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第十話 永遠の愛
⑥それからの数カ月間、二人は何処へ行っても下条忠を見かけた
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それからの数カ月間、二人は何処へ行っても忠を見かけた。
美恵と興治が京都国立美術館へ出向くと、其処で特別展のフランス絵画をじっと見ている忠に会ったし、日曜日の午後にフレンチ・レストランでランチを食べて四条通りに出た時には、南座の前に立っている忠を見た。また或る時は、手袋を買いに入った大丸百貨店に忠の姿があったし、夏の避暑に連れ立って北海道へ出かけ一週間後に帰って来たら、大阪空港のロビーにはやっぱり忠が待って居た。
美恵は忠から逃れるために姉の智恵に電話をして東京へ出向いた。無論、興治も一緒に同行した。だが、その逃避行は初端から最悪の状況を呈した。
新幹線を降りた東京駅のホームに、二、三歩先を歩いている忠の姿が在った。後はもう美恵には言葉にならないほど悲惨な状態となった。
東京駅から皇居や丸の内エリアを探索し、浅草とお台場で東京の新旧を満喫して居ると直ぐ近くに忠が立っていた。
日本橋で隅田川を巡るクルージングに興じ、東京スカイツリータウンで水族館やショッピングを楽しんだ後、アートとコーヒーの街、清澄白河を散策して居たら、その何処の行き先にも忠が姿を現した。
上野で、浅草同様に粋で伝統的な下町文化を体感し、谷根千で昔ながらの東京の風情を楽しんでいると、またまた忠が現れた。上野公園周辺は明治時代以降の近代建築の宝庫だったが、美恵は何一つとして愉しめなかった。
又、映画「男はつらいよ」の主人公、寅さんの舞台を訪ね、葛飾柴又の下町人情溢れる門前町の賑やかな参道を抜けて帝釈天題経寺へお参りすると、先に忠が詣でている姿が在った。更に、江戸川から矢切の渡しへ出て山本亭の庭園を抜けた後、寅さん記念館まで行くと、其処にも忠が先回りしていた。
東京には自然もたっぷり在った。
JR青梅線の「御嶽駅」で降りると、東京とは思えない山と渓谷が織りなす大自然の風景が眼に飛び込んで来たし、駅の直ぐ傍に多摩川が流れ、御嶽渓谷と呼ばれる美しい渓谷が拡がっていた。整備された遊歩道からは遠くに望む御岳山や季節の花々が眺望出来たし、多摩川で釣りやラフティングを楽しむ人や川岸でスケッチや写真撮影に興じる人などの姿も見られた。そのスケッチする人に混じって忠の姿があった。
遊歩道沿いにはギャラリーやカフェが有り、美恵と興治が川のせせらぎを聞きながら昼食を摂っていると、少し離れたテーブルに忠が座っていた。
「もう我慢出来ないわ!」
美恵は忠の席の前に立って、怒鳴るように叫んだ。
「あなた、いい加減にしてよ!私に何か恨みでもあるの?私を憎んでいるの?ストーカー行為で警察に訴えてやるわ!」
周りの客が美恵のただならぬ剣幕にあきれ返った表情で彼女を眺めた。
忠は何も言わずに、ただ哀しげな眼で美恵を見つめるだけだった。
京都へ帰った美恵は心を逆立てた。
「あいつ、ぶっ殺してやる!」
堪りかねて堪忍の緒を切らした美恵は、遂に忠に絶交状を送りつけ、激しい文言で自分のことはもう忘れてくれと宣告した、が、それには忠からの返事は無かった。電話をして直接に抗議をしようとしたが、忠は電話にも出なかった。
ある夜、興治と美恵が河原町の丸善書店で会計学の参考書を探していると、またもや二人を盗み見ている忠に出逢った。
直後に美恵が言った。
「もう警察に訴えるしか無いわね!」
「然しなぁ、奴は実際には何ひとつ俺たちに危害を加えている訳じゃないからな」
「危害は十分に加えているわ!私たちの人生を滅茶苦茶に壊そうとして居るじゃないの!」
「うん。だが、それは犯罪って訳じゃないもんな」
興治はそう言って美恵の肩を優しく抱き寄せた。
美恵はその時、もはや忠の行為を抑制するものは何も無い、と思って、手放しで泣き出した。
「こんな気持じゃ博士課程を目指す為の論文なんて書けっこ無いわ!わたし、もう、気が狂いそうだわ!」
