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さようなら、兄様
しおりを挟む「信じられない! そこまで冷たい奴だったとはな!」
「デイヴィッドの言う通り、ほんっとインケン女だね! 最低!」
なんてこと。昨日の今日でまた殿方に突き飛ばされるなんて。
しかも相手は兄様とビクター王太子殿下のご友人である二人の男性に。
大柄で短い茶髪の方は、近衛隊長の息子アーチー・デメテル伯爵息。
小柄で桃色の癖っ毛の少年のような方は、歴代最年少で宮廷魔術師となったニゲラ・ユーフォニアム公爵息。
突き飛ばしたのがニゲラ様で助かったわ。アーチー様の方だったらきっと骨が折れているもの。
彼らがこのような行動に出たのは、私が彼らの頼みを断ったから。
その頼みと言うのは「ビクター殿下の婚約者、サブリナ嬢が聖女ミミに嫌がらせしたところを見たと嘘をつけ」というもの。
つまりは偽の証言をしろ。それを世間に広めろといったのだ。
偽証が罪になるという事を、この国の王族を守る一族の息子が、片や宮廷という場で働く魔術師が知らないはずがない。
なのにどうして、何を怒っているの? 押された痛みとか以前に全く分からない。
ビクター王太子の婚約者、サブリナ・モルガンズ公爵令嬢。
履修している授業の違いから直接お会いすることは少ないけど、その気品ある佇まいは、指先に至るまで完璧で、まるでビスクドールが意志を持って動いてるようだった。
淑女然としたお姿に私を含め多くの令嬢が憧れを抱いていた。
『サブリナはずっと前からミミに対して嫌がらせをしてるんだ。ビクター様はただミミを、王族として聖女を守っているだけなのに』
『だからこそ君の、名家の侯爵家であるライラの協力が必要なんだ! なあ、頼むよ! 僕らの言ったようなことをみんなに伝えさせてくれるだけでいいからさ!』
彼らが言うような女性ではないことは、一目瞭然である。
その挙句に、この暴挙である。
抗議のために立ち上がろうとしたとき、聞き覚えのある棘のある声が聞こえてきた。
「おいおい……デビュタントもした女が土遊びか? 恥ずかしい奴……」
「にい、さま」
外廊下の柱の陰から現れた兄様を、アーチー様とニゲラ様は笑顔で迎えていた。
その時、私は気づいた。
兄様はずっとここにいたんだ。
私が男二人に囲まれて、嘘を吐いた無罪の人を嵌めるように迫られて、ついには暴力を振るわれるのを、ずっと見ていたんだ。
この三人がこうだということは、きっと、王太子殿下も? あの人は自分の婚約者を陥れようとしているの?
そんな私に気づいたのか、兄様は私を見下ろしながら吐き捨てた。
「もうお前にはほとほと愛想が尽きたよ……ライラ、お前をコーデル家を出ていけ。そして俺の代わりにべミリオン辺境伯家に嫁げ」
「え……? 待ってください、それじゃ、クロエ様は」
「そもそも侯爵家があんな野蛮人を嫁に迎えるのが間違いだったんだ。あの家との結婚はお前みたいな出来損ないにピッタリだ。クロエにはお前と歳の近い弟がいたからな」
眼鏡のフレームを直しながら、こちらの反論を許さぬままに要件を吐いていく。
兄様は以前から婚約者であるクロエ様とは不仲であった。いや、不仲というには語弊がある。一方的に兄がクロエ様を敵視していた。
婚姻関係になると決まったことでベミリオン家とは家族ぐるみで交流があった。
早くに命を落とされた先代に代わり当主を務めるクロエ様は背が高く中性的な面立ちと口調で、そのお人柄から女性ファンのみならず老若男女身分を問わず慕われていた。
支配的でプライドの高く、男尊女卑ごりごりな兄様はそんな彼女が気に食わなかったようだ。
揚げ足をとっては、やれ気配りが出来ていない、やれ品性がない田舎者とクロエ様のみならずべミリオン家全員を馬鹿にしていた。直接本人に言うと即論破されるので、私やメイドたちに愚痴をいって。
そして今、これ幸いと私を自分の代わりに嫁がせようとしているのだ。
「もうずっと前からあっちとは話がついてるがな、ちょうどいい。お前がサブリナ嬢と共謀して聖女ミミをいじめてるなんて噂される前に対処してやったんだ。感謝しろよ」
「お父様と姉様には――」
「はあぁ……相変わらず頭が固いな。あのな、俺には病人の父上と国際弁護士として多忙な姉上に代わってコーデル家を治める権利がある。つまりは実質、俺が今のコーデル家当主だ。そんなこともわからないのか?
