また頑張りましょう、ね」
純子は涙を溢しそうになって、慌てて俯いた。
「開店から午前中が、一番お客さんが立て込むのよ。でも、その時間にちゃんと覚えれば後の時間帯は容易いから、店長がそういう方法で今までずうっとやって来たの。解るでしょう」
野々村さんは純子の背中を押して事務室のドアを開けた。純子は、明日また頑張ろう、と思った。
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