泣きじゃくる美恵を抱きながら、興治は、何か手を打たなければ、と思って考えを巡らせた。
彼は直ぐに、今は法律事務所で弁護士見習いをしている級友に相談した。
「あいつをストーカー行為で訴えたらどうなるだろうか?」
「そうだな、本人を呼んで注意くらいはしてくれるかも知れないが、その先は何とも言えんな」
「何処ぞに彼を痛めつけてくれる奴は居ないかな?弁護士ならチンピラの一人や二人は知っているだろう?」
「何の理由でそいつを痛い目に遭わせたいんだ?」
級友が訊き返した。
興治がざっと事情を説明すると、彼は首を横に振って言った。
「それは止めておいた方が良いね。相手の男は警察に訴えるよ。サツは誰に当りをつけると思う?女さ、そいつの女だよ。その次にその女の男に見当をつける。つまりは紛れも無くお前が容疑者になると言うことだ。ワリに合わないよ」
「じゃあ、どうしたら良いんだ?」
「女と別れるんだな。さもなければ、その女と結婚することだ。そうすれば、その男もやっと解るってもんだろう、な?」
興治は美恵と別れることなど毛頭考えられなかったので、彼女と結婚することを選んだ。
ところが、美恵が猛烈に抵抗を示した。
「駄目よ。未だ若過ぎるわ!私は未だ二十三歳の学生なのよ。一人前の大人じゃないわ。先ず大学院を卒業することが第一よ。それから、博士号を取りたいし、会計士の試験にも受からなければ・・・それに下条の方はどうするのよ、彼はこれからもずう~っと私たちを着け回すわ、きっと」
興治は強く主張した。
「二人の結婚こそが下条に対する最後通牒になるんだよ。俺たちの結婚で、奴も君との関係が完全に終わったことを漸く理解するさ」
だが、美恵は頑なに、うん、とは言わなかった。
二人のやり取りは数週間に亘って繰り返された。
漸く、秋の中半になって美恵が妥協した。
「解ったわ。直ぐに結婚するのは無理だけど、婚約だけはしましょう」
そして、パソコンで二人が婚約したことを示す書状を作成して忠に送った。半月が経っても彼からは何の反応も無かった。
「立ち込めていた黒い雲が漸く取り除かれる感じがするな」
興治が言うと、美恵も明るく笑いながら言った。
「何かお祝いをしなくっちゃあね」
美恵と興治が京都国立美術館へ出向くと、其処で特別展のフランス絵画をじっと見ている忠に会ったし、日曜日の午後にフレンチ・レストランでランチを食べて四条通りに出た時には、南座の前に立っている忠を見た。また或る時は、手袋を買いに入った大丸百貨店に忠の姿があったし、夏の避暑に連れ立って北海道へ出かけ一週間後に帰って来たら、大阪空港のロビーにはやっぱり忠が待って居た。
美恵は忠から逃れるために姉の智恵に電話をして東京へ出向いた。無論、興治も一緒に同行した。だが、その逃避行は初端から最悪の状況を呈した。
新幹線を降りた東京駅のホームに、二、三歩先を歩いている忠の姿が在った。後はもう美恵には言葉にならないほど悲惨な状態となった。
東京駅から皇居や丸の内エリアを探索し、浅草とお台場で東京の新旧を満喫して居ると直ぐ近くに忠が立っていた。
日本橋で隅田川を巡るクルージングに興じ、東京スカイツリータウンで水族館やショッピングを楽しんだ後、アートとコーヒーの街、清澄白河を散策して居たら、その何処の行き先にも忠が姿を現した。
上野で、浅草同様に粋で伝統的な下町文化を体感し、谷根千で昔ながらの東京の風情を楽しんでいると、またまた忠が現れた。上野公園周辺は明治時代以降の近代建築の宝庫だったが、美恵は何一つとして愉しめなかった。
又、映画「男はつらいよ」の主人公、寅さんの舞台を訪ね、葛飾柴又の下町人情溢れる門前町の賑やかな参道を抜けて帝釈天題経寺へお参りすると、先に忠が詣でている姿が在った。更に、江戸川から矢切の渡しへ出て山本亭の庭園を抜けた後、寅さん記念館まで行くと、其処にも忠が先回りしていた。
東京には自然もたっぷり在った。
