大人への門

相良武有

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第七話 陽炎揺れて

③「元女性銀行員、一億二千万円を横領」の手配掲示板

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 中村洋子が「橋観荘」で働き始めてから半月が経過した。
裕次は駅前商店街の本通りに在る仕入先の「魚政」へ魚を診にやって来た。車をロータリー横の駐車場に預け、通りを歩いて渡ろうとしたが、生憎、信号が赤に変わったので、止む無く、十字路で立ち止まった。
照りつける太陽を見上げて顰めた裕次の顔に、おやっ、という訝りの表情が浮かんだ。彼の視線の先には駅前交番の掲示板があったが、其処に真新しい全国指名手配書とその写真が貼られていた。信号が青に変わると直ぐに、裕次は横断歩道を渡って掲示板に近づき、写真に見入った。その写真の一枚があの中村洋子によく似ている。髪が短くて子供っぽく見えたが、裕次は眼を据えて覗き込むように凝視した。
洋子によく似た写真の横に、元メガバンク行員、今年一月に一億二千万円を横領、年齢二十三歳、本名×××××、他に偽名が二つ・・・裕次はじぃ~っと暫く見入った。
凝視していた裕次の真剣な表情が急に歪み出して今にも泣き出しそうな顔になり、その深刻な表情のまま彼はゆっくりと歩き出した。
 旅館へ帰り着いた裕次は勝手口から調理場へ入り、冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出して水を二口、三口飲んだ。
不意に、背後から、お帰りなさい、の声が聞こえて、裕次はハッとして振り返った。洋子が眼元に微笑を浮かべて立っていた。裕次は黙って見返し、眼を逸らして事務室の方へ出て行こうとした。出がけに、丁度入って来た豊子とぶつかりそうになったが、そのまま黙って出て行った。洋子が訝し気に裕次を見送った。
事務室の支配人席に腰掛けた裕次は暫くぼんやりと考え込んでいたが、深く椅子に座り直すと恐ろしく真剣な顔で天井を凝視した。眼がぎらぎらと光っていた。
 夜になって裕次は洋子を旅館の裏に在る材木置場の空地へ呼び出し、真剣な表情で黙って彼女を見詰めた。洋子は訝しく見返したが、その表情は裕次が口を開くのを待っている態だった。
「実はね・・・」
その一言で何かを察したのか、洋子の肩がぴくっと動いて、月の光を受けたその顔が蒼く透明に見えた。
「俺が何を言いたいのか判ったみたいだね」
洋子の瞳の奥がきつく光った。
「なあ、俺の言うことを怒らんと聞いて欲しいんだが・・・」
洋子は眼を逸らさずに裕次をじっと見つめた。
「君によく似た写真を交番の前で見たんだ、今日の午後に・・・」
洋子の眼がぎらぎらと揺らめいた。
「見れば見るほど君によく似ていた。俺は初め、間違いだろうと思ったが、どうしても気に懸って、もう一度よく見直してみた。そして、君が初めてうちの旅館にやって来た時のことなどを考え合わせると、やっぱり君だろう、という思いに至った」
洋子は眼を逸らして彼方の沖を眺めたが、何も言おうとしなかった。暫く、無言の沈黙の刻が流れた。
「間違いじゃなくて真実に君だったら、もうこの街もこの旅館も危険だから、早いとこ出て行った方が良いと思うが・・・」
洋子は考えることにも疲れ果てたようにぼんやりと空を見上げた。
「俺、君をもっと人目の少ない田舎の方へ連れて行ってやろうと思っている」
洋子は問いかけるように裕次を見た。
「奥伊根って言うてな、舟屋の在るところなんだが、其処に信頼出来る人がやっている民宿が在る。一先ず其処へ行って、もう少し心も身体も癒して、それから、先のことを考えれば良い、そう思うんだがどうだろうな?」
洋子は眼を逸らし、口を堅く結んだまま、何も答えようとしなかった。
「俺のことは単純に信じれば良いんだよ。君のことは断じて誰にも言わないし、俺に用心する必要もない。言いたかったのは、要するに、それだけだ」
洋子は沖を見詰めて佇んでいるだけである。
「あっ、船・・・」
「船?」
そう言って洋子の顔に視線を向けた裕次はハッと胸を突かれた。
沖を見詰めている洋子の頬に一筋の涙が流れている。裕次は観てはいけないものを見たかのように眼を逸らした。と、突然、洋子子が裕次の手を握りしめた。
「ありがとう・・・有難う、裕次さん」
そう口走ると、いきなり裕次の胸に顔を押し付け、苦し気に頬を擦り付けて左右に振った。
裕次はまごつきながらも足を踏ん張って洋子の身体を支えた。洋子は何時までも顔を上げなかった。茫然と突っ立った裕次が恐る恐る洋子の背中へ掌を回した。洋子は泣いているのか、か細い肩が震えている。裕次は背中へ回した手に力を込めて強く抱きしめた。一つになった影はいつまでも動かなかった。
 暫くして影が二つになった時、裕次が言った。
「あの浜へ行って泳ごうか?」
「でも、水着が無いわ」
「良いじゃないか、そんな物・・・」
「それもそうね」
手を取り合って渚へ走った二人は、浜辺で身に纏っているものを全て脱ぎ捨てて海へ入った。蒼い月の下で、二人は白い歯を覗かせて泳いだり潜ったり競争したり・・・月の光に波が銀色に騒いだ。二人だけの世界・・・
やがてへとへとになって、生まれたままの姿で海から上がった二人は、どちらからともなく抱き合った。洋子が裕次にしがみついて、言った。
「抱いて!抱いて下さい、思い切り!」
身体に押し付けられた涙の滲んだ泣き出しそうな上気した顔を裕次は両手で挟んで、洋子に覆い被さって行った。
「あなたのような人に逢ったのは初めてよ・・・あなた・・・」
洋子は裕次の胸に頬をすり寄せながら、肩を小刻みに振るわせて哭いていた。
裕次は洋子の長い髪を撫で、それから狂ったように、首と言わず、肩と言わず、乳房と言わず、唇を押し付けた。
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