お前の代わりに二人には俺が後で説明しといてやるよ。べミリオンの連中にはもう伝えといてる。奴ら今頃喜んでるだろうよ。あの『おぼっちゃま』が嫁入りせずに家に残ってくれてんだから。寧ろ感謝してるさ」
そこまで言うと、兄様は紙を一枚私の方に投げた。
「今日中にその書類にサインしろ。
お前は姉上と同じで愛想も無くて頭だけはいいからな。卒業するのに必要な単位は取ってあるだろ? 学びたいことがあるなら通信教育でもしてもらえ。中退なんてさせたら我が家が笑いものだからな」
学校をやめなくていいと言われたけど、あくまでもコーデル家のため。
ひどすぎる言い草に、唇を噛み締める。
「デイヴおにいさまぁ! みんなぁ!」
「ミミ!」
蜂蜜で砂糖を煮詰めたような甘ったるい声がして、一人の少女が兄様へ駆け寄った。
私と同じ女子の制服を着た、小柄でミルクティーのようなほの明るい色をした巻き毛の少女がパタパタと駆けてきた。
その傍らには金髪の美男子、ビクター王太子殿下が笑顔で彼女の背にぴったりと寄り添っている。
兄様も、他の二人も彼女の名を呼んで笑顔で駆け寄ります。
彼らの顔はみんな同じだった。
頬が赤くのぼせ上り、瞳をキラキラと輝かせている。その視線は全て一人の少女に向けられている。
そんな顔を見れば、誰だってミミに恋をしていると理解できた。
――そうか。だからか。
全てわかった。兄様が自分の代わりに私をベミリオン家に送る理由も、ビクター王太子殿下がサブリナ嬢を嘘をついてまで貶めたい理由も。
ここで私が誰かに抗議したところで、あのお三方が、兄様がもみ消すだろう。
「あのね、あのね、さっきビクターくんが……ふえ……っ」
「どうしたミミ? ああ……アレか」
私の姿を視界に入れた瞬間怯えて体を縮こませるミミを背に庇い、兄様がまた私を睨む。同時に他のお三方も同じような眼差しを向ける。
まるで、汚らわしい獣を見るかのような、冷たい眼を。
「気にしなくていいぞ、ミミ。私が守るから」
「そうだよ。ミミに意地悪をするあんな奴のことなんて視界に入れなくていいぞ」
「デイヴィッドもさぁ、ずーっと言ってるもんねぇ。『いつも偉そうでインケンで一緒にいるとこっちまで暗くなる』って」
冷たい視線は、次第に嘲りへと変わった。
「本当だよ。あんな地味女じゃなくて、可愛くて太陽みたいなミミが本当の俺の妹なら良かったのに」
兄様からそう言われた瞬間、私の中で何かが千切れた。
腐ったロープが朽ちて千切れるように、プツンと何かが私の中から消えていった。
目の前の、私から去っていく兄様たちを見てもなんとも追わなくなっていた。
怒りも、悲しみも、嫉妬心も、何もなかった。
兄様に投げられた通信教育希望書をとり、私は立ち上がった。
制服のジャケット、その裏地にある胸ポケットから親指大のタリスマンを取り出す。鈍い銀色の輝きが眩しく映った。姉様から護身用にと渡された、『特別』なお守りだ。
――わかりました、兄様。私はあなたのお望み通り、コーデル家から出て行って差し上げます。
書類にサインする前に、私は購買に向かう。
少し驚いた顔をしている店員や生徒たちを見て、土を払うべきだと思った。ショーウィンドウに映った自分の顔を見て、頬に傷が出来ているのに気づいた。痛みに鈍くなったせいで、いらない恥をかいてしまった。
苦笑いを浮かべながら、私は店員にお願いをした。
「すいません。便箋と封筒を」
対象者の目の前の光景を録音、録画する効果付きのタリスマン。
それはいつか大勢の人を巻き込む事件の証拠となったことを、私はまだ知らない。
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