JR青梅線の「御嶽駅」で降りると、東京とは思えない山と渓谷が織りなす大自然の風景が眼に飛び込んで来たし、駅の直ぐ傍に多摩川が流れ、御嶽渓谷と呼ばれる美しい渓谷が拡がっていた。整備された遊歩道からは遠くに望む御岳山や季節の花々が眺望出来たし、多摩川で釣りやラフティングを楽しむ人や川岸でスケッチや写真撮影に興じる人などの姿も見られた。そのスケッチする人に混じって忠の姿があった。
遊歩道沿いにはギャラリーやカフェが有り、美恵と興治が川のせせらぎを聞きながら昼食を摂っていると、少し離れたテーブルに忠が座っていた。
「もう我慢出来ないわ!」
美恵は忠の席の前に立って、怒鳴るように叫んだ。
「あなた、いい加減にしてよ!私に何か恨みでもあるの?私を憎んでいるの?ストーカー行為で警察に訴えてやるわ!」
周りの客が美恵のただならぬ剣幕にあきれ返った表情で彼女を眺めた。
忠は何も言わずに、ただ哀しげな眼で美恵を見つめるだけだった。
京都へ帰った美恵は心を逆立てた。
「あいつ、ぶっ殺してやる!」
堪りかねて堪忍の緒を切らした美恵は、遂に忠に絶交状を送りつけ、激しい文言で自分のことはもう忘れてくれと宣告した、が、それには忠からの返事は無かった。電話をして直接に抗議をしようとしたが、忠は電話にも出なかった。
ある夜、興治と美恵が河原町の丸善書店で会計学の参考書を探していると、またもや二人を盗み見ている忠に出逢った。
直後に美恵が言った。
「もう警察に訴えるしか無いわね!」
「然しなぁ、奴は実際には何ひとつ俺たちに危害を加えている訳じゃないからな」
「危害は十分に加えているわ!私たちの人生を滅茶苦茶に壊そうとして居るじゃないの!」
「うん。だが、それは犯罪って訳じゃないもんな」
興治はそう言って美恵の肩を優しく抱き寄せた。
美恵はその時、もはや忠の行為を抑制するものは何も無い、と思って、手放しで泣き出した。
「こんな気持じゃ博士課程を目指す為の論文なんて書けっこ無いわ!わたし、もう、気が狂いそうだわ!」
泣きじゃくる美恵を抱きながら、興治は、何か手を打たなければ、と思って考えを巡らせた。
彼は直ぐに、今は法律事務所で弁護士見習いをしている級友に相談した。
「あいつをストーカー行為で訴えたらどうなるだろうか?」
「そうだな、本人を呼んで注意くらいはしてくれるかも知れないが、その先は何とも言えんな」
「何処ぞに彼を痛めつけてくれる奴は居ないかな?弁護士ならチンピラの一人や二人は知っているだろう?」
「何の理由でそいつを痛い目に遭わせたいんだ?」
級友が訊き返した。
興治がざっと事情を説明すると、彼は首を横に振って言った。
「それは止めておいた方が良いね。相手の男は警察に訴えるよ。サツは誰に当りをつけると思う?女さ、そいつの女だよ。その次にその女の男に見当をつける。つまりは紛れも無くお前が容疑者になると言うことだ。ワリに合わないよ」
「じゃあ、どうしたら良いんだ?」
「女と別れるんだな。さもなければ、その女と結婚することだ。そうすれば、その男もやっと解るってもんだろう、な?」
興治は美恵と別れることなど毛頭考えられなかったので、彼女と結婚することを選んだ。
ところが、美恵が猛烈に抵抗を示した。
「駄目よ。未だ若過ぎるわ!私は未だ二十三歳の学生なのよ。一人前の大人じゃないわ。先ず大学院を卒業することが第一よ。それから、博士号を取りたいし、会計士の試験にも受からなければ・・・それに下条の方はどうするのよ、彼はこれからもずう~っと私たちを着け回すわ、きっと」
興治は強く主張した。
「二人の結婚こそが下条に対する最後通牒になるんだよ。俺たちの結婚で、奴も君との関係が完全に終わったことを漸く理解するさ」
だが、美恵は頑なに、うん、とは言わなかった。
二人のやり取りは数週間に亘って繰り返された。
漸く、秋の中半になって美恵が妥協した。
「解ったわ。直ぐに結婚するのは無理だけど、婚約だけはしましょう」
そして、パソコンで二人が婚約したことを示す書状を作成して忠に送った。半月が経っても彼からは何の反応も無かった。
「立ち込めていた黒い雲が漸く取り除かれる感じがするな」
興治が言うと、美恵も明るく笑いながら言った。
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